第20話 魔女と貴族
「今日は朝から腰がいてぇんだよ」
「昨日階段で膝をやっちまったんだ」
「アテアラちゃんの顔見に来たよ」
早朝。まだ肌寒さが残るような時間からアテアラの下へ人が訪れた。
宿屋の一室には、最近よく見る三人組の仲良しのおじさん衆。体調が悪いと一様に言う割には、誰も彼も深刻そうな顔ではなく、むしろ笑顔が多かった。
「アテアラちゃん、アホ共には構わなくていいぞ。あいつら大して身体も悪くねーのに来てるだけだから、甘くするとつけあがるだけだ」
そう言ったのは、この宿屋の主人であるジュードさんだった。一見不機嫌に見えるが、出会った頃とは比較にならない、表情の柔らかさがそこにあった。
「大丈夫ですよ。皆いい人ですし、話してて楽しいし。ジュードさんこそ、膝、大丈夫ですか?」
「ん、あぁ! アテアラちゃんのおかげで、全然平気だよ。二十年前に戻ったみたいに動くよ」
「あんまり無理するとまた痛みますよ」
ジュードさんの長年痛めていた膝を魔法で治療してからというもの、彼は随分アテアラに良くしてくれるようになった。。
お金の稼ぎ口がない彼女のために、宿屋の一室を改良して簡易の医務室としてくれたのも、彼の好意によるものだった。
「そうだそうだ」
「あんたこそ無理して、アテアラちゃんに迷惑かけるなよ」
「そうそう。アテアラちゃんもここが嫌になったらいつでも家つかっていいから」
「うるせー、余計な事言うんじゃねー!」
「あはは……」
シロと別れてから二週間。
料金の安さからか、アテアラの魔法の効果のおかげか、あるいはジュードさんの顔の広さだろうか。とにかく簡易の医療施設は大繁盛だった。
実入りはそれほど多くはなかったが、多くの人と話、感謝され、笑顔になってくれる。それは彼女にとって、とても楽しく、収入以上の価値があった。
同時にそれは、彼女が祖母から与えられたものがとても有益で偉大なものなのだと知ることにもなった。
未だ未熟な、小さな魔女が生きていけるだけのものを、祖母は確かに、しっかりと残していた。
治癒の魔法、薬学含む多様な知識、それに――。
『おい、横着するな、もっとちゃんと詳細に書け、クソガキ』
『わ、わかってるよ。今からするつもり!』
『わかってねーから言ってんだろ、無能』
むっとしながらもアテアラは言われるままに、魔導書の頁に手当をした患者の情報を書き込んでいく。
口の悪い魔導書フィンカウス。アテアラ自身、認めたくはないが、この本がどうして生み出されたのか、その有用性が彼女にも段々とわかってきていた。
この魔導書の中には、かつて祖母が見た患者や、儀式、術式の情報まで全てが収められていた。
例えば、深い裂傷にはある木の樹液を使ったとか、魔法の効きにくい体質の病気の子どものために、煎じたある魔獣の肝を焼いて食べさせた、等々。
アテアラが記述した単語に関連した記述が蘇り、それらをアテアラに見せた。
それはアテアラにとって、否、多くの魔女にとって宝の山というべき物だった。
毎日相応の魔力が必要な事と、持ち主を認識し情報を引き出せるようになるまでの時間こそかかるのものの――もっともそれは不用意に情報を盗まれないための防護策も兼ねているのだろうが――それを補って余りある魔導書といえた。
そして魔導書の中の情報は、アテアラの手によって今も増え続けている。
『ほんと、すごいなぁ、おばあ様は』
『……はん。大したことねーよ。あんなババァ。まぁ、お前と比べたら、随分マシだけどな』
相変わらず口が悪い。イラっとする気持ちを深呼吸をして抑え込む。
本当にこの性格だけはどうにかならなかったのだろうか、と天国の祖母に聞かずにはいられなかった。
「あ、アテアラちゃん! 大変だよ!」
でも、何もかもが平穏な日々ばかりじゃない。
血相を変えて、飛び込んできたのは、すでにこの診療所で何度も診察したことのあるニールさんだった。昔は兵士としていくつもの戦役で戦ったらしい。
「だ、誰か大けがでもしましたか!?」
「違う違うっ! 衛兵の連中がここに来るって!」
「え、衛兵? 兵隊さん、が? なんで?」
一体何の用で来るのだろうか、なんてアテアラはまるで他人事のように考えていた。それも無理はない。彼女は何も悪いことはしていない。なんなら、兵隊の中にもアテアラが診察し、治療した相手だっている。診察料だって格安だ。捕まるとか、そいう発想がまず出てこなかった。
だというのに、飛び込んできたニールさんも、周りにいたおじさんたちもかなり険しい表情をしていた。
「え、何か大変なんですか?」
「いやいや、アテアラちゃんそんな呑気な。捕まるかもしれないんだよ」
「? でも私何もしてないですよ」
「衛兵が捕まえる気になったら、何もしてなくても捕まるんだよ」
「とりあえず逃げた方が良いよ」
「そうそう。なんなら俺達匿えるから。任せときなって」
「……でも」
もしも。
アテアラに何か悪い容疑がかかっていたとして、相手が彼女を捕まえるつもりだったとするなら。
もし逃げたとしたら、その矛先は誰に向かうのだろうか。それはきっとこの場所を提供してくれた主人のジュードさんへ向くだろう。
「やっぱり嫌です」
仮に捕まるのだとしても、誰かの迷惑になるのは嫌だった。
「何も捕まると決まったわけじゃないですから。話があるなら聞きますし!」
「いやいやいや! そんな……」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃないからおじさんたち慌ててるんだけど」
「大丈夫です」
「だか」
「大丈夫!」
彼らによるアテアラの説得は、残念ながら失敗に終わった。
心配する彼らを無理やり部屋から追い出し、それからしばらくして城から兵士がたずねてきた。衛兵がたくさんではなく、近衛兵が一人だけだった。
「貴殿が噂の魔女殿でしょうか?」
近衛兵の男性は、随分疲れた様子で、頬は痩せこけ、目の下には隈がみられた。
「何の噂かは、わかりませんけど多分、その魔女だと思います」
「……治療を、お願いできますか?」
「え。あ、はい。ど、どうぞ」
近衛兵がなんでわざわざこんなところに? と疑問に思わなくはなかったが、断る理由もなかった。
男を診察台に座らせて、アテアラは魔導書を胸に抱えてから訊ねた。
「えっと、どこが悪いんですか?」
「……ここ三週間くらい、まともに寝れていない。それに食欲もわかないんだ。だからかもしれないが、疲れもとれない。朝になると体中の間接が痛む」
見た目のまま、といってはあれだが、男は見た目から受ける印象そのままに、体調は悪いようだった。
『不眠で、食欲不振に、関節痛……何か有効なのある?』
『ババァが見たやつらの中で、こいつと似た症例は6件ある。治療法はどれもほぼ同じ。食わせたものが若干違うがこれはその地域で手に入れられるものに合わせているからだな。自己治癒強化の魔法をかけたあと、カギの実と葉、それにクヌギの樹液を混ぜて飲ませる食事療法だな。それでも眠れないなら魔法で強制的に眠らせるいい、だとよ』
『……なるほど、あるがと』
フィンカウスは淀みなくつらつらと、祖母が行った過去の情報を掘り出し、必要な情報のみを与えてくれる。それはアテアラに最も不足していて、もっとも得難い経験を補ってくれる。自らが持つ知識と照らし合わせ、それらが間違いではないと判断できるだけの材料となる。
膨大な経験に裏付けされた祖母の治療記録があるからこそ、アテアラは素人ながら曲がりなりにも患者を診察することができるのである。
「えっと、じゃあ、魔法掛けますけど、目を瞑ってもらえますか」
「……はい。お願いします」
「触りますね」
閉じた瞼の上から、アテアラの指がゆっくりと触れた。
「
この1週間で何度も行使した魔法。今ではアテアラにとってもっとも得意な魔法となったそれが、指先から瞼を通り、男の頭へそれから身体を循環していく。
「……えっと、終わりました、けど。どうですか?」
数秒ほどの魔法の行使が終わり、アテアラは恐る恐る上目使いで訊ねた。
「……」
「え、あの?」
「ぐぅ」
男の身体がずるっと、全身から力が抜けて身体が滑るように落ちて行った。
手を伸ばす間もなく、男は床にベターと倒れてそのまま寝てしまっていた。
「え、えぇ……まだ魔法掛けただけなのに」
幸い頭部を打つような崩れ方ではなかった。特に問題はないだろうが、一体どれだけ眠れていなかったのだろうか。魔法による治癒効果だけですぐに寝入ってしまうとは想定していなかったが、だがひとまず眠れずに悩んでいた男が無事に眠れたことを喜ぶべきだろう。
「まぁ眠れて、良かったの、かな?」
外に控えていたジュードさんたちに声を掛けて、眠りこけていた男を空いてる寝台へと移した。
彼が目を覚ましたのは、次の日の朝の事だった。
※※
大きな寝台の上に、一人の老人が寝ていた。多くの皺と肌のシミが彼が刻んだ時の長さを表していた。脈を図るために触れた肌の、乾いた皮の質感がアテアラにそれをより実感させた。
老人の寝息は静かだった。息をしているかさえも疑わしいほどに。
「いつから起きていないんですか?」
老人の名はパウロ=コールフィールド辺境伯。
名君と名高いこの城の主だった。
「既に五日、目を覚ましていません」
答えたのは、甲冑を着た少女だった。背はアテアラよりも小さいが、堂々とした立ち振る舞いに、落ち着きもあって、そしてアテアラにはない気品があった。そのせいだろうか、身長では勝っていても彼女が年下だとはどうも思えなかった。
「新王の戴冠が済んだ直後でした。まるで糸が切れてしまったように倒れ、それから一度も目を覚ましません」
少女の名前はグレアという。眠ったままの辺境伯の孫娘なのだそうだ。
「治癒魔法は、かけたんですよね」
「それはもちろん。城にいるあらゆる魔法使い《ウィザード》に頼みましたが、効果の程は」
魔法は有用ではあるが、万能ではない。なんでも治せる魔法なんて存在しないし、死の克服も不可能とされている。
誰も、死から逃れることは出来ないのだ。
「……あの、質問してもいいですか?」
「なんでしょうか」
「私はなんで呼ばれたんですか?」
「もちろんアテアラ様に治療をしていただこうと」
「……他の魔法使いが無理だった事を、私に出来るとは思えないのですけど」
突然、城から使いがやってきて治療してほしい人がいると半ば強引に連れられてきたのが、現在のアテアラの状況である。
アテアラが街で噂になっていたとは言っても、それはあくまで庶民の間で重宝する存在として、だ。貴族に仕える魔法使いと比べ、自身が秀でているものがあるとはアテアラにはどうしても思えなかった。
「そんなことございません。確かに行ったではないですか」
「? 何をですか?」
「誰にもできなかったことを、ですよ」
言葉と同時に、彼女の背後から一人の男が一歩前に出てきた。
彼は昨日アテアラの下に訪れた睡眠に悩んでいたあの近衛兵――名前はマロウというらしい――だった。一日ぐっすり眠った彼の顔は昨日とは比べ物にならないほど健康的で、晴れやかに見えた。
なるほど彼は、どうやら街で噂の魔女の様子を伺うために送られてきた人物だったわけだ。いくら危急の事態とは言え、どこの馬ともしれない人物にいきなり辺境伯の治療を任させるわけにもいかないので、所謂毒見役でもあったのだろう。
「ずっと眠れずに困っていた彼を貴方の魔法はスグに治してしまわれた。ならば治療を託す理由は十分だと思いませんか?」
だがアテアラにとっては何か特別なことをしたわけではない。魔法の効果だって、祖母と比べればとてもじゃないが優れているものではなかった。
何よりも彼女を不安にさせたのは、命に係わる程の重篤な状態の患者を、まだ診た事がなかったからだ。
「大丈夫です。ダメで元々、といってはあれですが、尽くせる手を尽くしたいだけなのです。治せなかったとしても、しょうがないこと。貴方には只いつも通り治療を行って頂きたいだけなのです」
丁寧な口調で、しかしはきはきとグレアが言った。その瞳はまっすぐ彼女を射抜いていた。
『どうしよう、フィンカウス』
『は? 何も迷うことはねぇだろ。お前は馬鹿みたいにいつも通り魔法かけりゃいいんだよ』
『魔法っていっても……眠ったままの相手どうすればいいか』
『一番効果がありそうな魔法は、
『あるけど……でも、そんな魔法使ったことないもん』
『うだうだうるせぇな。相手が失敗してもいいっていってんだから、なんも考えずやっちまえばいいんだよ。死んでも、練習にはなるだろ』
『……そんな風に考えられるわけないでしょ。馬鹿』
『意味わかんねー。やらなくても死ぬんだから、一緒じゃねーか』
言葉は悪いが、フィンカウスのいう事に間違いはなかった。やる。やらない選択肢はない。そうしなければ、きっと遠からず辺境伯は亡くなるだろう。根拠はないが、なぜかそうはっきりと、彼女にはわかった。
だが、それを意識すればするほど、自分の肩に押しかかる重圧が増していくような、そんな気がした。気が付けば手が震えていた。
「……よしっ」
片方の手で、もう片方の手をぎゅっと強く握りしめた。二度深呼吸をして、それから手をほどいて、自らの頬をパンっと叩いた。
――誰かを助けるのって、怖い事なんだな。
事もなさげに人助けしていく彼の事を思い出しながら、、アテアラはグレアへと向き直った。
「あの、私一人じゃダメなので。力を貸してくれますか?」
アテアラは自分が大した力を持っていない事を知っていた。だから彼女は正直に、手を差し出してそう言った。
「えぇ、もちろん」
気品を感じさせる少女は迷うことなく頷き、アテアラの手を取った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます