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 文化祭。智文たちが通う北岡きたおか高校では毎年十月に二日間の日程で開かれ、地域の住民や他校の生徒、この高校を志望する中学生などを中心に多くの人で賑わう。


 もちろん、智文たち自身にとっても高校生活を彩る上で大切なイベントの一つだ。


 文化部にしてみれば最も重要なアピールの場の一つであるし、有志の団体による発表などもあるのでそのためにバンドなどを組んだりする人もいる。


 しかし、文化部には所属してなくて、なおかつ有志とかそういうのにも参加していない生徒も多い。


 そんな生徒たちにとって、文化祭とは『クラスでの出し物』を披露する祭りと言えるだろう。


 どの高校でもそうなのかは知らないが、少なくとも北岡高校では一クラスにつき一つの出し物を必ず実施しなければならず、何をやるかでいつも大騒ぎになる。


 クラス内でも揉めるし、仮に内容がまとまっても、夏休み明けにある先生方と各クラスの代表者が集う合同会議で弾かれる場合もなくはない。


 没になる要因としては……。


 1 下品。


 2 意味不明。


 3 内容が他のクラスと被る。


 といったところだろうか。


 1と2に関しては正直言って自業自得というか、自分たちでもう一度考え直して何とかしてくれといった感じだが、3については運の要素が強いので責められない。


 だけど、どうしたって調整は必要だ。あっちこっちのクラスで焼きそば作っててもしょうがないし、そこら中にお化け屋敷があって訪れた人を恐怖の渦に陥れる文化祭なんてあってはならない。それから意味もなく男子に女装させるのはやめてほしい。……これは単なる要望だが。


 智文は去年の文化祭での自分の女装姿を思い出してため息を吐いた。


「えーっ、まだ早くない? 出し物の最終決定って九月に入ってからなんでしょ?」


「今から決める必要ないだろー」


 クラスの中からは不満の声が上がる。その理由のほとんどが「面倒くさい」という単純なものなのだろうが、確かにまだ決める必要がないという意見にも一理ある。現段階で決めて動き出したって、本当にそれが確定となるかはわからないのだから。


 けれど、そんな反対の嵐にも陽菜乃はけろりとしている。


「最優秀賞取るにはスタートダッシュが肝心なのよ。夏休みのうちから少しずつ準備を進めておくの。他のクラスと一斉によーいどんじゃ差がつかないし」


 クラスの出し物には文化祭当日の投票によって得点が入り、一学年9クラス、計27クラスがしのぎを削ることになる。最優秀賞が一クラス、優秀賞が二クラス、それから特別賞として校長先生が独断で選ぶ審査員(校長オンリー)特別賞がある。


 投票権を持つのは北岡高校の教職員と来校者の方々である。来校者の票については文化祭実行委員が不正のないように目を光らせてはいるが、毎年どうしても多少は謎の組織票が入ったりもする。それでも、何だかんだ言って賞を取るのはクオリティの高い出し物を作ったクラスになっているので、実行委員の仕事は充分果たされていると言えるだろう。


「最終決定は夏休み明けだから、準備が無駄になっちゃう可能性がゼロではないことはわかってる。でも、だからといって何も策を打たないのは愚の骨頂よ。今のうちにできることはやっておかないと」


 大きく見開かれた陽菜乃の瞳は真剣モード。これは決めるまで帰してはくれなさそうだ。


 クラスメイトたちもそれを理解したのだろう。諦めたように「わかったわかった」といった調子で同意する。


 実際問題、夏休み明けにある合同会議のときに案を提出するためには今のうちに話し合っておいたほうがいい。具体的な内容までには踏み込めないとしても、大まかな方向性は決めておかないと大変なことになる。


 そういった危機感は皆持っているのか、あるいは夏休み前の高揚感によって寛容になっているのか、割と協力的で和やかな雰囲気で議論が始まった。


「まあ、無難なのは飲食店だよね。去年のわたしのクラス、それでかなり良いところまでいったし。売るものさえ間違えなければそこそこ人気が出るのは確定でしょ」


「えー、でもそれだと賞は厳しくないか? 俺のイメージだと最優秀賞取るのはなんかもっと派手でドカーンとした奴なんだけど」


「なにそれ? ちゃんとみんなに伝わるようにしてよ」


 とある女子が提案すれば、それをお調子者の男子が却下し、さらに別の女子がそれに意見を申し立てる。そんな感じで会議はワイワイと流動的に進行していく。


「けど、飲食店でもやり方によっちゃいけるかもな。あれはどうだ? ほら、チュロス。あれ売れば審査員特別賞は間違いないっしょ」


「話聞いてなかったの? わたしたちが狙ってるのは最優秀賞で、チュロス校長の特別賞なんかいらないのよ」


 上がってきた案を壇上の陽菜乃は即座に否定する。


 チュロス校長とは校長先生のあだ名である。何年か前、地味にチュロスを販売していたクラスが審査員特別賞を受賞したことからその名がつけられたらしい。果たして、校長先生がチュロス好きなのかどうかは定かではない。


 強気な態度を崩さない陽菜乃に対し、智文の前の席に座る直夜が満を持して手を挙げた。


「それなら映画とかはどうだろう? 撮影するとなればそれなりに準備も必要だけど、その分インパクトはあると思うし、みんなで頑張ったことが評価されれば最優秀賞も可能性があるんじゃないかな」


 一瞬、教室内に沈黙が走る。その後、すぐに「いいかも」、「いいんじゃね」といった賛成の声が上がり始め、それらは徐々にクラス中に浸透し、「それしかないでしょ!」、「マジそれ最高っ!」ともう最優秀賞は確定したかのような盛り上がりを見せた。


 智文はハイテンションなクラスメイトたちを冷静に見つめながらも、直夜が出した映画という意見は悪くないなと感じていた。


 賞の投票権を持つのは教職員と一般の来校者。文化祭におけるクラスの出し物にそれほど差がないと仮定すると、明暗を分けるのは「彼らにどのような印象を与えたか」である。


 普段、学校にほとんど来ることがない一般の人たちは、どのクラスがどんな出し物をしていたかなんてあまり覚えられない。なので、どれが良かったかと訊かれたときにパッと答えられるものは限られるだろう。


 そして、教職員たちが重視するのはクラスがまとまっているかどうかだ。見かけ上よくできていても、その部分が駄目だと票は伸びない。


 以上のことを踏まえると、直夜の言う「インパクト」と「みんなで頑張ったこと」は賞を獲得するのに非常に大事な項目だと考えられる。


「みんな、出し物は映画ってことで異論はない?」


 最後の念押しで陽菜乃が教室を見回す。鳴り響く拍手の嵐。陽菜乃は満足げにうんと頷き、黒板に白のチョークで『二年三組 出し物 映画制作』と大きく書く。


「でもさー、映画って何撮るんだ?」


 クラスが大いに盛り上がる中、一人の男子が間の抜けた声で疑問を口にした。


「言われてみれば……」


「ていうか、そもそも俺らで作れるもんなのか?」


「絶対時間かかるよねー。わたし、夏休みは忙しいからあまり手伝えないよ」


 透明な水の中に墨汁を一滴垂らしたときのように、湧き出てきた不安要素は瞬く間にクラス内を不吉な色で染めた。


 しかし、そんなネガティブな感情はポジティブ少女陽菜乃が一蹴する。


「大丈夫よ! 脚本とかは大変だけど、撮影は九月に入ってから本格的に進めれば間に合うだろうし、みんなにはそれほど負担はかからないから」


 それでも、一度広がってしまった不安はなかなか拭えない。


 何より皆にとって一番気がかりなのは、脚本を誰が作るかだろう。前向きな陽菜乃の口からも「大変」と言われたその仕事を誰が引き受けるのか。それが判然としない限り、不穏な空気は解消できない。


「問題ないわ」


 そんな中、ニヤリと陽菜乃は不敵な笑みを浮かべる。


 刹那、智文はゾッと寒気を感じた。


 何だろう、この感じ。何かとてつもない災難が降りかかってくる気がする。智文はよりいっそう体を小さく丸め、隠伏に全力を尽くした。


 けれど、それは無駄な努力だった。


「智文!」


 陽菜乃に元気よく呼ばれると、それまで前を向いていたクラスメイトの視線が一気に集まり、智文の姿は白日の下に晒された。


「脚本、お願いね」


 こういうときだけ発動する陽菜乃の必殺技、素敵スマイル。普通の男ならその可愛さに思わず頷いてしまうだろう。


 でも、そこは長年一緒にいる智文、そう簡単に受け入れたりはしない。


「いや、俺も夏休み忙し……」


「さっき予定ないって話してたじゃない」


 聞こえてたのかよ。どんだけ地獄耳なんだよ。声に出さず愚痴る。


 でも、そこは長年一緒にいる智文、そう簡単に諦めない。


「けど、素人には難し……」


「わたしも手伝うから。じゃあよろしくね!」


 これこそ陽菜乃の究極奥義、問答無用素敵スマイル。クラス内からは賛成の大拍手。これには智文も歯が立たず、唸り声をあげながら項垂れることしかできない。


 ……ていうか、クラスの奴ら、俺に押しつけやがったな。

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