第15話 継承
「シロ、手!」
シロは言われるままに、血に濡れた手をアテアラに差し出す。繋がれた指と指
が絡み合い、しっかりと結ばれる。
「魔力流して」
言われるままに、シロの手からアテアラに魔力が流れていく。
今の彼には使うことが出来ない魔法へ、昇華できない魔力の流れが、アテアラを通して指向性のある力へと変質していく。
『対象の生命活動停止まであと五十秒』
人にとっての魔法とは、限られた人間だけが使えるギフト。天からの贈り物に等しかった。それが、多くの才無き人の手に渡るのは、馬車が電気自動車に代わるよりもずっと時間がかかる。
つまるところ、生まれ持っての才能。目に見えぬ翼を持つ者。魔法を使う人とは即ちそういう人間なのである。
そして選ばれた人間もまた、適正という言葉でふるいにかけられる。どれだけ勉強しても、才が無ければ望んだ魔法は使えない。それが克服されるのも、また途方もない時間が必要だった。
「はぁぁ」
純粋な魔法戦などで使用される魔法に作用する魔法を除けば、極論だが魔法に呪文や正確な術式はいらない。必要なのは明確なイメージであり、具体性をもった現実性などという言葉で表されることもある。もっともそれが簡単にできないから、人には呪文や術式を通して、想像を明確化する過程が必要だった。
適性のある人間が、〇〇という呪文を唱えたらこのような現象が起きます、という定義付けだ。適性の捉え方と、魔法がどう定義されたかは世界によって様々だが、基本は変わらない。
『三十秒』
ともあれ、適正がある前提でいえば、魔法の行使に最も必要なものは明確なイメージを維持し続ける集中力。膨大な魔力を扱う中で行うそれは、全力疾走しながら楽器の演奏をするような行為に近い。
『十、九、八、七』
アテアラの額にじんわりと汗が滲み、淡い青色の魔力光がアテアラから溢れた。
「
小さき魔女アテアラの魔法、その適正。
治癒、そして状態の維持。
「傷が……」
侍女の少女が、目の前の光景に感嘆の声を漏らす。
それはこの世界において紛れもなく、どこにでもあるものじゃない。選ばれた人間だけが使える、限られた奇跡。
親指大の傷跡が。体に空いた穴が、瞬く間に血に覆われ、消えていく。
それは奇しくも、先ほどまで戦っていた魔獣の魔法と似た光景だった。
『対象の生命維持を確認。カウントは不要となりました』
シロから魔力を与えられていることを差し引いても、アテアラにこれほどの能力があることは、シロにとっても予想外の事であった。
魔女の森にて、この世界における魔法の知識をある程度は手に入れている。だからアテアラならば、命を繋ぐことが不可能ではないとは考えてはいた。だがまさか完全に肉体の損傷を消すレベルの魔法を使いこなせるとは思っていなかったのだ。
『嬉しい誤算だな』
こういった魔法にも、もちろんリスクはある。今回のような外傷に対する治療において、肉体に直接関与する力を使っている以上、加減を間違えればどうなるかは想像に難くない。命の危険がなければ、アテアラだってこのような魔法を使うことはなかっただろう。現に、アテアラがシロの魔力を使い、自身の骨折治療にこの魔法を用いなかったのがその証左と言える。
魔法による治癒や治療という行為は、科学世界のそれと同様に非常に高度で、難しいものだ。全ての怪我や病気に聞く魔法など存在しない。それぞれの症状に合わせて、原因を見極め、適宜判断しなければなないのは、科学世界の医者と違いはない。
特に病気の類に関しては、対処療法や経験則に基づいた医療が基本であり、ウイルスという存在を認識できるまで、科学世界との差はそれほどない事が多かった。
例えば免疫力を高めることが、かえって症状を悪化させたり、自己治癒力を強化する事が、病気を進行させてしまったり。薬も過ぎれば毒に変わるのは、魔法であれなんであれ変わらないということだ。
「……ふぅ」
寿命一分の男にかけられた治療は二分ほど。アテアラの額から零れた汗が、地面に落ちると同時に、終わった。
「せ、成功?」
「大丈夫。生きてるよ」
「ほ、ほんと?」
「ほんとほんと」
目を見開き、頬を紅潮させたアテアラが恐る恐る、治療した青年の脈をとる。シロには触れずとも、命の危機が去っている事がわかった。流れた血液量、現在の顔色、呼吸、そして魔法が作用する過程、それらが結果を教えてくれていた。
「よ、よかったぁ」
声を出したのは、アテアラの横にいた侍女だった。涙を流しながら、安堵するメイドを横に、魔女はほっと息を吐いた。
シロはそんな彼女に小声で話しかけた。
「この魔法使ったことは?」
「……ないよ。おばあ様が使っているのを一度だけ見たことがあったけど、そもそも私だけだと魔力足りないし」
「じゃあ本当に初めての魔法を一回目で成功させたのか」
「い、いや、私だってあれよ? 使わなきゃ助けられないと思ったからだし、ダメで元々というか、選択肢がなかったというか」
「別に責めてないよ。むしろ褒めてる」
一度見ただけの魔法を一発で成功させるセンス。その魔法を使わなければ治せないと思い至った判断力と決断力。それに他者から供給された魔力を扱える技量。
多くの異才、異能を知っているシロをして、アテアラの才能は並外れていると言えた。
ただ、それだけではないこともまた、シロにはわかっていた。わずかにちらりと、アテアラの腰のベルトから下げられた魔導書に視線を送る。
『魔法を発動した時、わずかに発光が確認できました』
『アテアラの魔法の補正、補助をしてたな』
『私の先祖というのも、あながち間違いではないようですね』
祖母の形見というその魔導書は、やはり彼女のために残されたものだと、シロには思えた。死が予想より早く訪れてしまったことで、彼女に伝えられていなかっただけで、本当は生きているうちに渡すつもりだったのかもしれない。
国崩しの魔獣に破壊されなかったのは、本当に不幸中の幸いだったように思う。
「とりあえず、出来るだけ早くここから離れた方がいいかもな」
「ん? どうして?」
「雨が降りそうだから」
見上げれば、依然曇天の空。
ウルスの観測によればあと二十分もすれば雨が降り出すとの予測が出ていた。
※※※
「あ、れ?」
貴族の青年、カナリが目を覚ましたのは、知らない部屋の温かな
「カナリ様っ! お目覚めになられたんですね!」
いつから居たのか、部屋には自分のメイドであるハイカが居た。嬉しそうに笑うその笑顔は見慣れたものだったが、なんだかとても懐かしい気持ちになった。
「え、でもあれ? ハイカ? え、じゃあ、夢?」
「何言ってるんですか? 寝ぼけてるんですか?」
「それはそうかもしれないけど」
鈍い痛みが残る身体を起こし、自分の胴体をべたべた触る。穴なんて開いてない。当然と言えば当然だ。今も空いていたら死んでいる。
「僕生きてる?」
「ちゃんと生きてますよ」
「ここ、どこ?」
「キレンレジという街の、宿屋さんの寝台の上ですね」
「キレンレジって結構大きな街じゃないか……、っていや、違う。そうじゃなくて、いやそれも聞きたかったことではあるんだけど。どうして、僕は無事なんだ? どこから夢でどこから現実? 僕、魔獣に喰われなかった?」
リアルな痛みの記憶が、今も彼の頭の中にある。獣の臭い、血の香り、力が抜けていく肉体、沈んでいく意識。圧倒的な質感を伴った記憶が、カナリの脳裏に焼き付いて離れない。あれが夢だったとは、彼には到底思えなかった。
「すいません。まずは先に呼んでくるので待っててくださいね」
ハイカは言うが早いと、急ぎ足で部屋を出ていった。呼んでくるというからには、医者を呼びに行ったのだろうと察しはついた。早く状況を知りたい気持ちはあったが、慌ててもしょうがない。危機は去り、自分は生きているのだから、と気持ちを落ち着かせた。
「カナリ様~! お待たせしました!」
「は、早いね」
「隣の部屋に行って帰ってきただけなので」
ハイカが帰ってきたのは、思ったよりも、というかびっくりするぐらい早かった。医者が車で少し横になっていようか、なんて考えている間に彼女は帰ってきた。
「あの、いいですか?」
ハイカの背後から声が聞こえた。ひょこっと顔を覗かせたのは、大きな三角の魔女帽子を被った、小さな女の子だった。ハイカが横に避けると、少女の後ろに男が控えていた。白髪黒衣の男だった。
「アテアラ様と、インシローク様です。私たちの命の恩人ですよ」
「そう、なんだ?」
「あの、手、出してもらえますか?」
言われるまま、小さな魔女に手を差し出す。その手を、彼女の小さな手がそっと触れた。それから魔女は目を瞑ると同時に、手を伝わって彼女から微弱な魔力が流れ込んでくる。
「ありがとうございます。大丈夫そうですね」
少しして、魔女が手を離すと安心したようにそう言った。その言葉に横にいたハイカも、ほっと胸を撫でおろしていたようだった。
「えっと、ありがとう。魔女さん。それからお兄さんも。二人とも命の恩人だそうで」
記憶にはまったくないが、ハイカの信頼している様子と、自身が生きている事が何よりの証拠なのだろう。カナリは寝台の上で深々と頭を下げた。
「えっと……」
「俺達は別に。通りがかった縁というやつなので」
どこか困ったような言葉が返ってくる。その言葉だけで、彼らが悪い人間じゃない事が十二分にわかった。
「それでハイカ」
「はい?」
「僕が寝ている間の事、ちゃんと話してもらっていいかな?」
「あ、そうですね。簡単に言うと」
「言うと?」
「カナリ様を襲ったあの魔獣をこちらのインシローク様が倒して、カナリ様の怪我をこちらのアテアラ様が治してくれました」
「……えぇと」
「あの場所からここまでは、インシローク様にカナリ様を背負って頂いたんですよ。寝ていらしたのは二日程ですね」
それは確かに簡潔な説明だった。だが、納得が出来たかと言われると、微妙だと言わざる終えない。
「あの、火山の
「はい」
火山の主は、この国ではとても有名な魔獣と言える。
かの魔獣を有名にした、こんな逸話がある。
ある旅人が、地べたで苦しそうに転がる竜が見たそうだ。
竜が藻掻き苦しむというとても珍しいその光景にくぎ付けになっていると、なんと叫び苦しむ竜のその腹を食い破って、中から現れたのが、多頭のオオイヌ――火山の主だったという。
火山の主は、竜にかみ砕かれ、飲み込まれても死なず、胃の中で肉体を再生、そして内側から腹を食い破って出てきたのだ。
異常な再生能力と俊敏性を持ち、竜すら喰らう牙を持つ。
魔獣の危険性とやっかいさを物語る教本として、この国では多くの親がこの魔獣の話を子にするのだ。
それが一人の人間に、殺されたという。
カナリの常識では考えられない。それが事実だとするなら、目の前にいる人物はとんでもない逸材、あるいは危険人物と言える。
「……まぁ、運が良かっただけですよ」
謙遜するようにそういう男は物腰も柔らかく、とてもではないが魔獣を一ひねりするようなような強者には見えない。
「お二人は、あの〝カルダ〟にお住みになっていた山を吹き飛ばされてしまったのだそうです」
「そう、ですか。それは」
国崩しのカルダ。現在この国でもっとも恐ろしいもの。
王都を壊し、王を殺した災厄の魔獣。巷でも多くの名で呼ばれているかの魔獣だが、王侯貴族の間でカルダという呼称が定められていた。
「お二人は、これから、どちらへ?」
「……どちらへ?」
繰り返したのは小さな魔女――アテアラという少女だった。ジト目で横にいる男――インシロークを見上げていた。
「あては特に。常時とは違い、今はどこも大変そうですからね」
インシロークのその言葉に、カナリはちらりとハイカを見た。視線が合い、ハイカは小さく、しかししっかりと頷く。どうやら考えることは同じらしい。
「ではコールフィールド辺境伯領はどうでしょうか?」
「辺境伯領?」
「これは提案であり、お願いでもあるのですけど、私共の目的地がそこで。カルダの影響も小さく、居住地としては悪くないと思いますよ。それに私が提供できるものも少なくないかと」
これは双方にとって悪くない提案に思えた。
カナリは辺境伯領へ向かわなければならない。しかし護衛は消え、ハイカと二人では危険も多く、時間もかかるだろう。護衛、治療の得意な魔女の二人と一緒ならそれらの問題も幾分か和らぐ。なにより命の恩人に対する礼をするにも、辺境伯領ならばちょうどよかった。最低でも、二人の居住地くらいならば簡単に用意することができるだろう。
「し、シロ、ど、どうする?」
「うーん。どうしよっか?」
目の前で悩む二人。しょうがないことかもしれない。彼らから見れば、カナリの提案など、厚かましい貴族が自分に都合の良い言葉を紡いだようにしか感じられないのかもしれない。それも無理からぬことだった。
「あの」
ハイカが懇願するように、何かを言おうとしたその時だった。
「僕、次の王様になるみたいだから。多分、思ったよりは与えられるものはあると思うよ」
秘中の秘である、事実をカナリは口にしていた。
信じられないものを見るような目で、ハイカがカナリを見ていた。
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