人工知能と英雄と、滅びゆく異世界。
伊佐村ひさき
異世界放逐編
第1話 英雄とAI
英雄も、いつか必ず死ぬ。
人である限り、それは避けられぬ現実だ。
どれだけ時代が進んでも、どれだけ魔法が発展しても、科学と知識が集積されても。変わらぬことのない、絶対の不変。いつか必ず終わりはやってくる。
今、ある一人の偉大なる英雄にも、死が訪れようとしていた。
吹雪吹き荒れる雪の中、白髪黒衣の青年が膝をついて項垂れている。
マイナス五十度以下という生物が生きるには極限と言える状況ではあったが、彼に迫る死因は、しかし凍死ではない。では、男の遥か上空に浮かぶ巨大な船――宇宙はおろか次元すらも航行する魔導戦艦が向ける砲口だろうか。それもまた、違う。
死にかけの男がゆっくりと顔を上げる。続けてゆっくりとその細い指をはるか先の戦艦へと向けた。
――魔法展開、術式名称‘神は終わりを知らない’
心の声に反応するように、指先の空間に浮かぶ多重の魔法円。鮮やかな赫い光だった。
瞬く間に、魔法円の中心から閃光が走った。
それは時間すら歪めることで光より速く、成層圏へ浮かぶ魔導戦艦へと到達。戦艦の持つ魔導障壁を直撃。同時に粉砕。戦艦の胴体を貫通し、艦は真ん中からへし折れるように爆散した。その魔法はあらゆる物理、魔法の障壁を破壊し、捻じ曲げ、ありとあらゆるものに終焉を告げる、およそ人が行使しうる魔法の一つの極致ともいえた。
僅かな時間の、とても容易く行われた戦闘の結果。
しかし、言ってしまえば、その容易さこそが、英雄の英雄たる所以であった。
卓越した魔導師とはいえ、一人の人間が戦艦を落すなんてことが、そうそう出来るはずもない。もし誰にでもそれが行えるようなら、あんな巨大な塊が魔導戦艦などと呼ばれ、造られることはないだろう。
あの戦艦こそ、魔法と科学の粋。
本来なら一隻で国はおろか一つの星すら制圧できるほどの武装を有した至高の兵器である。
それは魔法と科学の歴史の集積。
二つの世界が奇跡的に交わり、誕生した奇跡そのものと言えた。
魔法の世界と科学の世界。
それぞれの世界で発展した技術は、奇跡的に同時期に次元の壁を超える技術に辿り着いた。互いに発展していた世界と世界は、争いよりも協調する事を選ぶ。もっとも戦争にならなかった理由は倫理や人道などではなく、互いに次元を超えてまで奪い合う技術が乏しく、相手が未知数であったためだろう。
そうして魔法と科学が融合し、発展した世界。次元を渡り、新たな次元と文明を見つけ、開発し、研究し、まさ人類は栄華を極めていた。
そんな世界でも、人は争い続けていて。
そんな世界で、生まれた英雄こそが彼だった。
空から、戦艦だった残骸が降り注ぐ。よくよく見れば、彼のまわりの雪の中には同じように炎を上げて燃えている科学と魔法の残骸、そして人だったものが散らばっている。
英雄の人生最後の戦闘は、やはり勝利で幕を閉じた。だが目の前の戦闘にこそ勝利したが、ここで死んでしまうのだがら、これは紛れもない敗北だろう。
『――主』
頭の中で声が響く。それは英雄の魂と融合した
『どうした?』
『主の生命活動は、あと六十秒で終わります』
『……そうか』
頭の中で行われた寿命の宣告。
彼の、英雄の死因は、寿命だった。病気ではない。魔導の極点に至った彼は、しかしその決して永くはない半生の大半を戦場にて過した。その結果、彼は英雄と呼ばれるようになったが、生き残るために続けてきた無茶のツケを払うときが来たのだ。
『馬鹿ですね』
人工知能の罵倒が、彼にはどうしてか心地よかった。
英雄にはわかっていた。この戦争を始めた時点で、この結末は目に見えていた。戦場へと赴かなければ、あるいはもっと永い余生を過ごすことが出来ただろう。
わかっていても、赴いた。
戦わずにいることが出来なかった。
ただ、死んだ友のために。
それだけが彼が死ぬとわかっていて、戦争に参加した理由だった。
国に、世界に殺された友がいた。手酷い裏切りによって、謀殺された親友がいた。それが許せなくて、だから戦った。酷く単純な、ただそれだけの理由だった。
たぶん馬鹿なのだろうが、でも悪くない。
悔いはない。そう、心の底から満足して英雄は笑っていた。
ゆっくりと、目を瞑る。
心地よい睡魔が、その身を包んでいた。人生の終わり。血に塗れた人生の終わりは驚くほど穏やかだった。
こんな自分が、こんな終わりでいいのだろうか、そう思わずにはいられなかった。
『主』
いつもと変わらぬ無機質な、魂を分けた相棒の声。
もう返事をするのも、億劫だった。
項垂れるように、頭を垂れて。
英雄は、静かにその生命活動を終えた。
『お疲れさまでした』
その声を最後に、彼の意識は暗闇へと沈んでいった。
永久なる闇。その深淵へと深く、深く、底へ、底へ。
薬が水に溶けていくように、静かに消えた。
こうして類まれなる一人の英雄は、死んだ。
――。
――――。
――――――。
――――――――。
――――魂が、『カタン』と、揺れた。
その揺れに、英雄の意識は急速に浮上する。決して出ることのないはずの深淵から。底の、底から、浮いてくる。
それはとても呆気なく、寝過ぎた子どもが慌てて起き出すように、英雄は再び、意識を取り戻した。二度と開けるはずのなかった両の瞼が持ち上がる。
『おはようございます』
彼が状況を把握するよりもはやく、彼の相棒の声が聞こえた。
再び開いた目に飛び込んできた世界は、しかし薄暗い。
まずは状況を確認しなければ、混乱しつつもそうすぐに判断できるのは、さすが、腐っても英雄と呼ばれただけのことはある。
『主、どうやらここは我々の知らぬ未知の異世界のようです』
彼が問うよりも速く、彼の相棒は、速やかに彼の疑問への解答を教えてくれた。
さすがは魂を分けた相棒である。いつでもどこでも、頼りになる。
「――は?」
間の抜けた声が零れた。
死んだはずの英雄、否、ある世界では英雄だった魔道師インシローク=フェアルイティは、突然、見知らぬ世界へとやってきていたのだった。
相棒の言葉に、疑問を抱きながらも、薄暗い闇に眼を凝らす。
彼が今まで寝ていたのは、冷たい石畳の上にボロキレのような薄布を引かれだだけの場所。外ではない、だが部屋の中でもなかった。廊下だ。床と同じように壁も天井も石造りの古臭い、建造物の廊下であった。
彼のように廊下で寝かされている他の人間のうめき声が聞こえる。
古臭くはあるが、しかし違う世界とはどういうことだろうか。
相棒――魂魄融合型人工知能、個別名称‘ウルス’の言葉がなければ、たまたま生き延びてしまったのかと、まず考えただろう。だが彼はウルスの言葉を決して疑わなかった。彼女――ウルスがそういうのならば、何か理由があるのだろう。
なぜ生きているのか、理由は不明だが、とにかく生きている。意識がある。ならば、まずはなにをする。まずは現状の把握が最優先だろう。
悲観はしていない。焦りもない。
彼にはそれだけの実力と、経験に裏付けされた自信がある。
だが。
『主、どうやらこの世界では、我々の世界の魔法は使えないようです』
「そうか……――ん?」
『魔法が使えないようです』
珍しく、彼の意識が完全に止まった。
インシローク=フェアルイティは、稀代の魔道師として名を馳せた英雄だった。その彼の魔法が使えないということは、つまり長所が死んでいるということである。
英雄は、死なず。唯、どこともしれない異世界に去った。
ただし培った魔法は使えないようである。
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