第26話 ある賊の顛末


「子供の街?」

 

 背の高い狼人の男――デッカーがその噂を聞いたのは、食料の貯えが尽きて三日目の事だった。

 山賊――というほど大層なものではなく、デッカー含め十一人だけの小規模な賊紛い――の仲間で彼の補佐役、つまりは副官でもある男が噂話としてそんな話を彼に教えた。


「え、えぇ、なんでもリテルフェイドのあたりにあるらしんですよ。子供たちだけが住む街が。食料も財もたんまりだとか」

「……本当か、それ? リテルフェイドって、噂じゃ廃墟になっちまったって聞いたけどな。出所は何処なんだ?」

「最初に言ったのは誰だったかなぁ……確か、斥候で走らせた物見連中の内の何人かが、あのあたりで子供の集団を見たってのが始まりで。それがずいぶん元気で鼻歌まで歌ってたみたいなんですよ。それであのあたりに食料がたんまりあるとかないとか、気が付いたら連中の間で噂になってるみたいです」

「……なるほど。そりゃ随分都合が良さそうな噂だな」


 だが単なる噂、として流すには気になる事が多かった。そもそも人が生きている以上、物資、食料があることは確実なのだから。

 何よりも副官である彼は、そういった目鼻が効く。

 とにかく抜け目がなく、要領の良い男なのだ。


 少なくとも、その街に何もないということはないように思えた。だが、だからといってそんな都合が良い話を、はい、そうですかと信じられるはずもない。


「でも本当ならねらい目ですよね!」

「そんなうまい話があるならな」

「で、でも、食料がありそうな当てなんてもうどこにもありませんよ」

「……はぁ、わかってるよ」


 子供だらけの場所から食料を掠めとることが気にならないといえば嘘になる。だが良心の呵責で悩めるほどの余裕は今の彼らにはなかった。食料があるというのなら、それを狙うしかない。


 もう周囲にはまとまった食料が容易く手に入りそうな場所はない。あとはもう関所や砦など、固く守られた場所に一か八かで攻め入るくらいしか選択肢は残されていなかった。


「……行くしかないか。どうせ堕ちるならとことんまで堕ちても、生き延びよう」


 デッカーはそう言って、賊の手下どもに声を掛けた。

 彼ら賊は決めたら早い。一刻もせずにその場を後にして、リテルフェイド跡地を目指した。



※※※



 リテルフェイド跡地で彼らを待っていたのは、少数の子供と大量の食糧――ではなく闇だった。


「な、なんだよ、コレ……」


 部下の一人が体を震わせ、言った。


 今、デッカ―達の眼前に、壁のように大きな闇が広がっていた。

 風景を切り取ったような深い闇。遠近感が狂い、それが近いのか遠いのかさえもわからない。

 それは彼らの剣も弓も槍も斧も、そして魔法すらも通さず飲み込み尽くした。それからそっと一撫でするように動き、気が付けば賊は全員が地面に伏し、倒れていた。


 何が起きたのかは定かではない。だが体の痛みが、それには決して勝てぬことを彼らに教えた。


「ば、化け物」

「た、助けてくれ」

「死にたくない」


 仲間たちの聞いたことのない声。心の奥底から恐怖に震えた命乞い。あるものはその場で呆然とし、あるものは這うように逃げ、またあるものはその場で意識を失って倒れていた。

 そんな彼らを振り返り、デッカーは一人必死に頭を動かしていた。

 

 どうにかしなければ。

 どうすればいい?

 逃げられる?


「……まぁ、そうだよな。そんなにうまい話があるわけないよな」


 食料沢山あって子供だけの街だから奪うのは容易い、なんてそんな都合のいい場所はなかった。ただそれだけの話。

 反省に意味はない。逃げることも出来ないだろう。もちろんこの現状を解決する手段も思いついたりも出来ない。だからデッカーは考えることをやめた。

 一人立ち上がり、その虚空に広がる闇と対峙する。どこが正面かもわからない。それでも、ただ待つという選択肢は彼の中にはなかった。


「――衝動性火炎ハイコ


 発声と共に彼の手のひらの中で、火花が散った。彼の魔力を基とし発動された魔法。既に一度その闇に放ち、ただ飲み込まれていった彼の魔法。

 

 だがそれ以外の武器はなく、それにすがるしか道はなかった。


「ほぅ、まだ心が折れぬのか。低俗な連中ばかりかと思えば、意外に根性があるやつもおるのじゃな」


 真っ黒な闇の中。切り取られた黒の中から、女の声が聞こえた。


 奇妙なほど白い肌と、鮮やかな赤のドレスを纏った女だった。

 それはいっそ奇妙に感じる程、綺麗な女だった。綺麗なのに不気味だった。


「……お前、なにもんだよ」

「お主に教えてやる義理はないが……見てわかるじゃろ? どう見ても見目麗しい美女じゃろうが」

「っは、薄気味わりぃ奴にしか見えねぇよ!」


 その女にデッカーは手のひらを向け、躊躇うことなく魔法を放った。

 迸る閃光が、二人の間を走る。それは火炎の舌のように、奇妙な曲線を描いてドレスの女のその肌を舐めまわして焼いた。


 魔法は当たったが、だがデッカーに仕留めたという実感はなかった。

 女にまとわりついた炎に、さらに黒い闇がまとわりついて離れなかった。

 

 その闇は、影だった。

 女の影が伸びて広がり、形を変えて炎を取り込んでいく。


「ふむ、人にしては悪くない魔法じゃのう」


 闇と炎を身体に纏いながら、涼しい顔で女は歩き始めた。


 それは人に似て、人とは違ったものだった。

 人の姿をした、人ではないもの。

 人を逸脱した、何か。

 

「……バケモノめ」

「酷い言い草じゃな、まぁ否定はせぬが」


 気が付けば、デッカーの放った炎はちりぢりになって消えていた。


「死か服従か。二択じゃ。選べ」

「……あ?」

「おぬしらの未来を選ばせてやるというておる。妾としてはその無礼な口を今すぐに塞ぎたいところじゃが、何も聞かずにそうすると怒られるのでな」


 女はどうでも良さそうな口調で、そう言った。

 服従することを選ばなければ、おそらく彼女は容赦なく、何の感慨も抱くことなく即座に彼らの命を絶つだろう。

 

 そうとわかるほど、彼女の瞳にはデッカーたちに対する興味が感じられなかった。


 選択肢はない、とはいえない。

 そんな目を向ける相手に服従する事の恐怖。 死よりも恐ろしい事など、この世にいくらでもあることを、デッカーは良く知っていたからだ。


「………………服従を」


 それでも彼は生きる可能性を選んだ。

 自分一人なら、いっそ死を選んだかもしれない。だが背で藻掻く仲間たちに潔く死ねとは言えなかった。


 選択肢を与えた以上、対話は出来るはず。

 そこに一縷の望みを賭けて、デッカーは服従を選択した。


「ほう、そうか。残念じゃの。わかっとると思うが、もし逆らえばその時は容赦なくその首跳ねさせてもらうぞ」

「あ、あぁ、わかってる」

「うむ、ならばあとで迎えを寄越す。それまでにお主の部下らにも話を付けておけ」


 そういうと女がその場でターンするようにくるりと回った。恐怖を抱いていてさえも、その姿に優美さを覚える。それがより恐怖を助長させた。

 女はゆっくりとした足取りで去っていった。まるでデッカーの事を気にする様子もなく、無防備に背中をさらして。


「……はぁああ、クソッ」


 瓦礫の山の影にその姿が消えた時、ようやくデッカーの全身から力が抜けて、肺から大きく息を吐き出した。


 ちらりと背後と振り返る。

 今なら逃げられるのでは、と思いはしたが、結局やめた。

 

 あの女がデッカーたちに執着するとは思えないが、彼女から逃げ切れる自信がない。それにそもそも逃げられない仲間もいるし、逃げた所で食うものもないのだ。

 

 そう。ある意味で、既に終わっていた。

 元よりここで食にありつけなかった時点で彼らに選べる未来などなかった。


「……か、頭、どうするんですか?」

 

 気絶していたと思っていた副官が、ひょっこりと体を起こして、デッカーに話しかけてきた。

 どうやら死んだふりをしていたようだ。抜け目がない男というか、なんというか、貪欲に生き抜こうとする彼の姿に、デッカーは関心すら覚えた。


「動ける奴まとめて、怪我人見てやれ」

「……はい。直ちに」


 頷いてすぐに副官の男が駆け出して行った。

 デッカーは副官を見送った後、ため息を吐いて、小さく呟いた。


「本当に、堕ちるところまで堕ちたな……」

 

 それから程なくして、二人の子供がデッカーの下に訪れた。

 そうして十一人の山賊たちが、子供の街で暮らすことになった。





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