(3)
翌日の昼休みも、智文たちは撮影を行った。
今撮っている昼休みのシーンは、できる限り多くの人に出てもらいたいという考えを智文は持っていた。先日撮った授業中のシーンなど、みんながカメラに映ることのできる場面はいくつかあるが、この何気ない休み時間のシーンは主役の二人以外が注目される数少ない場面なのである。
そうした考えは陽菜乃も持っていたのか、できるだけ多くのクラスメイトに声をかけ、撮影の許可をもらい、それを達成させた。
そして、放課後。二年三組の生徒たちは今日も学校に残って自分のやるべき仕事に取り組んでいた。
ここ数日間は毎日大勢の人がこうして居残り、せかせかと動き回って作業を行っている。もちろんそれは文化祭の開催日が刻一刻と迫ってきているからなのだが、このように放課後皆が楽しそうに準備に取り組んでいると、普段部活や塾などがあって来られない人や今まで何となく遠巻きに眺めていた人たちが「面白そうなことをやっている」と少しずつではあるが参加するようになった。
そうした輪が広がって、今ではどのクラスにも負けないくらい活気のある放課後を演出することができている。この前、智文がうろうろと校内を歩いていたら、他のクラスの生徒たちが「二の三は強敵だ」と噂するのが聞こえてきた。やるからにはどのクラスも最優秀賞が欲しいだろうし、賞を争うことになりそうなライバルの偵察は必要不可欠なのだろう。
とは言っても、智文には他のクラスの状況を知り得るような人脈はない。そういったスパイ紛いのことは陽菜乃の得意分野なのでそちらに任せ、自らは一スタッフとして映画制作の支援に専念することにした。
「透華、お疲れ。いい演技だったわ」
「やっぱり声がいいのかもしれないね。透明感のある声で録音しがいがあるって感じ」
「それもそうだけど、なんと言ってもこの透き通った肌と艶やかな髪でしょ。女子のわたしでも惚れちゃいそうなくらいだよ。望月さん、普段どうやってケアしてるの?」
陽菜乃と綾子、それから賑やかな数名の女子たちに囲まれて、主役の一人、望月透華が教室に戻ってきた。
放課後になってすぐ、彼女らは「廊下を歩く透華」の撮影に取り組んでいた。ごくごく短いシーンではあるが、透華のモノローグとともに彼女の魅力を垣間見ることができるようなそんな場面にしたつもりだ。
「透華ちゃん、だいぶ撮影にも慣れてきたみたいだね。みんなとも打ち解けてきたようだし」
次のシーンの撮影に備えて台本を読んでいた直夜が、しみじみとした表情で視線を彼女のほうに移していた。
「ヒロインっぽくなってきたよな」
演技の練習相手をしていた智文は、その流れでつい反射的に答えてしまった。
返事をしてから、果たして本当のところはどうなのだろうと不安になった。輪の中心にいる透華は恥ずかしがりながらも微笑んでいて、確かに表面上は映画の撮影を彼女なりに楽しんでいるように思える。
けれど、それはあくまで目に見える部分であって、見えない心の機微に触れられているわけではない。
今、自分が口にした「ヒロインっぽくなってきた」というのも、自分を含めた周りがそうあってほしいと強要した結果、透華がそれを演じざるを得なくなったのかもしれない。
幽霊っぽいからという理由だけで強制的に幽霊の役を与えられ、ヒロインだからという理由だけでヒロインっぽく振舞うことを強いられる。
透華の心は、今彼女が歩んでいる道を受け入れているのだろうか。
「でも、まだ完全に心を開いてるって感じじゃないんだよな。何度か演技のレッスンで二人で会ったりもしてるんだけど、俺に対しても、クラスのみんなに対してもどこか遠慮してるみたいでさ。それが透華ちゃんの良さでもあるんだけど、俺としてはもっと彼女の素直な意見が聞きたいんだよね」
声の調子はあまり変わらない。だが、透華を見つめる瞳が少しだけ悲しげに変わっていた。
やはり、直夜も気づいていた。いや、直夜のほうがより早く、深いところまで彼女のことを見ていたのかもしれない。好意を抱く異性が本心をひた隠しにしていたら、誰だってそれを知りたいと思うし、できることなら力になってあげたいと願うだろう。
だけど、それがなかなか叶わないから一歩を踏み出すことができない。大切な存在だからこそ、安易に踏み込んでわかった気になってしまうことを恐れている。自然な形で彼女の口から彼女の心の声が語られるのを待つしかないのだ。
「直夜なら、いつか聞けると思うよ」
さらっとそんな言葉をかけていた。当然、智文には今後二人の関係性がどうなるかなんてわからない。確証や自信があったりするわけではない。
けれど、うまくいってほしいと思った。疑念や異論を挟む余地もないくらい純粋な気持ちで智文はそれを願っていた。
「サンキュー、智ちゃん。ああ、俺はいい友達を持ったなぁ。俺のほうも智ちゃんと陽菜乃ちゃんの仲が深まるように協力するよ」
「いや、それはいいから」
肩を揺さぶられた智文は、清々しい笑顔で力強く乗せられた直夜の手を丁寧に振りほどく。
「そうかそうか。協力してほしいんだな。俺に任せてくれ」
どういうフィルターを通して解釈したのか知らないが、直夜はやる気に満ちた表情でうんうんと勝手に頷いた。
「じゃあ、俺そろそろ出番だからまたあとで」
そして、彼らしく爽やかに手を振りながら次なる撮影へと向かっていった。
演技の練習相手という役目がなくなり一人になった智文は、グーッと両腕を上に伸ばしながらゆっくりと教室を見回した。
当日配るパンフレットや教室の外壁に貼り付ける宣伝用の巨大な広告絵を作成しているグループ、映画館っぽい雰囲気を目指して飾りつけを考えたり、座席、音響の位置などを検討したりしているグループ。撮影以外にもやるべきことはたくさんあって、それらの仕事を自発的に、あるいは他者から推薦されて、各々が生き生きと動いていた。
「さて、どうするかな」
脚本を担当したので映画の内容には詳しい智文だが、広報活動や教室の内外装にはほとんど関わっていない。放課後のこの中途半端な時間帯になって急に作業に加わるというのは多少なりともやりづらさがあった。
そういうこともあって、智文が歩み寄ったのはノートパソコンで映像の編集を行う圭のところだった。そこには結構な人だかりができていて、そのうちの数人がパソコンの画面を真剣な顔で見つめていた。
「これがBパターン。さっきのAパターンとどっちがいいかな?」
「俺はどっちかっていうとAに惹きつけられたが……」
「でも、Bもかなり良かったよね?」
「わたしもBがいいと思ったんだけど、万人受けしそうなのはAじゃない?」
圭を中心に男女入り混じって白熱した議論が展開されている。ここ最近は映像のストックも増えたため、編集担当に回ってくる仕事は多い。圭はいくつかの編集パターンを用意した上でこうしてみんなに意見を仰いで、最終的に映画で流す映像を決めているのだ。
「服部君ってさ、端的に言って神だよな」
近くの椅子に座って議論を眺めていた智文の横で、同じように椅子にもたれていた壮馬がひょいと体を起こし、気さくに声をかけてきた。
だがしかし、あまりに咄嗟のことだったため、智文は即座に答えらずに「ああ」と曖昧な返事をしてしまった。
言い訳をするようだけれど、これまで智文は壮馬とほとんど会話を交わしたことがなかった。まあ一応は同じクラスなので、直夜にはない「真のチャラさ」を持っていそうだなとかそういうことはわかっていたが、まさかこんなに壁もなく自然に話しかけられるとは。これがバンドマンのなせる業なのか。
一種の畏怖みたいなものを感じながら、智文は座った状態で固く身構えていたが、壮馬のほうには恐れも何もないようで、以前から何度も話したことがあるような口ぶりで陽気に話を続けた。
「俺たちバンドメンバーで作った音楽、すげぇうまく映像にのせてくれるわけ。愛のある使い方を心得てるっていうの? 作ってる側としてはマジでありがたいわ」
壮馬は本人に気づかれないような位置から、パンッと拝むように手を合わせた。
「そうだよな」
呟くように深く同意して、智文はパソコンの画面を指し示しながら議長のごとく皆に意見を求める圭をしげしげと見た。
脚本を書いた身としても、圭の編集する映像には感動してばかりだった。
彼には様々な決定権がある。だが、その分責任は重い。演者やそれを支えるスタッフたち、映画制作に携わるすべての者の期待を背負って、圭は責任重大な編集という仕事に取り組んでいるのである。
「けど、神は他にもいるんだよなぁ」
にこやかな笑顔を浮かべ、壮馬がこちらを振り返る。
「この映画の脚本作ったの、朝野君なんだろ? 俺、ぶっちゃけ最初はクラスでの文化祭の出し物とかあんまし興味持ってなかったんだよね。バンドのほうが重要っていうか、俺にとっての文化祭はバンドがすべてだって決めつけてたわけ。だから、出し物が映画って決まったときは『めんどくせぇな』なんて思ってた。しかも、白石さんから音楽作ってほしいって言われて、初めは忙しいからって断ろうと思ってんだよ」
壮馬から「責めないでくれよ」とでもいうような弁明の瞳を向けられたので、「大丈夫、俺も陽菜乃に脚本任せられたときはめんどくせぇなって思った」という意味を込めて強く相槌を打った。
「でも、断る前に朝野君が書いた脚本が送られて来ちゃってさ。まあ、来ちゃったからにはとりあえず読むでしょ? 夏休み前の出し物決めのとき、俺ちゃんと話聞いてなかったから内容とか全然知らなかったんだよね。だから、どんな話か予備知識もなく読み始めたわけ」
「あの出し物決め、映画やりますってこと以外、ほとんど何も決まってないようなものだったけどな」
「へぇー、そうなんだ。まっ、とにかくそんな感じで読み出したわけよ。そしたらもう止まらなくてさ、その日のうちに最後まで読んで、そんで音楽の話、引き受けようって思ったわけ。つまり、俺をこの映画制作に導いてくれたのは朝野君なんだよね」
そんなに褒められても困る、と智文は恥ずかしくなり、頭をポリポリと掻いてテンション上げ上げの壮馬から顔を背けた。
「別に恥ずかしがることないだろ。マジで尊敬してるんだから。ラストシーンなんか、俺もう感動しまくってさ。人間と幽霊っていう異なる存在が密かに交流を深めていって、そんで望月さんが幽霊だっていう秘密が明かされると同時にみんなの前からいなくなって……。俺は絶対このシーンに、この物語に音楽をつけたいって思ったんだよね。今日みんなに初披露する主題歌もさ、そんな私とあなた、君と僕の関係性をテーマにしてんだぜ。曲名は映画のタイトルと同じ『インタラクション』だ!」
瞳に炎を纏ったような壮馬の熱意に押され、智文はたじろぎながらも「あ、ありがとう」と小さな声で礼を述べた。
「二人とも、ちょっと今時間あるかな?」
そんな智文たちのところへ近づいてくる人影があった。振り向けば、相変わらず気弱そうではあるが、頼りになる存在としてクラスで認められつつある圭が遠慮がちに立っていた。
「二人に見て欲しい場面があるんだ。ちゃんと朝野君の脚本のイメージと合ってるか、吉田君の作った音楽が生かされているか、こっちに来て確認してほしいんだけど」
「もちろんオーケーだぜ。じゃあ、早速やりますか、朝野君」
馴れ馴れしく肩を組まれ、そのまま連行されるようにノートパソコンが置かれた机のほうに向かった。どこにも逃げないし一人で歩けるから離れてくれ、と壮馬に言おうとしたが、そもそもそんな突っ込みができるほど親しいわけでもなかった。
……じゃあ、なんで俺は肩組まれてるんだ?
考え方や感性が全然違う人間との交流に困惑しつつ、またそんなことが起こり得るのもこういう文化祭のような特別なイベントの魅力なのだろうと感じつつ、智文は諦めとも違う、清々しいため息を吐いたのだった。
***
それからまた時間が経ち、陽が傾いて、そろそろ外も暗くなり始めようかという夕暮れの時間帯になった。
蛍光灯の灯りがもわんと青白く光る中、それぞれの持ち場で作業を頑張っていたクラスメイトたちの顔にも若干疲れが見え始め、今日はこのくらいで切り上げようと静かに片付けが始まった。
ついさっきまでがやがやと騒いでいた声も止み、急にどこか物寂し気な雰囲気が漂い始めた教室内で、反旗を翻すように一人の男子――吉田壮馬が立ち上がった。
「みんな疲れてると思うけど、へばってちゃ困るな! 今日のお楽しみはこれからだぜっ!」
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