(3)
「ということで決定! 次に映画のコンセプトをどんな感じにするか考えましょう」
陽菜乃が全体に問いかけ、しばしの間検討タイムに入った。
近くの席の人同士、何やら話し合う声が聞こえてくるが、智文は脚本のことで頭がいっぱいだった。
「智ちゃん、悪い。なんか俺のせいで……」
提案者としての責任を感じているのか、直夜は申し訳なさそうにこちらの機嫌を窺ってくる。
「いや、いいんだ。直夜のせいじゃない。すべての元凶はあいつだ」
智文は楽しそうに前のほうの席の女子たちと談議する陽菜乃を睨んだ。
「ははっ、あんまり陽菜乃ちゃんを責めないであげてよ。悪気はないんだろうし」
「だとしたら、逆に恐ろしいけどな」
悪気がなくなって殴られれば痛い。むしろ、「悪気はないから。本当に悪気はないから」とか言って何発も殴られたらそのほうが腹立つ。それだったらまだ悪意に満ちた眼差しで殴られたほうがいい……ってこともない。暴力と憎悪のない平和な世界を築きたいものだ。
「みんなそろそろいい? 意見どんどん挙げていって」
少し時間をおいて再び教卓の前に立った陽菜乃は凛とした態度で案を募る。真っ先に反応したのは活発な女子たちだった。
「やっぱり映画といったら恋愛ものだよねー」
「男の子と女の子が出会って恋に落ちる……。まさに青春! 内容はこれで決まり!」
「いやいや、映画のジャンルは他にもたくさんあるだろ」
それに反論する勇気ある男子。提案した女子たちの冷たい視線を受けながらも自らの主張を続ける。
「ホラーとかどうだ? なんかロケ地が少なくて済むとか、映像がクリアじゃなくてもそれが逆に恐怖を引き立てるとかで、低予算でも人気に火がついて大ヒットすることもあるって聞いたことあるぜ」
「いいかもね。わたし怖いのも案外好きだし」
「えーっ、わたしは嫌だよ。恋愛ものがいいよー。陽菜乃もそう思わない?」
意見が割れる中、クラスメイトたちの視線は自然と委員長の陽菜乃に集まる。陽菜乃は顎に手を当て、真剣な表情で答えた。
「うーん、確かにホラーはインパクトあるし話題性もばっちりだけど、お化け屋敷をやるクラスとかぶっちゃう恐れがあるのよね」
陽菜乃の意見は至極真っ当だった。お化け屋敷は人気の出し物の一つで、毎年必ずと言っていいほどそれを選ぶクラスがある。アトラクションという形式でリアルに体感できることに重点を置いたお化け屋敷と、映像という形式で登場人物たちに感情移入することで楽しむ映画。そのどちらが優れているのかを比べることはできないが、比較対象にはなるだろうし、それで票が分かれてしまう可能性は高い。
「それなら、いっそのこと間を取って幽霊が出てくる恋愛ものとかは?」
「いいね、それ! 人間と幽霊の秘密の恋! それはそれでなんか青春っぽい!」
「ホラーとはだいぶ違うけど、まあいいかもしれねぇな」
女子たちの間で広がり始めた意見にホラー提案者の男子も同意する。そうなると流れは完全にその方向に決まり、恋愛至上主義の彼女らはますます盛り上がっていった。
「配役はどうする? 誰がやる?」
「幽霊でしょ。幽霊といえば……」
そう言ってワイワイやっていた女子たちは、教室の廊下側最後方の席を見やる。
そこには、一人の女の子が静かに座っている。
「
その淑やかな居住まいに尻込みしたのか、提案する声も徐々に萎んでいった。
けれど、引き受けてくれるのだろうか。皆どこか遠慮があるようで、強制的に決めてしまおうというところまではいかなかった。
「透華、どう? やってくれる?」
みんなを代表し、窺うような目つきで陽菜乃が尋ねる。賑やかだった教室にも一瞬で緊張が広がり、智文も息を殺して成り行きを見守った。
「……みんながそう言うのなら」
それは教室が静まり返ってなければ聞こえなかったような小さな声。透華は視線を廊下側に向け、静かにそう答えた。
「いいの? ありがとー、透華。これでメインヒロインは決まりね!」
陽菜乃はふうっと息を吐きながら黒板に『望月透華』と名前を書くと、再びこちらに向き直り、全体に問う。
「あとは透華の相手役をどうするかだけど……みんなどう?」
しかし、反応はない。テンションがフラットな状態に戻ってしまったせいもあり、自薦も他薦もしにくい空気になってしまった。チラチラと周りを窺うばかりで誰も発言しない。
そんな状況を変えたのは、前の席に座る直夜だった。
「誰もやらないなら、俺が立候補しようかな。映画案出したの俺だし、前からこういうのにもちょっと興味があったからさ」
マジかよ、と智文は手を挙げて名乗り出た直夜を驚きの目で見た。
「おー、いいんじゃねー。王子が相手なら完璧っしょ」
「いいよ! 想像しただけでもロマンチック!」
クラスメイトたちの相次ぐ賛同。納得するように陽菜乃もうんうんと頷く。
「この二人ならビジュアルもいいし、興行収入も大幅な増加が見込めるわね。話題が話題を呼んで上映館数も増えていって、いつの間にか大ヒットロングランって感じかも」
いやいや、文化祭におけるクラスの出し物である以上、興行収入とかないし、上映館数は増えないし、ロングランもない。何言ってんだと呆れながら、智文はもう一人突飛なことを言い出した前の席の男に視線を戻す。
直夜は周りから『王子』と呼ばれている。智文が今年初めて直夜と仲良くなったときにはすでにその呼び名が浸透していたので、誰につけられたのかも、どういった経緯で決まったのかもよく知らない。
ただ、その名称は意外と似合っているなと思う。見た目は若干チャラいし、パッと見「王子か?」と首を傾げられるかもしれないが、彼のことを知るようになるとそれが腑に落ちるようになる。
直夜は、とことん優しいのだ。
今だって、おだてられて恥ずかしそうに手を振って謙遜し、はにかみ笑っている様子を見ると、気高いどこかの国のプリンスかなと勘違いしてしまう……まではいかないが、陽菜乃の言うように主役を張れるくらい見た目も良く、それでいてみんなが困ったときにはこうして名乗り出られるくらい紳士的なのだから、王子という名前は決して不釣り合いではないだろう。
「よーし、じゃあそんな感じで決定っ! 主役の二人には夏休み中も何度か集合してもらうかもしれないからそのつもりでお願いね。まあ、その辺は脚本の頑張り次第だけど」
ちらっと陽菜乃がこちらに不敵な笑みを向けてくる。智文は頬杖をつきながら顔を背け、「わかったよ、早急に書き始めればいいんだろ」とやけくそ気味に心の中で返事をした。
「そうそう、わかればいいのよ。今日からでも書いてね」
なぜか伝わってしまった。こんなところでテレパシーを使えてもしょうがないだろうと思いつつ、最後にもう一言、「陽菜乃のバーカ」と小学生並みの悪口を心中で唱えてみると、陽菜乃の両目がキッと突き刺すように鋭くなった。えっ、マジで声聞こえてる?
「とにかくそういうわけで、活動の進捗状況については夏休み中も逐一みんなに知らせるからね。忙しいからって絶対無視しないように。それと映画は総合芸術である以上、いろいろな分野に精通したスタッフが必要になる。それについてはわたしが時期を見計らって招集していくからそのつもりでよろしくね」
智文が心の防音シェルターを設置しようか検討しているうちに話し合いは決着を迎えた。
やっと帰れそうだと、各人が荷物をまとめたり伸びをしたりして、教室の空気も弛緩していった。壁にかけられた時計を見ると、先生が帰りの挨拶をしてからもう一時間以上も経過していた。
……あれっ、そういえば先生って。
「白石さん、そろそろいいかしら?」
突如、教室の左前隅から聞こえた呟く声に、さすがの陽菜乃もびっくりして飛び跳ね、恐る恐る声のしたほうに首を巡らせる。
「……せ、先生、いたんですか?」
「私が教室から出ていくのを見なかったでしょう? 出ていっていないということはまだいるということです」
やけに丁寧な説明しながら微笑む先生に、クラス内の誰一人として身じろぎすらできずに凍りつく。
少なくとも視界には入っていたはずだ。先生は隠れていたわけでもなく、会議中ずっとそこに立っていたのだから。ということは脳がその姿を、生徒たちが勝手に会議を始めてしまって帰ることもできず、ただそこに微笑みながら佇むしかなかった先生の姿を認識できなくしてしまったのか。ある種の防衛本能のような形で。
これはいよいよやばいかもしれない。きらんと眼鏡を光らせつつ、あくまで柔和な表情を崩さないのが余計に恐ろしい。
陽菜乃のいる教卓まで歩を進めた先生は、彼女の肩を優しくポンと叩く。
「ひぃっ」
陽菜乃の体は恐怖で跳ね上がった。
「文化祭の出し物、決まって良かったですね。夏休みも頑張るみたいですが、あんまり無茶はしないでくださいね」
先生は穏やかにそう告げると、いつもの天使のような表情を皆のほうにも見せる。
「それでは、改めて帰りの挨拶をしましょう。みなさん、さようなら」
「さ、さようなら」
バラバラでまとまりのない返事ながらもいくつか声が返ってくると、先生は満足げに教室を出ていった。
しばらくの沈黙の後、クラスメイトたちは徐々に我に返ってぽつぽつと動き出し、互いに挨拶を交わしたりしながら教室を後にする。
「よ、良かった……」
陽菜乃は乾いた笑い声を上げながら、教壇の上にも関わらずへなへなと力なく座り込んでいた。その彼女らしからぬ情けない姿に、智文は何だか可笑しくなって思わず吹き出してしまった。
映画制作。どうなるか見当もつかないけど、まあどうせ暇だし、脚本頑張ってみるか。
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