第7話 兄弟喧嘩

 隊列を組んだ陰陽師たちが進むたびに、その手から札がばらまかれる。

 ぺたりと貼り付いた札は、この街に満ちているエネルギーを吸収し爆発を引き起こす。

 街路樹、電柱、自動車。

 有機物だろうが、無機物だろうがお構い無しに爆発の餌食となっていた。

「なにやってんだ!」

 走り出した彰人は、こちらを見据える兄の柊人に向かって飛びかかった。

 それを阻止したのは、後方に控えていた陰陽師によって作られた結界。

「俺が狙いなんだろ!?なんで街まで壊すんだ!」

「お前は優しいからな。だから、周りから壊してやるんだよ」

 ふわりと微笑んだ柊人の手から札が離れる。

 ひらひらと宙を舞う札は彰人の目の前に来ると、結界を通り抜けようとした。

【さっさと退かんか!馬鹿者!】

 結界にへばりついていた彰人の襟首を咥えた月丸がその場を離れる。

 数秒遅れて響いた爆発音は、彰人がいた場所を正確に狙っていた。

 爆発に巻き込まれて停まっていた自動車の上に着地した月丸は、彰人の服から口を離す。

 落とされた彰人はすぐに体を起こすと、月丸に詰め寄った。

「何すんだよ!!」

【肉の塊に成り果てたかったのであれば止めはせんぞ。生憎、わしとお前は影で繋がっている。宿主のお前を失うわけにはいかんのだ】

 月丸は喋りながら兄を睨んでいる。

【貴様らにしてはずいぶんと派手なことをする。こそこそと動き回る陰陽師らしくないな】

「水面下で動くだけでは、何も変わりませんから」

 にやりと笑う兄を部下の陰陽師たちが取り囲む。

「しばらく僕たちに付き合ってもらいます。そうですね……鬼神が土地神を取り込むまで、でしょうか」

 ばっと顔を上げた彰人と月丸は、同時に振り返る。

 その視線の先は、街のほぼ中心に鎮座する土地神の森。

 ご神体である巨岩を祀り、封じている社が置かれていた。



 ゆっくりと視線を戻した彰人は、目を見開いたまま呟く。

「土地神を取り込むまでって……まさか!」

「鬼神は最後まで土地神を殺したいと言っていたが、乗っとる方が手間もかからないからね」

 彰人を見た兄の表情が抜けていく。

「今までの神では、僕たちに何も与えてくれない。この街を理想郷に作り替えるには、根本から変えないといけないんだ」

 ざっと一列に並んだ陰陽師たちが、それぞれの式神を展開する。

「お前たちは鬼神が土地神を取り込むまで、ここで足止めさせてもらう。彰人、お前にとっても悪い話じゃないはずだ」

 じっと見つめてくる兄は、こちらを案じるような目をしていた。

「もう苦しまなくていいんだぞ。僕とお前をいじめてきたやつらも、理解できない愚かな人間も全ていなくなる。僕たちだけの街に生まれ変わるんだ」

 そう言って彰人へと手を差し伸べる。

「なあ、お前も僕たちに協力しないか。土地神の守護なんてどうでもいいと言っていただろう?この僕が立てた計画だ。間違いないさ」

「兄ちゃん……ごめん。その計画には乗れない」

 首を横に振った彰人は、兄の誘いを断った。

 眉をひそめた兄は、無言でこちらを見ている。

「……確かに兄ちゃんの言う通りだ。でも、関係のない人の生活を奪ってまで、幸せを手にいれることが正しいとは思えない。そんなのただの悪人じゃないか!」

「何をされても受け入れろと言うのか」

「そんなこと言ってないだろ!俺は、追い出す以外にやり方がないのかって言ってんだ!」

 兄の言う理想郷とやらは、理解できないものを追い出そうとする、この世界の仕組みと同じことだ。

「歩み寄ろうともしないで、簡単な方に逃げているのは兄ちゃんたちだろ!?」

 深呼吸をした兄は、ことさら深く息を吐き出す。

「……よくわかった。お前は僕の言うことをわかってくれると思っていたが違ったか」

 兄を見据える彰人も大きく息を吸い込んだ。

「俺たちは兄弟だけど、やっぱり違う人間なんだ。完全に分かり合えるわけがないんだよ」

「やはり、お前は邪魔だな」

 苦笑するようにして言った兄は、次の瞬間には鋭い目つきに変わっている。

「お前を殺してでも、僕は理想を叶える」

「……兄ちゃんと敵対しても、俺は日常を守るよ」

 かち合った視線の間で火花が散った。

「最初で最後の兄弟喧嘩だ。僕には勝てないと、その体に叩き込んでやるよ」


*****


 自動車の上から身軽に飛び降りた彰人は、ぐっと両足に力を入れる。

「手加減はしないよ。兄の間違いを正すのも弟の仕事だから、ね!」

 一瞬で姿を消した彰人は兄の目の前へ移動している。

 そして、そのまま殴りかかった。

「おらっ!」

 バキンッと甲高い音を立てて彰人の拳が陰陽師側の結界を破壊する。

 そこに間髪入れず、青白く輝いた霊力弾が炸裂した。

【変なところが真面目で困る。武士じゃあるまいに、名乗りあう必要もなかろう】

 次の霊力弾の用意をしながら月丸が言う。

 踏み込もうとした彰人が、何かに気付いたように跳び去った。

 そこへ数秒遅れて式神の攻撃が降り注ぐ。

「ずるいぞ、兄ちゃん!横槍入れる喧嘩があるか!」

「お前が言うな!」

 兄の叫び声が遠くから聞こえてきた。

 巻き起こった土煙が晴れてくると、陰陽師たちは三角形に隊列を組み替えてこちらをいつでも迎撃できるように待ち構えている。

「さてと……どうするかな……」

 彰人の最優先は、土地神のご神体の保護。

 一応は結界で守られているとはいえ、どれだけ持ちこたえられるかは未知数だった。

 対して兄の方は、彰人たちを鬼神が土地神を取り込むまで足止めするだけでいい。

【よく聞け。ほどほどに相手をして、ここを離脱するぞ】

 彰人の脳内に月丸の声が響いた。

 彼は月丸の方を見ずに返す。


(でも、兄ちゃんが逃げられるような隙を作るか?)


【そこはわしがどうにかする。まともに相手をしてやる義理もないのだからな。詳細は動きながら説明する。行くぞ!】

 月丸の号令に、彰人の体はすぐに反応した。



 左右に別れた彰人と月丸は、それぞれに迫る式神を倒していく。

 消滅する式神は、止めどなく補充されているようで一向に減る気配がない。

「数が多いっ!」

 自分で作り出した霊力を循環させて、身体能力を強化した彰人。

 動体視力や打撃力が上がっていても、それを上回る量でこられるとどうにもならない。

「どうする!?ここままじゃジリ貧だぞ!!」

 目にも止まらぬ早さで式神を処理していた彰人が叫んだ。

 月丸はというと、遠くの敵を霊力弾で牽制しつつ、漏れ出た式神を牙で屠っている。

【耳を塞げっ!】

 陰陽師たちから距離を取った彰人は両手で耳を塞ぐ。

 次の瞬間、月丸から発せられた霊力が混ざった咆哮が体を叩いた。

「ぐっ……きっつ……!」

 来るとわかっていても、体の芯が恐怖で震えてしまう。

 捕食者の頂点に立つ狼は、その一声だけで周囲を制圧した。

【こんなものか。他愛もない】

 尾を引いた月丸の咆哮が小さくなっていく。

 力一杯に耳を塞いでいた彰人は、周りを見てゆっくりと腕の力を抜いた。

「相変わらずの無差別さだな……」

 咆哮をまともに受けた陰陽師たちが軒並み倒れている。

 それに、避難が間に合わなかった街の住人たちも巻き込まれていた。

【土地神様の森へ行くぞ】

「待てよ!」

 走り出した月丸を追いかけようとした彰人は、何かに気付いたように目を見開いて固まる。

【何をしている!?】

「……兄ちゃんがこの程度で止まるわけがないか」

 振り返った彰人が見たのは、ゆらりと立ち上がる兄の姿。

 こちらを睨む瞳の奥には、怒りが燃えているようだった。

「お前は……僕をどこまで馬鹿にすれば……」

「誰も正々堂々なんて言ってない」

 悪びれもせずに言う彰人に、目を吊り上げた兄が吠えた。

「僕は……ずっとお前が憎かった!あとに生まれたお前の方が僕より優れているなんて……耐えられない。どうして僕じゃないんだ!」

「それが兄ちゃんの本音……?」

 寂しげに呟いて兄の顔を見る。

 ここまで言って、嘘をついているとは思えなかった。

「どうして選ばれたのがお前なんだ。兄貴や姉貴よりも僕の方が強かった!それなのに、お前が生まれてきたから!」

 ふらつく足で必死に立つ兄を、彰人は何も言わずに見ていた。

「そんな目で見るな。愚かだと、馬鹿だと笑えよ!そうすれば……僕は……!」

【相手にするな!お前が守るべきものは何だ!】

 動かない彰人に、月丸が叫ぶ。

「ごめん、月丸。俺は兄ちゃんとのことはうやむやにしたくない」

【何を馬鹿なことを……!】

 牙を剥く月丸の目を見る。

「終わったらすぐに行くからさ。今だけ我が儘言わせてくれ」

【……大馬鹿者が】

 吐き捨てるように言った月丸が、くるりと体を翻す。

【優しさだけでは、救われないやつもいるのだぞ】

「そうかもね……」

 走り出した月丸の足音を背中で聞きながら、彰人は満身創痍の兄と対峙していた。

「兄ちゃん、喧嘩しよう」

「お前のいつも余裕ぶってる、そういうところがムカつくんだよ……彰人!!」

 兄が札を投げたのが始まりの合図だった。


*****


 結果はぶつかる前から分かりきっていた。

 月丸の咆哮を直接浴びた兄の柊人は、まともに霊力が使えなかった。

 それでも、無理やり絞り出した力では彰人に敵うはずがない。

「ぐぅっ……!」

 札による爆弾を避けつつ接近する彰人。その拳が兄の体に当たる。

 くの字に体を折り曲げて膝を付いても、その瞳から怒りが消えることはなかった。

「……兄ちゃんは、ずっと俺が憎かったの?」

「だったらなんだ……」

「全、 然、気付かなかった!」

 あっけらかんとして言う彰人に、兄も一時怒りを忘れたように目を丸くした。

「だってさ、俺が生まれた時からなんだろ?今は16歳だから 、それだけ隠してきた兄ちゃんが凄いなって……」

「馬鹿にしてんのか?」

 再び怒りに燃えている兄に、彰人は首を横に振る。

「違うよ。紅人兄さんや葉子姉さんみたいに俺をいじめることだって出来たじゃないか。でも、ずっと俺を守ってくれてた」

「ただの気まぐれだ、あんなもの。兄貴や姉貴みたいになりたくなかっただけだ」

 ふんっとそっぽを向いた兄に、彰人はどうしようもなく嬉しくて笑ってしまう。

「なに笑ってんだ」

「兄ちゃんはやっぱり、俺のヒーローなんだなと思ってさ」

 嬉しげに笑う彰人に、兄は呆れたようなため息を吐き出した。

「お前を見てると、意地張ってるこっちがバカらしくなってきた……」

「なんで?」

 首を傾げた彰人を見て、もう一度ため息を吐いて道路に座り込んだ。

「僕の負けだ。街の乗っ取りから手を引いてやるよ」

「えっ、いいの!?どうして……」

「お前みたいな物理攻撃タイプに、この状態の僕が勝てるわけないだろ。全く……ぼろぼろになっただけじゃないか」

 悔しげに唇を噛む兄だったが、その表情はどこか晴れ晴れとしているように見えた。



 彰人と兄の柊人は、道路に倒れ込んでいた陰陽師たちを手分けして起こしていく。

 彰人が手を貸しているのを見た陰陽師たちは戸惑っていたが、兄の説得で渋々受け入れていた。

 しかし、1人さっぱりとした顔の兄と違って陰陽師たちは複雑な表情をしていた。

「……理想郷の夢は?……誰にも邪魔されない居場所を作るって言ったのに……」

 兄の前にやってきたのは、彰人を暗殺しようとした少年だった。

はやてか。すまない、約束を守れなくて。理想郷は作れないが、今の状況はどうにかするつもりだ」

「怖じ気付いたんですね……。なんだ、あの方の言う通りだった」

「颯……?」

 俯いていた颯は、顔を上げるとその手に握りしめられていたクナイを兄の腹に突き刺した。

「な、にを……」

「鬼神様が言っていたんです。私の宿主は怖じ気づくだろうから、ぼくに手を貸してほしいと」

 兄から離れた颯の手は、返り血で真っ赤に濡れていた。

「兄ちゃん!!」

 駆け寄った彰人がすぐさま兄の傷を治そうとする。

 しかし、どれだけ霊力を流し込もうと血が止まらない。

 ひゅうひゅうとか細い呼吸を繰り返す兄の顔は、どんどんと青白くなっていく。

「霊力阻害の毒か……!」

 睨み付ける彰人を、颯は無表情で見下ろしていた。

「お前も同罪なんだぞ。でも、今はやらないでおいてやる。その巻物と交換するなら、お前の兄貴は助けてやってもいい。巻物に書かれた術を使えば、鬼神様を消滅させられるんだろ?」

「どうしてそれを……!」

 目を見開いた彰人に、颯は馬鹿にしたように鼻で笑った。

「ぼくがどこからお前を監視していたとおもっているんだ」

「兄ちゃんは恩人じゃなかったのか!」

「こんな弱虫なんか必要ないね。鬼神様さえいれば、ぼくの理想郷は作れるんだ!」

 あはははと壊れたように笑う颯を周囲の陰陽師たちは遠巻きに見ていた。

「……わかった、巻物はくれてやる。その代わり、兄ちゃんの傷を治せ!」

「ぼくとお前は同じくらいの歳だと思っていたけど、そこまでブラコンになると気持ち悪いな」

「なんだと!!」

 彰人から霊力が火柱のように上がる。それを見た颯が牽制するように言った。

「いいのか?大好きなお兄ちゃんがお前の霊力で傷ついてるぞ」

「ぐっ……!」

 霊力を抑え込んだ彰人に颯は手を差し出した。

「巻物を出せ。治療方法はそれと交換だ」

 彰人は尻ポケットに入れていた巻物を放り投げる。

 それを掴んだ颯はガラスの小瓶を投げてきた。

「飲ませれば毒を無効化できる。効能は保証しないがな」

 小瓶の中には水飴のような桜色の透明な液体が入っていた。

「ぼくは鬼神様の元へ行く……。そこの弱虫に変わって、ぼくがあの方のそばにいるんだ」

「待てっ!」

 巻物を持った颯は虫の式神を使って姿を消す。

 兄の傷口からは血が止まることなく流れていた。








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