(3)

 撮影現場である河川敷に直夜と透華が現れ、今日のシーンの撮影のためのスタッフ、キャストは全員揃った。


 陽菜乃の声掛けで、まず初めに自己紹介が行われることになった。自分の役職と映画撮影に向けての意気込みなどを一人ずつ語っていく様子は、いよいよ撮影が始まるのだという高揚感と緊張感を生み出す。


 カメラマン、監督、プロデューサーを一手に担う陽菜乃が熱い自己紹介を終えると、音声担当、美術担当などといった肩書を持つクラスメイトたちが順番に抱負を述べる。


 そんな中、智文が最も驚いたのが、編集担当の服部圭はっとりけいのことである。


「服部君は今回の映画撮影における秘密兵器よ」


 控えめな自己紹介を終えた彼のことを、陽菜乃は皆の前でそう評した。それは言い過ぎだと言わんばかりにオドオドとしながら静止させようとする圭をよそに、陽菜乃は暴走機関車のごとくまくし立てた。


「みんな聞いて! 彼の作った動画は某有名動画投稿サイトで十万再生を記録したの! 十万よ! 六桁よ! すごいと思わない?」


 圭の顔がカアッと真っ赤になる。暴走する陽菜乃に振り回される姿は何だか他人事のようには思えなくて、智文は思わず同情の目を向けてしまった。


「十万再生か。すごいね。それっていったいどんな動画なのかな?」


 そんな気弱な眼鏡のクラスメイトに、すかさずフォローに入ったのは直夜だ。茶髪にアクセサリーと、見た目は少しチャラいお兄さんと言った感じだが、相手に敬意を表しながら話しやすい雰囲気を作るその紳士的な様子は彼の王子たる所以をよく示している。


 だが、圭が答えるよりも先に、陽菜乃が二人の間に手を伸ばして割って入った。


「それは秘密よ。察してあげて。誰にだって言えないことがあるでしょ?」


 わたしは服部君のただ一人の理解者です、みたいな顔つきで陽菜乃は大きく神妙に首を振った。


 えっ、そんな触れちゃいけないような動画なの? と皆が一斉に顔を見合わせ、ざわめき出す。勘ぐるような視線が飛び交い、それぞれがそれぞれの解釈で「察して」、その後しばし無言状態が続いた。


「ペ、ペット……」


 か細い、今にも泣き出しそうな声が響いたのは、みんなが察しモードに入ってから十秒余り経ってのことだった。


 発言者のほうに顔を向けると、もう誰の目にも明らかなくらい恥ずかしさでプルプル震えている圭が、なけなしの勇気を振り絞った状態で立っていた。


「う、うち、猫を飼ってて、そ、それで動画を撮ってアップしたら結構再生されて……。予想以上の反響でびっくりしちゃって、学校の人たちにはあまり言えなかったんだけど……」


「編集担当に良い人材はいないかって聞き込み調査をしてたら、その動画のことを知っていた彼の友達が教えてくれたの。『服部君は動画のことを広めてほしくないみたいだからできる限り秘密にして』って約束と一緒にね」


 堂々と胸を張る陽菜乃に、智文はいやいやと突っ込みを入れる。


「お前、思いっきり広めちゃってるじゃねぇか」


「だからわたしはちゃんと『秘密』って言ったじゃない? 服部君が勝手に喋っただけで」


 陽菜乃は勝ち誇ったようにニヤリと笑みを浮かべる。そういう問題じゃないだろ、と一応咎めるような視線を投げかけてはみたが、彼女は智文の睨みなど気にも留めず、楽しそうな表情のまましらばっくれていた。


「猫の動画か。もし嫌じゃなければ今度見せてくれないか? 俺、犬か猫かだったら猫派なんだ」


 めまいがして今にも倒れてしまいそうな圭を支えるように、直夜が彼の肩に優しく手を差し伸べた。すると、それに続くようにクラスメイトたちが、「見たい」、「気になる」、「見てみたいかも」と次々口を開く。


 思いがけない展開にしばらく口を半開きにして周りの様子を窺っていた圭だったが、やがて皆の要求を理解すると、嬉しいような恥ずかしいようなそんな表情で照れながら答えた。


「そんなにすごい動画じゃないけど、それでも良ければ……」


 返事がなされると、ヒュー、イェーイとまるで映画が完成したかのような歓声が上がった。 


 おいおい、そのテンションは完成時まで取っておけよ、と突っ込みたくなったが、逆に考えれば始まる前からこの一体感を出せているというのはとてもすごいことだった。


 これが、陽菜乃のプロデューサーとしての能力。……絶対に認めたくねぇ。


 何はともあれ、撮影は和やかなムードで始まった。最初は慣れないこともあり、各持ち場でのトラブルからNGを連発したが、だんだんコツがつかめてくると少しずつではあるが使えそうなカットも増えていった。


 シーンはカットの集合体だ。細かく刻まれた映像のかけらをうまく組み合わせて自然な場面を形成していく。熟練者ならばどのようなカットがどう使えるかというのを頭の中で瞬時に組み立てることが可能なのかもしれないが、素人集団である智文たちにはそれは難しいので、必然的に使えそうなカットはとりあえず映像に収めておくことになる。


「今のところ、あとで編集するときに見比べたいからもう一回撮っておきたいかもしれない」


「二人とも、もう一度こっちから歩いて」


 何度となく、同じ行動、同じ台詞を繰り返す。しかし、それらは一つとして同じようには映らない。間の取り方、表情、周りの風景など、それぞれが微妙に異なり、そのわずかな違いが印象に大きな差異を生む。


 時間はあっという間に過ぎていった。川沿いに整備された灰色の道路を何回も何回も行ったり来たりして、空はいつの間にかオレンジ色。四季の中では一番遅い、夏の日の入りの時刻が徐々に迫っていた。


「ごめん、みんな今日遅くまで時間大丈夫?」


 そろそろ必要な分のカットは撮れたかなというところで、突然、陽菜乃がそんなことを言い出したので、皆どうしたものかと彼女のほうを見た。


「今からもう一度、シーン全体を撮り直さない?」


 その提案は驚きが大きかったのか、集まったスタッフたちは文句の声すら上げられず、訝しむように彼女を見つめた。


「俺は大丈夫だけど……。陽菜乃ちゃん、説明してくれる?」


 皆の気持ちを代弁しつつ、直夜がとりなすような口調で説明を求めた。陽菜乃も無茶な要求をしていることは理解しているようで、真剣な表情で頭を下げながら懇願した。


「今日この場所にみんなに集まってもらったのは『帰り道のシーン』を撮るためで、その目的はとりあえず達成された。だから、このまま今日は終わりでもいいんだけど、でもあの夕陽を背景にしてもう一度撮りたいの。時間帯をきっちり決めておかなかったのはわたしのミスで、これは言い訳のしようがない。だけど、あの夕陽と一緒に撮ったら、きっともっと良いシーンになると思うの」


 言われて、みんなは無言で視線を空に向けた。


 夕暮れ時、沈んでいく夕陽を中心にオレンジ色に染まる空は、見る者の心を奪う不思議な光に満ちていた。


 これからみんなで力を合わせて作られていくであろう映画が感動を巻き起こすだろうか。智文たちの文化祭が輝かしい青春の色に染まるだろうか。その答えがこの空にはある気がした。


 誰からともなく、今日ここに集まった全員が頷きを返していた。


 同じ夕焼け空を見た者同士想いは一緒、なんて綺麗事かもしれないけど、それでも確かに共有できたものがあったように思えた。


 その目には見えない「何か」を求め、レンズは夕陽に向けられる。

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