第4話 過去と今

 今の時代よりも表の人間の世界と、裏のヒトならざるものたちの世界が複雑に混じりあっていた頃のこと。

 一人の人間が、後の世に彰人たちが暮らす土地へやってきた。

 修行のため、山籠りを始めた人間に土地神は興味を持った。

 土地神が治めるこの地は、お世辞にも住みよいとは言えなかった。

 やせこけた作物の育たぬ大地。

 住まう人間や動物たちは、いつも飢えに苦しんでいた。

 それは己の力不足だと、土地神は常々思っていた。

 だからだろう。

 祈りの文言を唱え始めたその人間が、無性に憎らしく思えて、邪魔をしてやりたくなったのだ。


『おいっ!そんな何の力もない場所で、祈って何になる?』

 人間は目を閉じたままであったが、凛とした声で答えた。

「私は旅をしながら、人の世を救わんと祈りを捧げております。この地には、力を求めて来たわけではありません」

 自分の治める土地が貶されたと思った土地神は、人間を殺してやろうと思った。

 しかし、人間はすっと目を開け、土地神を見つめて優しく微笑んだ。

「こうして土地と一体になれば、よく分かります。あなたは、この地を良きものにしようと励んでいらっしゃる。私でよければ、ぜひお手伝いをさせて頂きたい」

 土地神の努力を認めてくれるものなど、今の今まで誰もいなかった。

 毒気の抜かれた土地神は、人間を殺さずに働かせてみることにする。

 その際に監視として、人間の影に眷族の狼を同化させた。

 人間は影から現れた眷族に驚いていたが、すぐに手懐けるとさっそく動き出した。

 土地の開墾に始まり、治水事業や山の木々の手入れに至るまで。

 豊富な知識を持った人間は、土地に住まう者たちと協力して朝も夜も、寝る間も惜しんで働いた。



「いかがでしょう。あなたの土地は、本当に素晴らしい場所ですよ」

 人間がこの土地に来て、10年が経った。

 やせた大地には草木が芽吹き、川の水は清らかに流れる。

 何より、土地に暮らす人間たちが笑うようになった。

 土地神は、それが何ものにも代え難いほど嬉しく、人間に恩返しがしたいと思った。

『おぬしには世話になった。何か願いがあるなら申してみよ』

「願い……ですか」

 腕を組んで考え込んだ人間は、ゆっくりと顔を上げた。

「でしたら……私の家族が、安心して暮らせる土地が欲しいです」

『そんなことでいいのか?』

 何を願われても叶えてやるつもりだった土地神は、目を丸くして驚いた。

 首を縦に振った人間は、影の中から助手となった眷族を呼び出す。

「あなたには、私の友になって頂いた。妻や子どもたちに恵まれたのも、あなたのおかげ。私の子孫たちも、あなたの土地を守り支える力になりましょう」

 まるで遺言のような言い草に、土地神は人間を叱りつけた。

 笑って冗談ですよと言った人間が亡くなったのは、それから一月後のことだった。



 人間の息子は、父親と同じく神や妖怪を見る目を持っていた。

 そればかりか、影に同化していた眷族は息子へと引き継がれていたのだ。

「土地神様!父は私どもに言いました。土地神様をお守りし、この土地を守れと」

 こうべを垂れる息子と、そばに伏せている眷族に目を向ける。

『お前たちはそれでよいのか』

「父から土地神様のことをよく聞かされました。友であり、恩人であると。稀有な力を持つ自分を追い出さず、話を聞いてくれたと。私たちが穏やかに暮らせるのは、土地神様の力があってこそ!お守りするのは当然のことです」

 人間をずっとそばで見続けていた眷族も顔を上げる。

【主君。どうか、わたしがこの者たちと共にいることを許してください。あやつの、最期の願いなのです】

 白銀の毛をまとった眷族は、懇願するように頭を下げた。

『……好きにするがいい』

 土地神は言い捨てて立ち上がると、社の戸を開けた。

 人間たちが建てた社からは、共に育んだ大地が一望できる。

 土地神は、黄泉路へ下った人間のことを考えていた。

『おぬしでさえも、我を置いていくのだな』

 初めて認めてくれた人間。

 友になった人間。

 これから先、そんなものと出会うことはないのだろう。

『そうか……この気持ちが寂しいと言うのか』

 ゆっくりと戸を閉める。もう、あの人間との時間が増えることはない。

 一筋、涙を流した土地神はそれ以降、人前ひとまえに出ることは決してなかった。


*****


 時は流れて500年。

 立派な門構えの屋敷の前で、彰人は眉間にしわを寄せていた。

 表札には、流麗な筆記で『犬飼』と書かれている。

「なあ……行かないとだめかな」

 ずるりと影から現れたのは、彰人の影に居座っている月丸だ。

【わしらだけではどうにもならなくなったからと、助力を願いに来たのだろう?さっさと行けっ!】

 背後に回った月丸に蹴飛ばされて、彰人はたたらを踏みながら屋敷へ足を踏み入れた。

 水神と山神の騒動以降、少しずつだが確実に同じような案件の依頼が増えている。

 いざこざが多くなり、目に見えて良くない空気が流れていることを感じていた。

 1人と1匹ではどうにも手が回らなくなってきたので、彰人の実家である犬飼家に協力を求めにやってきたのだった。



 この屋敷で一番目立つのは、樹齢500年を超える松の巨木だ。

 なんでも、土地神の涙から生えてきたという伝説が残る木である。

【土地神様にも挨拶するんだぞ】

「わかってるよ!」

 口うるさい月丸に反論してから、彰人は松の木のそばにある小さな社に向かう。

 ここは、土地神を祀る神社の分社として置かれていた。

「今日もこの街を守ってくださって、ありがとうございます」

 社に向かって一礼し、平屋造りの日本家屋へ歩いていった。

 実家であるにも関わらず、どこかよそよそしく感じるのは気のせいではないだろう。

 庭を望む廊下を歩いていると、目の前に2つの影が立ち塞がった。

「久しぶりだな、彰人」

「後継者って暇なのね。知らなかったわ」

 立ち塞がったのは、すらりと背の高い男と、派手な茶髪の女。

 目鼻立ちが彰人とよく似ている。

 それもそのはず。

 2人は彰人の兄と姉だった。

紅人べにと兄さん……葉子ようこ姉さん……。そんなんじゃありませんよ」

 目を伏せてそう言うと、彰人は足早に2人から離れようとした。

 それを止めたのは兄だった。

「つれないな。実家を勝手に出て行った弟が心配で、話しているだけじゃないか」

「……そんなつもりないくせに」

「何か言ったか?」

 彰人の胸ぐらを掴んでみせる兄の後ろから、姉が怒りを滲ませて言う。

「生意気なのよ、あんたは。土地神様の眷族に選ばれたからって、調子に乗るな!眷族の霊獣がいなければ、あんたなんて……」

「痛いっ!やめっ……!」

 突然、兄が悲鳴を上げて彰人から離れる。

 彰人の胸ぐらを掴んでいた腕には、手形がくっきりと浮かんでいた。

「これでもだいぶ抑えたんだけど。これっぽっちの力で参るなんて、鍛え方が足りないね」

「何をっ!」

 拳を握り込んだ兄を正面から見据える彰人。

 殴りかかる拳をいとも簡単に受け止めると、カウンターで腹に一発入れる。

 軽く2メートルは吹っ飛んだ兄は、何が起こったのか理解できていなかった。

「まだやりますか?」

 彰人が犬歯を見せるように笑うと、兄は殴られた腹を押さえてよろよろと立ち上がる。

「くそっ……!覚えてろよ!」

「葉子姉さんはいつまでそこにいるんです?」

 びくりと体を竦ませた姉は、何も言わずに廊下の向こうへ逃げていった。



 静かになった廊下に、彰人の大きなため息が響く。

「……なんで懲りないかな」

【わしの前で、あのようなことが言える連中だ。程度が知れている】

 一部始終を見ていた月丸が影から現れた。

 兄と姉が言っていた眷族とは、月丸のことである。

【あれらがお前と兄姉とは信じられんな】

「俺もびっくりだって」

 彰人の実家である犬飼家は、土地神と協力して、この土地を豊かに変えた人間の子孫であった。

 初代の遺言で、土地神に仕えることとなり、仕える人間を選ぶのは眷族である月丸。

 彰人で数えて35代目。

 初代から500年以上、受け継がれてきた役割だった。

陰陽師おんみょうじ共がこの街を狙うのならば、土地神様を狙うも同義。野放しにはできん】

「そう言うけどさ。陰陽師が敵だってはっきりしてないし、実家に頼らなくても……」

【土地神様を害されてからでは遅いのだ!】

 月丸の大声に、彰人はさっと耳を塞ぐ。

 土地神のことになると、月丸は目の色が変わるのだ。

「騒がしいですな」

 凛と、一本筋の通った声が廊下に響く。

 思わず振り返ると、柔和な表情の中に険しさを滲ませる父親の姿があった。

「彰人。帰ったら挨拶くらいしなさい」

「ごめんなさい」

 素直に頭を下げた彰人は、そっと父親を盗み見る。

 いつでも隙のない着物姿で、厳格という言葉を体現する男。

夏弘なつひろではないか。息災だったか?】

「月丸様もお変わりない様子。愚息の影の居心地はいかがです」

 笑いあう父親と月丸は、彰人の先代にあたる。

 彰人が35代目になったため、父親は犬飼家の当主になった。

【すまぬが、少し相談したいことがある。時間はあるか】

「いくらでも」

 連れだって歩いていく父親と月丸を見ていた彰人は、ぶすっとふて腐れていた。

 自分の相手をしている時よりも穏やかな月丸と、それに見合う力を持つ父親。

 どうしても、己と比べてしまう。

「彰人!お前も来なさい」

「……今行きます!」

 考えてもどうしようもないとわかっていても、折り合いを付けるのは難しかった。


*****


 応接間で、彰人は父親とテーブル越しに向かい合う。

 なんとも気まずい空気が流れていた。

「そうですか……山神様が何者かに操られていたと。月丸様はそれが陰陽師の仕業ではないかと思われるのですね?」

【わしらを尾行していたものは、人型の紙人形を使って逃げた。あんなものを使うやつらは、陰陽師か祓い屋くらいだろう】

 月丸の言葉に父親が頷く。

「私の息子が陰陽寮おんみょうりょうに勤めております。内部を探らせましょう」

【頼む】

 陰陽寮とは、陰陽師たちを束ねる組織の名称。

 日本全国に支部を持っている。

 当事者である彰人を差し置いて話は進んでいく。

 それが彰人には面白くなかった。

「……柊人しゅうと兄さんに頼まなくてもいいじゃん」

 頬杖をついたまま、よそを向いて呟く。

 土地神に代々仕えてきた犬飼家は、月丸がいることと裏の世界を知覚できる力を持つことから、それらの専門家である陰陽師に目を付けられてきた。

 何代か前には派手に争っていたらしいが、今は犬飼家の人間を陰陽師とすることで、相互不干渉の制約を結んでいたはずだ。

 次男である柊人は、三男の彰人と同じように裏の世界を知覚できる力を持っていた。

 

そのことから、人質に近い扱いで陰陽師となっていた。

「柊人兄さんだって忙しいだろうし、こんなことで迷惑をかけたく……」

【馬鹿者っ!!】

 月丸からビリビリと怒りの感情が迸る。毛を逆立てて、彰人を睨み付けていた。

【土地神様のことを、こんなことと言ったか。お前はそれでも犬飼家の人間かっ!】

「……っ!こんな家だから、兄さんは出て行かなきゃいけなかったんじゃないか。今までに一度だって土地神様を見たことがないのに、どう敬えって言うんだよ!」

【貴様……!】

 今にも牙を剥かんとしている月丸を止めたのは父親だった。

「落ち着いてくだされ。彰人……お前は少し頭を冷やしてきなさい」

「……月丸のバカ野郎」

 ぼそっと呟いて彰人は応接間を出ていく。

 背中に月丸の視線が痛いほど突き刺さるが、無視して廊下を歩いていった。



 行く宛もなく廊下を歩いていると、彰人の中にいろんな感情が吹き出しては消えていく。

 幼い頃から月丸が影にいること、神や妖怪が見えることが当たり前だった彰人には、普通の感覚を覚えるのも一苦労だった。

「柊人兄ちゃんはずっといてくれるよね!」

 何かにつけ、いじめてくる上の兄と姉から彰人を守ってくれたのは、次男の柊人だった。

 そんな兄がいたから、大嫌いな家でも暮らすことができた。

 その日々が崩れ去ったのは、彰人が幼稚園を卒園する頃であった。

 柊人が陰陽師となるため、家を離れることになったのだ。

 彰人が6歳、柊人が12歳のことだった。

「置いていかないで……」

 泣いてすがりつく彰人の頭を撫でた大好きな兄は、優しく微笑んでいる。

 撫でる兄の右手には、木から落ちそうになった彰人を助けた時についた大きな傷跡がある。

 それすらも、彰人にとってはヒーローの証であった。

「彰人は僕よりも強い。月丸様もお前を選んだ……彰人ならどんなやつにも負けないさ。だから、大切なものを守るためにその力を使ってほしい。お前にできないことはないからね」

「兄ちゃんの方が強いよ……!」

 苦笑した兄は、するりと頭から手を離す。

「簡単に会えなくなるけど、僕はいつだって彰人の味方だ。元気でな」

「兄ちゃん……」

 大きな荷物を持って家を出ていった兄の姿は、高校生になった今でも思い出せる。

 その後、柊人がいなくなったことで、以前にも増していじめてくる上の兄と姉から耐えること10年。

 高校に入学するタイミングで、彰人も家を出た。

 土地神様に仕える人間に選ばれようが、裏の世界を知覚できる力を持っていようが、彰人の心の根底にあるのは兄に言われた言葉だった。

 何でも屋を始めるきっかけにもなった。

 全ては、憧れの兄に一歩でも近づくため。

 彰人は愚直に努力を続けてきた。



 ふらふらと歩いていたら、知らないうちに庭へ出ていた。

 目の前には、見上げるほどに立派な松の大木。

 土地神を象徴するこの木を、彰人は睨み上げた。

「引きこもりの神様なんて……大嫌いだ!」

『……我には姿を見せる理由がないからな』

 びくりと体を竦ませた彰人はきょろきょろと周囲を見る。

 誰かの声が耳に木霊していた。

『我を嫌いだと言ったやつは、お前で2人目だ』

「だ、誰だ!」

 ぐっと拳を構えると、突風が吹き去る。

 閉じていた目を開ければ、深緑色の着流しを纏った髪の長い青年が立っていた。

 山神がそうであったように、自らが光り輝いているような神々しさがある。

「な、なんで……」

『まずは挨拶からだろう、小僧。いや?35代目と言った方がいいか』

 距離を取った彰人は、動いていないのに肩で息をしている。

 青年が喋るだけで、見えない力で殴られているような衝撃を受けていた。

「まさか、土地神様……?姿を見せるなんて……」

『我がどうしようと、我の勝手だろう?』

 小首を傾げてみせる土地神に、彰人はぎりっと奥歯を噛み締めた。

「今さら何の用が……。自分の土地が危ないからと、助けでも求めに来たんですか!?」

『少し違うな』

 首を横に振った土地神が口を開こうとした途端、地面が揺れる。

 ぐらぐらと揺さぶられる感覚に、立っていられず膝をついた。

『おっ……あちらの方が早かったか』

「あちら……?」

 今だ揺れ続ける地面は収まる気配がない。

 彰人は無理矢理立ち上がると、松の枝を足場にして飛び上がった。

 犬飼の屋敷は、この街を見下ろす高台に建っていた。

 元は土地神の社があった場所らしい。

 屋敷の中で一番背が高い松の木からは、街を一望できる。

 そうすると、すぐに異変に気がついた。

「街中に煙が……!」

 火事が起こっているようには見えないのに、灰色の煙で覆われていた。

 わずかに見えるのは、3階以上の建物の屋上だけ。

『ただの煙じゃないぞ。裏の連中が使うやつだから、人間には見えん』

 いつの間にか隣に立っていた土地神の言葉で、もう一度街を見る。

 住人たちは突然の地震に驚いているようだったが、そこら中で立ち上る煙には気付いていない。

「土地神様はあれが何か、知っているんですね?」

『知ってはいる。だが、教えてやる義理はない』

 掴みかかろうとした彰人を翻弄するように、姿が見え隠れする。

 ひらりとかわす土地神を追いかけているうちに、家の中へ入っていった。



 風になって消えた土地神と入れ替わるように、父と月丸が現れる。

「彰人!無事か!?」

「父さんっ!今ここに土地神が……!いや、それよりも街が!」

 慌てて説明しようとしたところで、玄関の方が騒がしいのに気が付いた。

【行くぞっ!】

 先頭に立って走り出した月丸の後を追う。

 数秒でたどり着いた玄関には、同じ装束に身を包んだ人間たちがひしめき合っていた。

 狩衣かりぎぬ姿で、目深に被った菅笠。

 そいつらを見た途端、月丸が喉の奥から唸り声を上げる。

【貴様ら!ここへ何をしに来た!】

「宣戦布告ですよ」

 集団の中から一歩前に出た人間に、彰人は目を奪われた。

 懐かしい声に、変わるはずがない右手の傷跡。

「柊人……兄ちゃん……」

「元気だったか?彰人」

 陰陽師となるために家を出た兄、柊人がそこに立っていた。

 


 



 

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