(5)

 少し離れたところから耳心地の良い音楽が聴こえる。今流行りの曲なのだろうが、智文はその曲を知らなかった。あとで検索かけてみようか。


「吉田君たちの演奏、本当に良かったよね。頼んで正解だわ。絶対売れる」


 残っていたフライドポテトをパクパクつまみながら、陽菜乃が確信したように頷いた。


 壮馬たちのライブが終了して、智文は直夜の誘いに乗り、ハンバーガー屋に来ていた。高校の最寄り駅前にあるこのハンバーガーチェーン店は北岡高生御用達の店になっており、いつどの時間帯に行っても同じ制服を着た生徒たちが利用している。もう北岡高校の第二の食堂として正式に名乗りを上げてもいいくらいだ。


「さすが、名プロデューサー陽菜乃ちゃん。最高の人選だったと思うよ」


「そのうちCDとか売り出しそうで怖いけどな。ていうか、絶対売れるとか言っちゃってるし」


 智文が半分ほどにまで減った氷入りの冷たいドリンクを勢いよくストローで吸うと、反論するようにすぐさま陽菜乃が睨んできた。


「別に冗談で言ってるんじゃないのよ。今の時代、宣伝方法はたくさんあるし、良いものが作れれば人気に火がつくことは充分あり得るでしょ。服部君の例もあるわけだし」


「ああ、動画が十万回再生されたんだっけ?」


「それ古い情報みたい。もう三十万回は超えてるって」


「マジか。いつの間に」


 最初に動画のことを聞いたのは夏休みのこと。今は季節も秋に移り変わっていて、確かに時間は経過している。それにしたって一か月ほどの間に三倍近く再生回数が膨れ上がっているというのは驚くべきことのように思える。


「だから……ちょっとくらい夢見たっていいでしょ」


 陽菜乃は視線を落として、両手で持ったコップのストローに口をつけていた。気にしなければどうってことない台詞やしぐさだったが、それがいつもの彼女らしくないように感じられて智文は胸が少しざわついた。


 陽菜乃が話を中断したためにできた一瞬の間を埋めるように、直夜が代わりに場を取り持つ。


「映画もさ、無事に完成して文化祭で上映が終わったら、インターネットに公開してみても面白いかもね。良い映画が作れたら再生回数も結構いくかもしれないよ。もちろん、みんなの許可はいるけどさ。透華ちゃんはどう思う?」


 直夜は凛とした姿勢で座る目の前の少女の顔を優しく覗き込む。


 直夜が智文以外に誘った「あとの二人」のうちの陽菜乃じゃないほう、先ほどから話に合わせるように相槌は打っているものの発言率は低かった透華は、黙々と食べていたハンバーガーをゆっくりと飲み込んでから答えた。


「……いいアイデアだけど、わたしは嫌かもしれない」


「そうか、やっぱりそうだよね。見ず知らずの人に見られていろいろ言われるし、それなりに危険性もあるからね」


 意見を否定されたにもかかわらず、直夜はそれほどがっかりすることなく、むしろ何だか嬉しそうに表情を緩ませた。


 店内で流れる音楽は繰り返されているようで二週目に入っていた。右隣のテーブルに座っていた小さな男の子が母親の気を引くようにかかっている曲を真似して歌う。さらに近くの別の席では仕事帰りのサラリーマン二人組が勤務している会社の良いところと悪いところを交互に言い連ねていた。少し離れた席には北岡高校の生徒と思わしき人影もちらほらと見える。


「何はともあれ、もう文化祭も近いんだよな。陽菜乃ちゃん、今後の撮影のスケジュールはどうなってるんだっけ?」


「あー、ちょっと待ってて」


 陽菜乃は鞄を引き寄せて膝の上に乗せ、中身を漁った。取り出したのは例のノートだ。年がら年中持ち歩いては、書き込んだり、誰かに見せたりしているためか、初めに見たときよりもだいぶ傷んでいるように見えた。


「次はいよいよ花火のシーンの撮影よ。今度の日曜日に撮影する予定だからそれまでにいろいろと準備しなきゃ。このシーンの撮影には今まで忙しくて参加できなかった人たちにもできるだけ参加してもらいたいのよね。明日、みんなにもその旨を伝えるわ」


 脚本を手掛けた智文はその場面が終盤に近いことを知っている。いや、知っているというより「体感している」と言ったほうが感覚的には正しいかもしれない。


 物語を作っているうちに自分もその世界の出来事を追体験していて、いつしかそれが実際に起こった出来事のような気がしてくることがある。


 だから、花火に関しても、そのあとに続くラストシーンについても、物語上そうなっているというよりは、「自分が見てきた世界ではそうなっていた」と表現したほうがイメージとしては近い。


「いよいよか。脚本初めて読んだときからこのシーンの撮影楽しみだなってずっと思ってたんだよね。単純にクラスのみんなで花火やりたいっていうのもあったけど、この物語の主役としてストーリーの展開的にもカギになるし、何というかさ、俺自身の経験という意味でも貴重なものにしたいなって」


「なんだよ、それ」


 大げさな語りに智文は思わず笑ってしまったが、直夜がちらっと透華のほうを窺ったのを見て、彼が言ったその言葉の真意が理解できた。


 追体験は脚本を書いたときだけに起こることではない。


 例えば、何かキャラクターを演じるとき、その人物が見たり聞いたりしたものは役者自身も同じように体感することができる。発した台詞だって誰としての言葉なのかがあやふやになってしまうほど、物語の世界に没入してしまうこともあるだろう。


 以前、キスシーンがどうたらといった話をしたとき、直夜は「役としてじゃなくて俺と彼女、牧瀬直夜と望月透華としてそういう関係になりたい」と言った。


 恥ずかしそうにして誤魔化していたが、あれは紛れもなく純粋な願いだった。


 つまり、物語上の自分を通しながら、それとは別に本物の自分のストーリーも紡いでいきたいということだ。


「花火のシーンは残りの予算をバッと使って盛大にやるつもりよ。きっとみんなにとって最高の思い出になるわ」


 ノートをぱたんと閉じた陽菜乃は夜の街が映る店の窓に目をやった。


 ガラス窓一枚隔てた外ではネオンの看板が色鮮やかにキラキラと点灯していた。すっかり外は暗いようで、点滅する赤や青、黄色や緑の光が強く主張するように目に飛び込んでくる。


 今度の日曜日。


 智文たちの花火はどんな色や光を放つのだろうか。


「最高の……思い出」


 呟くように復唱した透華のハンバーガーの包み紙は丁寧に折りたたまれていた。

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