第9話 試合

疲れた。目が覚めてまず思ったことは肉体的疲労。

伊吹が運んでくれたのか布団で横になっていた。見慣れない質の良さそうな天井が目に入って一瞬思考が止まった。

上体を起こす、鈍い痛みが腕や肩、背中に走り出すがなんとか、大丈夫そうだ

横を見ると、息吹が姿勢を正したまま座っていた。

少し面食らう

「お、おぅ…俺が起きるまでいたのか…」

「肯定」

「…えーと…、俺に何か?」

「何故」

「は?」

「最初に技をつかなかった?」


初めて文章で会話した気がしするな

まっすぐと見つめられる。若干の憤りを感じる声。

手加減をしていたとか思われているのだろうか。

はぁと息を吐き出す


「あれは、言ってしまえば切り札みたいなものなんだ」

「切り札」

「そう、最初から調整して使えるなら、やっている」


居合はあの速度、あの威力でしか出せない。

もっと肉体的負担の少ないようにアレができるのであればやっている

特訓中、とも言うが特訓するたびに体を壊す日々が前に続いて狗が呆れていたのを思い出す。

速度を落とせば威力も一緒に落ちる。

俺の居合は全力じゃないとできない。いや出来なくはないが確実にそれでは弱い

戦闘の経験がない一般人であればおそらくそれで事足りるかもしれないが俺の周りには妖しかいなかった。

あれくらいが普通の世界だったからそれはもう仕方がないのだ

俺に、俺はアレしか使えないしな


「…理解。邪魔した」


納得したのか数秒間を置いたあとに綺麗なお辞儀を一つ

音もなく立ち上がれば部屋から出ていった。



…表情が薄い、人形のような子かと思っていたが

思っている以上に表情筋が動かないだけでわかりやすいやつだったな。


もう一度ゴロンと横になる

痛みが響くが寝て過ごすしかない

死合稽古はまだ、始まったばかりなのだから。


──────────────────────────────────────


目が覚める

時刻は丑三つ時程か。窓を見ても華やかなは街の風景は変わらない

欠伸をするも、既に眠気はどこかへ行っていた。


ずっと寝ているのも落ち着かない。

起き上がる、随分とまぁ体は軽い。

襖を開けて長い廊下を歩いていく。ギシリと足を動かすたびに微妙に廊下が軋む


甘ったるい香り

自然的な香りとは程遠く、胸焼けするほど甘ったるい

女は怖いな。

化粧とはよく言ったものだ…


廊下を曲がった瞬間、人影が見える

ドン

勢いよく、とは言わないがぶつかった

数歩下がる。

「わる…ぁ」

「すま…あ」


狗だ。

珍しい、狗はそもそも鼻がいい上に人間よりも五感が優れる

油断したとしても普通に歩いていてぶつかることは少ないだろう


「珍しいな」

「考え事してたんだよォ。相棒はなんだァ?抱きにでも行くのか?」


歯を見せてケラケラと笑う狗

トンと壁に背をあずけてこちらをからかうように見ている

目が既に愉快なものをみるような視線に変わっている

色ボケ発情狗


「うるせえ」

「お、否定しねェってことはいくのかァ?いい女が多いもんなァ、相棒も男だなァ」

「斬られたいって言うなら相手してやるぞ?」

「いいぜ」


意外な一言

普段なら冗談だぜ相棒と軽く流すところだ

だが、今回は冗談や軽口にも近い喧嘩を受け入れた

つまり、そもそも俺と試合をするつもりだったのかもしれない


「手加減してやるってェ」

「馬鹿にしてるな?」

「弱いもんなァ相棒は」


ほう


「やけに煽るな…」

「事実だぜェ、煽られてるって思うなら弱いって認めてるようなもんだなァ」

「何焦ってやがる」

「焦らなきゃいけねぇのは相棒お前だぜ」

「………」


まっすぐ琥珀色が俺を見つめる

笑みは鳴りを潜めた

ドクンと心臓が高鳴る

今は黒いもやは出ていない、それでも威圧感にも似た

空気が鉛のように重たくなる感覚。


「…いいぜ。狗、神域を出せ」

「そうこなくっちゃなァ~!まつりだ~」


瞬間ぱっと狗の表情が元に戻る

元々やかましい奴だが突然静かになる瞬間が訪れる時が来る

確信を得ていてやりにくい。



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神域

狗の狗神としての領域

平等に戦う分には、妖としての能力は使わない、らしい

体から溢れる呪いはもはやどうしようもないことだからいいが

今更、その程度の恐怖で俺は止まらない

恐怖への最大の対抗は”慣れ”だ。

慣れてしまえばどうということはない。

克服できなくても慣れはできる。伊達に16年一緒に居ない。

生まれた時から気が付けば隣に居たんだからもう慣れてしまった。


「先に抜いていいぜ。相棒」


壁に並んでいる松明の火が揺れる

ゆらゆら揺れて、影が一定の形を保たない

狗は余裕そうに立っている、何でもないふうに


腰に下げた刀に手を置く

当たれば致命傷だ。例え狗でも妖殺しの刀

刹那は、妖力を断つ刀。故に妖にとっての生命力であるそのものを断ち切るのだから斬られた部分は妖力を通さない自然回復か別の方法での回復でしか傷は元に戻らない


柄を痛いほど握り締める


「いいんだな?」

「お好きにどうぞ?」


パンパンと狗が手を叩く


「鬼さんこちら♪手の鳴る方へ♪」


陽気

───揺れる松明の焔が消えた


駆けろ

寸前で止めるなんて手加減したら俺が死ぬぞ

例え狗でも”殺す気で戦え”

じゃないと”俺が死ぬ”



空間を断つ


いつもよりも遠い。

されど、確実ないつも以上の”一歩”踏み込む


確実な手応え

狗の存在を背中越しに感じる

チャキン、と刀を収める


せっかく治りかけている怪我が酷くなった

最悪の痛みだ。呼吸が荒い、肺が悲鳴をあげてやまない

しかし、今回は立っていないといけない


チリン


軽やかな鈴の音

「まだまだ、おせェよ」

背中にトンと軽い衝撃

狗が軽く叩いたようだった

その、軽く程度の衝撃に倒れる


この居合、調整できない本当に

諸刃の剣が過ぎる

しかし、実践で使えなければ意味がない

持て余し、使いこなせないものは死合では要らないものだ

試合稽古、今の自分を乗り越えるための稽古


ならば、使いこなせるようにしなくてはいけない。


はぁ、今日は最悪な日だ。


悔しさとちょっとした意地を乗せた思考が薄れ

そのまま俺は地に倒れた。


意識の遠い中狗の声が聞こえた


「おせェけど、しっかり俺にも一太刀入ったな…ったく。ちゃんと成長してるみたいで何よりだよ、相棒。」


ポタリと、何か雫の落ちる音がした。

それを最後にもう、意識は完全に途絶えたのだった───。




神無月の意識が途絶えた後神域は閉じられた

そこは、質の良い高級な出で立ちの廊下

一匹の妖が少年を背負う。

避けた右腕の傷、焼けるような痛みが鋭く残る

しかし、一匹の妖はその傷を嬉しそうに撫でた。

一歩の踏み込み

いつもより深い一歩。

その一歩は小さく短いものだ。

それでも、確かに狗に届いた一歩


成長の証。


「……お前が成長するならァ俺も強くならねェとな…置いていくなよ?」


寂しさと嬉しさを込めた声色が小さく地に落ちた

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