人間と霊獣が相棒になって、何でも屋を頑張る話
葡萄の実
第1話 歩道橋の人魂
太陽はとっくに沈んでしまい、今は街灯と家々の明かりが照らすだけだった。
そんな住宅街を駆ける少年と狼がいる。
茶色に染めた短髪を揺らす、制服姿の少年の名は
その隣を走っている白銀の毛をなびかせた狼は
「早いな!この野郎!」
【喋っていないで足を動かせ!】
バタバタと駆けていく彼らが追いかけているのは、目の前をふわふわと漂う青白い炎だった。
【我らをおちょくっているようだな】
「くっそっ!」
右に左にふらふらと動いたかと思えば、わざと捕まるかのように止まってみせる。
「月丸!俺がこのまま追いかけるから先回りしてくれ!」
【任せておけ】
丁字路で別れた彰人と月丸。
彰人はそのまま人魂を追いかける。
路地を曲がって、ひたすらに後を追っていると人魂の真上に影が現れた。
【わしらから逃げられると思うなよ!】
飛びかかった月丸は、そのまま大きな口を開けて人魂に食らいついた。
がぶりと口に挟まれた人魂は、びちびちともがいている。
ようやく追い付いた彰人は息を整えながら、その人魂へと近づいていった。
「どうして、人間に怪我をさせるようなことをしたんだ?」
「…………」
話しかけても返事はない。
眉をぴくりと動かした彰人は、月丸に向かって言った。
「食べちゃっていいよ」
【お前が食わせるとは珍しいな】
それを聞いた人魂は慌てふためくと、ヒト型へ姿を変える。
「ま、待って!僕は何も悪いことはしてないよ?お姉さんたちを守っていたんだ」
人魂は小学生くらいの男の子の格好をしていて、彰人へ必死な様子で弁明していた。
「悪いこと?君が驚かせた人間は、歩道橋の階段から足をすべらせて怪我をしたんだ。驚かせるのは本能かもしれないけど、傷を負わせるのは許容できない」
「そんな!あのおじさんが勝手に階段を落ちていったのに……」
人魂の男の子が言うように、今回の事件は夜の歩道橋で人魂に驚いたサラリーマンが起こした転倒事故。
だが、その原因が問題なのだ。
「人間に危害を加えない……君たちのルールのはずだ。万が一、問題があると判断されれば祓われても仕方ないことは君も知っていただろう?」
「それは……」
言い淀む人魂の男の子はしょんぼりと肩を落としている。
腰に手を当ててため息を吐いた彰人は、ポケットから一枚の券を取り出した。
「君はこれ以上、この世に留まり続けるのはよくない。あの世行きの汽車の乗車券をあげるから、ちゃんと成仏するんだぞ」
「……わかったよ」
彼に手渡すと、どこからともなく汽車の音が聞こえてきた。
夜空を見上げると、こちらに向かって蒸気機関車が下りてくる。
プシューと音を立てて止まれば、扉がゆっくりと開いた。
「乗車券を拝見いたします」
深海の色をした制服の車掌が、人魂の男の子に向かって手を差し出す。
おずおずと差し出されたのを受け取って、パチンッと穴を開けた。
「一度乗り込むと終点まで下りられません。よろしいですね?」
「うん……」
乗り込もうとした男の子は、ふと立ち止まって振り返った。
「お兄ちゃん……お母さんにごめんなさいって伝えて。あと、ありがとうって」
「わかったよ。俺に任せてくれ」
手を振って、人魂の男の子に別れを告げる。
ポーッと汽笛を鳴らした蒸気機関車は、再び夜空へと消えていった。
*****
翌朝、転倒事故が起きた歩道橋へ来た彰人は静かに佇んでいた。
すると、花束を抱えた女性が1人やってきて、花を供えている。
しばらくの間、目を閉じて手を合わせると、立ち上がって駅の方角へ歩いていった。
「あの、すみませんっ!」
呼び止めると、女性は不安げに眉を寄せて振り返った。
「……何でしょうか?」
「2年前に起こった子どもの転落事件を知っていらっしゃいますよね?小学生の男の子が道路に落ちたって言う……」
「それが何か?」
少し苛ついたように返した女性に、彰人は人魂の男の子を思い浮かべて告げた。
「男の子が言っていました。お母さんにごめんなさいと伝えてほしいって。事件の被害者の男の子……マサル君のお母さんですよね?」
「っ!!あなたが何を知っているの。マサルが言っていた?そんなことあるわけないでしょ!」
女性は叩きつけるように怒鳴ると踵を返した。
「待ってください!それだけじゃないんです!」
「まだ何か!?しつこいと警察を呼びますよ」
今にも噛みつかんばかりに振り返った女性に彰人は言った。
「ありがとうって。それをマサル君から伝えてほしいと頼まれたんです」
「えっ……?」
呆然としている女性に、彰人は礼儀正しく頭を下げた。
「突然呼び掛けてすみませんでした。マサル君との約束は果たしたので、これで失礼します」
駅とは反対の方角へ歩いていく彰人の腕を女性が掴んだ。
「……マサルは私を恨んでいなかったの?怒っていなかったの……?」
「彼は一言もそんなことを言っていませんでした。お母さんのことが大好きだったんですね」
目を見開いた女性はくしゃっと顔を歪ませる。
「ええ……いつも私に甘えてばかりで……」
はらはらと涙を流す女性は、ただ子を想う母親だった。
*****
それから数日後。
ある病院を訪ねた彰人は、お見舞いの果物が詰まったカゴを持っていた。
「おじゃましまーす」
1人部屋の病室にノックもなしに突撃する。ベッドにいた男性はぎょっとして声を上げた。
「な、なんだ君は!私に何の用だ!」
「用ってお見舞いですよ。歩道橋の階段から足をすべらせて、全治2ヶ月の入院なんですよね?」
はいこれ、と果物の盛り合わせが入ったカゴをテーブルに乗せる。
男性は訝しげに見ていたが、その腕がナースコールに向かって伸びていたのを彰人は見逃さなかった。
「はい、ストップ」
彰人は人差し指でちょんと額を突く。
そうすると、男性は金縛りにあったように動けなくなった。
「なんだこれは……!動けない……!」
口と目は動かせる。
呼吸だって問題ない。
しかし、指や足が思うようにならないのだ。
男性が未知の恐怖で顔を青くしているなかで、彰人は枕元に置かれていたスマートフォンを手に取った。
「じゃあ、調べさせてもらいますね」
男性のスマートフォンのロックをいとも簡単に解除すると、彰人は男性しか知らないはずの写真フォルダを見つけ出した。
それは、事故が起こった歩道橋や駅の階段で撮られた女性たちの盗撮写真ばかりが集められたものだった。
「いい年したおっさんの趣味が盗撮とは……」
「見るな!貴様を訴えるぞ!私には弁護士の知り合いが大勢いる。貴様なんぞ、いつだって捕まえてやれるんだ!」
好き勝手に喚いている男性に、彰人は冷めた目を向ける。
男性が怯んだところで、彰人の足元の影が盛り上がったかと思えば、白銀の毛をまとった狼が姿を現した。
【こやつ……このままでは、近いうちに死ぬぞ?】
「あっ、やっぱり?そうだと思った」
いきなり現れた狼と普通に会話する彰人についていけず、男性は放心状態になっていた。
肩を揺さぶられてどうにか正気に戻った男性は、彰人から驚くべき事実を聞かされる。
「あんたがこの最低な趣味を続けるなら、近いうちに必ず呪い殺される。どれだけの人の恨みを買っているかは知らないけど……今はまあ、黄色信号ってところかな。ギリギリやり直せる瀬戸際だ」
「呪い……殺される……?馬鹿を言うな!そんなことあるわけない」
ふてぶてしい態度で言う男性に、彰人は辟易とした顔を向けた。
「別に信じろとは言わない。少しでも悔い改める気があるならと思ったけど……無理そうだな」
「どこに悔い改める必要があるんだ!だいたい、見せるあいつらが悪いんだろ!?」
「うわっ……責任転嫁して開き直りやがった。死ぬのは後味悪いから忠告に来たけど、無駄だったか」
【所詮、この程度の器ということだろう。魂もまずそうだ】
彰人も月丸も、この盗撮犯の男を見捨てることに、もはや何の罪悪感も持っていなかった。
「あーあ、せっかく病院まで来たのに。まあ、用事がこれだけじゃなかったから、よかったけどさ」
【あやつらの依頼も終わらせることができるだろう。つまらん、わしは寝るぞ】
興味を失くした月丸が彰人の影に戻っていく。
それを見届けて、彰人は出入り口のドアへと踵を返した。
「おじゃましました!」
パタンッとドアが閉まると、ようやく男性の体に自由が戻ってくる。
「なんだったんだ、さっきの若造は!私が恨まれているだと!?名誉毀損で訴えてやる」
早速、弁護士に連絡しようと投げ出されたままのスマートフォンを手に取った。
その瞬間、真っ暗な画面に次々と文字が映し出される。
『ユルサナイ』『ユルサナイ』『ユルサナイ』『ユルサナイ』『ユルサナイ』
『ユルサナイ』『ユルサナイ』『ユルサナイ』『ユルサナイ』『ユルサナイ』
「ヒイィ!!!」
その真っ赤な文字に、男性は思わず悲鳴を上げた。
慌てて放り出すと、今度は愉快な着信音が鳴り響く。
そして触っていないにも関わらず、通話状態へと切り替わった。
「……ドコニイヨウト……カナラズ……サガシダシテヤル……マッテイロ」
それは複数の女性の声が合わさったもののように聞こえた。
その声は、恐怖で動けない男性の耳にこびりついて、消えることはなかったという。
*****
彰人が病院へ行った1週間後のことだった。
その病院で患者の飛び降り事件が起こったと世間を騒がせた。
その理由は、飛び降りた男性が盗撮犯であったことと、過去どれだけ訴えられてものらりくらりと逃げ仰せてきたことからだった。
一部のネットの世界では、盗撮された女性たちの恨みではないかと噂になったが、真相は闇の中だ。
「だから言ったのに……」
高校までの道を歩きながら、件のネットニュースをスマートフォンで見ていた彰人は、興味を失くしたように画面から目を離した。
周囲は通勤、通学で一日で一番忙しい時間だ。
誰も彰人がこの事件に関わっているとは思いもしないだろう。
「お姉さんたちの敵討ちも無事に終わったみたいだし、よしとしておくか」
病院へ行ったのは、何も男性に会うだけではなかった。
あの男性に恨みを持つ女性たちの生き霊から依頼を受けて、少しばかりスマートフォンに細工を施していたのだ。
彼女たちが男性と接触できるようにすること。
そこまでが彰人の仕事だった。
そして、この依頼にはもう一つの理由があったのだ。
「これで、あの歩道橋に人魂が集まりにくくなればいいけど……」
人魂は強い思念に惹かれやすい。
歩道橋で犯罪が行われていたことで、人々の恐怖や恨みが澱んで固まっていた。
それを取り除くのも今回の依頼だった。
「依頼は達成、お金ももらえる。万事オッケーってね」
狼を影に飼う彰人。
彼は高校生でありながら、この街の裏の問題を解決する何でも屋だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます