第19話 吸血鬼

 空には三日月が怪しく輝いていた。


「随分、騒がしいのぉ」 


 丘の上に、古めかしく歪な大きな城があった。時代を無視したような石造りと、まるでツギハギのように組み合わさる木造建築。左右はおかしな程非対称で、積み木で造られたような、不安定さを感じさせた。


 その城の最も高い塔の上に、赤い派手なドレスの女が居た。血の気のない雪のように白い肌に、豪奢な意匠のドレス。黒い影のような魔力を纏う姿は超然としていて、一目で彼女が只者ではないことがわかった。


「ただのトカゲ風情がこのツェシカ=ヴィヴィッドノートの領内を犯そうなどと、片腹痛いわ」


 女――ツェシカが睥睨する先には、血だまりが広がっていた。一つや二つではない。数十を超える血だまりが、城の周りに生まれていた。そこかしこにごろごろと散らばる肉片の山。

 それは破壊を齎すものリッカーガンドと呼ばれる翼竜たちの死体だった。


「ふぅ……随分汚れてしもうたの。片付けをするのも手間だというに」

 

 大群で現れた翼竜たちを皆殺しにした後、不満そうにツェシカは言った。


「まったく力量さもわからぬとは、魔獣どもは鼻が利く奴らばかりだと思ったが、とち狂ったのかのぉ」

 

 この翼竜が彼女の領内に侵入してきたのは初めての事だった。近くに住む種でもない。一体どこから、そしてどうして現れたのか、女にはまるで見当もつかなかった。

  

 ツェシカにとって、翼竜たちの来訪は然したる問題ではない。今夜の十倍の数が来ようと、負けるつもりはなかった。些末事といえば些末事であり、だからこそ深く考える気も起きなかった。


「久しぶりの客がこんなんとはのぉ。敵としてくるにしても、せめて、その、愁いを帯びた王国騎士団長、とか? ボタン掛け違えば色々始まりそうなのを希望したいんじゃが」


 それはそれとして。

 彼女の家には来客が訪れた事はない。少ないではない。無だ。家が出来てから誰かが訪ねてきたことがただの一度もないのだ。もちろん手紙なんて高尚なものもくることはない。立地的にしょうがない部分もあるし、自業自得と言えばそれまでなのだが、最近は正直寂しい気持ちが強かった。

 

 なんなら、久方ぶりのイベントごとのようで、この竜共の到来さえも随分気分が盛り上がった。彼女はそれほどに退屈に慣れ、一人の日々に飽きていた。


「――あら? っら!?」


 その時だった。僅かな揺れを、彼女は確かに感じた。その揺れの正体が一体何なのか、思いを馳せるよりも早く、答えは彼女の目の前に現れた。


 なにに隠れることもなく、見逃すこともない。

 それは彼女の目の前に突然現れた。


 空から降ってきた巨大な影だった。

 かつて降り注いだ星々のごとき巨躯。悠然と佇む姿は巨大な山そのもののように思えた。それはまさに異常そのものだった。


「は?」

 

 その巨大な生き物の襲来により生じた衝撃破に押し出され、宙を舞うツェシカ。

 

 山の谷間に跳んできたその生物は、あまりに異質で、あまりにも神々しかった。

 

「はっ、なっ、なん!」


 風に乗るように、ふわりと地面に着地するツェシカ。あの程度の衝撃でやられるほどやわではない。ではないが、しかし動揺は隠せない。目の前の現実を正しく処理することが出来なかった。半ば呆然と、ただ見上げた。

 深緑の魔力を漲らせ屹立するその体躯に、ただただ圧倒された。


 白い骨で出来たような仮面の向こうで、緑色に輝く眼がじろりと動いた。

 

 背骨が突然氷に変わったような寒気が貫き、それからじわっと全身から汗が噴き出した。ツェシカにとって、それは久方ぶりの、自身に訪れた明確な死の恐怖そのものだった。


 ――その時、ふと、視界の隅で転がる翼竜の頭部が目についた。


 目玉の漏れた昏い眼窩が彼女を見ていた。それはまるで、今から自分もこうなると、見せつけられているような気になった。

 翼竜たちがなぜ、ここに現れたのかを、その時ようやくツェシカは悟った。これから、この死から逃げてきたのだと。


「でぇ!?」


 巨獣の魔力が収縮、口腔内に集められた甚大な深緑が、一時を待たずして、そのまま発散、放射された。光の濁流が、瞬く間に眼前へと迫り、周囲を飲み込んだ。樹木が折れ、地面は砕かれ、岩が溶けた。


 行われた事は只の魔力の放射だった。

 ただそれだけで、山に穴が開いていた。


「あ、あぁっ! 家が!」


 辛うじて巨獣の一撃を回避したツェシカだったが、城は逃げられない。崩れ落ち、跡形もなくなった我が家を見て、状況も弁えず呆然としてしまう。


 脅威は去っていない。まだ依然目の前にいる。しかし目の前の惨状によって受けたダメージは大きい。自身の住居が一瞬にして瓦解したのだ。彼女が翼竜を惨殺出来る程強くとも、その状況を容易く受け入れられる強さは持ち合わせていなかった。

 

 巨獣は一度大きく咆哮した。ビリビリと肌を震わせる轟音が響く。

 ちらりと視線を移せば、今度は巨獣の全身から魔力が立ち上っていた。

 

 膨れ上がる魔力の光の中で、巨獣は再び哭いた。

 同時に、全身から放射される光の波動。それは巨獣を爆心地とし、周囲を薙ぎ払い、飲み込みながら、広がっていく。


 全方位への放たれる破壊の波。回避は間に合わない。

 ツェシカはできうる限りの黒色の魔力を操り前面へと展開、衝撃に備えた。


 膨大な、圧倒的な深緑と、一滴垂らされたような黒色が、瞬間、激突。

 それは大きな波に攫われる小石のように、一瞬にして飲まれて消えた。

 

 地面には、クレーターが出来ていた。

 山は欠けた歯のように穴が開いていた。


「はぁ、はぁ、こりゃ、ちょっと」


 破壊の嵐が去った後、まだ辛うじて彼女は生きていた。綺麗だった肌は傷だらけに、衣装もズタボロ。急激な魔力の消耗によって、意識は朦朧としていた。

 

 それでも、すぐにわかった。目の前にいる巨獣が再び魔力を放出しようとしていた。深緑の魔力が再び全身からあふれ出ていた。


「化け物、め」


 山を吹き飛ばすほどの魔力放出を、まるであくびでもするかのように簡単に繰り返すその生き物は、常識の埒外にいた。超常の獣。まさに怪物だった。

 

 ――次は耐えられない。

 

 膨れ上がった魔力の波を見ながら、ツェシカは悟った。逃げることは不可能。つまり待っているのは、死だ。塵すら残らず、消し去られる。


 ひどく呆気ない最期に、思わず笑った。

 何の脈絡もなく、前触れもなく、予感もなかった。唐突に訪れた圧倒的な暴力に蹂躙される最期。きっと誰にも知られることなく、誰も悲しむこともない。

 何も残せず死んでいく。それに抗う事も出来ない。

 不条理で無情。

 終わりとは、こういうことなのかと、しみじみとツェシカは思った。


 もう一度、巨獣の咆哮が聞こえた。同時に、その肉体から魔力が放出。

 衝撃破を伴って、光が世界を埋めた。


 逃げる事も、生きることも諦めて、目を閉じる。

 痛みはなかった。あえていうなら、少しお腹が苦しかった。

 

「――…………ん?」

 

 ――終わりは、しなかった。


「乱暴にしちゃったけど、大丈夫?」

「え、あ、はい」

 

 意識が続いていることに疑問を抱いていると、近くで声が聞こえた。見上げると、そこには少年のようにも見える若い青年が立っていた。

 その時、自分が腹をもって抱えられている事に気付いた。


「改めて、とんでもないな。これ」


 遠くを見て、青年が一人ごちた。ツェシカがつられて視線を移せば、目の前にはゆらゆらと蒸気を上げる焦土。そこには少し前まで山があったはずだった。

 地面の割れ目から、マグマがあふれ出ている。

 揺らめく空気の、その向こうには例の巨獣が立っていた。


「…………むぅ」


 一度思考を停止してしまった脳は中々動き出さず、ツェシカはぼーっとその光景を見つめていた。


「さて、逃げよう」


 脱兎のごとく、巨獣に背を向けて駆け出す男。振り向きざまに、ツェシカはお姫様抱っこされる形になる。


 ――どうやら自分はこの男に助けられたらしい。

 

 それは彼女にとって、待望の出会いでもあった。


 簡潔に言えば。


 ツェシカはこの時、シロに惚れた。

 なお、本人に自覚はまだない。





「別に、助けてもらわなくても大丈夫じゃったがな!」


 カルダから離れ、たどり着いたのは山間にある小さな湖だった。

 降ろして開口一番に出た台詞がこれである。


『主が助けなかった場合の彼女の生存確率は0.08%以下になります』

『あんまり突っ込んでやるな。強がりだろう。自尊心高そうだし』

『典型的な吸血鬼の類型ですね』


 吸血鬼。それは魔法、科学世界を問わず存在する。血を糧として生きる超常の存在だ。もちろん、世界ごとの差異はあるし、科学世界においては、時折現れる偉人や超人をモチーフに創作される、いわば架空の存在として描かれる。

 では魔法世界に存在する吸血鬼とはどんなものなのだろうか。

 もちろん千差万別。果ては吸血鬼と呼んではいても血を吸わない奴までいる。

 

 ではどういう区分で彼らを分けているのか。

 

『命を定めた者たち、か。なんかこんな古典的な吸血鬼も懐かしいな』


 致命的な弱点を設定する代わりに、特別な力を得る。またはその技法そのものをさして、吸血鬼と定義していた。 

 

 例えば十字架や、太陽。心臓に杭、あるいは定期的な血飲。そういった弱点を受け入れる代わりに、特別な力、あるいは不死性を持つ。

 その弱点は、技法が生み出された背景に影響されるため多種多様であり、これが魔法世界における吸血鬼の差異の大きさを示していた。


 吸血鬼とは即ち、条件付きで強化、進化した人間である。自然、選民意識を強く持ち、傲慢で唯我独尊な輩も多くなる。

 典型的とは、つまりはそういう意味である。


「まぁ助けた事を理由にアナタから何か貰おうとか、そういうこと考えてないので。と、いうことでそれじゃ」

「え!? 待て待て! も、もう行くのか? 早くないか?」

 

 絡まれるのも面倒なので、シロはさっさと別れを切り出したのだが、女は思いのほか狼狽していた。


「いや、でも別に用ないし。二人でいる意味もないし」

「そ、それはそう、じゃけど……あ、妾の家、無くなってしもうたんじゃよ?」

「……俺に言われても」

「こんな怪我人の美女を放っておくのか?」

「もうほぼ怪我治ってない?」

「……」

「ほかに何か言いたいことは?」

「ぐ、ぐぬぬぬ」


 助けた時には傷だらけだった彼女の肉体は、既にほとんど消えていた。吸血鬼としての強力な自己治癒能力の賜物だろう。それどころか衣服も魔力で補修されているのだから、便利なものである。見た目的には、カルダにやられた要素は何も残っていなかった。


「じゃ、そういうことで」

「ちょ、ちょっと、待つのじゃ! なんでそんなすぐ行こうとする?」

「俺も別に暇じゃないから」


 彼はなにもたまたま偶然、カルダのいる場所にいたわけではない。

 

 シロが魔獣狩りを行った理由の一つは、カルダの足取りを掴むためであった。

 カルダをどうにかしなければ、この国を救うことは出来ないのだ。なればその足取りを追うのは必然と言えた。


 今現在も、シロの網膜にはこの国の地図が投影されている。表示されているのは、自分のいる場所、アテアラ達が向かった辺境伯領。そして、国崩しのカルダのこれまでの出現地点、そして暫定的な現在位置。そして未来の予測移動経路。

  

 それは魔獣狩りによって得た情報から逆算されたものだった。


 生息区域を跳び出した魔獣たちがどうしてそうなったかといえば、カルダが暴れまわったからに他ならない。はじき出された魔獣たちの位置取りを追っていけば、そこからカルダの行動の足跡が掴めてくる。

 カルダのこれまでの行動を読み取り、そして現在の位置情報をあぶりだす。過去と現在がわかれば、未来の行動も予測が立つというわけだ。


「むしろ今が一番、忙しい」


 シロとウルスは、カルダの足取りをすんなりと把握できたわけでない。膨大な情報をもってして、実際に遭遇するまでに二度、予測を外している。それはウルスの性能が低下しているためだけでなく、カルダの行動理由が依然まったく掴めていないためだ。何のために暴れているのかがまったくわからないのである。

 倒した生物を捕食するでもなく、行動に特定の規則性もない。

 カルダはまさに星の外からやってきた未知の生命体のようであった。

 そんな未知の生物をやっと補足したのである。シロにしても、この好機を逃すつもりはなかった。


「ぎ、ぐぐ、し、しかし」


 どうやら吸血鬼の女はシロとあまり離れたくはないようだった。一体何が目的なのだろうか。カリバルカの時とは違い、彼女は高い戦闘能力を有しているはずである。家が壊されたからなんだというのか。一人で、現状をどうとでも出来るはずだ。


『なんだ? もしかして俺の血が目的とか?』

『…………』


 吸血鬼としての縛りや都合があるのかもしれないとシロはそう考えた。

 ウルスは何も応えなかった。


「わ、わかった! 妾もお主についてゆくぞ!」


 何がわかったのか、シロには全然わからなかった。


「え、まじ?」

「大マジじゃ!」

「なんで?」

「そ、それは、じゃな、あ、そうじゃ! 助けられっぱなしというのもあれじゃしの! 妾は義理堅いからの、つまりそういうあれじゃ!」

「……まぁ、いいけど。でもほんとにいいの?」

「ん? どういう意味じゃ?」

「俺、カルダ――さっきの魔獣のところに戻るけど」

「…………え゛」


 その時の女の顔は、それはそれは酷い、苦々しい表情をしていた。 


「どうする?」


 本当は断ってもよかったが、その表情がなんだかとても人間臭くて、シロは面白がってその答えを彼女に委ねた。


「…………い、行く! 二言はない! 妾が行くと言ったら行くぞ! むしろ好都合じゃな! やられっ放しというわけにはいかんしな!」


 その割には、答えるまでに随分間があったが。


「ふーん。ま、そっちがいいなら別にいいけどさ」

「な、なんじゃ、その言い草は! 妾の供を出来るという幸運をもっと噛みしめた方が良いぞ!」

「ビビってるくせに」

「ビビっとらんわ! ……ほんとだぞ? ほんとだからな?」

「はいはい」

 

 吸血鬼ツェシカという女とは、こうして行動を共にすることとなった。

 その心の内も掴めぬまま、シロはそれを良しとした。

 

『昔と違って、我々の対応能力は格段に落ちています。マイナス面の不確定要素を増やすべきではないと思いますが』

『ま、旅は道連れって言うし。結構、縁とか運命とか信じるタイプだからな。俺』

『知ってます。悪い癖です』


 この出会いにも、きっと何か意味がある。

 シロはそう信じていた。


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