第9話 鬼神

 鬼神の力をその体に宿した颯は圧倒的だった。

 人間ではあり得ない膂力と速さ。

 霊力で強化した彰人がどうにか追いつけるというほどで、主導権は颯が握っていた。

 破壊音や爆発音が響く中で、彰人は一切攻めず全ての攻撃を受け流していた。

「どうしたぁ!ぼくの力が恐ろしくなったか!?」

 腕も伸びれば足も伸びるのが道理。

 引き締まった体に相応しい長い手足を使って攻撃してくる颯を、彰人はぎりぎりでかわす。

「お前もあいつみたいに怖じ気付いたんだな。似たもの兄弟じゃないか!」

 高笑いを浮かべながら殴りかかってくる颯を、彰人は何の変化も見逃すまいとじっと見つめている。

「なんだ……その目は」

 なかなか攻撃が決まらない颯は苛立ってきているようだった。

 ぱちぱちと瞬きをした彰人は口角を上げる。

「突然手に入れた力を、後先考えず使う大馬鹿者で助かったなと思って」

「この野郎!!」

 颯の大振りの一撃を紙一重で避けて、その伸びた腕を取って肘の関節を躊躇なく折りにいく。

 ボキンッと骨が砕けた音が響いたと思ったら、颯の絶叫にかき消された。

「あああああああ!う、腕が!」

 たたらを踏んで立ち尽くす颯は、今までの優勢が嘘のように無防備になっている。

「いいのか?そこで止まっても」

「えっ……?」

 反対側に折れ曲がった腕を見ていた颯が顔を上げる。

 すると、足元に散らばった札が一斉に輝き出した。

「これは……陰陽師が使う札!?」

「くすねておいたんだ。食らっとけ」

 彰人がにこりと微笑んだと思ったら、札が札を巻き込んで大爆発を引き起こす。

 足場となっていた巨木の枝に穴が空くほどの爆発だった。



 風が吹いて巻き上がった煙を流していく。

 そっと穴を覗き込んだ彰人は、左腕一本でぶら下がっている颯を冷たい表情で見下ろしていた。

「なんだ、避けるだけの余力があったのか」

「くそ……!」

 颯の体は見るも無惨なものになっていた。

 爆発に巻き込まれた下半身は焼け焦げ、片足は膝から下が無くなっている。攻撃に鬼神の霊力を使いすぎたらしく、体も徐々にしぼんできていた。

「助けてほしいか?」

「なんだと」

 赤黒かった颯の肌もどんどんと元の色に戻ってきている。

「遅かれ早かれ、鬼神の霊力が無くなれば君は落ちる。ここから落ちて無事でいられるとは到底思えない……そこでだ」

 颯がぶら下がった枝に飛び乗った彰人は、邪気のない笑顔を見せる。

「俺と兄ちゃんに謝るなら助けてやってもいい。その足は元には戻せないけど、傷口を塞ぐくらいはしてやるよ。君はどうしたい?」

「お前に謝れだって?誰がそんなことを!」

「じゃあ、落ちろ」

 枝を容赦なく殴りつけた彰人の拳でみしみしと割れ目が広がっていく。

 颯の体重に耐えきれないように枝が大きくしなった。

「正直、君のことを俺は許せるとは思えない。大切なものを傷つけられて、黙っていられるほど人間ができてないからさ」

 つらつらと語る彰人の目には、絶望で顔を真っ青にした颯が映っていた。

「い、いやだ……助けて……」

「裏切ったのは君だろ。その報いを受けるべきだと俺は思うが、違うかな?」

 小首を傾げた彰人を見つめる颯の表情は、死の恐怖に覆われていた。

「ごめんなさい!死にたくない……助けて!」

 ぼろぼろと涙をこぼしながら訴える颯を見て、彰人はおもむろに手を伸ばした。

 霊力によって強化された腕力で颯を引っ張り上げると、乱雑に放り投げる。

「えっ……?」

 突然助けられたことにわけが分かっていない様子の颯は目を白黒させていた。

「……許さないのと見捨てて殺すのは別問題だ。俺だって兄ちゃんに嫌われたくない」

 ほとんど元に戻っている颯の胸ぐらを掴み上げて顔を近付ける。

 同時に最低限の傷口の応急処置もしていた。

「二度とこの街に近付くな。一瞬でも君の匂いがしたら、俺が殺しに行く。いいな」

 こくこくと必死に頷くのを見て、彰人はぱっと両手を放す。

「あとはお前だけだ」

 彰人の目には、もう颯の姿は映っていない。

 ぎらつく視線の先にいる全ての元凶である鬼神。

 こちらをちらりと見たそれは、愉快そうに笑っていた。


*****


 体内で霊力を作り出した彰人は、鬼神に向かって走り出した。

『こんなところまで来るとは。私にやられに来たのか!』

 鬼神の手のひらで凝縮された霊力がビームのように飛んでくる。

 颯のものよりも速く、威力が桁違いだ。

 かすっただけでも致命傷になりかねない。

 彰人は反射神経と攻撃に霊力を振り分けて、得意の接近戦に持ち込む。

 打撃や蹴りを混ぜて、鬼神を土地神のご神体である岩からどうにか引き離した。

 肩で息をしている彰人を、鬼神は余裕たっぷりの表情で受け止める。

 顔面を狙った拳を寸前で止めて、全くダメージを受けていないかのように嗤った。

『こそばゆいじゃないか、小僧』

「うるさい!」

 受け止められた拳を起点に体を捻って蹴りを入れる。

 手が離れた隙に彰人は距離を取った。

「堅ぇ!なんだよこいつ!」

 だらりと下ろした彰人の両拳からは血が滴っている。

 治療に霊力を回そうにも、一瞬でも気を抜けばビームが飛んでくる。

 圧倒的な存在感を放つ鬼神と対峙しながら、彰人の頭の中はフル回転していた。


(消滅の術は同化の秘術を利用する。だから、どうやっても影に触れないといけない)


 月光でできたおぼろげな影は確認できる。

 しかし、それに近付くことができたらの話だ。

【全く……お前一人で何ができる】

「月丸!怪我は……」

 彰人の隣に立っていたのは、見るからにぼろぼろな月丸だった。

 大量の切り傷で白銀の毛は真っ赤に染まっていた。

【動けぬほどではない。さっさと作戦を言え。このわしが手伝ってやる】

「そりゃどうも」

 彰人の前に立った月丸の毛がぶわりと膨らむ。

【こいつを倒せばわしらの勝ち。負ければこの街は乗っ取られる。さあ、気合いを入れろ!!】

「おうっ!」

 同時に駆け出した彰人と月丸に、鬼神は笑みを浮かべていた。

『やれるものならやってみろ』

 鬼神の体には霊力が満ちていった。



 兄から教えてもらった鬼神の弱点。

 それは心臓と2本の角。

 片方を潰しても、もう片方が無事ならば再生できるらしい。

 脳内で考えた作戦を月丸に伝えた彰人はすぐに動いた。

「おりゃっ!」

 先ほどと変わらない接近戦での打撃と蹴りを混ぜた攻撃を仕掛ける。

『小僧程度の攻撃では傷も付けられんぞ!』

 彰人の攻撃を捌きながら鬼神はにやにやと笑っている。

 実際、鬼神の体には傷はつかず彰人の拳が血塗れになっていく。

「関係、ないね。俺はあんたから離れなければいいんだ!」

 霊力で止血してもすぐに真っ赤になる彰人の拳。

 しかし、撃ち込むことをやめようとはしなかった。

『小僧……土地神の眷族はどこへ行った』

 きょろきょろと周囲を見た鬼神が月丸を探している。

 それを見て彰人はニヤリと笑った。

「さあ、ね……それよりよそ見すんなよ!」

 注意が削がれた足元を狙って足払いをかける。

 それをかわしたはずの鬼神はがくりと体勢を崩した。

「足元には注意しろ!」

 鬼神が足を取られたのは、颯が落下した時にできた窪み。

 そこから彰人は、怒涛の攻撃を仕掛けていった。

 少しずつ後ろに下がっていく鬼神は、攻撃を受けるのをやめて反撃し始める。

 今度は彰人が押される番になる。

『舐めるな。人間が私に勝つつもりか!』

 どれだけ攻撃を受けても退かない彰人の視線は、鬼神を真っ直ぐに貫いている。

「お前は、俺が倒すんだ!」

 彰人の渾身の一撃が鬼神の心臓めがけて放たれる。

 その瞬間、影に身を潜めていた月丸が飛び出し霊力弾で頭の角を粉砕した。

 粉々に砕けた角が風に流されて飛んでいった。


*****


 ふらっと体を傾けた鬼神は、かろうじて倒れることなく彰人を睨んでいる。

『……なぜ……私の弱点を……』

 口から血を吐いた鬼神の胸にはクナイが深々と突き刺さっていた。

「兄ちゃんが教えてくれた。もう、お前を援護する気もないってよ」

『ははっ……最後に嫌われてしまったな』

 薄く笑った鬼神はどかりとその場に腰を下ろした。

【さっさとこやつを始末しろ!】

 叫んだ月丸の前に出て、彰人は首を横に振る。

「待ってくれ。聞きたいことがあるんだ」

【そんなもの……!こやつは土地を乗っ取ろうとした罪人なのだぞ!】

 牙を剥く月丸に彰人は一歩も退かない。

 そこに乾いた笑い声が響いた。

 振り返れば鬼神が大口を開けて笑っている。

『なにをしたいか知らんが、早く殺せ。土地神を取り込むことができなかったのだ。陰陽師に使われるだけの日々が嫌になり、土地神にでもなってやろうと動けばこの有り様。我が事ながら笑えてくる』

 彰人は鬼神を見下ろして口を開いた。

「おかしいと思っていたんだ。お前……兄ちゃんを助けたかったのか?」

 その呟きに、鬼神は目を丸くして固まった。

『私が……助けたい?鬼であり、破壊しかできないこの私が?』

「乗っ取るなら土地神にこだわる必要はない。どこの神だっていいはずだろう?」

 それこそ山神だろうが、水神だろうが神に変わりはない。

 兄に操られていたとしても、それを跳ね返して暴れていた。

「どうして土地神に成り代わろうとしたんだ」

『それは……』

 俯いていた鬼神はゆっくりと顔を上げる。

『あの人間の願いを叶えてやりたいと思ったのだ。私を利用しようとした、けれど優しさを捨てきれなかった人間の……』

 鬼神は震える手をぎゅっと握りしめた。

『叶えなければ……』

 ふらふらの体で立ち上がった鬼神は、一歩ずつ土地神のご神体へと近付いていく。

『私が神になれば……あの人間はきっと喜ぶ』

「兄ちゃんはもう、お前に頼らない」

 立ち塞がって言い切った彰人を、鬼神は目を見開いて見ていた。

「もう誰も、あなたに願うことはないよ」

 鬼神のそばへと近付いた彰人は片膝をついておぼろげな影に触れる。

『……私は必要なくなるのか』

 こくりと頷いた彰人に鬼神は初めて柔らかい表情を見せた。

 それを見上げて頭を下げる。

「兄ちゃんのそばにいてくれて、ありがとう」

『ありがとう?感謝される謂れはない』

 困惑した声が頭上から聞こえてくる。

「街を壊したことは許してない。でも、誰も味方のいなかった兄ちゃんのそばにいてくれたのはあなただから」

 陰陽師の組織の中で、兄の一番そばにいたのはおそらくこの鬼神だ。

 利用し、利用される関係であってもその繋がりはなくならない。

『感謝されるのは初めてだ。嬉しいものなんだな』

 照れたように笑った鬼神は夜空を見上げる。

『最期にこの景色は悪くない』

 鬼神の影が消えると同時に、体が空気に溶けていった。 

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