第8話 颯の思い

 ごほごほと咳き込む兄の腹からは、血が絶えず流れ落ちている。

「早くこれ飲んで!」

 恩人だと言った兄の柊人を裏切り、鬼神の協力者となっていたはやてが寄越した小瓶。

 霊力による効果を阻害する毒を無効にできるらしいが、真実を言っているとは限らない。

 しかし、今はそれにすがるしかなかった。

 栓を抜いて赤みの抜けた兄の唇に近づける。

 水飴のようなとろみを持った桜色の液体を全て飲ませた。

 そして道路に横たわらせる。

「今治すから。待ってて……」

 両手を傷口を塞ぐように当てる。

 全神経を集中させて、霊力を体に流し込んでいった。

「柊人さんの容態は……」

 話しかけてきたのは女性の陰陽師だった。

 顔を上げた彰人は兄を守るように構える。

「安心して。彼を襲うことはないわ」

「信用できるか……!」

 ぎろりと睨みつける彰人の前に、1人だけ色の違う狩衣を着た陰陽師が駆け寄ってきた。

「治療させてくれ!私は医者だ!」

 一歩近付こうとしたところで、彰人の睨み殺さんばかりの視線に立ち止まる。

「……私たちを信じられないのは分かる。しかし、柊人さんを救いたいのは私たちも同じだ」

「…………」

 じっと見つめる彰人の目には、医者だと言った男性陰陽師が嘘をついているようには見えなかった。

 無言で殺意を消すと、その陰陽師は柊人のそばに膝をついた。

 右手に持っていた鞄から複雑な文字が書かれた札を数枚取り出す。

「治療札と言います。これを貼れば札に込められた霊力で治療ができる」

 傷口に貼り付けてぶつぶつと唱えている。

 彰人も気を抜かず治療を続けた。

 青白かった兄の顔色に赤みが戻ってきたところで、彰人は目の前の陰陽師に目を向けた。

「……あなたたちは兄ちゃんの仲間だろ。どうしてこんなことを……」

「それを理解してもらうには、私たちを取り巻く環境を知ってもらわねばなりません」

 男性陰陽師はそう言って強く目を閉じた。

「私たちは陰陽師の中でも底辺の扱いをされてきました。柊人さんに救われ、手を差し伸べられた者たちの集まりなんです」

「兄ちゃんが……助けてきた?」

「あなたのことは柊人さんから聞いていました。今回の『理想郷計画』は、私たちを案じた柊人さんが立てたものでした」

 顔を上げた男性陰陽師は、眉を下げて拳を握っていた。

「何があったんですか」

 彰人の問いかけに、陰陽師たちは痛みを堪えるように俯いた。



 少しずつ呼吸が戻ってきた兄の顔を見た男性陰陽師が口を開く。

「私たちは……あなたや柊人さんと比べれば子供と大人ほどの力の差があります。陰陽師の世界は実力主義、力のない者に居場所などありません。半端な私たちにはどこにも生きる場所がなかった……。それを知った柊人さんが声を上げたんです」

 彰人は無言で話を聞いていた。

「柊人さんは特別なお方です。上層部から鬼神を制御できると期待され、その影に取り込みました。柊人さんは上層部の目を盗んで鬼神の心を操り、土地を乗っ取るように仕向けた。そして、その土地を私たちの居場所にしようとしたんです」

 男性陰陽師は、真っ直ぐに彰人の目を見て言う。

「少し細工をする程度だったんです。土地の住人たちの意識を変えて、私たちのような人間がいても違和感を覚えなくするというもの。誰も傷つけるつもりはありませんでした……」

「傷つけるって……ふざけるな!!これだけ街を壊したくせに!」

 憤慨する彰人に、男性陰陽師は深く頭を下げた。

「私たちの考えが甘かった……!柊人さんは鬼神と心を繋げれば繋げるほど狂っていった。それを私たちは居場所のためにと黙認した。颯がおかしくなったのも……悪いのは柊人さんじゃない、私たちなんです」

「そんな……」

 彰人は陰陽師として生きてきた兄の姿を知らない。

 どんな思いで家を離れて、周り全てが敵と呼べるような組織の中で、生きてきたその苦労すら。

 彼らを救いたいと行動した兄は、自分を守ってくれたその姿と重なっていた。

「……二度とこの街に近付くな。これ以上、兄ちゃんを傷つけないでくれ」

 頭を下げたままの男性陰陽師は微動だにしない。

 そんな中、横たわっていた兄の瞼が微かに動いた。



 ゆっくりと目を開いた兄を彰人は泣きそうになりながら見ていた。

「兄ちゃん……よかった!」

「泣くんじゃない……」

 へにゃりと力なく微笑んだ兄に、見守っていた陰陽師たちが次々と集まっていく。

 そっと輪から抜け出した彰人は、その光景をじっと見ていた。

 しばらくすると、その輪が開いた。

 輪の中心には、体を男性陰陽師に支えられて兄が上半身を起こしている。

「彰人……僕のやろうとしたことを聞いたそうだな」

「俺にはやっぱり認められない!」

 拳を握り込んだ彰人に、兄は優しげに笑った。

「お前はそれでいいんだ」

「兄ちゃん……?」

「この街と僕を天秤にかけて、僕を取ると言ったら今度こそ殺していたかもしれない」

 そう言った兄の表情は動かない。

「土地神の守護者として、その責任を全うしろ。それがお前の役割なんだから」

「あ、当たり前だ!兄ちゃんに言われなくてもそうするよ!」

 叫んだ彰人に寂しそうに目を伏せる兄。

「鬼神はすでに僕が制御できる範疇を超えている。止められるのはお前と月丸様だけだ」

「月丸は分かるけど……俺?」

「消滅の術だ。巻物はただの記録媒体。同化の秘術を使えるお前なら、消滅の術も扱える。巻物を盗み見た僕が言うんだから間違いない」

 頷いた兄の告白に、彰人は目を丸くした。

「盗み見たって……!」

「お前が月丸様に選ばれたことが悔しくてな。どうにか追い抜いてやろうと、家にあった巻物を全部読んだんだ」

 喧嘩をしてみてわかったことだが、我が兄はとても負けず嫌いだった。

「それと鬼神の弱点も教えてやる。影は繋がったままだが、援護するつもりもないからな」

「弱点!?そんなものあるの?」

 屋敷を破壊した鬼神を見たとき、勝てるわけがないと思っていた。

「完璧なやつなんて存在しない。たとえ、神であっても」

 そう言った兄は、惜しみ無く鬼神について教えてくれた。

 鬼神を倒すための計画を話し合っている最中のこと。

 地面からの突き上げるような揺れが彰人たちを襲った。


*****


 太陽が沈み、淡い月光と暗闇が街を覆っている。

 そこに響いたのは、悲鳴を上げるような樹木の破砕音。

 咄嗟に顔を上げた彰人が見たのは、真っ黒な塊だった。

 よく見てみるとそれは成長を続ける木々の集まりで、破壊と再生を繰り返していた。

「月丸!?」

 月光に照らされた白銀になびく毛を彰人が見逃すはずがない。

 真っ黒な塊の中、時折輝いて見えるのはおそらく霊力弾だろう。

「時間がない!彰人、お前はすぐに行くんだ」

 ふらつく体で肩を借りて立ち上がった兄は真剣な表情になる。

「兄ちゃんたちは……」

「せめて街の住人たちは避難させる。それくらいしかできないがな」

 兄の言葉に周りにいた陰陽師たちが表情を引き締める。

「早く行け!」

「無茶しないでね!」

 体内で霊力を作った彰人は、全身に行き渡らせて身体機能を強化する。

 一度のジャンプで電柱を跳び越え、彰人はその勢いのまま真っ黒な塊へと急いだ。

 近付くにつれて、その光景の異常さがわかってくる。

 塊は空を覆うように成長した木だった。

 地面から伸びる幹はより合わさって太くなり、普通ではあり得ないほどになっている。

 大人が20人、手を繋いでもその幹を一周することはできないかもしれない。

 巨木の真下へとやってきた彰人は、しばらくの間声が出なかった。

「……こんなことができるのか」

 おそらく土地神の社があった場所だろうということは周囲の景色から把握できた。

 そこが巨木に持ち上げられていたのだ。

「とにかく上らないと……!」

 両足に霊力を込めて飛び上がる。

 張り出した枝を足場にぐんぐんと地上から離れていった。

「もう少しだ」

 月がこんなに大きく見えるほど空を上ってきたらしい。

 枝の隙間から飛び出した彰人がみたのは、樹木が覆い隠す巨岩を攻撃する鬼神。

 それを迎え撃つ血濡れの月丸の姿だった。


 サッカーコートほどの広さの樹木の足場。

 そこでは激しい攻防戦が繰り広げられていた。

「やめろ!!」

 鬼神に殴りかかった彰人の前に、立ち塞がる人影があった。

「邪魔はさせない」

 兄を裏切った颯が彰人にクナイを向けて対峙している。

 それを彰人は苛立ちを隠すことんなく睨みつけた。

「君なんかに時間を取られる暇ねえんだよ!」

「ぼくにはお前を足止めする義務がある」

「そうか……だったらそこを動くな」

 立ち塞がる颯を見て、彰人の我慢も限界だった。

「なんだって……?」

 眉をひそめた颯の目前で彰人は姿を消した。次に現れたのは颯の左隣。

 彰人の右拳には霊力が凝縮されていた。

「吹っ飛べっ!」

 全力で振り抜かれた拳は颯の体を風船のように吹っ飛ばした。

「これで終わりじゃねえぞ」

 空高く殴り飛ばされた颯の真上に移動した彰人は、無防備なその体にかかと落としを叩き込む。

「ぐぅう!」

 今度は真下に落とされる颯。

 足場となっている樹木の枝がなければ、地上100メートル以上から地面に激突していただろう。

「立てよ。まだやれるだろ」

 直径30センチはあろうかという太い枝を抉って埋まるようになっていた颯に、彰人が近付いていく。

 どうにか体を起こして立ち上がった颯は、額から一筋血が流れている。

 おまけに着物は破れ、よろよろと体が揺らめいていた。

「絶対許さねえ。兄ちゃんを傷つけただけじゃなく、この街まで巻き込もうとしやがって……」

「だから自分が代わりに成敗してやるってか?」

 額の血を拭った颯が口角を歪ませる。

「ふざけんな。どうしてお前にみたいなやつにぼくが否定されなきゃならない。強い霊獣を従えて、霊力だって使いこなして……不公平だろ!!!」

「そんなやつなら他人を傷つけても許されると思ってんのか!それこそ大馬鹿者だ」

 吐き捨てるように言った彰人は、ずっと颯を睨んでいる。

「俺が恵まれていると言ったな。君の苦労を俺は知らないし、知ろうとも思わない」

「な、なんだと!?」

「興味なんてないからな。理解者が欲しくて、それを兄ちゃんに求めたんだろうがそれもだめだった。なんというか……可哀想なやつなんだな、君は」

 拳が白くなるほど握り込んでいた颯は、彰人を睨み殺さんばかりに見る。

「それ以上ぼくを侮辱するな!お前は殺す。そうすれば、このドロドロした気持ちも少しはすっきりするだろう!」

「その体でなに言ってんだ」

 拳を構える彰人を前に、目を見開いた颯が叫んだ。

「鬼神様っ!御力をこのぼくに!」

「なっ!やめろ!」

 止めに入ろうとした彰人の眼前で、颯の体が鬼神の霊力に包み込まれていった。

「……これでぼくは……もっと強くなった」

 恍惚とした表情で言う颯の体は、劇的に変化していた。

 身長が30センチは伸び、肌は赤黒く、頭には2本の角。

 体格もがっしりとした筋肉質になり、爪は伸びて、まさに鬼という風貌になっていた。

「ぼくを許さないだっけ?やってみせろよ」

 鬼となった颯の手から放たれた霊力の塊を、彰人はかろうじて避ける。

 はるか下にある街に着弾したそれは、爆音と火柱を上げた。

「お前ぇ!!」

「早くぼくを倒さないと街がめちゃくちゃになるぞ。それはそれで面白そうだけど」

 くすくすと笑っている颯は人が変わったようだった。

 深呼吸をした彰人は、正面から鬼となった颯を見据えていた。

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