第10話 彰人の選択

 吹き抜けていく風が何もかもを流していった。

 溢れ出るような霊力を持っていた鬼神の影も形もない。

【敵に感謝するなど、正気とは思えんな】

 月丸の厳しい言葉に、彰人は屈めていた腰を上げる。

「だめかよ」

【土地神が乗っ取られなかったからよかったものの、もしそうなっていたら……。わしらの命はなかったのだぞ!】

 怒鳴る月丸の声を聞きながら彰人は樹木に覆われた土地神のご神体へと近寄る。

「これが土地神様のご神体か……ただの岩じゃん」

『人間が崇めれば、それは神にすらなるのだ』

 いつの間にか彰人の隣には青年の姿になった土地神がいた。

【土地神様!ご無事で】

『うむ。お前たちの戦いも見ていたが……こいつはいつもこうなのか?』

 土地神が指差したのは彰人だった。

『敵に情けをかけるなど、今の時代でなければ命がいくつあっても足りないだろうな』

「なんか俺、ディスられてる?」

 口元をひくりと動かした彰人に、土地神が視線を向ける。

『今回はよくやった。だが、情けを持って勝てる相手ばかりではないぞ』

「別に情けなんてかけてないですよ。ただ消滅させるだけだと、あとから恨みを抱えて復活して困るのはこっちなんで。合理的な判断です」

 澄まし顔で答えた彰人に、土地神は笑いを堪えきれないように肩を震わせている。

「なに笑ってんですか」

『くっふふ。いやなに、あの兄に引っ付いてばかりだった小僧も言うようになったものだと思ったまでよ』

「だからって……笑うことないと思いますけど」

 ふてくされた表情になる彰人を見て、土地神は懐から丸められた和紙を取り出した。

『犬飼の屋敷で結んだ契約書だ。見事、賭けに勝ったことをここに認めよう』

 そう言った土地神の手の中で契約書が灰となる。

『さて、後片付けをせねばな。日が昇る前に終わらせなければなるまい』

「片付けって……」

 鬼神の力と陰陽師たちによって傷ついた街は、今も炎上を続けている。

「これを俺だけでどうにかできるのか……」

 呆然としていた彰人の横で、土地神は空に向かって叫んだ。

『水神よ!力を貸せ!』

 すると、街を両断する川から青と緑の鱗を纏った龍が現れる。

 宙に漂う水神は、恭しく土地神に頭を下げた。

『これは土地神殿。私に何のご用でしょう?』

『全く貴様は……わしの土地が危うい時にだんまりを決め込みおって』

 腕を組んだ土地神に、水神はぱちぱちと瞬きを返す。

『なにをおっしゃるかと思えば。お互いの領分に干渉しないと決めたのは、土地神殿ではありませんか』

 目を白黒させた土地神は深いため息を吐く。

『まあよい。おぬしにはここら一帯に雨を降らせてほしいのだ』

『雨……なるほど、それくらいでしたら』

 水神がそう言った途端、月の見えていた空に雲が出来はじめ、ぽつぽつと雨が降りだした。

『これでよろしいですかな?』

『ああ、助かった。酒でも持っていけ』

 懐に手を入れた土地神が一升瓶を取り出す。

『ではお言葉に甘えて』

 土地神の手から一升瓶がふわりと浮かび上がる。それをぱくりと咥え込んだ水神はまた川へ戻っていった。



 水神の雨によって燃えていた家々は鎮火した。しかし、陰陽師たちが破壊した箇所はそのままだ。

『小僧、我に霊力を寄越せ。街を元通りにする』

「そんなことができるんですか!?」

 目を見開いた彰人に、土地神は胸を張ってみせる。

『我を誰だと思っている。ほれ、手を繋げ』

 右手を差し出されて、土地神の顔を交互に見る。

『何も心配することはない。この土地を守りたいのは我も同じだ』

「信じますからね……」

 土地神と手を繋ぐと、彰人の体から急激に霊力が吸い取られていく。立っていられず膝をついた。

『さすが我が眷族が選んだ人間だ。霊力の質も量も悪くない。小僧、我の眷族にならないか?』

「えっ?」

 はあはあと肩で息をする彰人には何を言っているのか分からなかった。

 そこに割り込んだのは月丸だった。

【このような雑な人間を眷族になさるなど、お止めください!こやつは人間として生きるのです】

 眉間にしわを寄せて言う月丸を一瞥した土地神はふむと頷いた。

『お前はよっぽど小僧が気に入っているようだな。あの人間と同じ気配がするからか?』

【ち、違います!こやつと一之輔いちのすけが同じだなんて!】

 慌てる月丸に、土地神は愉快そうに笑っている。

 わけが分からず見ていた彰人に、土地神が教えてくれた。

『一之輔というのは小僧たちの先祖だ。我と共にこの土地を豊かなものへと変えた。月丸は一之輔に、我が監視として影を同化させたのだ』

「ご先祖様……月丸の最初の相棒?」

 ぴくりと耳を動かした月丸は、彰人の体に体当たりをかましてきた。

「痛っ!何すんだよ!」

【やかましい!わしの過去などどうでもよかろう。それよりも、霊力を切らさないように集中しろ!】

 そう言われて街を見下ろすと、土地のエネルギーと土地神の霊力が混ざり合い、不思議な気配に満ちていた。

 全てを包み込む、ふわふわの綿のような感覚だった。

『我の土地だ。霊力さえあれば、元に戻すなど造作もない』

 破壊された家や道路が逆再生のように修復されていく。

 それに驚いた街の住人たちの声が聞こえてくるようだった。

『この土地は我のもの。しかし、お前たちのものでもある。しかと目に焼き付けよ。これが小僧の守ったものだ』

 その瞬間、東の空から朝日が顔を出した。

 全てを浄化するような光に照らされた街は、何事もなかったかのようにそこに存在していた。


*****


 土地神は街を戻す時に、住人たちの記憶も操作したと言っていた。

 無闇に不安な思いをさせる必要もないだろうと言って、土地神はご神体を地下へと封じ直した。

 見た目はすっかり元に戻ったが、彰人と月丸にはまだやり残したことがある。

 犬飼の屋敷へ続く道を進むが、肉体的にも、精神的にも重たい足はなかなか動かない。

【遅いぞ!】

 のろのろと進む彰人を叱り飛ばす月丸だったが、当の彰人の速度は上がらない。

「……このままじゃだめなのかよ」

【ならん!きっちりとお前の兄に罰を下さねば】

 彰人の足が重い原因。

 それは、兄であり今回の騒動の首謀者となった柊人の処罰に悩んでいたからだ。

 土地神からもしっかりやれと念を押され、兄や陰陽師たちが集まっているという屋敷へ向かっている最中であった。

「街だって土地神様のおかげで元に戻ったんだ。罰するなんてしなくても……」

 煮え切らない彰人に月丸は真剣な表情で言う。

【罰することが悪ではない。それを流してしまうことの方が、双方にとって良い結果を生まないからな。個人として許すことと、全体の意志で許すのでは意味が違うのだ】

「個人って俺のことだろ。全体って誰だよ。街の人たちか?」

 それならば、土地神が記憶を操作しているのだから兄のしでかしたことは綺麗さっぱり忘れているはず。

 何の問題もないではないか。

 しかし、月丸は首を横に振る。

【違う、土地神様だ。この土地を統べるあの方が許さないと決めた。たとえお前が兄を許しても、この土地は許さないだろう】

 兄の故郷であるこの土地が拒絶している。

 それだけのことを兄はしてしまったのだ。



 俯いていた顔を上げた彰人は揺れる瞳で呟く。

「……俺はどうすれば。確かに兄ちゃんはたくさんの人を傷つけた。許されることじゃない。それは分かってんだ……!」

 彰人が許したとしても、土地神が許さない。

 この街での日常を守ると決めて、兄と対立したのだ。

 勝ち負けという単純な話ではないが、ここでうやむやにすることはできないだろう。

「俺はただ、日常を守りたかっただけなのに……」

【では、兄を無罪とする事ができるのか?無理であろう。お前の兄は傷つけ過ぎた。神の領分にまで手を出し、命があるだけましだということはお前も分かっているはずだ】

 月丸の冷静な声は、ぐちゃぐちゃな彰人の頭の中によく響く。

 本当は理解していた。

 兄を許し、この出来事をなかったことにしてしまえば自分は救われる。

 だが、傷つけられた街と土地を無視することをこの相棒は見逃すはずがない。

 月丸は自分の味方ではなく、この土地を守る者の味方。

 そして、自分はその相棒に選ばれた土地神の守護者なのだ。

「この土地からの追放。俺には兄ちゃんたちの命までは奪えない。できないよ」

 兄が二度と家に戻らない。

 自分の日常から消える。

 その選択肢しか選びようがなかった。

【許容範囲ぎりぎり、というところだな】

 泣きそうな彰人の顔を見た月丸は、呆れるようにため息を吐いた。

 まだずいぶんとあると思っていた屋敷の門が見えてきている。

 彰人は、ずっと道が続いていればいいのにと願っていた。


*****


 全壊した屋敷の隅に、狩衣姿の陰陽師たちが集まっていた。

 そこにはいくらか回復した兄の柊人と、片足を失った颯の姿もあった。

「兄ちゃん……」

 彼らと向かい合うように立った彰人は、兄の顔を正面から見ようとした。

 どんどんと視界がぼやけていくのを、目をこすって誤魔化す。

 そんな時、兄が彰人の前に歩いてきた。

「彰人。僕たちは陰陽寮おんみょうりょうを離脱して、この街ではないどこかへ行き静かに暮らそうと思っている。二度とこの土地へは近付かないから、安心しろ」

「兄ちゃん!?何を言って……!」

 彰人には苦笑いを浮かべる兄の顔が見えた。

「土地神様を乗っ取ろうとしたんだ。生きていられるだけ有り難いことだと思う。僕らがこの土地にいることを土地神様は許さない。そうだろう?」

「ごめ……!」

 思わず謝ろうと口を開いた彰人を、兄は手を掲げて止める。

「お前は謝るな。それは正しいことなんだから。……最後までかっこ悪い兄貴でごめんな」

 苦笑する兄を見て、彰人の目から涙がこぼれた。

「兄ちゃんはかっこいいよ。どんな風になっても俺のヒーローだ」

 ぐいっと目元を拭い、彰人ははにかむように笑ってみせる。

 すると、兄がおもむろに右手を上げて彰人の頭を撫でた。

「お前がどんなに憎くても嫌いになれないんだ。……父さんたちをよろしく。元気でな」

「兄ちゃんも」

 頭を撫でる右手に触れる。

 その手の暖かさだけは、小さかったあの頃と変わらなかった。



 ゆっくりと遠ざかっていく陰陽師たち。

 彼らの本当の居場所は、この世にあるのだろうか。

「さよなら……兄ちゃん」

 ぽつりと呟いた彰人の声は、山から街へ吹き下ろす風に消えていく。

【お前もやっと兄離れができたな】

 隣に座っていた月丸があくびをしながら言う。

 その声はからかっているようで、どこか安心しているように聞こえた。

「月丸には心配かけたな」

【何を言っている。わしがお前の心配をするなど】

 ふんっとそっぽを向いた月丸の頭をガシガシと撫で回した。

「俺が答えを出すまで待ってくれただろ。土地神様も俺に任せてくれたし……だからお礼を言っておかないとって」

【礼?謝罪の間違いじゃないのか】

 彰人の手から逃れた月丸が、ぼさぼさの毛並みのまま噛みつくように言う。

【わしは役割を果たしただけだ。謝罪されることはあれど、礼を言われることはしていない】

「ふーん。ま、そういうことにしておくよ」

 くるりと振り返った彰人は実家の屋敷へと歩いていく。

 すると、置いていかれた月丸が慌てて走ってきた。

【わしを置いていくな!】

「ぼーっとしてる月丸が悪いんだろ!」

 走ってきた勢いのまま、月丸は彰人に飛びかかる。

 それを避けきれず、背負うようにしながら歩く彰人は笑っていた。


ー終わりー

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人間と霊獣が相棒になって、何でも屋を頑張る話 葡萄の実 @budo_fruit

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