傘立て
玄関からドア開く音がすると、忙しい足音が近づいてきた。
「
「わ、どうしたのそれ」
「今日風が強くて。折れちゃった…。これ気に入ってたのになぁ…!」
彼女が、無残な姿の傘を名残惜しそうに見つめる。
そして、一言。
「明日、付き合ってくれる?」
こう言われると、俺は弱い。
「…喜んで」
近くの大型ショッピングモールは週末ということもあり、混雑していた。
「はぐれちゃいそう」
そう言いながら、控えめに差し出される茜の手。かわいい。
「はぐれないでね」
そう言いながら、茜の手を握る。
長い付き合いなので少々照れもあるが、なんといっても恋人同士なのだし。
茜も同じことを思ったのか、これくらいいいよね?と確認をとってきた。
かわいい。
「うわ、最近は色んな種類があるんだねぇ」
目の前に大量に並んでいる傘を見て、俺たちは圧倒されていた。
桃色の花柄の傘。青い、雫のような傘。クラゲを模したビニール傘。水玉模様の傘。ボタンひとつで開く便利な傘。骨が多く、丈夫な傘。日傘としても使える汎用性の高い傘…。
「…ねぇ、どうやって選ぼう?」
思わず、といったように茜も困った顔で笑う。
…これはまずい展開になった。どうしよう、あの一言を言われる前に退散しないと…。
「あのさ」
「…はい」
「春ちゃんが選んでよ」
神よ、どうか俺に力を。
「…この花柄とか、どうかな」
「あ、本当だ。かわいいね。これにしようかな。…よし、値段も大丈夫。丈夫そうだし…」
やった。成功だ。神よありがとう。
ご機嫌な茜と共にレジへと向かう。
「春ちゃんって意外とセンスいいよねぇ」
「そうかな」
目の前にあったのを適当に選んだ、と言ったら怒るかな。
そのとき、茜が急に歩みを止めた。
「…ん?どうしたの?」
茜の視線の先は———赤い傘。
「春ちゃん、せっかく選んでくれたんだけど…」
あんまり真剣には選んでないよ。…違う、そうじゃない。
「…俺も、茜はそれがいいと思う」
本心だよ。
茜はあの日と同じ、あの顔だった。
「別に、俺の分はよかったのに」
茜の手には、タグの切られていない傘が二本あった。
ところで、荷物を持っている人にとってこの玄関は狭すぎるのだが。
「いいのよ。どうせ今のも壊れるって。…というか、今まともな傘持ってなくない?」
「何言ってるんだよ。ビニ傘でいいんだよ、ビニ傘で」
「…せっかくだし。いいじゃない」
「…まぁね」
傘立てを置いたことによってさらに狭くなった玄関を見つめる。
買ってから数日経つが、まだ出番はないようだ。
「何やってんのー?」
部屋から声が飛んでくる。
「…いやー、別にー!」
傘立ての中で寄り添い合う二本の傘。
茜の赤い傘と、俺の黒い傘。
ぱたぱたとスリッパを鳴らし、茜が来た。
「ん?どうしたの?…ふふっ、玄関狭くなったねぇ」
茜は、たいして困った様子もなく笑った。
俺は、何かが腑に落ちるような、ぴたりとハマるような感覚に陥る。
「あぁ、そうだな。………茜、結婚しようか」
茜の顔は見えない。見なくとも、もう分かる。
あのときとは、違うのだ。
茜が優しく笑った気配がした。
「…喜んで」
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