第2話 猫又の後悔

 放課後、彰人あきとは依頼主との待ち合わせのため、駅前のカフェに来ていた。

 同じ制服に身を包んだ男女が、ガラスの向こうを歩いていく。

 それをぼんやりと眺めていると、見知らぬ女性が声をかけてきた。

「あんたが何でも屋?」

「そうですけど……失礼ですが、あなたは?」

 肩まで伸びた黒髪に、仕事の途中で抜け出してきたというような綺麗めの格好。

 少し吊り上がった眉からは、威圧感を感じていた。

 さっと席に座った女性は店員にコーヒーを頼むと、真剣な表情で彰人に向き直る。

「あたしは、この格好だとキョウコと名乗っている。かれこれ120年は生きている猫又さ。よろしく」

 猫又のキョウコと名乗った女性を彰人はじっと観察した。

 どこからどう見ても普通の人間にしか見えない。

 しかし、彰人の目には人ではない姿が映っていた。

「さっそく本題に入ってもいいかい?」

「あっ、はい。どうぞ」

 我に返った彰人は背筋をぴんと伸ばす。

「あんたにお願いしたいのは……ある女の子を探してほしいんだ」

「人探し、ですか」

 伺うようにキョウコの目を見た彰人に、彼女は力強く頷く。

「あたしの命の恩人なんだ。その子に一言お礼が言いたくて、あたしらみたいなやつの依頼を受ける、あんたのことを教えてもらったんだ。あたしの依頼、引き受けてくれるかい?」

「…………」

 顎に手を当てて考え込んでいる彰人に、キョウコはそわそわと視線を動かしていた。

「いくつか、質問していいですか?」

「ああ、何でも聞いてくれ!」

 勢い込んで前のめりになるキョウコを落ち着かせて、彰人はすっと指を立てた。

「一つ目。その女の子と会ったのはいつ頃ですか?」

「つい最近のことさ。10年くらい前かな」

 リュックからメモ帳を取り出した彰人は、さらさらと書き込んでいく。

「二つ目です。どこで会いましたか?」

「それはばっちり覚えてるよ!あの駅の高架の下だった。怪我をして動けなかったあたしを、あの子は助けてくれたんだ」

「では、三つ目。女の子の特徴を覚えていませんか?匂いとか、声とか……」

「匂いね~。そう言えば……大豆の香りがしたような……」

 キョウコの言葉に、彰人は顔を上げた。

「大豆?本当ですか?」

「あぁ、間違いない。あの香ばしい香りは、炒った大豆のものだ」

 彰人はメモを書き終えると、メモ帳をぱたりと閉じる。

「分かりました、探してみます。ただし……期待はあまりしないでください。ヒトならざるものの10年と、人間の10年では流れる時間の密度が違い過ぎる。忘れられている可能性だってあります」

「もちろん分かってる。これがあたしの連絡先、何か分かったら電話して!」

 紙の切れ端を渡したキョウコは慌ただしく席を立つ。

 彰人の伝票もまとめて掴むと、足早にカフェを出ていった。

 その後ろ姿を見ていた彰人は、人知れずため息を吐く。

【なかなかに、面倒そうな依頼じゃないか】

「分かってるから。とどめを刺さないでくれ」

 机の下、足元の影から顔だけを覗かせた月丸がケタケタと笑っている。

「まあ、受けた依頼はこなすまで。協力してもらうぞ、月丸」

【探すのは得意だぞ】

 彰人はスマートフォンで街の地図を検索しながらカフェを出ると、駅前の大通りへと歩いていった。


*****


 数少ない情報の中で一番使えそうなのは、大豆の香りという証言だろう。

 それだけでかなり絞り込むことができる。

「服に香りが染み付くほどだから、大豆を使う職業。もしくは家族がそうだと考えられる。この街で炒った大豆を使いそうな店は、スーパーを除いて5店舗あった。……で、ここが最後の場所」

 画面から顔を上げた彰人の目の前には『菓子司 林香堂』と流麗な文字で書かれたのれんがあった。

【和菓子に使うきなこか。確かに、大豆の香りがするな】

 影の中から、月丸が声だけを彰人に伝えてくる。

「調べてみれば、このお店は15年前から自家製のきなこを使っているらしい。キョウコさんの話ともつじつまが合うだろ?」

 ポケットにスマートフォンをしまって、のれんをくぐる。

 店内は初めて来たのに、どこかほっとするような雰囲気だった。

「いらっしゃいませ……あれ?犬飼君?」

 店番をしていた少女が、彰人を見て目を丸くする。

「林さん?そういえば……家が和菓子屋だって聞いたことがあったような……」

「覚えててくれたんだ!鈴音すずねでいいよ。なに?和菓子を買いに来たの?」

 紺色のエプロンを私服の上に着て、頭には三角巾をきゅっと巻いている。

 彰人の中学時代からの同級生である、はつらつとした少女は不思議そうに首を傾げた。

「少し調べものをしていて……。自家製きなこについて知りたいと思ったら、このお店が作っていると聞いたんだ」

「へぇー、きなこに興味があるんだ。……あっ!ちょっと待っててね!」

 店の裏に引っ込んだ鈴音は少しして戻ってくる。

 そして、鈴音にそっくりな女性を連れてきた。

「うちの母です。お母さん、彼は隣のクラスの犬飼彰人いぬかいあきと君。自家製きなこについて調べてるんだって」

「珍しいね。何が聞きたいのかな?」

 そこからは事前に予習していたきなこについての知識を混ぜつつ、当たり障りのない会話をする。

 そうして、林親子と打ち解けたところで本題を切り出した。

「そういえば、鈴音さんはよく猫柄の物を持っていますよね?猫、好きなんですか」

「あっ……まあね」

 鈴音が歯切れ悪く答えると、隣に立っていた母親の顔を盗み見た。

「ほら、うちってこういう店でしょ?動物は飼えないことはないけど、許してくれなくて……」

「当たり前だ。何度も言っただろう」

 母親の言葉に首をすくめた鈴音は、どこか不服そうだった。

「ほら、仕事をするよ。あなたもそろそろ帰りなさいね」

「すみません、長居をしてしまったようで。勉強になりました」

 ぺこりと頭を下げて彰人は店を出る。

 外は夕暮れと夜の境の時間で、何もかもが淡い色をしていた。

「あの子……もしかして……」

【どうかしたか?】

 月丸が疑問を投げ掛けてくるが、彰人にも違和感の正体はわかっていなかった。

「たぶん、気のせいだと思う。でも、次からどうしよっかな~」

 有力な情報が使えなくなってしまい、振り出しに戻ってしまう。

 とにかく家へ帰ろうと、暗くなり始めた歩道をとぼとぼと歩き出した。



 翌日、昼休みに鈴音が彰人の教室を訪ねてきた。

「急にごめんね。昨日、言い忘れたことがあって……」

「言い忘れたこと?」

 他人に聞かれるとまずいかと思い、教室から離れる。

 彰人と鈴音は、人が滅多に通らない校舎の隅っこの階段で喋っていた。

「うん……。実は私……家族に内緒で猫を世話していたことがあるんだ。犬飼君に言われて思い出したの。6歳ぐらいだったかな、駅の高架の下にいたのを見捨てられなくて、神社に隠してお世話してた」

「どんな猫だったの?」

「えっとね……白と茶色の猫で、しっぽの先だけ茶色になっていたの。拾ったときにはもう大きくてね。5日くらいはお世話をしていたんだけど、ある日突然いなくなっちゃったんだ」

 なんで忘れてたんだろう、と鈴音は首を傾げている。

 その隣で彰人は、キョウコの探し人が鈴音ではないかと思い始めていた。

「ねぇ……もし、そのときの猫がお礼を言いたいって訪ねてきたら、どうする」

「えっ?」

 ぽかんとしたまま固まった鈴音は、次の瞬間には吹き出して笑っていた。

「あはははっ!そんなことあるわけないよ!でも、もう一回くらいなら会ってみたいな。なんてね!」

 そこで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

「私の話に付き合ってくれてありがと!じゃあね!」

 ぱたぱたと廊下を駆けていく鈴音を見送る。

 人の気配のなくなった階段で、彰人は月丸を呼び出した。

「キョウコさんを見張っていてくれないか」

【構わんが……あれが悪さをするとでも?】

 ふるふると体をゆすった月丸が、じとりと見上げてくる。

「純粋な感謝ならいいんだ。でも、それが違う方向に行っていたら、それこそお前の言うように……面倒なことになる」

【杞憂だと思うがな。見張りの件、引き受けた】

 月丸が戻った彰人の影が分裂すると、分かれた方が窓の外へと消えていった。

「……なんだろうな、この感じ。何かを見落としているような……」

 誰に聞かせるでもなくそう呟いて、彰人は窓の外をじっと見ていた。


*****


 キョウコに鈴音のことを伝えたのとほぼ同時に、彰人は月丸の分身を見張りにつけた。

 もしも、キョウコの好意が暴走したときに止めるためだ。

「鈴音さんがいなくなった!?」

「そうなの……!君は何か知らない!?何でもいいの!」

 切羽詰まった様子の鈴音の母親に彰人が呼び掛けられたのは、駅前でのことだった。

 話を聞くと、ここ3日ほど連絡がつかないらしい。

「心当たりは……」

「全部探してみたつもりよ。でも、どこにもいなくて。警察に相談しようと思っていたところだったの……」

 胸の中がざわざわとして、嫌な予感が彰人の脳裏をよぎる。

「俺の方でも探してみます。見つけたらお店に連絡しますね!」

 走り出した彰人は、路地裏に飛び込むと影の中から月丸を呼び出した。

「分身はどうなってる!」

【健在だ。あやつのそばにおる……ん?この匂いは……】

 いつもより一回り小さくなった月丸は、鼻にしわを寄せて唸った。

【お前の読みが当たったらしい。あやつのそばに、あの娘の匂いがある】

「……案内してくれ。急ぐぞ!」

 すっと目を細めた彰人は、最短距離を走る月丸の隣を一緒に駆け出した。



 鈴音とキョウコは、街の中心部から外れた山奥にいるようだった。

 どうしてそんなところに鈴音がいるのか、キョウコはなぜそばにいるのか。

 疑問は尽きないが、彰人は道無き道を進む月丸の後をひたすら走った。

【近いぞ!】

「無事でいてくれ……!」

 山道を飛ぶように走りながら、真っ直ぐに進む。

 すると、強烈な血の匂いが漂ってきた。

「なんだよ……あれ」

 周囲の林を真っ赤に染めるのは、あちらこちらに散らばった化け物だったものの血液なのだろうか。

 そして、その中心にいる血濡れの毛玉は、興奮したように毛を逆立ててこちらを睨み付けている。

【あやつ……あれだけの鬼を!危険だ!】

「ちょっと待て!あれってまさか……」

 彰人は睨み付けてくる巨大な化け猫の胸元に、誰かがいるのを見つけてしまった。

「鈴音さん!?ということは……あなたはキョウコさんですね」

 体は自動車よりも巨大で、人間など一飲みにできそうな大きな口。

 二股に分かれた、しっぽの先だけが茶色になっている化け猫。

 彰人は化け猫になったキョウコを刺激しないように、1歩ずつ近づいていった。

 進むごとに殺気が肌へ突き刺さる。

 それでも彰人は平気な顔で、落ち着かせるように声をかけ続けた。

「安心してください。あなたから彼女を取り上げることはしません」

『シャアァァ!!』

 手のひらよりも大きな牙を覗かせて威嚇する化け猫の前へ進み出る。

 ぎゅうと抱きしめる前足の間には、ぐったりとした制服姿の鈴音を確認できた。

「あなたは……鈴音さんを守るために、俺に依頼したんですね。彼女が、自分と関わって変わったことを知ったから」

『…………』

 ふいっと視線を反らした化け猫は、ゆっくりと体を起こした。

 壊れ物を扱うように、前足に抱えていた鈴音の体を地面に横たえる。

「鈴音さんっ!」

 駆け寄った彰人は、すぐに鈴音の呼吸と脈を確認する。

 弱いながらもしっかりと生きていることがわかり、ほっと息を吐いた。

「何があったのか、教えて頂けますか」

 血濡れの化け猫は、前足を揃えて座ると意を決して口を開いた。



『この子は……あたしと関わってから、人じゃないやつらと時々波長が合うようになってしまった。本人は気付いていなくても、あたしらみたいなのは敏感だからね。生意気な鬼共が連れ去ろうとしていたから、八つ裂きにしてやったのさ』

【お前が変えたと、なぜわかる。この娘の素質ではないのか?】

 分裂していた影を吸収して、元の大きさに戻った月丸が問いかける。

『それもあったんだろうさ。でも、あたしと関わっちまったことで、扉が開かれてしまった。あたしが開いてしまったんだ。だから!この子を守れるように修行して、この街に戻ってきたんだ!』

 すくっと立ち上がったキョウコは、何も言わない彰人へ顔を近づけた。

『あんたのことは、昔の仲間に聞けばすぐわかった。あたしらの世界と、人間たちの世界の狭間に生きる一族。この子のことも、きっと守ってくれていると思っていた……それなのに!』

「頼りの一族は彼女のことをこれっぽっちも知らなかった……ですか」

 言葉の後を引き継いだ彰人に、キョウコはかっと目を見開くと鋭い爪を首へ向けてきた。

 一つ一つが鎌のように鋭利で、触れただけで斬れてしまいそうだ。

『この子はずっと苦しんでいた!誰にも悩みを言えず、気のせいだと誤魔化す日々……見ていられなかった。誰も守らないなら、あたしが守ろうと思った。でも、その前にあんたで遊んでやろうと思ったのさ』

 ニヤリと口角を上げると、キョウコは爪の先を首へと近づけていく。

 彰人はほんの数センチで触れると分かっているのに、身動き一つしなかった。

『……少しは慌てたらどうだい』

「本気じゃないと分かっているのに、慌てる必要はないでしょう。あなたは俺を傷つけない。いや……傷つけられない。違いますか?」

 鋭い爪に自ら近づくように、彰人は前へ出る。

 それにぎょっとして手を引いたのは、キョウコの方だった。

『あんた……自分で何を言っているのか、わかっているのかい』

「さっきも言いましたが、俺はあなたから鈴音さんを取り上げる気はない。ですが、このままにもしておけない。だから……取引をしませんか?」

『取引……?』

 戸惑いを隠さずにいるキョウコに、彰人は手を差し出した。

「あなたを、鈴音さんの影と同化させる。俺の家に伝わる秘術です。一度同化してしまうと、影の主が死ぬまで離れられません。だけど、彼女を守りたいというキョウコさんの希望には添えると思います。……というか、初めからこれが目的だったのでしょう?」

『……何のことか分からないね』

 とぼけてみせるキョウコに、彰人は笑みを向ける。

「彼女のことを知っていたあなたなら、わざわざ探すように依頼しなくていいはずだ。そんな状況でも俺に頼ってきたのは、彼女のより近くにいられるようにするため。俺の家の秘術は、あなたの理想そのものだ」

『…………』

 無言が何よりの肯定だ。

 黙り込んだキョウコは、じっと彰人を見ていた。

「彼女の変化に気付かなかったのは、俺の家の落ち度でもある。今回は全面的にキョウコさんの思惑に協力しましょう。ただし」

 そこで言葉を切った彰人から、ちりちりと殺気が溢れ出す。

「鈴音さんを少しでも傷つけるようなことをすれば、俺があなたを殺す。あなたに許されるのはそばで見守ることだけ。これはお願いじゃない、命令です」

『わかった……やってくれ』

 頭を差し出したキョウコの額に触れる。

 反対側の手で鈴音の影に触れると、キョウコの体が影へと吸い込まれていった。

「家には黙っておきます。鈴音さんのこと、お願いしますね」

 月丸と同じように影から現れたキョウコは、深々と頭を下げた。

 にっこり笑った彰人は、未だ目を覚まさない鈴音をだき抱える。

「じゃあ、戻りましょう。鈴音さんのお母さんが心配していましたから」

 さくさくと小枝を踏みしめ、彰人たちは山を後にした。


*****


 鈴音を近くの神社で見つけたと彰人が連絡してからは、母親や和菓子屋の近所の住人から質問攻めに遭って大変だった。

 家出をしたと思われていた鈴音は、鬼に襲われたことや化け猫のことを何も覚えていなかった。

 どうやらキョウコは、人の記憶に干渉できるらしく、都合の悪い記憶をなかったことにしたようだ。

「これで、キョウコさんの依頼は終わりかな。何だかはめられた気がしてならないけど……」

【気がするではなく、その通りだ!全く……いいように使われおって】

 隣には、いつの間にか出てきていた月丸がいる。

「こういう使われ方は嫌いじゃないからいいけど……。まさか、キョウコさんがあんな大物とはね」

 鈴音を守る。

 そのためだけに、記憶の改竄をしてみせた。

 彰人や月丸には効果はなかったが、並みの化け物程度なら相手にならないだろう。

 もし、鈴音を害するやつらが現れてもキョウコが全力で守るはずだ。

 それだけ、守るという意志は固かった。

【伊達に120年を生きてはおらぬ、ということか】

「もっと大事おおごとになることも覚悟してたからさ。これで落ち着けてよかったよ」

 ふうと息を吐いた彰人は、腰の高さほどにある月丸の頭を撫でた。

「ひとまずは様子を見ながらって感じだな。キョウコさんに悪意はないと思うけど、どうなるかわからないし……」

【本当にお人好しだな、お前は】

 月丸は呆れたような目を向けてくる。その視線を受けて、彰人は微笑んだ。

「兄ちゃんとの約束だからね」

【変わらないな……いや、変えられないのか】

 その言葉に、彰人はぎゅっと拳を握りしめた。

 空には朧月。明かりが漏れる家々からは、幸せな家庭の匂いが漂ってくる。

 こうして、猫又のキョウコからの依頼は幕を下ろしたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る