(2)
北岡高校二年三組による映画撮影のクランクイン当日。
夏休みも後半に突入していたが、まだまだ暑さは厳しく、智文はタオル、瞬間冷却材、飲み物を入れたクーラボックスなどの熱中症対策グッズを多数準備して撮影場所に向かった。
今日は陽菜乃が揃えたスタッフが何人か来る手筈になっている。スタッフと言っても同じクラスの人たちなので初対面というわけではない。しかしながら、交友関係が特別広くもない智文にとってはクラスメイトという間柄であっても多少の緊張は覚える。中途半端な知り合いというのはお互いに何となく知っている分、案外やりにくいものだ。
比較的広い割に人通りの少ない静かな河川敷に智文が到着すると、女子二人と興奮気味に話しをする陽菜乃の姿が見えた。陽菜乃は智文に気がつくや否や、両手をいっぱいに広げて元気よく振る。
「こっちこっち。早く来て!」
キャラクターの絵柄が入った白のTシャツにデニムパンツという夏らしい格好の白石陽菜乃は、智文が近づくにつれて笑顔だった表情をしかめた。
「えっ、あんた何、その格好?」
「何って制服だけど?」
「いやそうじゃなくて、なんで制服なんて着てきてるのよ? 王子と透華以外は私服でいいってわかってるはずでしょ」
陽菜乃の意見はごもっとも。今日の撮影は下校中という設定で、直夜と透華が二人で河川敷を歩きながら会話をするという青春感満載のシーンを撮ることになっている。学校帰りということで、映像に映ることになる二人は当然、制服でなくてはならない。しかし、それ以外の人たちは今日はカメラに収まることはないので、わざわざ制服を着てくる必要はない。
ならば、どうして智文は制服を着てきたのか?
そんなの決まっているだろう。
「私服がねぇんだよ」
普段、制服での登校を義務付けられている高校生にとって、私服を着る機会というのは少ない。一週間のうち、少なくとも月曜から金曜の間は制服で過ごすので、こういうちょっと出かけるときに着る服というのがないものだ。
まあ、それは俺だけなのかもしれないけど。現に集まっている人たちみんな私服だし。
智文がぐるっと周りを見回すと、三つほどのグループに分かれて立ち話をするクラスメイトたちがいた。全部で十人くらいいるだろうか。男女問わず意外とおしゃれな格好で、ファッション雑誌で『高校生の夏コーデ! 今年はこれで決まり!』などと特集されていそうな出で立ちである。……ファッション雑誌とか読まないけど。
「そうだったの……」
陽菜乃はなぜか暗いトーンで目を伏せると、窺うようにちらっと視線を上げた。
「……なんかごめん。触れないほうが良かったわね」
「やめろ。そんな可哀想な目で俺を見るな」
先ほどまで陽菜乃と話していた女子二人もくすくす笑っていた。可哀想感倍増。
「それより、直夜たちはどうしたんだよ?」
ふてくされつつも、気を取り直して尋ねる。見渡した限り、この映画の主役である二人、直夜と透華の姿が見当たらなかった。撮影開始予定時刻まではまだ余裕があるが、これだけスタッフが集まっていると逆に主役の二人がいないのは目立つ。
「あー、王子と透華なら少し練習してから来るって連絡があったわ。あの二人、もうすでに何度か会って稽古してるみたい。最初だからとはいっても、NGばっかり出せないって」
なるほど、と智文は納得した。責任感の強そうなあの二人ならそういった考えに至ることは想像に難くない。これだけ多くのスタッフに見守られる中でミスを重ねるのはみっともないし、心苦しくもなるだろう。
ただ、どのようなやり取りを経て、直夜と透華が一緒に稽古をすることになったのかは非常に気になった。正直なところ、先日の脚本に対する意見交換の際には透華はあまり心を開いていたとは言えず、あの状況からどうやって二人きりの稽古に漕ぎつけたんだよ、と直夜に問いただしたかった。
「今日撮影するシーンは物語上の二人が距離を縮める大切な場面だからね。学校からの帰り道、というシチュエーションだけでも胸キュンする人が続出するだろうし、そういった意味でも重要度は高いのよ」
「一つ疑問なんだけど、何でこのシーンを最初に選んだんだ?」
智文が書いた脚本では、今日撮る帰り道のシーンは中盤辺りに位置している。物語の上での透華は転校生という設定なので、まずは彼女がクラスにやってくる場面があって、一緒に帰ることになるのはもう少し先の話なのだ。撮る順番に関してはプロデューサーである陽菜乃に一任しているとはいえ、どうしてこの場面から撮影しようと思ったのか、その決め手を知りたかった。
「撮影の順番については相当吟味したんだけどね……」
陽菜乃が「ちょっと待ってて」と、今立っているコンクリートの道路から川のほうへ駆け出した。河川敷の草むらの一角には荷物置き場ができていて、今日集まったスタッフたちの鞄やら撮影機材やらがまとめて置いてあった。
ああ、荷物はあそこに置けばいいんだな。いつまで重い荷物を背負っているんだ、俺は。
炎天下の中、吹き出る汗もろくに拭けないまま、スポーツドリンクなどの入った重いクーラボックスを肩から掛け、背中にも通学のときに使用しているいつものリュックを背負っていた智文は自嘲の笑みを浮かべる。
荷物置き場で鞄をガサゴソと漁る陽菜乃のところへ後を追って駆け寄ると、智文はようやく荷物を置き、ふうっと大きく息を吐いて肩をゆっくり回した。
「一応、こんな感じで進めていく予定よ」
一息つく智文の前に、開かれたノートがずいと差し出される。陽菜乃の意外と(?)女の子らしい丸文字で書かれたノートを受け取ると、そこには今後の大まかな撮影の流れと日程が記されていた。
「字の癖が昔から変わらないな」
「撮影の順番を把握しておきたいんでしょ? 筆跡鑑定したいなら他所でやって」
「あーっ、ちょっと待てって。もう一度よく見せてくれ」
取り上げられたノートを取り戻そうとあがくと、陽菜乃は面倒くさそうにため息を吐きながら智文にそれを返した。
「物語の最初のほうはほとんどが学校内のシーンでしょ? 教室での撮影とかはクラスのみんなが揃ってるのがベストだから学校始まってからのほうが良いし、その他の校舎内での撮影も夏休みが明けてからのほうが撮りやすい場面が多いのよね」
「なるほどな」
陽菜乃の言わんとしていることは脚本を書いた智文にはよくわかった。
予算や時間のことを念頭に置いた脚本作りをしたため、ストーリーは大部分が学校内で完結するようになっている。それらのシーンは「通常の学校生活」をベースにしており、夏休みという特殊な環境下ではなく、いつものように授業があって、休み時間があって、放課後がある、高校生の日常の場面から派生したものになっていた。
その弊害というべきか、いつもの活気がないがらんとした校舎での撮影はしにくくなる。撮ろうと思えば撮れるシーンはあるが、あくまで物語の舞台のイメージ的には生徒たちが日常を過ごす学校なのだ。
「それらを考慮すると、一番都合が良いのがこの帰り道の場面ってわけ。そうは言っても時間もあまりないから、夏休み中に可能な範囲で撮影はするけどね」
「花火のシーンの撮影も九月に入ってからなんだな。これ、物語上でも夏休みってことになってるし、夏休み中でも良さそうだけど」
「うん。確かに花火といえば夏だし、撮影場所もこの河川敷の予定だから撮れなくはないんだけど……。そのシーンってラストに近いでしょ? となると、撮影にも慣れてクラス全体が文化祭に向けて盛り上がってきたところで撮ったほうがいいかなって」
ラストシーン一歩手前、夏の終わりにクラスのみんなで花火をやる場面。
ここで、主役である二人は「お互いに秘密を打ち明ける約束」をする。
――片方は恋心を、もう片方は幽霊であることを胸に秘め。
その後、舞台は夏休み明けの学校に移り、物語は感動のラストへと展開していく。
「わたしは最後のシーン、すごく気に入ってるのよ。それまでのすべての出来事がそこに集約されていて、隠されていた秘密や想いが全部ぶちまけられる。カタルシスっていうの? そういうのが得られて、感動のフィナーレを迎える。だから、花火のシーンとラストシーンは物語の順番通りに撮影する予定なの」
ラストシーンは智文にとっても思い入れの深いものになっている。
――心の底から叫び、全力疾走しながら、消えゆく透華のもとへ向かう直夜。
書いているときはもうキーボードを打つ手が止まらなくて、リアルに涙を流しながら文字を打ち込んでいた。……あの姿は誰にも見せられない。
「そのためにも、まずは一歩一歩着実に進めていきましょう」
夏の日差しに負けないくらいキラキラとした熱意と光に満ちた瞳で、陽菜乃は真っ直ぐ右手を差し出してきた。
「あ、ああ、よろしく」
智文は慌てて手汗を制服のズボンで拭き、差し出された彼女の手を握った。
「な、なにしてんのよっ!」
その瞬間、陽菜乃は慌てふためいて繋がった手をブンブンとふりほどき、バッと後ろに下がって若干顔を赤らめながら、威嚇するような鋭い目つきで智文を睨みつけた。
「握手……のつもりだったんだが、違った?」
「違うわよっ! ノート返してって意味で手を出したの」
「い、言えよっ! 紛らわしいんだよ!」
気まずい空気の中、陽菜乃は智文の左手からノートを奪い取るようにして強奪すると、火照った体を冷ますようにそれをパタパタさせて風を送る。
しばらく無言のまま扇いでいた陽菜乃は、一瞬だけ手を止めて智文の顔を窺い、ボソッと一言言い捨てた。
「……こちらこそよろしく」
前途多難な映画撮影。始まりがこんな調子では先が思いやられる。
それでも、楽しみだ。
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