第7話 くえないおとこ


その男は自らをシイナと名乗った

黄金色の髪に若草の瞳

恵まれた体躯。だが匂いは人間だ

ただの。


握手を求められたそういう文化なのは知っていたから手を差し出した

瞬間、骨の砕ける音とそれに伴う痛覚が神経を通り痛みとして肉体に警告した

驚きと痛み。二つの衝撃に可笑しくなった


なるほど。ただの人間じゃないみたいで良かった。

自然と口角が上がる

人間は俺にとっては相棒以外はただの餌

そのへんの家畜と対して変わりはない

同じ顔に見えるといってもいいほどあまり興味がない


そもそも俺は嫌われるための存在であり一種の必要悪のようなもの

祟り呪い疫病を振りまく神の側面

悪であれと言われ人から何をされても文句も言えないただの殴られ屋でもあるが

まぁ、それはいい。

悪くない日が始まるようだ。死合稽古。

と、言っても本当に死ぬまでやれという話ではなく

”今在る自分を殺して新しい自分になる”

要は今より強くならないと稽古は終わらないという至って単純明快

わかりやすく俺好み


─────────────────────────────────

「怪我させたらごめんね。狗神サン」

「構わねぇよお互いな」


花街は地下だその分空間も限られているが

俺には自らの”神域”がある

神という名のついたものは少なからず神性を帯びる

故に、自らが神であるための空間というものが存在する。


自ら作り出す域。

今回はシイナもいるから俺の神性は抑えていく。


「随分と広いのですね」

「まぁ、ある程度いじれるが…広すぎたか?」

「いえ!問題ないです!手加減なしで!」


爽やかな笑顔と声

それと似合わないほど無骨な構え

見るからに打撃の構えか───


「───遅い」


油断しているつもりは一切ない

俺だって言ってしまえばただの一匹の妖

特別なことは何もない命は一つ

殺せば死ぬ

そして俺は今人間一人に負けかけている


目を逸らしてもいない…だが一瞬で間合いを詰められた

槍はなしだ。今はまだ。

腰を低くした構え、そのまま突き上げるかのような鋭い一撃が腹部に直撃する

筋肉と肉が軋んでめり込む。骨はまぁイったわなァ


「グッ…んっぅぇ…」


勢いのまま吹き飛ぶ、内蔵が潰れるかと思ったぜ…

そのまま大の字にしばらく転がっていたが起き上がる

追撃はなし。様子見か。なるほどなァ


「まばたきしてもダメってことなァ」

「オー!理解早いのですね!」

「はは、いやいてぇ。人間なら死ぬだろこれ」

「ここにきてならいました!発破というものらしいです!」

「こえーないやまぁ、確かに爆発的な火力だけどな」


笑いながら立ち上がる。

肉体の中身が蠢いて肉が骨が神経が移動をして体が元に戻る

ぺっと苦い血液を吐き出して口元を手の甲で拭う



「じゃぁ俺からも仕掛けていいか?」



─────────────────────────────────────

目の前の少女が不気味に嗤う。広がる黒いもや

琥珀色の瞳が月のように輝く。妖しくも美しい輝き

愛らしく美しい少女のように見えてその中身実に醜悪


背中に冷たい汗が流れる感覚がする

久しく感じる。

”死”の恐怖

これからもしかしたら死ぬかも知れないという恐怖に

体が震える。

少女から黒いものが滴る

一瞬血液かと思ったが違う

ソレは、ナンだ。


「シシシ…どぉしたよぉ…」


不意に後ろから声が聞こえた

肩にのる柔らかい少女の手のひらに悪寒が走る

───…油断して覚えはなかった。

仕返しのようだ。


息が詰まる感覚

恐怖をしている

胃がせり上がってくる。中身が出そう

百の虫が足元にいるかのような気持ちわるい感覚


「それはなんですか?」

「呪いだなァ。わるいそういうものなんでなァ」


鈴のような美しい声

美しき少女のまま中身に泥と呪い醜悪というものを詰め込んだ

狗神


「仕掛けてこないのですか?」

ぴたりと背中にくっついた柔らかい女の肉

甘い香り

この距離なら確実に一撃は食らわせられる

しかし離脱したあとが問題だ。


相手は未知数

相手からした僕も未知数

しかし、相手は常識を超えるもの

人に害する妖である。

どうする

どうでる

どう殺す


思考はクリアとは言い難い

相手から溢れ出る黒い呪いに身がすくむ思いだ。


チリンと、鈴の音がなる


感触が離れている


「おいおい、考え事とはつれねェなァ?」


いつの間にか、目の前にいる

得体の知れない者とは恐怖だ

何もわからないとは怖いものだ。

彼女は怖い。


トンと僕の胸に触れる

心臓が飛び跳ねる

ドクリ、ドクリ…ドクリ…!

指が居りてくるトンと腹を叩く

痛みはない。くすぐったいだけの感触に跳ね上がりそうになる


「おいおい、緊張してんのかァ?ハハ、女の相手は初めてってかァ?初だなァ」


からかうような笑い

仕草、音、匂い、恐怖、紛れる、音、光


空間全てが彼女の恐怖を助長させる

音が反響する

鈴の音が響き渡ったかと思うと彼女の姿はなくなる

探そうと視線を動かす先に笑顔で彼女は待っている。

急いで間合いを詰めて八卦


呼吸が乱れそうだ

ジョークだと言ってくれよ全く

汗が落ちる

大丈夫、まだ、まだ大丈夫次

次だ、油断しているなら次に───…!


「おい、いつまで寝ぼけてんだよ」


硬い声

今までのからかう声とは違う無機質な音の響き

鈴の音は聞こえなかった

鈍い銀の光が首にあたる

その刃越しに初めて自分の顔を見た

真っ青。


「俺の勝ち、でいいか?シイナの旦那ァ」


槍をトンとそのまま僕の肩に乗せる

と同時に呼吸が軽くなる

彼女を見る。

黒いものはなくなっていた。

今日、初めて呼吸をしたかのような感覚

空気が美味しく感じるし生きてて良かったと思える


「俺の課題は重たい一撃に吹き飛ばされないこと。お前の課題は恐怖に屈しないことだな~」


槍を影に落とし彼女は疲れたーとため息をつきながらこの域を解除した

場所は部屋。与えられた部屋だ。

シンプルだけど気品ある質のよいベッドやランプがある


「…狗神はとても怖いですね」

「褒めんなよ」

「褒めてるつもりはあんまりなかったんですけど…」

「ひでえな」


彼女は立ち上がれば酒を持ってやってくる


「まぁどうせしばらく一緒なんだ。馴れ合おうとは言わんが稽古外ではよろしくやってくれやァ」

「……まぁ、いいですけど」


負けたのだから反論できない

酒の入った盃を渡される

勢いのままに飲み干す


───辛い。


しばらくはもう、楽できそうにないな…

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