小説『インタラクション』 第3章

(1)

 黒板の前に立った担任の先生が授業をしている。それを聞いている生徒たちの顔は皆、真剣そのもの。教科は英語。白と黄色のチョークを使い分けながら、高校二年生レベルの英文がつらつらと書き並べられていた。


 黒板の右上のほうの壁にかけられた時計がチクタクと時を刻んでいく。


 夏休みが明けて、通常通りの学校生活が戻ってきた。窓から差し込む太陽の光が机の上の開いたノートの白いページに影を作る。その暗がりが邪魔にならないように気を払いながら、智文は黒板に書かれた文字を必死に書き写していった。


 どこの高校にもあるであろう、ありふれた光景。


 例外なのは、先生の隣で意気揚々とカメラを構える陽菜乃の姿だ。


「はいっ、カット!」


 快活な陽菜乃の声が静かな二年三組の教室に轟いた。それとともに緊張が解けて、室内の空気が緩んでいく。ここにいる全生徒が、そして先生までもが脱力しており、室内のいたるところから安堵のため息が聞こえてきた。


「とりあえずは大丈夫そうね。あとでゆっくり確認して、もし何か問題があったら撮り直すからそのつもりでね」


 そんな中でも一人元気に映像をチェックする陽菜乃は、みんなの「えーっ」という不満の声にもけろりとしている。


 そう、これは映画の撮影である。授業中のシーンを撮りたくて担任の先生にも「演技」をお願いしたのだ。実際の今の時間割は英語ではなく週に一度のロングホームルームの時間で、毎年この時期は文化祭の準備に使うことができる。授業の風景を再現するにはうってつけの時間だった。


 二年三組の出し物『映画制作』は無事に夏休み明けの全クラスの代表者が集った合同会議を潜り抜けたようで、会議に参加した陽菜乃は「どのクラスもありきたりなものばかりだったから最優秀賞はいただきね」と自信満々に報告してきた。


 陽菜乃らしいと言えばそれまでだが、実際のところは自分たちのクラスの映画制作だってありきたりと言えばありきたりだし、出し物というのは中身が最も重要なのだから今の時点で賞も何もないだろう。


 ただ、とりあえず学校から正式に許可が出たことは良いニュースだった。


「白石さん、私はもういいのかしら」


 撮影するから授業してください、なんていきなり言われて先生もさぞ困っただろう。くたびれた様子で陽菜乃に尋ねていた。あんまり負担をかけてしまったら温厚な先生とはいえイライラするに違いない。あの天使のような微笑みが悪魔のような冷笑に変わるところなんて絶対に見たくない。想像するだけで身震いする。


「はい、ゆっくり休んでください。先生には他にもいろいろと出てもらう予定ですが、今日はそのシーンの撮影はないので」


「えっ? まだ私出なきゃいけないの?」


 疲弊した心身に追い打ちをかけるようなお知らせに、先生はガクッと項垂れた。


 ごめんなさい。脚本を書いたのは俺です。


 智文は心の中で懺悔しつつ、どうか穏便な対応を、と願って自分の席から先生の顔をちらっと窺った。


「まあ、仕方がないですね。みんなも頑張ってるみたいだし、私に手伝える範囲で撮影にも協力しましょう。ただし、他のクラスの生徒や先生方にはあまり迷惑をかけないようにしてください。それから、学校の外で撮るときにはできる限り地域の皆様の邪魔にならないようにすること。ルールはしっかりと守って撮影してくださいね」


 元気を取り戻した先生は優しい微笑みでクラス全体を見回しながら、陽菜乃だけでなく二年三組の生徒全員に向かって柔らかい口調で告げた。


「よっ、先生最高! 教師の鑑!」


 温和な空気の中で一人の男子が調子よくそんな声を上げると、立て続けにいろんな人が、「さすがわたしたちの先生」、「エンジェルティーチャー」、「演技派女優」などと囃し立てた。突然の喝采に、先生は照れ臭そうにぺこぺこと頭を下げながら壇上を降りていった。


 一部、というか大部分がよくわからないノリで占められていたが、先生が撮影に理解を示してくれて、なおかつ協力してくれるというのはとてもありがたいことだった。


 それに、クラスの雰囲気も悪くない。


 文化祭とかそういった大きな行事がある際には、クラス内で意見が対立して険悪なムードになることも珍しくない。そのあと無事に一致団結できれば良いが、最悪の場合、クラスが一向にまとまらないまま本番を迎えてしまうケースもある。


 今のところ智文たちのクラスにはそのような兆候はなく、すぐに面倒くさそうな声を上げる者はいたりするが、何だかんだでみんな協力的だ。


 出し物の許可が下り、撮影もスムーズに進んでいる。


 このまま大きな障害がなければ、非常に良い状態で文化祭を迎えられそうである。

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