「ラブレターの書き方なんてわからないけど」

やなぎ怜

「ラブレターの書き方なんてわからないけど」

 他人の心のうちなんてものは、通常わかりっこないのである。わかった気になったとしても、そんなことはおくびにも出さないほうが賢明だと、かなでは思っている。それはもちろん、最愛の片割れが相手であったとしても。


 わかったつもりで実のところまったくわかっていない。それが一番危険だ。奏はよくよくそれを知っていたけれども、しかし双子の兄であるひびきが相手となると、ついつい「わかったつもり」になってしまう。それはとてもよくないことだ。


 けれども響との関係に対して不安を抱えている現在。奏が「わかったつもり」でいたくなってしまうのも、人情というやつで……。



「運命の相手」が政府によって通知される社会。正真正銘血の繋がった一卵性双生児である八田はった響と八田奏は、ある日突然互いが「運命の相手」であると通知され、あれよあれよという間に夫夫ふーふとなった。


 響も奏も、別にそのことに不満はない。特別片思いをしている相手がいたとかいうこともなかったし、気心知れた兄弟と結婚できることをイヤだとも感じていなかった。


 否、むしろそれはふたりにとって喜ばしい知らせであった。


 なにせこの兄弟、幼い頃から四六時中共にいるのにいつまでたってもそれに飽きもしないのである。


 自他共に認める「ブラコン」として周囲では有名で、気になる異性同性も存在しなかったので、「大人になってもいっしょにいようね」などと、あどけない幼子のように約束しているくらいであった。


 だから、政府からの通知は寝耳に水であったにせよ、この双子にとっては喜ばしい知らせであったわけである。


 けれども、「運命の相手」として通知されてから、双子の関係は微妙に変わってしまった。口数は少なくなり、ぎくしゃくとした空気がふたりのあいだに流れるようになってしまった。


 それはなぜか。


 ――恥ずかしくなってしまったのである。


 あれだけ四六時中行動を共にして、いちゃついていたというのに、いざ夫夫ふーふという形に収められると、どうしていいのかわからなくなってしまったのだ。


 幼馴染のアリスなどは「前と一緒でいいんだよ」などとアドバイスをくれるが、それができないので双子は困っているのであった。


 せっかくの政府のお墨つきを、双子は完全に持て余してしまっていたのである。



 互いが互いを「片割れ」と表現するにふさわしいほどこの双子は時間を共にしてきた。だから、あるていど相手が考えているだろうことは、なんとはなしにわかる。


 突然夫夫ふーふになって、なんだか気恥ずかしくなって気まずくなってしまったということも、わかってはいた。


 相手の考えていることが、わからないわけではないのだ。


 わけではないのだが、言葉にしていない以上は、未確定のまま。どちらも言葉にすることができずにもじもじとして、周囲を――主に幼馴染のアリスを――やきもきとさせている、というわけなのである。



 だが、このままではいけない、と奏は一念発起した。


 奇しくも季節は冬。「告白祭」などと呼ばれる学校行事が迫っていた。


「告白祭」は読んで字の如く、「この機会に他者に告白をしましょう」という行事である。決まりごとはいくつかあり、そのうちのひとつが「手紙で思いを伝える」というものであった。


 奏たちの幼馴染であるアリスなどは「奇祭」と呼んではばからず、「恋愛脳はなはだしい」と世間を憂う始末。


 けれども毎年それなりに盛り上がるのだから、恋が気になるお年頃の生徒たちのパワーたるやすさまじい。


 去年の奏は手紙を貰えた、貰えなかった、渡した、渡せなかった、などと騒がしい生徒たちをしり目に、いつものように響と過ごした。わざわざいまどき手紙などというアナクロな方法を取る理由もわからなかったし、それで大騒ぎできる神経もよくわからなかった。


 しかしそれは去年までの奏である。今年の奏は違った。


 響との関係がぎくしゃくとしている今現在。奏は「告白祭」に、手紙というアナクロな手法に、大いに頼ろうとしていた。


 言葉にすることが難しい内容も、文字として示すとなれば心理的障壁は大いに下がる。


 問題は、どう書くかだ。


 手紙には表情や身ぶり手ぶり、声音などがないぶん、どういった文章にするかはじゅうぶんに気を払わねばなるまい。手紙一通でまた関係がこじれてはたまったものではないと、奏は幼馴染のアリスのもとへと駆け込んだ。


「あんたたちってホント双子だよね。でも今は妙にタイミング悪い。さっきまで響がきてたんだから、かちあっちゃえばよかったのに」


 けんもほろろに言外に面倒だと言いたげなアリスを前に、奏はしばし呆然とする。が、響のこととなれば復活も早かった。


「な、なんて……?」

「バッタリ会っちゃえばおもしろかったのにね、って」

「いや、そーじゃなくてさあ……。響、なんの用だったの?」

「言わなくてもわかるんじゃないの?」


 奏は抱えていたレターセットを見下ろす。わざわざ隣町の文具店へおもむいて買ったレターセットは、控え目な罫線が引かれたオフホワイト。ピンクのハートマークが乱舞するデザインもあったが、結局は雑念を晴らしてこれを選んだのだった。


「言わなきゃ、わかんないよ」


 奏がそう言うとアリスは辛辣にも鼻で笑った。


「でしょ? じゃあもう帰ったら直接言えばいいじゃん。響にさ」

「いや、できないからこーやって手紙に頼ろうとしているんだけど……」


 もごもごと奏が告げれば、アリスは深い深い、それは深~いため息をついた。


「それで、ラブレターの書き方を教えて欲しいって?」

「そう……なるのかな」

「ケンカしたわけでもないんだから、直接言えばいいのに。でなきゃLIMEするとかさ」

「直接言えないから書こうとしてるんだよ。あとLIMEはしようとしたけどできなかったから……」

「ハア……彼氏がいたこともない、ラブレターなんて書いたこともないわたしになんでふたりとも相談するかな?」

「『恋愛なら薄い本が教えてくれる』っていつも豪語してるじゃん」

「だから、薄い本の経験に基づいて『直接言え』って言ってんのよ。こういうときは迂遠な方法を取るとこじれるのがあるあるなんだから」


 アリスはそうぶつくさと言いながらも、部屋の中央に置かれた丸いローテーブルを指で叩く。


「昼メシ二週間分ね」

「せ、せめて一週間……」

「ダメ。わたしはそんな安い女じゃないの」

「どうせ響からも貰うくせに……」

「あー。そんなこと言って。別に協力しなくたってわたしはなーんにも困らないんだけど?」

「二週間分、おごらせていただきます」

「よろしい」


 奏はローテーブルにレターセットを広げる。無地のオフホワイトの封筒を眺めて、アリスは「面白みがない」と言ったが奏は無視した。


「響と同じね」

「そういうこと今言わないで……」

「どうせ告白祭でわかることなんだからいいじゃん」


 ボールペンを取り出し、なにも書かれていない便箋と向き合うと、奏はじっとりと手のひらに汗をかくような気になった。


 今から書く手紙が、ものによってはこれからの響との関係を左右する――。そう思うと、緊張せずにはいられなかった。


「『突然のお手紙失礼します』からでいいかな」

「固っ! 気心知れた相手なんだから、もっと砕けててもいいと思うけど?」

「そうかなあ……でも手紙だし……LIMEと違ってふざけられないっていうか……」

「真面目だねー」


 アリスはそう言いつつも、奏がいちいち――彼女からすればくだらない理由で――立ち止まっても根気よく付き合ってくれた。


「好きになった理由とか書いたほうがいいのかな? ラブレターだし」

「明確な理由とかあるの?」

「…………ない」


 奏の言葉にアリスは「やっぱり」といった呆れた顔をする。それを見て奏はなんだかあわててしまう。


「好きだけど、なんかこう言葉にはできないっていうかさ……いっしょにいるのが当たり前で、それでそれがずっと続けばいいなあって思ってて……」

「だから手紙書いてるんでしょ? もうそのまま書いちゃえば?」

「でも、なんか身も蓋もなくない?」

「ウソ書いてどうすんのよ」


 アリスの言い分はもっともだったので、奏は「それもそうか」と思い直すことにした。


「ねえ……」

「なに?」

「響にも同じこと言った?」

「告白祭がくればわかるから言わない」

「なんかさっきと言ってることが違うような……」

「いいじゃん。さっさと手動かして手紙書き終えてよ」


 そろそろ便箋一枚を使い切りそうな文章量になったのを見て、アリスは既にスマートフォンをいじって無関心だ。


 奏は「コレで昼食二週間おごりかあ……」などと、ちょっとだけ腑に落ちない気持ちになったが、アリスにはそれなりに迷惑をかけている自覚があったので、黙っていることにした。



 *



 久々に真正面からその顔を見た、と思った。しかし毎日鏡で見ている己の顔とまったく同じつくりであるから、久々に見たという感覚は間違いなような気もしてくる。


 奏と同じ制服に身を包んだ響は、両手で便箋が入っているだろう封筒を持っている。アリスが言った通り、奏が選んだレターセットと同じ無地のオフホワイト。


 ともすれば、そっけなさを覚えるほどに飾り気のない、事務的な空気を纏った手紙を、奏も響も大事そうに持っているのであった。


「響……これ」

「うん。俺のも」

「うん」


 閉鎖された屋上へと続く扉の前で落ち合った奏と響は、そう言って手紙を交換する。奏はふと女子小学生みたいだなと思った。記憶にある彼女らのように、華々しいデザインの手紙ではなかったが、やっていることはほとんど同じだろう。


 わりあい、昼休憩の喧騒が遠い踊り場で、ふたりは無言のまま交換した手紙を見つめる。


 同じ顔をした男ふたりが、また同じデザインの封筒を持って棒立ちになっている姿は、奇怪と言って差し支えないだろう。アリスなどがいればまたイラ立って「早くしろ」とせかすに違いなかった。


「中……見てもいい?」

「ああ、うん。おれも、いい?」

「うん……」


 正直に言えば手紙なんてものは読むのが億劫に感じてしまう。それも、気まずい相手からの手紙。なにが書かれているのか想像は無限に広がる。その、答え合わせをすると思うとひるんでしまう。


 けれども「見てもいいか」と問い、了承を貰った手前、読まないわけにはいかない。


 じっとりとほんのり汗をかいた指を動かし真っ白な封筒を開く。軽くノリづけしてあっただけなので、それは容易だった。


 そして封筒から四つ折りにされた、同じく白い便箋を取り出す。奏は手汗で便箋がしめってしまわないか、妙に気になった。


「あ」


 それから奏と響は同時に声を出す。吐息のような声だった。


 次いで、笑いが込み上げてきて奏はたまらず吹き出した。


「あ、同じ」

「うん……ふふ」


 目の前にいる響も、先ほどまでの強張った横顔はどこへやら。手の甲を唇に押し当てて、必死に笑いを我慢している。


 同じ人間に師事をしたからか、ふたりの手紙の構成はほとんど同じだった。けれどもそこに書かれている苦悩も、恋慕の情も、すべてが「おそろい」であったので、思わず面白くなって笑ってしまったのだった。


「最後……『ずっといっしょにクッキー作りたいです』って……」

「ふふふ……同じ……」


 簡単にできるので、ふたりはクッキーをよく作る。もちろんクッキー以外の製菓もするのだが、もっとも親しんでいるのはクッキー作りであった。いわば、「あなたの味噌汁が飲みたい」の代わりが、「いっしょにクッキーを作りたい」なのであった。


 他人の心の内など、どうやったってわかりっこないものである。であるのだが、このときばかりは互いの気持ちが透かしたようにわかったので、奏も響も顔をほのかに赤くして笑いあえたのだった。


 答え合わせをするまでもなく両思いだということはわかっていた。けれども今日、改めて手紙を渡してよかったとふたりは思った。


「帰ったらクッキー焼こうよ。久しぶりに」

「うん。いいね。で、作ったらアリスにおすそ分けしよう」


 このあと、元通りになった幼馴染の双子を見て、アリスが深い深い、それは深~いため息をつくのだが、それはまた別のお話。

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