第5話 宣戦布告

 地震を合図に、街中で普通の人間には見えない煙が立ち上った。

 それと同時にやってきた陰陽師の集団を従えていたのは、彰人あきとの一番の理解者であった兄の柊人しゅうとだった。



 笠を外した柊人はにこやかに微笑んだ。

「地震と煙には気づいて頂けましたか?」

「兄ちゃん……?まさか……さっきのは兄ちゃんたちが?」

 微笑みを崩さない柊人は、優雅に頭を下げた。

 その先には、今にも牙を剥いて襲いかかろうとしている月丸がいる。

「月丸様。このたびは、土地神の代替わりについてお話があって参りました」

【土地神様の……代替わり、だと?】

 訝しげに見る月丸に、手を差し出す。

「僕たちがいくら願っても、何もしてくれない神など必要ないではありませんか。より民を幸せにするには、今の土地神では不十分なのです」

【……その薄汚い口を閉じろ】

 瞬間、炎が上がったのかと錯覚したほど、月丸からとてつもない熱量を感じた。

 これ以上ないくらい、毛を膨らませた月丸が唸る。

【何も知らない愚か者共が……!今ここで消し炭にしてくれようぞ!】

「ま、待て!やめろ!」

 柊人と月丸の間に割って入った彰人が、両腕を広げて訴える。

「この屋敷ごと吹き飛ばすつもりか!?」

【致し方なかろう。そこを退けっ!】

 聞く耳を持たない月丸を見て彰人は説得するのを諦めて、柊人へ向き直った。

「兄ちゃん!土地神様の代替わりなんてことが、本当にできると思っているの!?」

「できる確信がなければ、こんなことはしないさ」

 ニヤリと笑う兄の姿に、彰人は目をつぶって現実を否定した。

「嘘だ……!兄ちゃんがこんなことするわけない!!」

「……変わらないな、お前は」

「兄ちゃん……?」

 彰人を見る視線が温度を失っていく。

 冷たささえ感じる柊人の視線は、彰人を通して父親を見ているようだった。

「時代錯誤も甚だしい。姿も見せず、どれだけ願っても何もしない神を守ってなんになる!だから、僕が変えてやるんだ!」

「柊人……」

 父親の悲痛な声も、熱に浮かされたように喋る柊人には届かない。

「ああ、心配しないでほしい。新しい神は、すでに見つけてあるんだ。僕たちのことを一番に考えてくれる、優しいお方だよ」

 その声で、柊人の影が浮かび上がる。

 現れたのは、赤い着物に身を包み、草鞋わらじを履いた古風な男。

 みすぼらしいかと思えば、そんなことはない。

 体から醸し出される空気は、どこか身分の高さを感じさせる。

 男を見ていた彰人が震える声で呟いた。

「……どうして鬼が……」

 黒い短髪からのぞくのは、鋭い2本の角。

『お初にお目にかかる』

 一礼した鬼神は、ぞっとするほど美しく、恐ろしいほどに歪んでいた。


*****


 へたり込んだ彰人の横を通りすぎた鬼神は、いつの間にか現れて事の次第を伺っていた土地神に頭を垂れた。

『初めまして、古き神よ。貴公の土地は私がもっと豊かにしてみせましょう』

 うやうやしく頭を下げたかと思いきや、その口元はいやらしく笑っている。

 黙って見ていた土地神は、組んでいた腕を解いて鬼神を見やった。

『結構なことだが、貴様にこの土地が治められるとは思えない。お引き取り願おう』

『……これだから古き神は……』

 ぽつりと呟いた鬼神は、柊人の横に並び立つと声高に言い放った。

『この者が言ったように、これは宣戦布告だ。貴公らが抵抗しようと、私はこの土地を必ず手に入れる』

 くすっと笑った鬼神を見て、彰人の背中に悪寒が走る。

 考えるよりも先に体は動いていて、月丸と父親と土地神の前へありったけの霊力を込めて壁を作った。

 それが完成した瞬間、鬼神の手から放たれた力の塊は、周囲の何もかもを巻き込んで大爆発を引き起こす。

 彰人が最後に見たのは、こちらを苦しげに見つめる柊人の姿だった。



 ハッと目を覚ますと、彰人は仰向けに倒れていた。

 屋根があったはずだが、全てが吹き飛び、かろうじて床板が残っているだけ。

 この光景に似つかわしくない青空は、どこまでも澄んでいた。

「月丸……父さん……土地神様……」

 全身がズキズキと悲鳴を上げているが、構わずに体を起こす。

 ぼろぼろの体で、がれきの山を歩き出した。

 一瞬で全てが壊された。

 ほんの数秒、壁を作るのが遅れていたら今ここで生きていないだろう。

 その事実に体の震えが止まらない。

 死んでいたかもしれない攻撃を仕掛けてきたのは、大好きだった兄。

 その現実は、どうやっても否定できなかった。

「柊人兄ちゃん……どうして……!」

 彰人が膝をつきそうになった時、近くのがれきの下から白銀の毛玉が姿を現した。

【あやつは、なんというものと契約を結んだのだ】

「月丸……」

 泣いていないのが不思議なくらい、彰人は弱りきっていた。

 ぶるぶると体を振るわせてこちらに歩いてきた月丸は、ぐわっと立ち上がり彰人を押し倒した。

 ろくに抵抗しない彰人を、月丸はじっと見つめている。

【……なぜあの時、兄を討とうとしなかった】

「なに言ってんの……」

【お前がもっともそばにいたのに、どうしてわしらを守るような動きをしたのかと聞いている!あの鬼神は近づくもの全てを壊す、災厄を招く神だ。油断していたあの瞬間に、契約者を殺さねば……】

 がっと月丸の首を掴んだ彰人は、体を起こす勢いのまま蹴り飛ばした。

「柊人兄ちゃんを殺すのが、正しかったって言うのかよ!」

【……この惨状を見て同じことを言えるのか?】

 言い淀んだ彰人は、悔しさで唇を噛み締めた。

【あれは、人間の手に負えるものではない。ましてや、土地神になど成れる器でもない……】

 そこまで言って、月丸の体がふらりと傾いた。



 重力に従って倒れ込んだ月丸の元へ彰人が駆けつける。

「お前、この傷は……!」

 白銀の毛が真っ赤に染まるほどの大量の血が流れている。

 深く抉られた傷は、内蔵が見えるくらいだった。

【少し……かすっただけだ。眠ればすぐに良くなる……うっ!】

「喋るな!まずは血を止めないと……」

 辺りを見回した彰人は、がれきの中からカーテンの切れ端を見つけた。

 引っ張り出して、傷口を止血するように強く巻き付ける。

 そして、その上から手のひらを押し当てて、傷口が塞がるイメージを思い浮かべた。

【やめろ……お前では力が足りん】

「うるさいっ!黙ってろ!」

 体を起こしかけた月丸に一喝して、目の前の傷口に集中する。

 ただでさえ体がぼろぼろな状態の彰人だったが、それでも月丸の傷を治そうとした。

「くそっ……なんで塞がらないんだよ!」

 だんだんと真っ赤に染まるカーテンに、彰人の焦りは募っていく。

『下手くそだな、小僧』

 ふわりと彰人の手に重なったのは、土地神の手だった。

 その体温を感じない手のひらに、この青年が人間ではないことを改めて思い知る。

『我に合わせろ』

「っ……!」

 土地神の協力を得て、どうにか月丸の傷を塞ぐことに成功する。

 乱れていた月丸の呼吸も、ようやく落ち着いていた。

『2、3日もすれば回復するだろう。全く、我が眷族は仕方がないやつだ』

 彰人の手から離れた土地神は、ツンツンと月丸の耳をつついている。

 それに反応するようにぴくりと鼻を動かす月丸を見て、彰人は体の力を抜いた。

「よかった……」

 上下に動く月丸のお腹を見て、涙がこぼれそうになった。

 月丸までもがいなくなっていたかもしれない。

 そうなれば、二度と立ち直れなかっただろうと、彰人は他人事のように考えていた。


*****


 月丸をいじるのに飽きたのか、土地神は振り替えって彰人を見た。

『さて、我が眷族が選んだ小僧よ。貴様にいくつか話がある』

「……何ですか」

『このたびの反乱は、貴様の兄が仕掛けたこと。それは間違いないな』

「……はい」

 すっと頭を下げた彰人に、土地神の視線が刺さる。

『我を守護する役割を持つ貴様らがこの有り様だ。この不始末、どうしてくれようか』

 バキバキと音が響く。

 顔を上げると、土地神の立っている地面から樹木が恐ろしいスピードで成長し、彰人の体を締め上げた。

「ぐっ……!」

『このままくびり殺すのは簡単だ。何か言い残したことはあるか?』

 少しずつ、首に巻き付いた枝を絞めていく土地神。

 なんとか意識を保っていた彰人の前に躍り出たのは、頭から血を流している父親だった。

「お待ちください!犬飼の不始末は、当主である私の失態。罰を与えるのならば、息子ではなく私に!」

『だめだ』

「なぜですか!?」

 叫ぶ父親に眉をひそめた土地神は、今にも首を絞められそうな彰人を見上げる。

『この者は、我が眷族が選んだ契約者だ。貴様ではない。我が眷族を傷つけ、不埒者に与する兄を殺せなかった。全ての責任はこやつにある』

「ぐぁ……!」

 かろうじてあった意識も、いつなくなってもおかしくない。

 少しずつ彰人の体から力が抜けていったその時、白く発光した霊力弾が首に巻き付く枝を粉砕した。

『どういうつもりだ……!』

 ひりつくほどの圧力をかける土地神を攻撃したのは、今にも倒れそうな月丸だった。



『眷族の分際で、我に牙を向けるのか!』

 土地神の激昂に全く退かない月丸が叫ぶ。

【頭を冷やしてくだされ!こいつがいなくなろうと、あの化け物は止まらない。むしろ、こちらの戦力が減るだけではありませんか!】

『…………』

 唐突に怒りの気配を収めた土地神は、どかりとがれきに胡座をかいた。

『では、どうしろと言うのだ』

【こいつとわしに……もう一度、機会を下さりまぬか。あの鬼神を討ち果たしてみせます。もし負けたその時は……】

 咳き込んでようやっと呼吸をしていた彰人のそばに、月丸が腰を下ろす。

【主君から頂いたこの命、如何様にも】

「ちょっと待て……俺は、月丸だけ死なせるつもりなんてないぞ……!」

 青白かった顔にようやく赤みが戻ってきていた。

 彰人はろくに力が入らない腕で、土地神の胸ぐらを掴んだ。

「土地神様は、勘違いをしているらしいので言っておきますけど……俺は柊人兄さんを殺すつもりはないし、月丸だけに責任を押し付けるつもりもありません」

『……言葉の意味が分かっているのか』

 凄む土地神の迫力に負けないように、彰人は精一杯の虚勢でもって笑う。

「要は、あの化け物を倒せばいいんだろ?俺に賭けてみないか」

『貴様に……?我の全てをか?笑わせるな』

 鼻で笑った土地神は、彰人と月丸を射殺さんばかりに睨みつけた。

『一度負けた貴様らに何ができる』

「まだ負けてませんよ」

 彰人の自信溢れる言葉に、首を傾げたのは土地神だった。

「土地神様はここにいる。そして、俺たちは生きている。これのどこが負けているって言うんですか?」

 一瞬、ぽかんとした土地神は吹き出すと、大声で笑い始めた。

『アッハッハッハ!そうか、貴様は相当なひねくれ者のようだな!』

 腹を抱えて笑っていた土地神は、やっと落ち着いてくる。

『はぁ……10年分くらいは笑ったな。いいだろう、貴様らに我の命運を賭けてやる。その代わり、貴様らが賭けるのも命だ。当然だろう』

「ああ。それでいい」

【もとより覚悟はできております】

 彰人と月丸の返事に頷いた土地神の手のひらに一枚の和紙が現れた。

『我と犬飼彰人いぬかいあきと、そして月丸との契約はなされた』

 そう宣言すると、独りでに書き記された和紙を丸めて懐に仕舞い、ふわりと宙に浮かび上がった。

『せいぜい足掻くがいい』

 土地神はそう言い残して、空気に溶けるように姿を消した。


*****


 張りつめていた緊張の糸が、ぷつりと切れたのが自分でも分かっていた。

 彰人は思い出したように息を吸い込んで、吐き出した。

「なんとかなったな……」

【この……大馬鹿者がっ!】

 そばに座っていた月丸から怒鳴られる。

 しかし、彰人は月丸の腹部を見ていた。

 すでに塞がり、血も流れていないが、傷を負わせた原因は少なからず己にあると分かっていた。

「月丸……俺、兄ちゃんを……」

 ガミガミと怒っていた月丸は、呆れるようにため息を吐いた。

【言わずともよい……いつからお前を見ていると思っているのだ。まあ、わかった上で言ったがな】

 しれっと言う月丸に、彰人は掴みかかりそうになった。

【だが!今回の土地神様は短絡過ぎた。いくら主君と言えど、わしにも許せぬものはある】

「月丸……」

【勘違いしてもらっては困る!お前が35代目として動くというなら、手を貸すのがわしの役割というだけのこと】

 ふんっとそっぽを向いた月丸の頭へ、彰人はそっと手を伸ばすとゆっくり撫でた。

 月丸の不機嫌な態度とは裏腹に、元気よく左右へ揺れるしっぽに、彰人は思わず笑ってしまった。

【なにを笑っているのだ】

「何でもございません」

 努めて真顔になった彰人は、月丸のそばを離れなかった。

 月丸も彰人の隣に座ったまま、動こうとはしなかった。

「……信じてくれて、ありがとう」

【何のことかわからんな】

 彰人は照れたように笑って、月丸の白銀の毛を撫でていた。

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