第2話 現状把握


 インシローク――シロの中に存在する人工知能ウルスが目を覚ましたのは、彼の意識が浮上する二十時間程前の事である。AIである彼女(正確には性別はないのだが女性モデルの声であるため便宜上の表記である)は、魂の融合者たる主人シロと感覚器官を共有している。しかし、組み込まれた魔法術式によって、主の感覚器官に頼らず、外部の認識を可能としていた。


 だが、どういうわけか、その魔法術式が発動しない。空気中に魔素マナは存在している。体内で生成される魔力にも問題はない。術式に破綻はなく、力の運用は全て正常である。だが、どういうわけか発動しないのである。


 原因は不明。また現状、その究明も不可能と判断するしかない。

 魔法による状況の把握は不可能である。

 そう判断したウルスは、覚醒していない主の感覚器官を通して、情報を集めることにする。

 

「―いg――――iーu」

「――a」

「――――o」


 意識がない以上、網膜を通した視覚情報は手に入らない。現状一番有用な情報元は、耳から得られる音である。

 主の近くで、誰かが会話をしている。しかし、その言語は、ウルスのデータベースには存在しないものであった。その事実は、おそらく彼女が人間であったなら驚愕していた事だろう。


 補佐人工知能であるウルスの中には、主人の補佐のため多種多様な言語情報が収められている。その言語数、実に五十万。次元世界の主要言語のほぼ全てを網羅していた。科学の拠点世界である地球の言語数が、一万を下回ることを考えると、その数字がいかに膨大な数であるかがわかるだろう。

 だが主の外で話されている言語は、その約五十万言語のどれとも違うものなのだ。


「――とにかく時間がありません。先を急ぎましょう」

 

 どうやら女性の言葉で話がまとまったようである。

 

 ウルスの本領は演算補助と、情報管理。しばらく外の会話を聞いていれば、言語のパターンを把握、似た言語系統などの情報を統合してすぐにその言葉を理解する事が可能であった。


 程無くして、主の身体から揺れを感知する。どうやら車か何かの荷台に乗せられて運ばれているようだった。馬の嘶きや、蹄の音から考えて馬車の荷台であることが把握出来る。

 

 荷台の中には、主の他にも複数の生命活動が存在している。人、ないし人に近い何かである。息の仕方から考えるに、誰も彼もが意識がないか、怪我をしているようだった。鎖や手錠のようなものの音が感じられないことから、犯罪者や捕虜を運んでいるわけではなさそうだ。負傷者の輸送だろうか。


 漏れ聞こえる音だけでなく、感触、匂い、空気の湿度や濃度、味覚、そして魔力の反応まで含めて、視覚を除くほぼ全てから情報を収集し、まとめていく。

 

 伊達に英雄の補佐をやってきてはいないのである。その性能は折り紙つきであった。


 その情報集積の結果、彼女が出した解答は以下のものである。


 まず第一に、この世界はこれまでの彼女が知る世界とはかけ離れたものであるということ。

 それは新たな未開の次元、というよりももっと大きな、言うなれば世界の根幹、根本の在り方から違う世界だと言えた。


 そう考えるにいたった最大の要因は、魔法である。魔力は反応を感知する事は出来る。出来るのだが、ウルスの権限に許されたあらゆる魔法はその効果を発現することはなかった。


 おそらく彼女の居た世界とは、法則が違うのだろう。

 魔力を生成し、魔法へと昇華させる計算式が、この世界では成り立たない。ウルスはそう仮定していた。

 もしくは同じものと感知している魔力そのものが、そもそも違うのかもしれない。

 彼女の知りえない、感知できない何かが、この世界には存在している可能性もあった。


 これらの情報を収集している間、同時進行で、主の身体の状態もしっかりと把握し、管理も行っていた。


 意識こそ戻っていないが、主の身体は正常に生命活動を行っている。しばらくすれば目を覚ますことだろう。だが楽観できない。なぜなら主は、確実に、かの世界で死んだはずなのだ。


 それが突然、どことも知れない世界に飛ばされている。何が起きても不思議はない。その上、治癒魔法の類も使えない。魔力は生命力なので、ただそれだけでも治癒促進強化は出来るのだが、蘇生や再生といった高度な回復魔法は使用できない。


 それに周囲の人間たちの動向も気になる。敵意は感じられないが味方と安易に考えるわけにはいかなかった。

 

 状況によっては、ウルスが強制的に身体を動かす必要があるだろう。しかし、死んだはずの主が生きているという人工知能にとってもあり得ない出来事が起きた後である。ウルスとしても、主が自発的な覚醒をするまで極力肉体に干渉するのは控えたかった。

 

 だが、生きているのだ。

 死んだはずの、我が半身、終わったはずの我が主は。

 

 人工知能にも感情はある。

 無論、ある程度の抑制はされてはいるものの、主の生存をウルスは心より喜んでいた。


 慌てることはない。警戒は必要だが、主と自分ならどんな窮地でも乗り越える。乗り越えられる。ウルスはそう考えていた。人工知能としての合理性ではない。彼女が、彼と共有する魂が、そう考えさせていたのだ。


 だから彼女は、情報を収集しながらゆっくりと、待った。


 我が半身の、そして英雄の帰還を。







『なるほど……異世界ね』


 シロが、ウルスから与えられた情報を改めて整理して理解するのに要した時間は、彼が覚醒してから十秒と掛からなかった。

 

 彼と彼の補佐人工知能であるウルスは魂で繋がっているため、その情報の交換速度は極めて速い。彼らの記憶領域はそれぞれ独立しているが、情報の共有自体は一瞬の間に終わる。与えられた情報は、ウルスによって補強されている情報処理能力によってこれまたすぐに理解する事が出来た。


 シロは、一先ず立ち上がった。体の節々が、久方ぶりの動作に鈍い痛みを返す。両手を開いたり閉じたり、首を回したり、屈伸をしてみる。血が全身を巡っている。手足の末端から、体が生き返っていくような心地だった。

 

 そして、改めて、インシロークは実感する。


 生きている。自分は生きているのだ。 


『少し肌寒いな』

『贅沢はいえません。この世界に来たとき、主は裸でしたから』

 

 ウルスの言葉を肯定するように、今の彼の衣装はひどく年代物で見たこともないようなものであった。ぶっちゃけて言えば、ボロい。上は今でいうシャツに近いがボタンがなく、裾の一部に通された紐で縛って固定するようだ。下はいわゆるズボンの一種だろうが、丈が短く、ハーフパンツのようである、ちなみに両方とも所々が擦り切れて穴があいている。靴も動揺で、穴こそ開いていないが、どこもかしこも擦り切れている。とはいえ、与えられただけ感謝しなければならないのだろう。


『ここはどうやら軽症の負傷者を集めている場所の様です。主は肉体的な損傷がありませんでしたから。優先度の低い相手にはこの程度で十分だと言う事でしょう』


「ナァ」


 誰か対話可能な人物を、そう思ってシロが足を動かそうとすると、その足もとから声が掛った。


 正確な時刻はわからないが、今は夜。薄暗い月明かりが窓から差し込んでいるとはいえ、視認性は悪く相手の顔は伺えない。

 

 てっきり寝ているものとばかり思っていたが、起こしてしまっただろうか。


「すまない。うるさかったか?」


 シロはウルスが学習したこの世界の言語でもって、足もとの人物へと話しかけた。とはいえ、彼はこの世界の言語、体系を理解しているわけではない。彼は自分の母国の言葉を話すように自然に話しかけている。それをウルスが補正することで、この世界の言語として出力しているのだ。


「イヤ」


 言葉を聞くのも同様である。ウルスの補正によって、インシロークにとっては、母国語を理解するのと変わらぬように、この世界の言葉を聞いていた。その上、視覚を補正することによって、文章さえも、同様に読み書き出来るようになる。


 ウルスのような情報補佐をそれぞれの人間が持てば、喋りたい言葉を喋り、聞きたい言葉で聞き、書きたい言葉で書き、読みたい言葉で読むことが出来る。この人工知能の補佐技術によって人は言葉の壁を超えたのだ。


「大丈夫、ナノカ」

「おかげ様でな。体に痛みらしい痛みはないよ」


 視線を合わせるように、インシロークはその場に片膝をついてしゃがんだ。


 薄暗闇の中響く声は低く、片言であった。これはウルスが収集した言語情報が少なく、完璧に言語を習得していないからではない。彼の言葉が上手くない、もしくは訛っているのだ。おそらく彼の母国語は別に存在しているのだろう。ウルスが学習したのはあくまで、これまで周囲で話していた誰かの国の言葉だ。目の前に座る彼の母国語と同じであるとは限らない。

 

 そもそも、まず見た目が違った。

 目の前の彼は、人のように二足歩行でありながら、その顔はその顔は獅子に似たネコ科の動物に近い。貌だけでなく、逞しい腕や足の多くを白い体毛に覆われている。

 インシロークの世界にも、同種の存在は居た。亜人の一種である獣人である。


 相手がなんであれ言葉が通じるのであれば特に問題はない。


「すまないが変な事を聞いてもいいか」

「ドウシタ?」

「記憶が混濁しているんだ。というか、ほぼ直近の事を何も覚えていない。いろいろと教えてくれないか」


 信じてくれるだろうか、と一抹の不安はあった。国の状況によっては身元不明の人間はそれだけで排斥される状況というのも十分に考えられる。


「…………ソウ、カ。無理モナイ」


 しかし彼の反応を見るに、その心配はなさそうである。むしろ彼の表情の中に現れた憐れみが酷く気になった。それはつまり、この場所の状況があまりよろしくない可能性を示唆していたから。

 

 もっとも、その可能性自体はウルスによって提示されてもいた。シロが起きるまでの間の集積によって得られた僅かな情報の中には、この世界の逼迫した状況を示すものがいくつも見られた。


「……チョット待ッテクレ」


 のそりと、彼はゆっくりと立ち上がった。大木を思わせるほど、その身体は太く、重量感がある。近くで見れば大小の傷が体に刻まれていた。傷はすでに塞がっている。最近出来たものではないだろう。それは紛れもない闘争によって出来たものだとわかる。


「付イテコイ」


 獣人の彼は背を向けてゆっくりと歩き出す。

 

「どこへ行くんだ?」

「私ハ、言葉ガ上手クナイ。ダカラ、案内スル」


 どうやら、説明してくれる相手の場所まで案内してくれるようである。

 

 無理もないだろう。彼からしたら、インシロークの方が、彼よりもこの国の言葉を流暢に喋るのだ。もちろんインシロークにそんな意識はないが。だが片言の言葉で伝えるよりも適任者を示そうと考えるのは自然だと言えた。


「ありがとう。ええっと」

「……名ハ、ヴィルカ、ト言ウ」


 名前だけを告げる簡潔な言葉だった。


「ヴィルカ、ト呼ベ」

「そうか。ありがとう。俺の名前はインシローク。インシローク=フェアルイティ。シロとでも呼んでくれ」

「……アァ。ワカッタ。シロ」


 薄暗い廊下を抜けていくと、やがて蝋燭の明かりが増え、人の足音が聞こえてくる。そして同時に血の臭いも強くなっていった。


『主』

『あぁ……戦だな』


 この場所は城壁の中だ。そしてこの国は、おそらく戦争をしている。

 文明のレベルや時代、果ては次元さえも違うが、本質とは何も変わらない。英雄の経験と勘が、それを告げる。

 

 状況は逼迫している。

 そしてこの場所に敗北の気配を、感じていた。


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