小説『インタラクション』 第2章

(1)

 灼熱の太陽が青い空に燦々と輝く、夏休み中のある日の学校。


 教室内は普段の騒がしい状況とは打って変わってシーンとしていた。部屋の真ん中にスペースが作り、机を向かい合わせて座っている四人の男女。黒髪ポニーテールをヘアゴムでギュッと結び直しながら、そのうちの一人が声を上げる。


「それじゃあ、さっそく感想を言い合いましょうか」


 ぐるっと確認するように見回した後、陽菜乃は智文の顔をじっと見た。


 三日前に脚本の初稿を完成させた智文は、出来立てほやほやのそれを陽菜乃に送った。そしてそれは彼女から主役の二人、牧瀬直夜と望月透華にも届けられ、今日こうして四人で集まることになったのだ。


 集合した目的は脚本に対する意見交換である。この脚本をもとにすべての計画が組まれるのだから、適当なまま見切り発車するわけにはいかない。とりあえずこの四人でビジョンを共有しようというのが陽菜乃の考えだろう。


「まずはわたしから言わせてもらうわ」


 心して聞きなさい、と目力で訴えつつ、陽菜乃はもふもふとしたイヌのぬいぐるみが付いた鞄を開けて中からノートを取り出した。ペラッと開くと、そこにはびっしりと文字が敷き詰められていた。なに、そんなに感想あるの?


「初めに総評を言うけど……合格よ。これなら結構良い線いくんじゃないかしら。少なくとも、全然つまらない作品になるということはなさそうね。やっぱり智文に任せて良かったわ」


「えっ? あ、ありがとう」


 思いがけない褒め言葉に、智文は驚きつつもひとまず胸をなでおろす。


 実際のところ、智文は今日の集まりが決まってからずっとドキドキしていた。書いているときにはあまり意識しなかったが、冷静に考えれば自分の脚本がみんなに読まれるのである。中身についてはクラスで話し合って決めたとはいえ、具体的な設定や話の展開を考えたのは自分だし、もともとあのざっくばらんな決定事項なんてあってないようなもの。内容のほとんどを自分が考えたと言ってもいいくらいだ。


 そんな智文のアイデアでいっぱいの脚本であるから、当然出来上がった脚本についてはその責任のほとんどを智文が担っている。つまらないと言われてしまえば悪いのは智文だ。


 無論、ただで責任を背負い込むのは辛いので、脚本を押しつけたお前らが悪いという「道連れ型責任逃れ」を考えもしたが、寝る間も惜しんで仕上げた脚本がそのような評価を受けることはどうにも耐え難く、責任の押しつけ合いとかどうでもいいから自分の脚本を採用して欲しかった。


「俺もいいなって思ったよ。智ちゃんがこんな才能を隠していたなんて。選んだ陽菜乃ちゃんもプロデューサーの才能ありって感じだね」


「そんなの小学生のときの智文を見ていればお見通しよ。休み時間になると、クラスメイトたちの前で剣だの魔法だの言って騒いでたし。あれっ、智文はドラゴンに乗ってるんだっけ?」


「さりげなく人の黒歴史披露するのやめてくれ」


 誰にでもあるだろう、そういう時期が。仕方のないことなんだ。周りだってそれで一緒に盛り上がってたんだからいいじゃねぇか。……盛り上がってくれてたよね?


「なるほど。つまりドラゴンに乗ってた智ちゃんを見て、創作の才能があるって思ったわけか」


「いや、乗ってないから。……乗ってたけど」 


 直夜の悪意ある嫌みのない笑みに、反論もできず口ごもる。


 ちなみに余談だが、乗っていたドラゴンの名前は『エーティー』。緑色の巨体をうねらせて上空を鮮やかに飛び回り、口からはものすごい勢いで深紅の炎を吐く。人間嫌いで人には懐かないがなぜか自分にだけは懐いていて、第三次魔法聖戦を経てその絆はよりいっそう固く結ばれることになる。


 余談の余談だが、『エーティー』という名前の由来は『ASANO TOMOFUMI』のイニシャル『A・T』からきている。当時は画期的なアイデアだと思ったのだが、今こうして振り返ってみると痛々しさに拍車をかけている。


 でも、創作とはそういった要素を含んでいるものだ。子供心を忘れない。これ大事。


 智文が自らを納得させて頷いていると、陽菜乃の視線がすっと隣の少女に移った。


「透華は智文の脚本を読んでどう思った?」


 呼ばれた透華はピクッと顔を上げる。彼女は意見交換が始まってから一言も喋らず、紙に印刷された脚本をペラペラとめくって真剣な表情で考え込んでいた。その姿は恐ろしく様になっていて、文学少女という表現がピッタリだった。


 読んでいるのは文学とは程遠い、俺の脚本だけど。


「思うところをズバッと言っちゃっていいのよ。智文の顔色なんか気にする必要ないから」


 なかなか感想を言い出さない透華を、陽菜乃が明るい笑顔と口調で諭した。


「その通りだけど、陽菜乃に言われたくはないな。お前はもっと俺の顔色を気にしろよ」


「気にしてるけど? 今、嫌な顔をしたなとか、怒ってるんだろうなとか、智文はそういうのわかりやすいし」


「……わかっている上でこの扱いなのかよ」


 じゃあ、しょうがないな……って、そんなんで割り切れるか!


「相変わらず二人は仲良いな。羨ましい限りだ」


「直夜、追い打ちをかけるのはやめてくれ」


 親友に落胆突っ込みを決めたところで、智文は透華のほうへ目を向けた。すると、ちょうど向こうもこちらを見ていたために予期せず視線を合わせる形になって、何か声をかけようと口を開いたが、「あっ」くらいしか言葉が出てこなかった。


 見かねた直夜が手を合わせて、王子という呼び名にふさわしい、余裕と気品のある応対を見せた。


「ごめんごめん、悪乗りしちゃって。透華ちゃん、感想、自由に言っていいと思うよ。智ちゃんは欠点を指摘されたってそれに対して腹を立てるような器の小さい男じゃないし」


 自信ねぇ。そんな立派な人間である自信ねぇよ。そりゃよっぽどのことがない限り、怒り狂ったりはしないと思うが、言われたことはいつまでも気にしてウジウジしたりします。すみません。


「そうよ、透華。何でも言っちゃいなさい。この寛大な男に」


 にやにやと絶対にそう思っていない笑みで陽菜乃が続く。


「……うん」


 透華は消え入るような小さな声で遠慮がちに頷いた。


 何はともあれ、いよいよ審判の時。智文はごくりと唾を飲み込む。


 脚本に登場する透華は幽霊という設定。それ以外のことは特に制約がなかったので、自らの想像の赴くままに書いた。


 すなわち、脚本上の透華は智文が頭の中で勝手にイメージした幽霊としての彼女。空想の産物。


 そもそも今まで彼女とはまったく接点がなかったのだから仕方がない。直夜が演じることになる主人公については言葉遣いや性格など、普段から近くで見ている彼を参考にできたが、透華のことはほとんど何も知らなかった。どんなことが好きでどんなことが嫌いかとか、まったくと言っていいほどわからないのである。


 だから、例えばおとなしそうに見えて実は超毒舌少女で、陽菜乃以上に精神的ダメージを与えてくるような人間である可能性もなくはなかった。……やめてよ、申し訳なさそうに次々と駄目出しをされたら俺は耐えられないぞ。器、小さいから。


 思わずぶるっと身震いする。冷たくなった両手を握り締めながら、智文は静かに透華の言葉を待った。


 三人分の視線を一身に集める中、透華はひっそりと小さく口を開いた。


「……すごく面白かった。夏休み前にクラスで話し合ったときにはどんな物語になるのか想像できなくて不安だったけれど、この脚本を読んでようやくイメージが摑めた。うまく形にできれば、白石さんの言うように結構良い線いくと思う」


 高評価……だよな? 智文は彼女の感想を今一度頭の中で整理しながら、心中で大きくガッツポーズした。


「やっぱり透華ちゃんもいいと思った? そうだよなぁ、俺も智ちゃんの脚本のおかげで流れが摑めたし」


「流れとか、もともとあってないようなものだったからな」


「その点に関してはごめんなさい。前々から準備せずにいきなり出し物を決めるとか言い出して、勢いだけで映画制作にして、内容についてはほとんど話し合っていない状態のまま夏休みに入ってしまったことはわたしも大いに反省しているの。だから、これから先はプロデューサーとしてきっちり計画を立てていくわ。そのためにいろいろプランをまとめてきたのよ」


 陽菜乃は先ほど取り出したノートを再びペラペラと捲り始める。


「まず早急にやることは脚本の修正ね。もちろん、撮影に入ったら何度も細かい手直しが必要だと思うけど、その前に直せそうなところは直しちゃいましょう。わたしのほうで気づいた点はまとめてきたから、智文は今日から早速作業に入って。王子も透華も気になるところがあったらどんどん言ってね。実際に演じる二人の意見はとても重要だから」


「わかってる。俺も修正したほうがいいんじゃないかなってところはピックアップしてきたから参考にしてほしい」


 直夜は大きめのフォントで『Naoya‘s idea』と印字されたA4の用紙をクリアファイルからシュッと抜き取って陽菜乃に手渡した。なんかいろいろかっこいい。


「さすがは王子ね! うんうん、わたしの意見と被ってるのも結構ありそう。うまい具合にミックスさせてしもべに送りましょう」


「誰がしもべだよ」


「言わないとわからない?」


「いいえ、わかります。しもべは俺です」


 漢字で書いたら『しもべ』は『僕』だけどね!


 ……何を考えてんだ、俺は。


 無理やり上げたテンションに自分でついていけず、頬杖をついて妙に冷静な気分で自らを省みていると、完全に会話に入るタイミングを逸していた透華が無言のまま、すうっと白い腕を伸ばして厚い紙の束を差し出してきた。


 目の前に置かれたのは、先ほどまで彼女が読んでいた紙に印刷された脚本。よく見ると余白に達筆な字で修正案が書かれていた。


「コピーは取ってあるから持っていって」


「わぁ、すごい。ありがとー、透華」


 陽菜乃は智文の前に置かれたそれをバッと奪い取ると、キラキラと嗜虐的な瞳を輝かせて中身を確認し始めた。すごく楽しそうで怖い。


「じゃあ、これらをもとにして修正稿を作ったら、必要なスタッフを揃えて撮影に入りましょう。夏休み中に撮影できるところはしておきたいし」


 文化祭は十月なので、準備に時間のかかる出し物をするクラスは夏休みのうちからある程度本格的に始動しないと間に合わない。文化祭の前日と前々日は準備期間として通常の授業はなく自由に時間を使えるが、映画制作の場合は編集などの都合上、それよりも前に撮り終えていないとまずいだろう。


「でも、陽菜乃ちゃん、クランクインするにはクラスみんなの許可がいるんじゃない?」


「心配しないで。ちゃんと脚本を送って了承を得てから始めるから」


 携帯をチラチラと左右に振りながら、陽菜乃はニッと笑う。今の時代、これさえあればクラスメイトに脚本を読んでもらうのは簡単だ。クラスの全員が入っているSNSのグループにポンッと載せれば勝手に見てもらえる。無論、スルーされる可能性はあるが、送ったという事実が大事なのだ。


 気づかなかった? 時間がなくて読めなかった? そんなのは自業自得だ。なんか冷たい気もするが世の中そんなもの。ああ、世知辛い。


「もしもだけど、反対意見が出たらどうする? 無視して撮影するというわけにもいかないし、かと言って納得を得られるまで待っているというのも……」


「確かに。そのへんはどうするんだ、陽菜乃?」


 丁寧に熟読してもらえるのはありがたいが、クラス四十人分の『○○‘s idea』とか処理しきれないぞ。


「そういったものが出てくることは想定済みよ。わたしに任せてちょうだい。何か変なことを言ってくる人がいたらすべて『予算の都合』で論破するわ。世の中のたいていの問題はお金が関わってくるからこれでいけるはずよ」


「なんだよそれ……って言いたいところだが、なんか妙に的を射てるから言葉に困るな」


 自信満々に胸を叩く陽菜乃に智文は苦笑した。


 脚本を読んだクラスの連中からどんな意見が飛び出すのかは不明である。でも、ああだこうだと難しいことを要求してきたら「お金がない」と断れば相手だってどうしようもなくなるだろう。


 すべての問題はお金に通ず。ああ、本当に世の中って世知辛い。


 しかし、真面目な話、智文は脚本を書く上でも「予算のこと」は相当念頭に置いたつもりだった。遠地へのロケは敢行できないし、大掛かりなセットや高価な機材もおそらく用意できないので、当然それらが必要となるようなシーンは書けない。様々なことを配慮してできたストーリーでは、ほぼすべてのシーンを学校及びその周辺で撮れるようにしたし、使われるであろう小道具などもできるだけ手に入りやすいものにした。


 それでも、撮影に入ればトラブルは多発するに違いない。どれだけ頭で考えようが、映画を撮ること自体初めてである智文の懸念事項など高が知れていて、きっと思いがけないような問題がいくつも発生するのだ。


 だから、陽菜乃の恐れを知らない前向きさというのは心強かった。


「そういうわけで、とにかく脚本が認可され次第、撮影に入るわよ。必要な機材やスタッフ等はわたしのほうで厳選して最高の環境を整えるから安心して。それと……」


 手元のノートに視線を落としていた陽菜乃は、ゆっくりと顔を智文のほうに向けた。


「映画のタイトルはどうしようか?」


「ああ、それな。実は今日、俺も相談しようと思ってたんだよ」


 中身すら曖昧なクラス会議の段階ではタイトルについての話し合いなど行えなかった。脚本を書いているときに智文は勝手につけてしまおうかとも考えたが、映画のタイトルというのは人を惹きつける上で意外と大きなウエイトを占めていると思ったので独断で決めてしまうのは憚られた。


「タイトルが決まっていたほうが都合がいいのよね。いつまでも『文化祭の映画』とか言ってたら全然進んでないみたいで嫌だし」


「それなら、プロデューサーである陽菜乃ちゃんか、脚本家の智ちゃんが決めちゃえばいいんじゃないかな? 透華ちゃんはどう思う?」


 直夜は爽やかで自然な笑顔を向かいに座る透華に向けた。


「二人は功労者だしそれがいいと思う」


「だったらさ……」 


 少し緊張気味に、智文は全員の顔を見回した。


「考えてきたタイトルがあるから、今ちょっと検討してくれないか?」


 実は智文には脚本を書いている際、パッと思いついたタイトルがあった。それは本当に自然と閃いたもので、なぜその名前が浮かんだのかはわからなかった。


 だから、考えに考えた深い意味が込められているとか、何十、何百という中から選ばれたとか、そういったものではない。


 ただ、個人的にはこれ以上ないくらい、この物語に相応しいものに思えた。理由はうまく説明できないが、直感でそう感じたのだ。


「どんなの? 言ってみて」


 陽菜乃に促され、智文はそのタイトルを告げた。


「インタラクション」

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