(2)

 高校生の昼食と言えば学食派か購買派か弁当派かの三パターンに分けられるが、智文は弁当たまに購買派である。普段は母親が弁当を作ってくれるのでそれを持参するのだが、たまに今日みたいにうっかり作り忘れることがあるのでそのときは購買でパンを買うはめになる。


 ただここで「何で今日弁当ないんだよ」と親に向かってキレてはいけない。人間誰しもうっかりすることはあるものだ。ほら、よくお店なんかで「うっかり多めに仕入れちゃいました」なんていうのがあるだろう。あれと同じだ。


 ……でも、あれってどうなんだろう? わざとそうやって宣伝してイベント感出しているだけなのではないか? 真のうっかりと言えるのだろうか?


 智文は昼休み開始直後に購買に駆け込んで購入した甘いメロンパンの味を一人で噛みしめながら、ふとそんなことを考え込んでいた。


「あんた、なにのんきに食べてるのよ。昼休みの撮影、手伝うって言ってたでしょう?」


 声がしたので顔を上げると、呆れたようにこちらを見下ろす陽菜乃がいた。


 そういえばそうだった。今日の昼休みは「昼休みのシーン」を撮影するから協力して、と陽菜乃に言われていたのだ。


「つい、うっかり」


「何が『うっかり』よ。そんな言い訳、わざと大量に商品仕入れておいて『うっかりして発注ミスしてしまいました。助けるつもりで買ってください』って言って売りさばくみたいなのでしか通用しないのよ」


「やっぱりあれわざとかなぁ」


 この前、店員さんを助けようと思って駄菓子結構買っちゃったんだよな。発注した店員さんの名前と写真まで貼ってあって、その店員さんがこれまた良い感じに「天然系美少女」みたいな雰囲気で。あれは買っちゃうよな。


「そんなことはどうだっていいでしょ。とにかくその食べかけのメロンパンを食べて、早くわたしのところに来なさい」


「……わかったよ」


 これではおちおち考え事もしていられない。


 智文は少々苛立ちつつも、手伝うという約束をしたのは確かだったので口答えもできず、まだ三分の一くらい残っていたメロンパンを一気に口の中に押し込んで陽菜乃の後を追った。


 昼休み中の教室にはいくつものグループができていて、机を適当にくっつけて談笑しながら楽しいランチタイムが繰り広げられている。


 その塊の間を縫うように移動して、智文は編集担当の服部圭が座る席へと向かった。


「オープニング映像、作ってみたんだけどどう?」


「すごい! かっこいいじゃない! これにあとで音楽をのせれば完璧よ。とりあえずそのパターンで保存しておいて今度みんなに見てもらいましょう」


 圭は慣れた手つきでノートパソコンをいじりながら、隣に座る陽菜乃に説明をしていた。


 オープニングはコマ撮りムービーが使われている。


 まず映画のタイトルである『インタラクション』の文字が数名の生徒たちによって黒板に描かれていき、文字列が完成すると誰もいなくなった教室に風が吹いて書かれた文字が砂のようにサラッと消えていく。


 手法としては、何枚もの写真を繋ぎ合わせてパラパラ漫画のように動きのある動画を作り上げているのだが、実際にこうして映像になっているのを見ると超現実的なところがあって、まるで魔法でも見ているかのように感じられる。


「あっ、智文、ちょうどいいところに来たわね。これ見て、どう? 作品の雰囲気に合ってると思わない?」


「いいな。こんなふうにできるのか、最新の技術は」


 智文が感心すると、圭は滅相もないといった表情で手を振った。


「そ、そんな特に最新の技術とかは使ってないし、僕にはまだそんなすごいものを扱える能力もないよ。ちょっと調べてみて、映画に使えそうなものがないか勉強中なんだ。他にもいろんなシーンの編集に応用できればと思って」


「さすが、服部君! 二の三の秘密兵器! 何かアイデアがあったらいつでも言ってね」


 陽菜乃の勢いに押されるがまま、圭は頷いていた。


 そのこきの使われ方や振り回され方を見ていると智文は他人事のようには思えなくて同情の視線を送ってしまうが、陽菜乃は圭のことを高く買っていて、圭も何だかんだやりがいを見つけて仕事に取り組んでいるみたいなので悪い関係性ではないのだろう。


「それじゃ、撮影しに行きましょう。智文、ついて来なさい」


 机の上に大事に置かれていたカメラを手に取ると、陽菜乃は椅子から立ち上がった。


 陽菜乃がまず向かった先は音声担当の源綾子の席だった。


「綾子、遅れてごめん。準備はできてる?」


「うん、ばっちり。さっき試しに会話録音してみたけど、これならちゃんと聞き取れそう」


 手に持ったICレコーダーをこちらに見せながら、綾子ははきはきと説明を続ける。


「これを机の上のカメラに映らないところに置いておけば台詞は録れると思う。昼休みだからみんな弁当広げてるし、隠す場所はあるからね。もしそれが無理でも映像だけ撮っておいて別録すれば問題なし」


 優しさを含みながらも毅然と言い放つその有様は、陽菜乃とはまた別の「委員長らしさ」を喚起させる。陽菜乃が体当たり的にみんなを引っ張る委員長なら、綾子は生真面目な性格でみんなを統率する委員長というべきだろうか。髪型、服装、どこを見ても校則違反な箇所は存在しない、規律正しい模範的な女子高生だ。


 事実、陽菜乃が彼女を音声担当に抜擢したのも、その真面目な性格が理由らしい。カメラでの撮影と同様、音声の録音も現場にいなければならないことが多いので、絶対にサボったりしないような人材が必要なのである。


「さすが綾子ね。頼りになるわ。じゃあ、時間もないし手当たり次第に回りましょう」


 そう言うと、陽菜乃は手始めに近くにいた大人しめの男子三人グループに狙いを定めて、事情説明をしながら突撃撮影を敢行した。


「はいっ、じゃあ何か適当に面白い会話して!」


 ウキウキ気分の陽菜乃に対し、いきなり来られてそんな指示されても困る、という至極真っ当で自然な反応を彼らは見せた。ただでさえ面白い会話をするというのは難しいのに、それを人に命令されて、なおかつ撮影されるのだから大変だ。


 智文はその男子たちの気持ちを察し、陽菜乃にそっと耳打ちした。


「面白い会話は他の人に任せて、彼らには脚本にある台詞を読ませればいいんじゃないか?」


 陽菜乃は顎に手を当て数秒間考え込むと、納得したように頷いた。


「そうね。そっちもまだ撮ってないし、ここはアドリブじゃなくてもいいかも」


 その言葉に、席に座って会話もなく呆然としていた男子たちは胸をなでおろしていた。


 脚本上の「昼休みのシーン」は、二パターンの会話によって形成されている。


 一つが、今も陽菜乃が彼らに任せようとした「アドリブ的な会話」で、台詞はかっちりと決まっておらず、高校生の日常で普通に話されるような取り留めのないお喋りを見せるのが目的だ。内輪ネタでもいいし、高校生あるあるでもいいし、わけのわからないハイテンションなノリを見せてもいい。とにかく、みんなが楽しそうにしていればそれでオーケーだ。


 もう一つが、映画のストーリーに関わる「幽霊についての噂」をする部分。この学校には幽霊が紛れ込んでいて、一人の生徒として一緒に高校生活を送っているらしいという噂をこっそりとする。これについては智文が台詞を用意したので、それを覚えて読んでもらえば場面は成立する。もちろん、その台詞をより自然なものにするためにアドリブを入れるのは大歓迎である。


「じゃあ、台詞読んでもらいましょうか。台本は今持ってる?」


「あー、俺タブレットに入れてあるよ」


 一人の男子が鞄からタブレット端末を取り出すと、スルスルと画面をいじって脚本の該当するシーンを表示させた。


「この部分を三人で読んでくれる?」


 陽菜乃に指示され、控えめな男子たちは一人一言ずつくらいのその台詞をぶつぶつと唱えて練習し始めた。その間に陽菜乃はカメラを、綾子はICレコーダーをセットし、準備は万端。早速、撮影を開始した。


「はいっ、カット!」


 台詞自体は短いので、数分と経たないうちに撮影は終了し、チェックを終えるとお礼を言って次のグループのもとへと向かった。


 先ほどが男子グループだったので今度は女子グループ。陽菜乃が事情を説明し、「どんな会話でも盛り上がってくれればいいから」とアドリブを頼むと、彼女らはカメラの前でも割と自然な形で楽しくお喋りを始めた。ちなみに、会話の内容は「寝相について」だった。


 なに、女子高生って普段そんな会話してるの、と智文は今この場にいるただ一人の男子として、驚きと気恥ずかしさと申し訳なさをミックスさせた感情で佇みながら、その談笑にしばし耳を傾けていた。


 寝相を語る女子グループの撮影も終わり、智文が「次はどうする?」と陽菜乃に問いかけると、彼女は教室の時計をちらりと目で確認して言った。


「今日中に全部は無理ね。とりあえず今日はもう一グループ撮って終わりにしましょう」


 もともと今日のうちにすべて撮り終えるのは不可能だと思っていたので、智文は「了解」と短い言葉で答えた。陽菜乃は本日最後の役者たちを探すべく辺りを見回して、ある男子の姿を見つけるとバタバタと駆け寄っていった。


吉田よしだ君、ちょっと今いい?」


 黒い髪を遊び心いっぱいにワックスで立てた、いかにもノリの良さそうな男子、吉田壮馬よしだそうまは他の男たちとの会話を中断してバッと振り返ると、「おー、白石さんちょうどいいところに」と明るい声を上げた。


「映画の主題歌、出来上がったぜぇ。まだアレンジの余地はあるけど、とりあえず聴いてみてくれや」


「本当に? ぜひ聴かせてちょうだい。そうだ、明日の放課後って空いてる? 王子も透華もその他のスタッフたちも結構集まるから、そこで初お披露目っていうのもいいんじゃないかしら?」


「いいの? そんな機会もらっちゃって? そういや、明日なら部屋取ってあるからどっちみちバンドのメンバー全員集合するし、生演奏っていうのもありか。その場でクラスのみんなの意見聞いてアレンジの参考にもできるし。そんな感じでオーケーっすか?」


 右手の親指と人差し指をくっつけて丸の形にして調子よく訊いてくる壮馬に対して、陽菜乃も溢れんばかりのエネルギーを力いっぱい指先に込めて同じように丸を作り、堂々と彼の前に突き出した。


「ばっちりよ! 吉田君たちのバンドと二の三の映画の奇跡のコラボで、クラスと有志の最優秀賞を総取りしましょう!」


 吉田壮馬率いる四人組バンドは全員二年三組の生徒で構成されている。彼らは今年に入ってからバンドを組み、文化祭での発表を目標に活動を続けてきたようだ。


 文化祭において、バンド演奏は有志という枠組みで披露される。その有志団体の発表にも最優秀賞と優秀賞があり、それぞれ優れた演目を行った団体に与えられる。ちなみにだが、こちらには審査員特別賞はない。校長先生はクラスを回るので精一杯なのだろう。


 それはさておき、そんな壮馬たちに注目したのが敏腕プロデューサー陽菜乃だ。陽菜乃は彼らに映画の音楽を担当してもらうとともに、主題歌の作成を依頼したのだった。


「文化祭当日は吉田君たちが作った曲を映画で流して、さらに有志のバンド演奏でその曲を披露してもらえば宣伝効果は倍増する。これはもう笑いが止まらないわね。きっととんでもない興行収入を叩き出すに違いないわ」


 想像を膨らませ勝手に悦に浸った陽菜乃はクックッと笑う。「いや、だから興行収入とかないから」と突っ込みを入れようとしたが、あまりに嬉しそうに笑っているので水を差すのも悪いと思い、智文は開きかけた口を閉じた。代わりに口を開いたのは壮馬だった。


「そういえば、なんか俺に用だった?」


「はっ、そうだった、昼休みのシーンの撮影を……」


 陽菜乃が我に返って映画の撮影をする旨を説明しようとしたとき、無情にもキーンコーンカーンコーンと昼休み終了を告げる予鈴のチャイムが鳴った。


「……しようと思ってたんだけど、今日はもう無理みたいね。明日、もしよかったら昼休みも空けといてくれない? わたしたち、撮影しに来るから」


「わりぃ、明日の昼は俺ちょっと忙しいんだ。けど、もし撮影するなら出られそうな奴、募っとくよ」


「ありがとー。そうしてくれると助かるわ」


 陽菜乃は目の前の壮馬にお礼を言うと、後ろにいた智文たちのほうにも視線を向けた。


「綾子と智文にも迷惑かけちゃうけど、明日もよろしくね」


 そう言われて特に断る理由もない。綾子が当然だというように頷きを返したのを見て、智文も素直に首を縦に振った。

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