雪の都
妹が死んだ。
横断歩道を渡る際に雪で滑って転け、そこに不運なことに車が突っ込んだのだという。
「…せつ、…
はっと辺りを見渡す。
今は、五時間目の、英語の授業—。
「大丈夫かよ?」
前の席に座る友人の
理由は分かっている。僕が今、妹を事故で亡くした可哀想な奴だからだ。
「ん…あぁ、うん。大丈夫」
クラスの端から声が聞こえる。
「ほら、
「大丈夫かな…中条くん」
「あたし、この前も中条くんがぼーっとしてるところ見た」
とても小さな声のはずなのに、僕の耳はそれらの言葉を繊細に拾ってしまう。
僕の身体は、あの日から電気を纏っているようだ。
少しでも触れられたら、この気持ちが流れてしまいそうになる。
今日も雪が降っている。
あの日と同じように、窓の外に真っ白の街が広がっている。
元気なはずがないことは、僕が一番分かっていた。
僕の妹は、都は、もう死んだんだ。
「…おい、中条、おいって!」
また、加瀬が目の前にいた。
「なんだよ」
「今日の部活サボろーぜ」
「…はぁ?」
「いいから!」
加瀬は普段から少し変わっているが、それにしても、今日の加瀬はいつにも増して変だ。加瀬は変な奴だけど、部活をサボったりする、不真面目な奴ではないのだ。
そこでまた、僕は想像する。
…あぁ、そうか。僕が、可哀想だからか。だから、加瀬まで気を遣ってくるのか。
僕は、無性に腹が立った。
「…いいよ、そういうの」
できるだけ声を穏やかにして喋る。
「そういうのって、何?」
加瀬が怪訝そうな表情で見つめてくる。
その言葉が、僕の神経を細く引っ掻いた。
「だから、僕を慰めようとしてるんだろ?!僕が、今、妹が死んで気落ちしてるから!!」
自分で言っていて惨めになっていく。
僕は今、どんな顔をしているのだろう。不意に泣きたくなった。
「…はぁ?」
気の抜けた声が聞こえる。加瀬は、僕を心底不思議そうに見ている。
「俺が、いつそんなことを言ったんだよ。…俺はただ、たい焼きが食べたいからお前を誘っただけなんだけど。駅前の。部活終わってからじゃ、売り切れてるから」
「…はぁ?」
加瀬は、僕のことをちっとも可哀想だとは思っていなかった。
むしろ失礼とさえ思えるその心に、僕は心から感謝した。
生前、都が「加瀬先輩って、いい人だね」と嬉しそうに言っていたのを思い出す。どうせ、鈍臭い都のことだ。失敗したところを加瀬に助けてもらったのだろう。
「…あ、雪が降ってきたな。中条、傘持ってる?」
そういえば、以前もこうやって加瀬が傘を寄越してきたことがあった。「お前、置き傘してなかったっけ。ほら」と言って。
「持ってる。というか、たとえ持ってなくても男二人で相合傘は遠慮しておく」
「俺だって嫌だよ」
僕ら二人は、学校が終わってから部活をサボって駅前のたい焼き屋へ向かった。
僕は、自分の勘違いが恥ずかしくて、穴があったら入りたい気分だった。なんなら、自分で穴を掘って入ってしまいたいくらいだ。
「…都ちゃんが亡くなった日も、雪が降ってたね」
加瀬が、ぽつりと呟く。
そういえば、こいつは都の葬式にも出ていた。
「お前、都となんか面識あったの?」
「…まぁね。…お前のことを、心配してたよ」
加瀬は少しずつ話し始めた。
都は、僕の友人の中で唯一名前を知っていた加瀬に僕の話を聞いていたこと。直接僕に聞けばいいものを、僕が嫌がるだろうと思い、加瀬に聞いてきたらしい。
学校ではちゃんとやっているか。(都だって、学年が二つ離れているだけで同じ学校じゃないか。)友達はいるのか。(少なくとも加瀬という友達はいるじゃないか。)クラスで浮いていないか。(失礼な。)
そして僕は初めて知った。僕が傘を忘れた日は、都が加瀬に傘を渡すよう頼んでいたことを。
都は、自分はこの家族の出来損ないだと言っていたらしい。確かに都は成績も悪く、失敗ばかりをして親を怒らせていた。そんな都と対照的に成績優秀で、優等生と呼ばれる僕は、よく都と比べられて、褒められた。
都は、そのことを分かっていたのだ。
だから、こんなに回りくどいやり方で僕と仲良くなろうとしたのだろう。
「…知らなかった。そんなこと」
「まぁ、言ってないし」
少しの沈黙が流れる。
「俺さ、都ちゃんは死ぬ直前、中条のこと考えてたと思うよ」
「…は?なんで?」
「ほら、覚えてない?あぁ、お前はなんかぼーっとしてたか。お葬式のとき、言ってたじゃん?都ちゃんは自分の分と、もう一本傘を持ってたって。俺、その日学校休んでたから…」
「………あぁ」
あの日も今日と同じように、いや、もっと激しく雪が降っていた。
僕は部活があるので放課後も学校に残るが、都は帰宅部で、その日も真っ直ぐ家に帰っていた。
僕が部活から帰るとき、ちょうど雪が降ってきた。
傘を持っていなかった僕は、そのままダッシュで家まで帰った。
家に帰ると電話が鳴り、それを受け取ると母は泣き崩れた。
「都は、僕を恨んでいるかな」
せっかくたい焼き屋に行ったのに、僕は今川焼きを頬張っていた。粒あんと、こしあん一つずつだ。おいしい。
「…どうだろうね。俺の方こそ恨まれているかも。でも、もうどうしようもないよ。俺たちがいくらここで話したところで、真実は分からない。あるのは、事実だけだろ」
加瀬がかじったたい焼きの皮の中から、黄金色の餡が顔を出す。期間限定の、さつまいも味らしい。
「…まぁ、それもそうだな」
僕は、なぜか晴々しい気持ちになっていた。雪が溶け、春の匂いがする。そんな感じだ。
僕は、この先もずっと都を忘れないと思う。そして、きっとこれからも周りの人からは可哀想な奴だと思われ、時には自分自身でそう思ってしまうかもしれない。
それでも、いい。
もしそうなったときは、また加瀬にでも話を聞いてもらおう。
不思議とそう思えた。
「雪、止んできたね。今のうちに帰ろうか」
「だな」
僕らは傘を閉じて歩き出す。
都は、元気だろうか。笑っているだろうか。
僕はただ、都が幸せだったらいいなと思う。
僕の妹が、幸せだったらいいなと思う。
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