第6話 理想郷
すべてを破壊する災厄を司る鬼神。
そんな化け物が、彰人の実の兄である柊人と影を同化させていた。
兄が裏切ったのは、『土地神の代替わり』を実行するため。
土地神が変わってしまうことは、土地の歴史やエネルギーの流れなどの、何もかもが変化することを意味する。
500年以上紡がれてきた時間をなかったことにしようとしている兄の行いを、彰人は認めることができなかった。
「俺たちの最優先は土地神様を守ること、だよな」
破壊された実家の屋敷を前に、彰人が腰に手を当てて言う。
【もっと正確に言うのなら、土地神様のご神体をなんとしてでも守護せねばならぬ】
年寄り臭い喋り方をする相棒の月丸は、険しい表情をしている。
土地神の眷族として、犬飼家の始まりから存在する霊獣。
白銀に染まる毛は、神の眷族としての証である。
「そのご神体って街の方の社に保管されてるでっかい岩だろ?誰も入り込めないように結界が張ってあるはずじゃ……」
【その通りだ。あの社を管理する神職と言えど、容易に近付くことはかなわん。だが、あの鬼神が力を使えばどれだけ結界が持ちこたえられるのか】
月丸はちらりと視線をがれきと化した屋敷へ向ける。
その鬼神の手によって壊されたのがなによりの証拠だった。
表と裏の世界を調整する役割を持った彰人たちは、恨みを買うことも多々ある。
それらから身を守るために、自身の生命力と土地のエネルギーを混ぜ合わせて『霊力』と呼ばれる力を作り出せた。
この力を使えば結界を張ったり、怪我を治したりといった人間以上の能力を引き出すことができる。
陰陽師となっている彼らも、彰人たちとは別の方法で霊力を扱える人間たちだ。
霊力は月丸などの裏の世界の住人は当たり前に使う力で、神のような存在になれば指先一つ動かすだけで天変地異を引き起こすこともできるらしい。
【お前の父親が張った結界だ。効力は信用できるが、あの鬼神の力は底が知れない。動くのならば、早い方がいいだろう】
「わかった」
こくりと頷いた彰人は、後ろで見守っていた父親に目を向ける。
「父さん……俺、行ってくるよ。俺なんかじゃ不安かもしれないけど」
痛みを我慢するように強く目を瞑っていた父親は、懐に手を入れると1本の巻物を取り出した。
「持って行きなさい」
「これは……?」
受け取った彰人は、ひもを解いてするすると巻物を開く。
そこに描かれていたのは、同化の秘術を利用して相手を消滅させる術の使い方だった。
「これがあれば鬼神を倒せる……!」
「犬飼家の当主に代々伝わる、秘伝の書だ。柊人と戦うのなら必要になってくるだろう。そうなってほしくはないがな」
開いた巻物を戻した彰人は、それを力強く握りしめた。
「ありがとう、父さん」
「礼はいらない。本当なら、私がやるべきことなのだ。それをお前に任せるしかないとは……不甲斐ない」
ぐっと唇を噛んだ父親の目を見て、彰人は微笑んだ。
「心配しないで。兄ちゃんも、この街も俺が守るから」
「彰人……」
くるりと振り返った彰人は駆け出す。
その後ろ姿に父親が叫んだ。
「無事に帰ってくるんだぞ!!」
拳を上げて応えた彰人は、夕暮れに染まる道を走っていった。
先に進んでいた月丸が追い付いた彰人を見上げる。
【別れは済んだか】
巻物を尻ポケットに突っ込んだ彰人は、真っ直ぐに前を見ていた。
「俺……父さんを誤解していたのかもしれない。紅人兄さんと葉子姉さんがいじめてきても助けてくれなかったから。でも、土地神様の前に出た父さんは、俺を守ろうとしてくれた。なんでもっと早く気付かなかったんだろう」
実家に、家族に期待したことも、されたこともなかった。
ひたすらに居心地が悪い場所としか認識していなかったあの家に、ずっと守られていたんだろうか。
「やり遂げてみせるよ。兄ちゃんが相手でも負けるわけにはいかなくなった」
【土地神様との賭けがあることを忘れるな】
ジト目で月丸を見た彰人は、視線に抗議の意思を乗せる。
【視線がうるさいぞ】
「人がせっかくいい雰囲気出そうとしてるのに。水差すなよ」
【そいつは悪かったな。鈍感なお前でもわかるようにしてやったんだ。わしに感謝しろよ】
「お前なぁ!」
どんどんとエスカレートしそうな1人と1匹の口喧嘩を止めたのは、目の前に迫った虫の大群だった。
*****
犬飼の屋敷から街へと続く道は、森の中を貫いている。
他に民家もないため、使うのは犬飼の関係者だけだった。
そんな人通りが少ない道を覆い隠しているのは、耳障りの悪い羽音を響かせる虫の大群。
向こう側が見えないほどの密度で、道を塞いでいた。
「なんだこの虫。気持ち悪っ!」
立ち止まった彰人は顔をしかめる。
その隣で月丸は牙を剥いた。
【油断するな。こいつらは陰陽師の式神だ!】
「正解です。さすが、眷族は見る目が違う」
どこからか声が響いた。
ひゅっと風を切る音がしたと思ったら、左右の林から足を止めた彰人たちに向かって大量のクナイが放たれる。
前方には虫。
左右からはクナイの攻撃。
残された逃げ道は後ろだけ。
「紛らわしいことはやめろよ」
体に迫るクナイを防ごうともしない彰人は、振り返って迷うことなく右拳を叩きつけた。
「ぐはぁっ!」
いつの間にか背後にいた狩衣姿の陰陽師が吹っ飛ばされる。
拳を振り抜いた格好のままの彰人に、クナイが突き刺さった。
しかし、体に刺さったはずのクナイに実体はなく、ゆらめいて消える。
「俺たち相手に不意を突くなんて、100年早い」
【術者の意識が途切れたからか、式神どもも消えたぞ】
月丸の言うように、道を覆っていた虫の大群が跡形もなくなっている。
彰人はぴくぴくと痙攣している陰陽師に近付くと、片手で胸ぐらを掴んで持ち上げた。
その陰陽師はまだまだ若い少年で、自分よりも年下かもしれない。
「おいっ!起きろ!」
「……な、なにを」
もごもごと喋りにくそうにする陰陽師の少年に、彰人は完璧な笑顔を見せた。
「俺たちに暗殺紛いのことを仕掛けてきたんだ。君の目的は足止め?それとも、俺たちを始末してこいって言われたか?」
「…………」
黙りこくった少年は、袖の中に入れていた手を出して叫んだ。
「だったらどうした!」
徐々に光が集まり始めるその手の札は、周囲に満ちたエネルギーを吸収している。
エネルギーの集まり方を観察していれば、爆発させようとしているようだった。
「お前たちを無傷で通すわけにはいかない!」
「貴重な情報源を死なせるわけがないだろ」
眩しそうに目を細めていた彰人が呟く。
少年が何事か問いただそうとした次の瞬間、札に集まっていたエネルギーが彰人へと吸い込まれていった。
「あれ……?」
「兄ちゃんから聞いてないのか?俺たち、犬飼の人間は霊力を作り出すのに土地のエネルギーを使う。目の前に集まったものを奪い取るなんてわけないさ」
ぱっと手を放した彰人は、受け身も取れず尻餅をついた少年を見下ろす。
「やりたいことはこれで全部か?他にもあるなら出し惜しみしなくていいぞ」
「あっ……あっ……」
痛みによる震えではなく、恐怖からカタカタと体を揺らしているのは少年だった。
一歩彰人が近付くと、少年が尻餅をついた状態で必死に後ずさる。
「さて……いろいろと教えてもらいたいんだけど。例えば、君たちの居場所とか。兄ちゃんの匂いを追いかけようにも消されてて、月丸でも追えないんだよね」
「ぼ、ぼくが素直に喋るとでも思っているのか!」
怯えていた少年も、仲間を売るような腑抜けではなかったらしい。
「別に喋らなくていいよ。君の持ち物の匂いさえ分かればいいから」
「えっ?」
呆けた少年を素早く拘束すると、腰に取り付けてあったポーチを奪い取る。
「いいもん見っけ!月丸、これならどうだ」
【ふむ……ここから西の方角に集まっているな。同じ皮の匂いがする】
ポーチに鼻先を近付け、それから空気中の匂いを嗅いでいた月丸が言う。
それにびくりと反応したのは少年だ。
「おっ!その反応からして、当たりみたいだな」
「ち、違う!」
弁明すればするだけ、それが正しいというようなもの。
悔しげに唇を噛み締めた少年は、恨みのこもった目を彰人に向ける。
「……柊人さんの邪魔をするつもりなんだろう。あの人の弟だかなんだか知らないが、おとなしくしてくれないか」
「はい、そうですか……ってわけにいかないのを分かってて言ってんだよな?」
威圧する彰人に怯む様子もなく、少年の顔は怒りに歪む。
「お前がぼくらの何を知っている。周りの人間と違うことを思い知らされて、生きる意味も分からなくて。柊人さんに拾われていなかったら……。柊人さんはこの街をぼくらの理想郷にしようとしてくれているんだ!」
【貴様……!】
今にも飛びかかりそうな月丸を止めて、前へ出た彰人は少年の胸ぐらを掴む。
「不幸自慢をすれば満足か!認めないやつらを追い出せば気が済むのか!」
今にも殺してしまいそうな剣幕の彰人は、白くなるほど握る手に力を込める。
「俺だって仲間外れにされたことがないとは言わない。どれだけ普通を恨んだか、君らの気持ちもよく分かる」
「だったら……!」
「でも!そこで傷つけるようなことをすれば、ただの悪人だ。どんな御託を並べても、悪人の言葉を誰が信じる……!」
奥歯が砕けるんじゃないかと思うほど、強く噛み締めて言う彰人に少年は薄ら笑いを浮かべていた。
「正しさで人は救われない……。ぼくらと同じ目に遭わせて何が悪いんだ!」
縛った縄をいつの間にか解いていた少年は、袖の中に隠していたクナイを彰人へと差し向ける。
【避けろっ!】
月丸の叫びを聞いていながら、彰人はそのクナイを避けようとはしなかった。
今度は実体を持ったクナイが左腕に深々と突き刺さる。
それをちらりとも見ず、彰人は少年をずっと見ていた。
「……どうして……平気で奪おうと思えるんだ」
少年のクナイを握っていた腕を掴んだ彰人が詰め寄る。
焦った様子の少年が逃げようともがいても、掴んだ腕の力を緩めることはない。
「兄ちゃんはそれを望んでいるのか……なぁ!」
「知るか……!離せっ!」
少年が叫ぶ前に腕から手を離した彰人はぼんやりとしている。
腫れ上がった頬をそのままに、陰陽師の少年が距離を取る。
「柊人さんはぼくらの味方だ!お前みたいな恵まれたやつに、ぼくの気持ちが分かってたまるか!」
【おいっ!待てっ!】
少年が虫の式神を展開する。
体を覆い尽くしたと思ったら、忽然と姿が消えていた。
*****
鼻先を空に向けて匂いを嗅いでいた月丸は、すっと顔を地面に落とす。
じろりと睨み付けた先には、いまだに呆けたままの彰人がいる。
【……いつまでそうしているつもりだ】
牙を剥かんばかりに唸った月丸をちらりと見た彰人。
のそのそと動いて左腕に刺さったままのクナイを引き抜いた。
たらたらと流れ落ちていた血は、いつの間にか固まっている。
袖から覗く傷口はすでに穴を塞いでいた。
霊力を使っての治療はすでに終わっている。
「……兄ちゃんの考えていることがわからない。俺はどうするのが正しいんだ」
顔を覆った彰人の呟きに、月丸は心底つまらないというようにため息を吐いた。
【お前の悪い癖だな。必要以上に踏み込むのを恐れて、外側から推測ばかりを重ねる】
「推測?」
【そうだとも。あの小僧が嘘をついていない保証がどこにある。状況証拠だけでわかった気になるなと言っているんだ】
月丸は金色に輝く瞳を彰人に向ける。
【今一度、思い出せ。お前は何のためにその力を使う】
「俺は……」
山から街に向かって風が吹いた。
彰人の茶色に染められた髪をさらって流れていく。
「最初は兄ちゃんに言われたから、大切なものを守れって……。俺の大切なものは、この日常だ。月丸がいて、兄ちゃんがいて、表も裏も混じりあうこの世界を、俺は守りたい」
嫌なことも、目を瞑りたくなるようなこともある。
それでもこの世界を捨てたいとは思えないのだ。
たとえ、大好きな兄と敵対しても。
「また甘いって言うか?」
【ああ、だからこそわしはお前を選んだのだがな】
「それってどういう……」
聞き返そうとした彰人の声は、響きわたった爆発音にかき消される。
「な、なんだ!?」
【街の中心部からだ。行くぞ!】
駆け出した月丸の後を彰人が追いかける。
わずか数分でたどり着いた現場は、目を疑うような光景だった。
住人たちの阿鼻叫喚が響き、もくもくと住宅からは黒煙が上がる。
その惨状の原因は、視線の先にいた。
「兄ちゃん……!」
特徴的な狩衣姿の集団。
その先頭に立つ兄の姿。
「遅かったじゃないか。お前は大きな音を立てないと気付かないんだな」
くすりと笑った兄の柊人は、右手に持った札を彰人に向ける。
「やっぱりお前が邪魔なんだ。ここで消えろ」
温度の消えた瞳で彰人を捉えた柊人に、兄弟の情は感じられなかった。
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