第3話 領主と魔獣
眠っていた建物から出てしばらく歩き、ようやく自分が居る場所の全容が見えてきた。街を囲うように高い石造りの壁が立てられている。インシローク――シロが寝ていたのも、その城壁の一部だろう。
ずいぶん大きな街であった。街の規模や造りから見るに、国内における主要な交易都市の一つのように感じられた。
『……酷いな』
その規模の大きな街の道の端には、着の身着ままで寝ている人の姿が見られた。空地などには簡易のテントのような布が張られている。おそらく戦火によって街の許容量以上の人がこの街の中に押し込められているのだろう。
視界の端で、汚れた包帯や、ボロイ服の切れ端が風に舞っていた。
『どう思う?』
『まだなんともいえませんね。文明レベルは高くないかと。大体、近代よりの中世といったところでしょうか』
脳内で行われたその問の意味は、この惨状の原因についてだ。
どう見ても戦時のような状況だが、それが真実なのだろうか。もし戦争だというなら、それはどういった争いであるのか、それらを早急に知る必要があるだろう。
「ココダ」
シロを先導していたヴィルカの足が止まった。
この街のほぼ中心地。大通りに面した二階建ての大きな屋敷の前だった。門の前に立つ衛兵に一声かけた後、ヴィルカが先導して中へ入っていった。案内されたのは、その建物の二階奥。
彼が先導して部屋に入ってしばらく、中から扉が開かれる。
「お入り下さい」
部屋の中央で彼を迎え入れた人物が立っていた。
甲冑を着た子供だった。幼さの残る少女である。十歳前後と言った所だろうか。長い金色の髪が鈍く光る甲冑に僅かに反射している。
ヴィルカはそんな彼女の斜め後ろに静かに控えていた。彼は元々、シロが起きたらここに連れてくるために傍に居たのかもしれない。
「体は大丈夫ですか?」
「はい、おかげ様で」
僅かに驚いたものの、シロはそれを表に出すことはなく、静かに頭を下げた。
別に不思議な事ではないからだ。有力な王族、貴族の子供がある程度の地位に据えられる。科学世界でもまま見られたことだが、魔法世界では特にその傾向が強かった。というよりも、魔法によって発展している世界というのはどうしても血統主義になりがちだ。どうしてかというと、特権階級に居る人間には何かしらの特殊な魔法技能を有している事が多いからである。武力に直結する特異、特殊、目に見えて優れた技能。魔法のない世界よりもずっとわかりやすく、それがある。それだけで、人の上に立つ資格足り得るのだ。
「初めまして。グレア=ファウラ=コールフィールドと申します。若輩ながらこのリテルフェイドを治めさせていただいております」
優雅にお辞儀をするグレアに合わせて、シロも合わせて名を告げて頭を下げた。
言葉も所作は大人びていてこなれた様子だったが、声色にまだ幼さが感じられた。
「それで……記憶がない、と聞きましたが」
「えぇ。覚えているのは名前くらいで、シロって呼ばれていたことくらいですかね」
「……住んでいた場所や、家族に関しても、何も?」
「はい。まったく」
「そうですか……それはお可哀想に」
言葉だけではなく、まるで本当に自分の事のように、グレアは悲しそうに目を伏せた。そんな彼女の姿に、シロは少し申し訳ない気持ちになる。だが、嘘だと告げるのも都合がよろしくない。もちろん馬鹿正直に別世界から飛んできましたなんて告げれば、精神に異常があると判断されてもおかしくはなく、真実など言えるはずもなかった。
「でも心配はしないで下さい。何もしなくてもいい、とは言えないですが、出来る限りのサポートはさせていただきますから」
信じられないほどありがたく、そして温かい言葉だった。
「あの……どうしてそこまで。自分でいうのもあれですけどかなり怪しいと思いますよ、俺。嘘ついてるとは思わないんですか?」
だが、そんな善意をただ信じられるほど、シロは善人として出来てはいなかった。
言葉は濁したが、敵国の人間が内部工作のためにあらゆる手段を使って侵入する。古来より行われてきた戦争の常道だ。この国が戦争中なら当然の配慮をしないわけがない。そして近代より前に行われたそれらの主な対策は、疑わしきは罰する、である。疑惑を掛けられたなら、拷問して壊して終わり、だ。侵入を許すくらいなら、無実の人間が死んでもしょうがないのである。
「……それは大丈夫でしょう」
グレアは自嘲するように笑った。
「貴方のその言葉が何より物語っている、とでもいいましょうか。というかどんな立場であれ、悪意のある人があのような姿でいるのはおかしいと言いましょうか」
「?」
途中から妙に声を小さくしてボソボソと呟くようにグレアは言った。聞き取りづらく、また意味もよくわからない。シロはもう一度聞き返そうとした時だった。
「……っ」
グレアは何を思ったのか、僅かに頬を赤らめ、顔を背けた。
「と、とにかく、大丈夫です。貴方が仮に嘘を付いていても、他の国の人間であっても、それは大した問題ではありません。この国の中で、倒れていた貴方を助けるのは当然のことです。今ここに居る、この大地に住まう全ての人々が力を合わせなければならない時なのですから」
含みのあるその言葉に違和感を覚えた。決定的な言葉を口に出すか、少し迷う。それでもここで訊いておかなければならないと思い、口を開いた。
「あの、この国に一体、何が?」
この世界を、今を知るために、あるいはそこに自分がここに居る理由があるような気がした。
惨事を伝える街の光景。慣れ親しんだ血の臭い。
それは決して、自分と無関係だとは思えなかったのだ。
「……本当に何も覚えていないのですね」
情報が一般市民にある程度解放されるのは近代以降の話だ。情報の統制、速度はそれ以前と以降では大きく異なる。この時代、人の口に戸は立てられないとはいえ、為政者や権力者が情報を封鎖しようと思えば、かなりの効果を持つはずである。
しかし彼女のその口ぶりから察するに、すでに国民の多くが知ってしまっている事なのだろう。
「一月ほど前の事です。新種の魔獣が出たんです」
「魔獣、ですか?」
知らない言葉でなかった。むしろ魔法のある世界では馴染み深い言葉だった。魔法という存在とその恩恵は、何も人だけが受けるものじゃない。当然、他の生物の中にも、その恩寵を強く受けるモノが出てくる。それが魔獣だ。神と崇められることもあれば、禍と忌避されることもある。彼らは、一個生物としては格上の生物である。魔法のない世界でいう、素手の人と熊のようなものだろうか。
単純な戦闘能力では勝てない相手だ。
しかも魔法のある世界で、人が勝てないような存在である。科学世界の基準ではとても考えられない超常の生物と言えるだろう。
「大群で押し寄せたのですか?」
「いいえ、たった一頭ですよ」
「……一頭?」
「たった一頭の魔獣に、多くの街や村が焼かれてしまっているんです」
竜などの超常種による破壊や殺戮は、魔法世界の常だ。それは戦争ではない。もっとも近い言葉は災害といえた。
だが魔法世界の国家とは、そういった出来事の中で発展してきた世界だ。文明の規模を考えても、そう易々と負けるほど弱くはないはずである。
「大丈夫ですよ。ここは魔獣が出た場所からは離れていますし、今、我が国の国王が自ら陣頭に立ち、最強の軍団を率いて戦っていますから」
安心させるようにグレアは先程と同じ笑みを浮かべていた。
たった一頭の魔獣に国が侵される。俄かには信じられないが、だが納得できる事も多かった。焼け出された村民や、自主的に避難する人で被害地域周辺に人が多く散っているのだ。このリテルフェイドもそういう街の一つなのだろう。
シロが疑われずに受け入れられた事も、よく理解出来た。今、この国に侵入しようと言うなら、魔獣の被害者を装う方が簡単だ。魔獣の事も知らないような人間を送りこむ意味など感じられないだろう。
「提供できるものは決して多くはありませんが、ようこそリテルフェイドへ。歓迎いたします。インシロークさん」
幼い街の長に、インシロークは感謝をこめて頭を下げた。
彼女との面会はそうして何事もなく終わった。
――さて、これからどうしようか。
一人に戻って、彼とAIは静かに考え始めた。
※※※
「ドウ、デシタカ?」
インシロークが退室した後、横に控えていたヴィルカが言った。
「問題は特になさそうですが……もう少し、まともな服は与えられなかったのですか?」
「申シ訳アリマセン。デスガ、優遇ハ出来マセン」
「そうですか……ままなりませんね」
平時ならば特に問題にはならないだろう。だが今は状況が状況だ。下手に与えすぎれば、返って危険な目にあわせてしまうかもしれない。
とはいえ、グレアにも記憶障害は想定外であった。それらしい外傷など見られなかったので、それほど心配はしていなかったのだが。事情が事情ではあるのだし、もう少し施しを与えてもいいのではないかとも思う。
「インシロークさんには明日一通り、生活できるだけの手配をお願いします。記憶がないのですから、それくらいはいいでしょう」
「ワカリマシタ」
そうヴィガルに簡単な指示を出して下がらせた。
部屋に一人、ようやくグレアは肩から力を抜いて、大きくため息をついた。へばったように机の上に突っ伏し、ぐっと身体を伸ばして、もう一度考える。
「……インシローク、さんかぁ」
不思議な人、というのが彼に対して、グレアが抱いた素直な感想だった
見た目は二十前後くらいだろうか。見た目だけならもう少し下にも見えるが、どうもそう感じられない。風格とでもいうのか、幼さの様なものがてんで感じられなかった。父や祖父と話しているような、そんな感覚さえあった。
記憶が混乱しているとは聞いていたが、言葉は上手く、態度も落ち着いていて会話の端々に知性を感じる。態度だけ見ればとても記憶を失っているとは思えなかった。だが魔獣を知らないあの態度に嘘は感じられない。本当に知らないのだと、直観的に理解させられた。
魔獣。この国に現れた災厄。魔獣と称しているものの、それは今まで現れたそれらとは一線を画していた。画していた、というか、別物といってもいい。
「……」
グレアは、先ほど、彼に一つだけ嘘をついた。
彼には、この国は大丈夫だと伝えた。国の本隊が戦っているから、と。
だがそれは真実ではない。まるで国が本腰を入れて討伐に乗り出したような言い方だが、そうではないのだ。魔獣が国の中枢、首都を襲ったから、本隊が守りに入っただけの事。
その上、戦況はあまりよろしくはない。王が自ら指揮をとってはいるものの、王都とは本来戦とは無縁でなくてはならない。襲われた時点で、既に大丈夫とは言い難いのだ。
それでも、グレアは勝利を疑ってはいなかった。王と、その直轄である王国軍の精兵。そして各貴族、領地からも精鋭が派遣されている。この国の最強がそこに集っている。いくら魔獣が一個体として優れていても、所詮は一個、一生命、能力には限度があり、限界が存在する。この国の全力、全武力を、持ってして負ける事などあり得ない。
グレアはそう信じて疑わなかった。
だが、負けはないが、勝てるかは、また別なのだ。
例えば、魔獣が敗北を悟り、敗走する可能性。
撃退する事と、命を奪えるかは当然等しくない。逃げに回った魔獣による被害は甚大なものになるだろう。もしかしたらこちらに逃げてくるかもしれない。そうなったらどうなるか、考えるだけでも、恐ろしい。
それでもいずれは勝てるだろう。だが、そのとき国が無事でいられるとは限らない。既に多くのものを失っている。いかに、これ以上失わずに勝つことが出来るか、それが問題なのだ。
これは紛れもなく国家の存亡を賭けた生存闘争なのである。
事の大きさに、彼女の身体が思わず震えた。
この街一つといえど、彼女の肩にはこの国家の存亡、その重責が圧し掛かっているのだ。
いかに大貴族の血を引いているとはいえ、彼女はまだ十を数えたばかり。この街の領主の座だって、本来なら街の統治と実務経験を覚えさせる程度のものだったのだろう。人が足りていれば、家から兄弟や姉妹が助けに来てくれたかもしれない。
だが状況がそれを許さない。
国が荒れれば人も荒れる。
盗賊は増えて、物資は足らず、街には人と病気が蔓延する。
彼――インシロークも、魔獣に直接、というわけではないだろうが、そうした二次被害の被害者なのだろう。
そうでなければ、あんな場所で、あんな格好でいるわけが――。
「っ!」
突然、グレアの顔が真っ赤に染まった。
恥ずかしさで顔を両手で押さえる。考えないように、忘れようと心掛けるが、そうすればするほど頭の中の記憶は鮮明に蘇ってくる。
実は、倒れていたインシロークを見つけたのは、他ならぬグレアであった。
物資や状況確認など外交のために余所の街へ出かけた帰りの事である。馬車を引く馬を休ませるために止まった駅舎の近くで、彼女は倒れて意識のない彼を見つけたのだ。
そう、全裸の彼を、である。
グレアは異性のそういったものを、見たのは初めてだった。当然と言えば当然で、彼女は育ちのいい貴族のご令嬢。そんなもの見る機会などそうはないのである。
自分とは似ても似つかぬ、異性の身体。絵以外で初めて見たそれを、彼女は好奇心に負けてマジマジと見た。見てしまった。脳裏に焼きつくほど、ばっちりと。
「ぅぅ~、ああぁ、ダダダダ、ダメです! は、はしたない!」
グレアはブンブンと頭を振って、記憶の中の映像を振り払おうとする。
育ちがいいので、この国の情操教育は一通り受けている。異性のそれはおいそれと見てはいけないものだという認識をグレアは既に持っていた。
貴族として、領主として、なにより女性として、こんな事考えるなんていけないことだ。そう思うのだが、強く思えば思うほど、思い出してしまうものなのだ。
それからしばらく、彼女は部屋で一人、好奇心と羞恥心の戦いを続けたのだった。
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