第4話 腐女子とリアルでファンタジーな話

 こんにちは、腐女子です。最近、リアルで推しカプの友人ができました。

 ……ん~、いや、まあ、厳密には友人というか、知り合いというか、顔見知り……?

 まるで妄想のようだが、そんなことはない。そんなことはない、はずだ。うん。

 事の発端は、ジミーが私の働いている店の前を通りかかったことに始まる。ちなみにジミーというのは私が勝手につけたあだ名で、れっきとした日本人だ。本名は知らない。ジミーは一言でいうと、地味な顔立ちで地味な存在感の、とにかく地味な若い男だ。大学が近くにあるので、恐らく大学生だと私は踏んでいる。

 もしかしたら、すでに何度も店の前を通りかかったことがあるのかもしれないが、私はその日までジミーの存在を認識したことはなかった。では何故、その日はジミーに目を止めたのか。それはジミーが店の前で足を止め、ガラスのショーケースの中を食い入るように見つめたからである。

 ちなみに私が働いているのは若い女性向けのジュエリーショップだ。駅に併設されているショッピングモールの狭い貸店舗に入っていて、売り上げはよくない。置いている品物の価格帯は大体三千円から五万円程度で、可愛い華奢なデザインのものが多い。お近くにお越しの際は、是非お寄りいただきたい。

 そんなわけで、この店に立ち寄るのは主に若い女性だ。そして最も人目に付きやすい通路側のショーケースには、手頃な値段の新商品が並べられている。十二月に入り、クリスマス商戦真っ只中ということもあり、今季はディスプレイからしてなかなか気合が入っていた。

 実際、今回の新商品は他の店舗ではかなり売れているらしい。店員は社割で少し安く購入することができるので、私も買うか迷っているものがいくつかある。

 ジミーが食い入るように見つめていたのは、まさにそういった商品だった。恐らく彼女……いや、気になる女の子へのプレゼント用、といったところだろうか。もちろん、こういった若い男性客もいるので、この時はそこまで気に留めていなかった。もっとも、あまりにも真剣に見つめているので、一瞬、本当は自分用に欲しいのかと邪推してしまったほどだ。

 店員としてはさっさと声をかけるべきなのだが、ジミーの挙動からして、こういう若い女性向けの店に慣れていないことは明らかだった。この手のタイプは、いきなり声をかけるとそれだけでびっくりして逃げてしまう。

 こういう時はショーケースを布で拭きながらゆっくりと近寄り、少し離れたところから静かにそっと声をかけるのが私の鉄則だ。

「それ、今季の新商品なんですよー。よかったら……」

 瞬間、ジミーは水をかけられた猫のようにショーケースからパッと飛びのいた。

 ……ええー……、そんなに驚かれると、さすがにこっちも驚くわ。つーか、ごめんな。別に邪魔したいわけじゃなかったんだけど、一応、仕事だからさ。ホント、マジでごめん。

 心の声は営業スマイルで封じたものの、どうしたものかと思ったとき、ジミーは真っ赤な顔で頭を下げると、くるりと背を向けて足早に去っていった。

 ファーストコンタクトがこんな感じだったので、二度とジミーの顔を見ることはないだろうと思っていたら、何と次の日にもやってきた。カウンターの奥で検品していたのでしばらく気がつかなかったのだが、ふと顔を上げたら、ジミーがショーケースの前にいた。その時はかなり離れていたのに、こちらに気づいた途端、またもやジミーは尻尾を巻いて逃げ出した。

 まったく、野良猫並みに人慣れしてないな。よくあの年までこの人間界で生きてこられたものだ。

 もはや呆れを通り越して感心した翌日、ジミーは再び現れた。こちらを気にしつつも、ショーケースの前に張り付いて離れない。少しは慣れてきたのか、多少の覚悟は決めてきたのか。

 と思っていたら、私が動く前に、近くにいた店長がジミーに話しかけてしまった。店内の飾りつけを手直ししていたのだが、恐らくジミーの位置からは店長の存在が見えていなかったので、完全に不意を突かれたのだろう。もちろん、ジミーは飛び上がってから逃げ去った。

 さらに翌日。今日は来るのかな、と思っていたら、来た。周囲を警戒しながら、お目当てのショーケースに近寄り、ちらちらとこちらの様子を窺っている。幸い、店長は休憩でしばらく帰ってこない。私は例によって、鉄則通り行動することにした。

 とはいえ、初日とはかなり違う。何故ならジミーも私も、互いにさりげなさを装いつつも、相手の動向に逐一神経を尖らせているからだ。まるで猫カフェで、お猫様のご機嫌を窺いながら、何とか隣に座ろうとしているときの気分である。

 取り敢えず私はショーケースを布で拭きながら、ゆっくりとジミーに近寄った。

 いいかい? そっち行くからね? 怖くないよー。大丈夫だからねー。

 心の中でジミーに話しかけながら、私は少し離れたところで立ち止まった。ちらりと顔を上げ、ジミーの様子を見る。

 と、気配を察知したのか、ジミーがこちらに目をやったので、私はすかさず小さな微笑みを浮かべてみせた。小さな微笑み、というのがポイントだ。ここでいきなり大きな営業スマイルをしてしまうと、ジミーの警戒心が一気にMAXとなり、客を取り逃がしてゲームオーバーだ。コンティニューできるのは、早くても明日以降になるだろう。

 まあ、私は店員の鑑ではないので、実は売り上げとかどうでもいい。ただ、私は明日は休みなのだ。平日だし、ジミーは明日も大学の授業があってこの店にも寄るかもしれないが、私はいない。何か進展があっても、わからないじゃないか!

 というわけで、ジミーが逃げ出さなかったのをいいことに、私は用意していた新商品のパンフレットをそっと差し出し、できるだけ静かに声をかけた。

「こちら、新商品のパンフレットです。よかったら、どうぞ」

 もちろん、ジミーが見ていた商品も掲載されている。どうやらこの対応はジミー的に合格だったらしく、パッと顔を明るくすると、パンフレットをおずおずと受け取った。店員としては、商品について適当に説明するとか、客のニーズを聞き出すとか、本来ならいろいろと喋ることはあるのだが、今回は取り敢えずジミーの出方を見るためにも、黙って待つことにした。

 ジミーはパンフレットをちらりと見ると、いつも張り付いているショーケースに目をやり、思い切ったように口を開いた。

「あのっ、これってやっぱり、女の子に人気があるんですか?」

「そうですねー」

 うちでは売れてないけど、他の店舗では。

「結構人気ですよ。この猫のピアスとか、すごく可愛いですよね」

 今までの様子から、目当てのものはそれかな、と見当をつけていたのだが、どうやら正解だったらしい。ジミーは一瞬動揺し、それから明らかに落ち込んだ。……何故だ。

「やっぱり……可愛い、ですよね……」

 肩を落としているジミーに向かって、私は心の中で大きく叫んだ。何故だ!

「えっと……プレゼント、ですよね……?」

 やっぱり自分用なのか? いや、まあ、私はいいと思うぞ! 本当にすごくいい! というか、私はむしろそっち系はものすごく好きなわけで……いや、待て。ここまで近づけたのは初めてだから気づかなかったけど、ジミーはピアス開けてないじゃん!

 私が耳を見ていることに気づいたのか、ジミーは気落ちした笑みを微かに浮かべてみせた。

「あ、はい。俺のじゃないです。っていうか、こんな可愛いの、男がつけたらおかしいですよね……」

「そんなことはないです!」

 鉄則を忘れ、全力で否定してしまったあと、私は慌てて営業用の猫を被り直した。

「あくまでも、私の個人的な好みではありますが……私は、いいと思いますよ」

「はあ……」

 若干、ジミーが引き気味なのを認識しつつも、私は萌えエネルギーに突き動かされされるように、ショーケースから猫のピアスを取り出した。はっきり言って、ここからは営業ではなく、完全に趣味だ。

「確かに猫の形なので可愛いことは可愛いですけど、シンプルでスタイリッシュなシルエットなので、そこまで甘すぎないデザインなんです。色もシルバーだし、キラキラした石もついてないし!」

 近くにある鏡をさっと引き寄せ、ジミーの前に置くと、猫のピアスを小さなトレーに乗せて差し出した。

「ちょっとだけ、耳に当ててみてください! 揺れるタイプのものだと、さすがに男性にはお勧めできないんですけど、これはキャッチ式で猫も小ぶりなので、男性がつけてもおかしくないんですよ!」

 若い男が可愛い猫のピアスを耳に当てているところが見たい、という極めて純粋な欲望に突き動かされての所業であり、後で考えるとドン引きされて逃げられてもおかしくないテンションだったのだが、意外にもジミーは言われるがままに、鏡の前で猫のピアスを耳に当ててみせた。

 おおーっ、可愛い! 似合ってる! ジミーだけど意外とよいではないか! 受けだったら、かなり推しのタイプかもしれない!

 いろいろな意味で幸せを噛み締めていると、不意にジミーは覚悟を決めたように口を開いた。

「あの! ……これにします!」

「あ、はい。ありがとうございます。では、プレゼント用で。ラッピングはクリスマスのと、普通のとありますが、どうしますか?」

「あ、えと、誕生日プレゼントなので……あ、というか、そういうのはいいです。すぐ、出せるようにしたいので……」

 ほうほうほう、初々しいのう。よいではないか、よいではないか。何か、渡すときの計画とかをいろいろ立てているのであろう。

 ホクホクした気分で白いジュエリーボックスに猫のピアスを収めると、小さな紙袋に入れ、私はジミーに手渡した。

「気に入ってもらえると、いいですね」

「はい!」

 あ~っ、いいなぁ! 微笑ましい! これで相手が男だったら最高なのになぁっ!

 まあ、でもBLなんて所詮ファンタジーだし。そもそもリアルはそんなに好きじゃないし。大方、相手はあまり可愛いものを身に着けていないボーイッシュな女の子で、猫が好き、とかそんな感じなんだろう。現実なんてそんなもんさ。ふっ。

 自嘲気味に己の腐女子脳を笑った数日後、私は幸運にもリアルでファンタジーに遭遇したのだった。


                *


 平日の午前中、しかも大学の最寄り駅にある小さなショッピングモールのジュエリーショップ、となると、客の入りはかなり少ない。クリスマスが近いとはいえ、街並みのイルミネーションが華美になっていくのと反比例して、人々のテンションは年々低くなっている気がする。ちなみに私もその一人だ。

 ああ……生きる糧が欲しい。この腐った脳を沸き立たせる萌えが、私には必要だ。しかし前期に引き続き、今期のアニメにも推しとなるようなキャラがイマイチいない……来期もチェックしたが期待薄だ。田中先生の新刊は一体いつになったら出るのか……。

 鬱々としながらも、昼になれば腹は減るので、私は店長と入れ替わりに休憩に入った。可愛い手作り弁当を持参するような家庭的な女子ではないので外食一択だが、時間内に往復可能な飲食店は限られている。私は久しぶりに、お気に入りの喫茶店に行くことにした。

 そこは昔ながらの商店街にある、レトロな雰囲気の喫茶店だ。オーナーがダンディなおじ様で、枯れ専だったら毎日通いたくなる感じの人だ。そのオーナーが入れるコーヒーと、落ち着いた雰囲気が気に入っていたのだが、最近になって新しいウエイターが働きだしてから、いろいろと変わってしまった。

 新しいウエイターはとにかく超絶イケメンで、見た目は若いがそのこなれた接客からして常人のそれではなく、年齢不詳感が半端ない。完璧な笑顔と巧みな話術、そして何より隙のない立ち振る舞い! 同じ接客業としてそのプロ意識は感嘆に値するが、私には真似できないし、したくない。どう考えても身を削ってるし、見方によれば過剰防衛のようにも感じられる。

 が、女性人気は非常に高く、喫茶店はいつも盛況だ。以前から通っていた客の一人としては、あの落ち着いた雰囲気が懐かしいが、繁忙期のはずなのに閑古鳥が鳴いている我がジュエリーショップに比べたら、喜ばしいことではあろう。

 もちろん、私にとっても良いことはあった。メニューが一新され、お洒落になったのだ。しかも完全に変わってしまったわけではなく、古き良きメニューもお値段そのままに残っており、実に良心的だ。

 というわけで、何とかランチの時間に滑り込んだのだが、喫茶店に入り、王様を目にした途端、私は度肝を抜かれて立ち尽くした。

 あ、ちなみに私は新しいウエイターのことを心密かに王様と呼んでいる。何故ならこの喫茶店の空気を支配しているのは、他でもないこの一従業員だから。

 実は前に一度、女性客の一人が王様の腕に軽く触れようとして、喫茶店の空気が凍り付いたのを見たことがある。何故なら王様はその女性客からの接触を公然と拒否したのだ。が、リップサービス一つで、一瞬にしてその全てを丸く治めてしまった。女性客の傷ついた自尊心も、それを見ていた周囲の冷ややかな眼差しまでも甘く溶かし、おまけに恐らく何よりも大切な、ウエイターへのお触り厳禁の公布を穏便に果たした。あの一触即発の事態を作り上げておきながら、喫茶店と自分への好感度を下げるどころか思い通りにコントロールしてみせるとか、全く常人技ではない。

 で、そのびっくり人間である新しいウエイターこと王様が、こともあろうに見覚えのある猫のピアスをしていたのである!!!

 えっ……、それ、そのピアス、あれだよね。何日か前にやっと一つ売れた、うちの新商品だよね? どっか、よその店舗で買った? それとも、よその店舗で買ったものをプレゼントされた? えっ? ちょっと待って。それ、まさか、ジミーが買ったヤツじゃあないよね……!?

 恐らく、というか当然、王様は自分のしている新しいピアスを見て驚愕する女性客には慣れているのだろう。何やらいつも以上に完璧な笑顔を向けられ、凄味さえ感じてしまった。

 まあ、さすがに人心掌握に長けた王様でも、この一女性客がそのピアスをジミーに売ったショップ店員だとは思いつくまい。ふへっ、大丈夫っすよ。あっしは王様に余計なこと聞いたりしないんで。へへっ。

 如何にも小物っぽく心の中で呟いた私は、ふと店の隅の席にジミーの姿を見つけて叫び出しそうになったのを、懸命に堪えた。しかも王様に案内された席は、ジミーのすぐそばだ。

 ふおぁああああ! 何!? これは奇跡!? 奇跡なの!? もしかして私、今日死ぬのか!?

 内心、全力でパニックに陥りながらも、私は取り敢えずメニューを手に取った。はっきり言って、昼は時間がないんだよ。食べるの遅いし。さっさと注文して、考えるのはそれからだ……っと! 私は一瞬にして笑顔になり、注文を決めた。王様がおしぼりと水を運んできてくれたので、すぐに注文する。

「グラタンのランチ、ホットコーヒーで」

 あ~、幸せ。グラタンが新しくメニューに加わるとか、王様最高だな。オーナーが一人でやってたときは、いつもメニュー同じだったからなぁ。いや、定番メニューも大好きだけど、グラタンなかったし。グラタン、好きなんだよな~。

 うふふふふ、とグラタン一つで幸せになっていた私の耳に、ふと後ろの席から若い男の声が入ってきた。ちなみにこの声はジミーじゃない。

「うっわ、このグラタンすげー美味いな。これ、あの人が作ってんの?」

「うん、そうみたい。何か、新しくメニューに加えたから食べにきてって」

 おお、こっちはジミーの声だ。なになになに、やっぱり王様と関係あるのか? あのピアスはジミーからのプレゼントで間違いないわけ?

 私はカモフラージュに携帯を取り出すと、適当に検索した猫の画像を見ながら、全集中の呼吸で耳を澄ませた。

「え、でもあの人、お前がここに来るの、あまりいい顔しないんじゃなかったっけ?」

「働いてるところを見られるの、何か恥ずかしいみたい。いつもと違うから」

「ああ~、それな。完全に別人だもんな。俺、オフのときはわかってても見つけられない自信あるわ」

「そんなに違うかなぁ? ちょっとこう、喋り方とか違うだけじゃん」

「いやいやいや、全然違うから。というか、まず存在感が薄くて気づけないんだよ。普通は」

「ええ~?」

「つーか、あれだろ? このグラタン、お前が好きだからメニューに加えたんだろ?」

「は? いや、別に、そんなことは……」

「さすが猫の王様だな、公私混同も甚だしい」

「いや、だから、そんなんじゃないし……っ」

 何ということだ! これがリアル! さすがに超絶イケボというわけにはいかないが、そこらのBLドラマCDより生々しくて、実にけしからん。この至近距離で実写版の受けと友人の会話を聞いてしまうとか、もうニヤニヤが止まらないではないか。まだ心の中だけで押しとどめているが、面の皮が薄すぎて、いつまでこのポーカーフェイスが保てるかわからんっ。モブ腐女子の分際で、王様とジミーの関係に気づいていることがバレたら、あの恐ろしい王様がどんな報復をしてくるか想像もできんというのに!

 そして興奮状態から一瞬にして冷静に戻り、呟く。……まあ、実際はBLとは限らないんだけどね。本当にただのブラコン兄弟とか、親戚とか、ありそう。多分、腐女子脳で補完してるから、BLっぽく聞こえるだけなんだよなぁ。どうせ清い関係なんだろ? くそっ、これだからリアルは。

 情緒不安定になりながら、私はため息をついた。だが、グラタンがメニューに加わったのは、どうやらジミーのおかげらしい。ありがとう、ジミー。そしてジミーに甘い王様にも感謝だ。グラタン、早く来ないかな……。

 この時点で、私の興味は二人の関係から自らの空腹状態に完全に移行していた。王様とジミーが知り合いなのはほぼ間違いない。王様がつけている猫のピアスは、ジミーからの誕生日プレゼントなのも、ほぼ確定だ。でも、多分それだけだ。兄弟か、親戚か、友人か、とにかく二人の関係はBLではない。私はリアルに夢を見ない系の腐女子なのだ。あ~、腹減った。

 しばらくして待望のグラタンが運ばれてきたので美味しく頂き、私はお会計をして店を出た。


                *


 グラタンを糧に夕方のおやつまで何とか持ちこたえ、私はいつも通り誰もいないジュエリーショップの店番をしていた。営業時間は残り十五分。その日は私が遅番だったので、早番の店長もすでに上がっている。

 ここは大学の最寄り駅という特色しかない場所柄のおかげで、ショッピングモールの閉店時間が早い。最後の一時間は客もほぼ来ないので、レジの売り上げの計算も終わっている。あとは何事もなく閉店時間を迎え、早急にシャッターを下ろしたい。ごくまれに、閉店間際に変な客が訪れることがあるが、頼むから本当にやめてほしい。

 と思っていた矢先、私の心からの願いも虚しく、一人の男性客が訪れた。通路側のショーケースをゆっくりと眺めている。

「いらっしゃいませ~」

 全力で気のない声を発し、マニュアルを遂行する。か、勘違いしないでよね! ちゃんと客の存在には気づいてるから! 万引きしようとか考えないでよねっ。あと私、仕事もサボってないから!

 ツンデレ風に言い訳しながら、客の様子をそれとなく観察する。あ~、早くこの場から立ち去ってほしい。クリスマスプレゼントの物色なら、もっと昼間に来てくれ。ちったぁ心のこもった接客をしてやれるぞ。

 ……というか、この人どこかで見たことがあるような……?

 取り敢えず新商品のパンフレットを手に、中の下レベルの営業スマイルで足早に男性客に近寄る。あ~あ、ジミーだったら、これだけで逃げてくれたかもしれないのに。もちろん、ジミーじゃないその男性客は、店員が近づいたくらいでは微動だにしなかった。

「クリスマスプレゼントをお探しですか? こちら、今季の新商品です。よろしければお持ちください」

 閉店間際の客には、とにかく早くお帰りいただけるように、積極的に話しかけるのが私の鉄則だ。ちょっと眺めていたかっただけの客はこれで退散してくれることもあるし、買い物をするならするで、少しでも早く承るに越したことはない。

 パンフレットを渡すと、その男性客は私の顔を見てほんの僅かに目を見開いた。何だ? 向こうも私に見覚えが……?

 その瞬間、男性客の左耳によく見覚えのある猫のピアスが光っているのが目に入り、私は思わず声なき叫びを上げた。

 王様! あんた、昼間行った喫茶店の王様じゃないかぁあっ! え、ちょっ、何でここに? もしかして、ジミーからもらったプレゼントの値段でも確かめにきたのか? というか、どうする私!? 王様に気づいたことを言ったほうがいいか? いや、でも、王様はそういうの嫌いな感じするんだよな~。ああ、でも、今めっちゃ驚いた反応しちゃったよ。それでも敢えて知らないふりをしてほしいなら、私は営業モード全開で接客しても全然構わないが……?

 どうするよ? と王様の出方を窺っていると、恐らく向こうもいろいろと思考した挙句、合点がいったことなどもあったのだろう。仮面のような無表情を僅かに崩し、小さく笑った。

「なるほど、そういうことか」

 うわぁ……王様、何か怖ぇえ……。前から思ってたけど、この人すげー心を読んでる感じがして、怖いんだよな。しかも何か、喫茶店にいるときとかなり雰囲気違うし。いや、どっちのほうが怖いって言われたら、どっちも怖くて苦手なんだけど。

 つーか、昼間ジミーと友人が王様のことをいろいろ言ってたけど、これのことか! 確かに喫茶店の王様と目の前の男性客は、まるで別人だ。よく見れば同じ超絶イケメンなのに、無表情すぎて同一人物どころか、危うくイケメンであることにも気づかないところだった。

 と、こちらが混乱している間に今後の方針を固めたのか、不意に王様が口を開いた。

「昼間は、御来店いただき、ありがとうございます」

 内容は喫茶店のウエイターだが、昼間の爽やかボイスとは打って変わった、ぼそぼそとした陰キャ声だ。何という……何という超絶イケボの無駄遣い!

 が、なるほど。王様は私に対して、喫茶店のウエイターであることを認めつつも、オフのキャラで貫くことを決めたらしい。実に光栄だ。そういうことなら、こちらも真摯に対応しようじゃないか。

「いえ、こちらこそ。グラタン、すごく美味しかったです」

 一般人の私はさすがにそこまで大きなキャラの落差はないが、営業モードと素では当然、多少の態度は違ってくる。どうやら王様はその意味すら簡単に見抜いたらしい。ほう、とでも言いたげに瞬きを一つしたあと、自分の左耳に軽く触れた。

「このピアス、ここで売っていたものですよね」

 そして我が勤務先のブランド名が金字で印刷された、白いジュエリーボックスをコートのポケットから出し、私に見せた。

 うわぁ、何か動かぬ証拠を突き付けるような圧迫感を出すの、マジやめてほしい。営業モードとは別の緊張感……警戒心がMAXだよ!

 私は引きつった笑みを浮かべてみせた。知ってる。そのジュエリーボックスの中には保証書が入っており、購入日と担当者の名前が書いてある。そう、現在進行形で王様が目にしている店員の名札と同じ、私の名前が。

「はい、そうです。何か、不具合でもございましたか?」

 隠しきれないこちらの警戒心を完全に把握したうえで、王様はふっと微かに笑った。

「いえ、とても気に入ってます。それで、こちらのサイトを拝見して、同じこの猫のモチーフを使った商品を探したんですけど」

 そう言いながら、王様は渡したばかりのパンフレットを広げ、新商品の猫のネックレスを指さした。

「このネックレスだけですか? 他にこの猫のモチーフを使った商品は。新作じゃなくて構わないので、シリーズで何か別のものがあるといいんですけど」

 ん? ……ああ~、なるほど。そういうことか。大方のことは理解した。王様は恐らくジミーに、クリスマスプレゼントとしてお揃いのアクセサリーを贈りたい、とかそんなところだろう。ジミーはピアス開けてないしな。

 ……ふおぁっ!? 今、めっちゃナチュラルにBL展開で納得しちゃったけど、えっ? どゆこと!? そーゆーコトであってんの!? いやいやいや、待て待て待て。これは二人の関係を正しく知る必要がある!!! 落ち着……落つ着つ……落ち着け、私! 早合点はいかん! 自分用かもしれないし、プレゼントの相手はジミーじゃないかもしれないし!

 そう、だからこれは仕事として、あくまでも脳が震えるほど勤勉なショップ店員の一人として、お客様のニーズに的確にお応えし、この閉店秒読みのジュエリーショップの売り上げに少しでも貢献したいという、純粋で穢れなき社畜精神に基づく探求心に他ならない!!!

 決して……決して、この腐った脳に萌えという垂涎の糧を与えたいとか、そんな利己的で打算的で、欲望にまみれた行動原理ではない! 断じてない!

 というわけで、私は残りの営業時間のカウントダウンを即刻停止し、目の前のお客様と全力で向き合う決意をした。しかも相手はあの王様だ。これは真剣勝負といっても過言ではない!

 が、如何せん、まずは変えようのない残念な事実をお伝えせねばなるまい。

「この猫のモチーフを使ったものは、ここに掲載されているピアスとネックレスだけですね。以前も猫のアクセサリーはいくつか出してるんですけど、雰囲気が全然違うんですよ」

 カウンターに戻ってタブレットを取り出し、検索した画像をスクロールしながら王様に見せる。

「シルエットが円くてデフォルメが効いているので少し可愛くなりすぎていて、しかもキラキラした石がたくさんついているので、ファンシーなんです。あと、三日月に座っていたり、ハートのフレームがあったり……お花とか、星とか、そういうのが多いですかね……」

 素知らぬ顔で、明らかに的外れなプレゼンをしてみせると、同じく素知らぬ顔で王様が言った。

「ああ……確かに。これはちょっと、さすがに身に着けられないですね」

 瞬間、私は目を光らせ、そのあからさまな疑似餌に飛びかかった。……そう、疑似餌だ。例えそれが食べられない玩具のネズミでも、動くものには飛びかかる。それが狩猟本能というものだ。

「ご自身で身に着けられるんですか?」

 とはいえ、こちらもそう簡単には尻尾は出さない。王様もそれは承知しているのだろう。互いに澄ました顔で微笑みながら、腹の探り合いが始まった。

「いえ、今探しているのはプレゼントです」

「ネックレスはあまり身に着けない方なんですか?」

「装飾品をつけているところは、見たことがないですね」

「何か、この猫のモチーフに思い入れがあるんですか?」

 ……ふはははは。そう、私は気づいている。もし、この腐女子脳が瞬時に察知した事象が正しいのであれば、説明など不要だ。この猫のモチーフに拘るのは、それをプレゼントしたジミーにお揃いのものを贈りたいからだろう。そしてそのネックレスに難色を示す理由は、チェーンが華奢で特殊なデザインのものだから、明らかに女性ものでジミーに身に着けてもらうには無理があるからだ。Q.E.D.以上が示されるべき事柄であった。

 さあ、どうだね、王様さんよぉ! 観念して、全部ゲロっちまえよ。楽になるぜぃ……。なぁに、悪いようにゃせんて……そう、ただ、私という腐女子の肥やしになるだけさ……ふははははっ。

 その時、不意に王様が深く、低くため息をついた。

「……何か、面倒くせぇな」

 それは極めて小さな声で、独り言のようにも聞こえたが、意図してこちらに発せられた罵倒、兼、牽制のようにも感じられた。

 うおぉお、ちょっと調子に乗りすぎたか? いや、でも、内心だけだし。態度には絶対出してないし。というか、お客様の事情を知る由もない、女性向けジュエリーショップの店員としては実に正しい接客だ。むしろ、ここまでボロを出していないことを褒めてくれてもいいくらいだよ!

 そもそも聞かれてもいないのに、一店員の分際で勝手に憶測なんか口にできないだろーがっ。下手したらプライバシーの侵害だし、ジミーのことをこちらから言うわけにはいかん! こちとら店員失格の自覚はあれど、人としての矜持はあるんだよ!

 とそこへ、ショッピングモールの閉館時間を告げるアナウンスが穏やかな音楽とともに流れた。周囲の店が、一斉にシャッターを下ろしはじめる。ああ、もう、お買い物中のお客様はごゆっくりどうぞ、とか録音のくせに無責任なこと言うんじゃねえ! 悪態をつき始めた王様と二人きりで残されるなんて、ロマンスどころか殺戮が始まってもおかしくないじゃん! あ~、やだ、怖いよぉお……早くおうち帰りたい……。

 内心の泣き言を押し隠し、私はポケットからシャッターの鍵を取り出した。王様と二人きりは嫌だが、閉店時間後に他の客が増えたら目も当てられない。それだけは何としても阻止せねば! 本当はこのアナウンスで王様が大人しく帰ってくれたら一番いいんだが、どう見ても居座り続けるつもりのようだ。

「すみません。閉店時間なので、先にシャッターを半分ほど閉めさせていただきます」

 が、思ったより動揺していたのか、手元が狂って鍵を落としてしまった。いかん! 私の大切なキーホルダーがぁあ! しかも床を滑って王様の近くに落ちるとか、ホント最悪だな!

 王様は紳士的に鍵を拾ってくれたものの、何故かキーホルダーをじっと見つめたあと、私に差し出した。何だね? 何か問題でも? 確かにそれはアニメの推しキャラキーホルダーだが、無駄にスタイリッシュなデザインのおかげで、わかる人にしかわからないカモフラ仕様の一品なのだよ。私は過度にオタバレを恐れるタイプではないが、自ら吹聴していくのも遠慮したいほうだ。

「ありがとうございます」

 鍵を受け取り、大切なキーホルダーに傷がついていないことをさりげなく確かめて安堵した瞬間、王様が言った。

「この世界は、悪い奴が回している」

 ……ふおぁああああ! そのセリフは!

 背筋に寒気が走るような感覚に、私は打ち震えた。このタイミングでは、疑いの余地はない。が、念のため確かめさせてもらおう! 王様を真っすぐ見上げ、問う。

「……欲望は?」

「俺のものだ」

 神よ!!!

 思わずその場に跪いて祈りを捧げるところだった。一見、唐突で不穏な香りしかしないセリフだが、このやり取りはわかる人ならわかる、オタク特有の暗号遊びのようなものだ。……いや、実はオタクの友達いたことないから、本当はよくわかんないけど。ははっ。

 と、に、か、く!!! こやつ、にわかでも知ったかぶりでもないな! 数年前に1クールだけ放送された深夜枠のオリジナルアニメ、しかも内容的にかなりぶっ飛んでいることで有名な、奇才イックン監督の名作を知っているとは!

 しかも今、決め台詞を聞いて初めて気づいたけど、王様の声、推しキャラの中の人と声が似ている!!! 喫茶店での爽やかボイスは、私的には胡散臭さMAXなところが好きだったが、こっちの陰キャ声は完全に推しキャラの中の人じゃないかぁあ!

 ぱあぁ……っと全開の笑顔を晒してしまったあと、私はハッと我に返った。いかんいかん! 正気に戻らねば!

「……シャッターを、先に閉めてきますね」

 取り敢えず推しキャラのキーホルダーを握り直し、私はシャッターを半分ほど閉めるために開閉スイッチまで小走りに向かった。そして営業時間外の客をブロックするという本来の仕事を無事全うした私は、いけないと思いつつも、否応なく膨らんでしまう期待を胸に王様のもとに戻り、開口一番に言った。

「……ちょっと、腹を割って話したいんですが」

 一応まだ業務中であるこちらから言い出したのは、王様としてもさすがに少し意外だったのか、僅かに目を見開いたあと、すぐに頷いた。

「……助かる」

 先程よりさらに低音のぼそぼそとした喋り方、そして最低限の丁寧語さえやめるとは、どうやら王様は体裁を取り繕うのを完全に放棄するつもりらしい。喫茶店での完璧な接客が人付き合いのフェーズ1なら、体裁を残した先程のオフ状態がフェーズ2、そして恐らく完全に取り繕うのをやめた今はフェーズ3に移行した、といったところか。

 とはいえ念のため、私は咳払いをしてから断りを入れた。保身はしておかないとな。

「ここからは、店員としてではなく、あくまでも一個人として話をさせていただきたいのですが」

「わかった」

 ぱあぁ……っと再び全開の笑顔を晒してしまったのを自覚しつつも、私は王様の前にキーホルダーを掲げ、身を乗り出した。

「これっ、ご存じなんですか? 放送してたのって何年か前ですけど、よくすぐにわかりましたね! 好きなキャラはいます? 印象に残っているシーンは?」

 矢継ぎ早に繰り出された私の質問に対し、王様は戸惑ったような瞬きを一つしたあと、淡々と答えた。

「……何となく録画して見たんだけど、1話はかなり驚いた。意味がわからなすぎて」

 自分でもびっくりするほどの笑顔で、私は大きく頷いた。これが同志との会話!!! めちゃくちゃ楽しいぃい!!!

「そうですよね! いきなり変身するし、踊り出すし!」

 急に歌い出すシーンを思い出したのか、王様が笑った。

「わかる。でも、毎回やるの見てるうちに、何かすごいハマるというか……」

「私、あの歌デジタルで買っちゃいましたよ! 当時、めちゃくちゃヘビロテして聞いてました!」

「あ~、あれすごい中毒性あるよね。敵と味方、どっちが好きだった?」

「味方のほう、ですかね。いや、踊りが絶妙にダサくて唐突感がすごいという意味では敵のほうも好きだったんですけどね。やっぱ、弟のいるほうを応援したくなるというか」

 推しのキーホルダーを軽く振ってみせると、王様も同意した。

「俺はその弟が一番好きだったかな。ある意味、一番まともというか。突っ張っているようで実は健気なところが、すごく心配になるというか」

「ああ~、確かに。兄がねぇ、結構酷い奴だったから」

 私が推しのキーホルダーを目にやると、王様が頷いた。

「本当に、酷い奴ですよ。でも、9話の回想は本当に泣けるというか……兄としてのプライドとか虚栄心とか、弟に対しての劣等感とか、複雑な感情が絡まり合って、葛藤して、でも、最期まで根底に残っていたのは、弟を守りたかったという純粋な気持ちで。やり方とか、生き方とか、自分の心の在り方とか、いろいろ間違えて、道に迷って。生き残るために自分以外は全て切り捨ててきた、そんな奴が咄嗟に身を挺してまで守ってしまったのが唯一、弟だったという……その想いが、痛いほどわかる名シーンだった……」

「わかる! わかります! ありがとう! 兄のことをそこまで理解してくれるとか……本当にありがとうございます!」

 そうなんだよ~。この兄は本当に酷い奴なんだが、それだけじゃないんだよな。そこんところをちゃんとわかってくれるとか、さすが王様! やはり同志じゃないか!

 私の深い二次元愛に刺さる、良い考察だった。まさか王様が、ここまで私の推しに対する造詣が深いとは。今までの私の浅はかな認識を改めようではないか。怖いとか思っててごめん。怖いけど、あんた、いい奴だよ。

 本当はまだまだ語り足りない。演出とかエピソードとか、もっと細かいところについて話したいし、他にも好きなアニメがあるのかとか、いろいろ聞きたい。が、取り敢えず今はここまでにしておこう。まずは王様の用事を済ませる必要がある。私としてはかなり胸襟を開いたつもりだ。次は王様の番であろう。

 感動の涙を拭い、私は王様に水を向けた。

「じゃあ、今度はそちらの話をしましょう。今からここでする話は、誰にも言いません。というか、お察しの通り、多分、大方の想像はついてます。でも、あくまでも私の想像に過ぎないし、ただの店員にいきなり勝手なことを適当に言われるのは嫌でしょう? だからちゃんと話してください。大丈夫です。気づいているかもしれませんが、私……」

 言いかけて、私はふと首をひねった。あれ? これは口にしたらダメなヤツじゃね? 想像の内容に直結するしな。と、王様が補完するように続けた。

「……腐女子?」

「……まあ、そうっすね。私、腐女子なんで。万一? そういうことなら、むしろ全力で応援しますよ」

 王様のフォローもあり、一応オブラートに包んで提示すると、王様はようやく頷いた。

「……感謝する」

「どういたしまして。というか、そういうの気にするんですね。ちょっと意外です」

「俺は気にしないんだが」

 肩を竦めてみせた王様の言外を読み取り、私は頷いた。

「ああ~、なるほど」

 確かにジミーはすごーく気にしそうなタイプだ。

 王様は改めて、持参していた白いジュエリーボックスから保証書を取り出し、担当者の名前を私に突き付けた。

「この商品を取り扱ったのは、あなたで間違いありませんよね? 売った相手のことは覚えてますか?」

 まるで警察の取り調べのようだが、まあ、手順としては妥当だ。私は正直に頷いた。

「よく覚えてますよ」

「今日の昼間、見かけたりしましたか?」

「そうですねー。とある喫茶店に入ったとき、店員さんに近くの席に案内されましたっ」

 にこにこして私が答えると、王様は大きなため息をついた。何だ、これくらいの当てつけは普通であろう。というか取り調べごっこしてくれるとか、王様、結構ノリいいな。意外だ。

「本当は気が進まなかったけど、あそこしか空いてなかったんだよ……」

 素に戻ってぼそぼそとぼやいた王様に、私はわざとらしくきゃぴきゃぴした声で追い打ちをかけた。

「だってぇ~っ、新しいウエイターさんが来てからっ、めちゃくちゃ女性客が増えましたよね~っ」

 全力で嫌な顔をした王様を見て、さすがにちょっとビビる。が、王様が面と向かってここまで本心を見せることもあまりない気がするので、逆に優越感すら覚えてしまいそうだ。ふふん、と開き直ってみせると、王様は静かに嘆息した。

「……まあ、あんたでよかったかな」

「そりゃどうも。で?」

 あっさり肩を竦めてみせた私に目をやると、王様は気を取り直したように続けた。

「プレゼントの相手は彼だ。お揃いのアクセサリーを贈りたい。だが、彼はピアスを開けていないし、このネックレスは明らかに女性もので、彼に身に着けてもらうには無理がある。どうにかならないか、相談したい」

「いいっすよ。想像通りです。なので、取り敢えずの解決策は用意済みです」

「解決策、あるのか?」

「ありますよ。ちょっとした裏技というか。手数料とか時間とか、いろいろかかりますけど」

「構わない。内容は?」

「簡単ですよ。チェーンの交換をしてもらうんです。問題はそこでしょう? ここは若い女性向けのブランドですが、親会社は他に男性向けのブランドも扱ってるんですよ。基本、デザインが違うだけで作ってるとこは同じなんで、チェーンの付け替えとかもしてくれます。素材が近いものでやってくれるので、違和感なくできあがると思います。もちろん、自分で良さそうなチェーンをどっかで見つけてきて、付け替えるっていう手もありますよ。作業自体は別に難しくないんで」

「いや、ちゃんとしたところにお願いしたい」

「了解です。男性のブランドで扱っているチェーンはこんな感じです。どういうのがお好みですか?」

 タブレットを操作し、チェーンの画像を王様に見せる。種類はそこまで多くないものの、スクロールしながらいくつか吟味したあと、王様が指さして言った。

「これがいいかな」

「そうですね……。画像なんで確実ではないですけど、色とか質感とか、この猫のモチーフの素材とも合うと思います。デザインもシンプルで、無駄に重量感がないのもいいですね。じゃあ、一応これで頼んでみます。もしデザイン的におかしいとか、バランスが悪いとかいうことがありましたら、送る前に向こうから連絡が来るんで、変なものはお渡ししません。そこはご安心を」

「わかった」

「ちなみに作業料金などはあくまでも見積もりになりますので、お支払いは品物と引き換えになります。チェーンの差額はないので、この一番安い手数料だけ上乗せになる感じですかね。確定ではないですが」

「ん」

「あと、お時間なんですが、一週間ほどいただくことになります。基本、この店のネックレスをお買い上げいただいたことになるので、今から送る用意をして、私が帰りにポストに入れます。で、向こうで作業してこちらに送り返してくれる、というのが一連の流れになりますので、問題が何もなかったとしても、それくらいお時間は必要になりなす。一応、急ぎであることは伝えるつもりですが、時期的に向こうも忙しいので、何とも言えません」

「一週間……だと、ちょっとギリギリか」

 カレンダーを見ながら、王様が呟く。

「そうですね……クリスマスプレゼント、ですもんね……。やっぱりイヴには間に合わせないとまずいですよね……。自分でチェーンを用意するのであれば、時間は何とかなりそうですけど。どうします?」

 しばし思案したのち、王様は結論した。

「いや、そちらにお願いします。チェーンを探すにしても、いいのが見つかるとは限らないし。そもそもイヴに逢う約束もしてないし」

「そうなんですか?」

「クリスマスはさすがに店を休めないので」

「ああ……まあ、そうですよね」

「ただ、イヴの夜、仕事の帰りに家のポストに入れたいとは思っていて……」

「それ! 恋人がサンタさんじゃないっすか! う~わっ、ホント甘々だな!」

 思わず声を上げた私に、王様が何とも言えない面持ちになった。

「……あんた、本当に落差激しいな」

「あざっす! じゃ、そゆことで。まあ、何とかなりますよ。多分」

「……ん。わかった。ありがとう。すごく助かった」

 王様のレアな微笑みをゲットしたあと、私はタブレットを操作し、チェーンの交換依頼に必要な基本情報などを入れた。

「では、何かあったときのこともあるので、連絡先をお願いします。出来上がったらすぐお電話しますよ」

 が、タブレットを渡し、必要事項の入力を求めると、王様が僅かに躊躇した。

「……電話番号、店のほうでもいい?」

「えっと……留守電に入れますけど?」

「……携帯、持ってないから。自宅の留守電に入れられるのは、ちょっと」

「……はあ」

 事情はよくわからないが、王様、面倒臭いな。今どき携帯を持ってないとか、本当だったらめちゃくちゃ驚く。けど、何か妙に納得できる感じもする。さっきからフェーズ3の王様と話してるけど、雰囲気が浮世離れしてるんだよなぁ。天然の不思議ちゃん的なところが隠し切れない、というか。

 瞬間、私はハッとして王様を鋭く見上げた。ちょっと待て。逆だったらどうする? まさかとは思うが、これ地雷案件じゃねぇだろうなぁあ? 王様は指輪をしてないが、指輪の有無は当てにならない。

 というわけで、私はお客様のプライバシーにずかずかと土足で踏み込むことにした。他の客には絶対しないし、そもそも不倫でもどうでもいいが、王様は別だ。

「……お客様。まさかとは思いますけど、結婚して奥さんがいたりしないですよねぇえ?」

 突然、眼光鋭く睨みつけてきた店員を見ると、王様は瞬きを一つし、無表情に首を傾げた。

「……心配? この、プレゼントの相手が」

「私は基本、ハピエン厨の純愛受け推し腐女子なんで。無関係のモブでも、言いたいことは言わせてもらいます。業務なんか知るか! ジミーを泣かせる奴は、例え王様だって許さないっすよ!」

 びしっと指を突き付けた私をまじまじと見つめたあと、王様は大きな瞬きを二つし、笑った。

「ふっ……ははっ。そうか、なるほど。そういうことか」

 ふんっ。ちょっと笑われたくらいでこの私が怯むと思うなよ! 腐女子舐めんな!

 ようやく笑いやむと、王様は左耳のピアスにそっと触れながら、呟くように言った。

「ジミーか、いいね。いいあだ名だ」

 あ~あ、やっちまったよ、私。つい口を滑らせた。けど、そこ? 王様呼ばわりはOKなわけ? 自分で言うのもナンだが、もっと他に言うことがある気がする。

 と不意に向き直ると、王様は恐ろしいほどの真顔で言った。

「その心配はいらない。俺が好きなのは彼だけだし、彼以外興味ない。結婚もしてないし、これからも彼以外とするつもりはない」

 身動ぎ一つしない王様の顔をしばらく見つめたあと、私は淡々と肩を竦めてみせた。はっきり言って、ただの腐女子である私に嘘発見器のような特殊スキルなどないし、王様は自分の感情を偽るのが得意と見受けられる。だが、そこまできっぱりと言い切ってくれるのなら、取り敢えずは信じてあげようじゃあないか(上から目線)。

「……いいっすよ。そういうことならね。ジミーが幸せなら、私は文句ないんで。でも、それじゃあ何で自宅に連絡するのは嫌なんですか?」

「……実家だから、もし聞かれたら、すごく面倒臭い」

 私は一瞬にして王様の気持ちを理解した。

「実家かぁ……そうだね、それは嫌だね。仕方ないなぁ……本当は推奨されてない……というか、店長に知られたらすごく文句言われそう……ああ、というか、この案件自体、他の人が関わるといろいろ面倒臭いことになりそうな気が……」

 ただの出来上がりの電話すら、王様が関わると問題が起こりそうで不安だ。王様も子供じゃないし、むしろ問題解決能力が異常に高いのも知ってはいる。だが、王様の存在自体がトラブルの発生源となりやすいのも確かだ。起こす必要のない問題は、できれば未然に防ぎたい。一体どうすれば……。ごちゃごちゃと脳内で考えをいじくりまわしたあと、私は一つの結論に達した。

「あ~、もうっ! 仕方ないっすね! 本来なら絶対やらないし、そもそも無関係の私がそんなリスクを負う必要なんか微塵もないんすけど、今回だけは公私混同してあげようじゃありませんか!」

 いきり立った私を見ながら、意味が分からないとばかりに王様が首を傾げた。

「つまり?」

「この依頼は私の名前で出します。で、王様には私から連絡します。それなら王様の連絡先が喫茶店でも、店長は知る由もないし、私も文句言われないし。あっ、しかもこれだと店的には購入するのが私だから、社割できますよ! 手数料の上乗せ分くらいは安くなるんじゃないですか? よかったっすね! 全力で私に感謝してくれていいっすよ!」

 喜んでいる私を見ながら、王様が不思議そうに瞬きを一つした。

「……それだと、店の利益が減るのでは?」

「正論! というか、王様がそれを言います!? その分、利益を被るのは王様じゃないっすか! どこに文句があるんすか!」

「いや、文句……というか、あんたはそれで構わないのか?」

「ああ、そういうことっすか。ノルマとかないし、売り上げ成績とかも別に給料には響かないんで。私に不利益はないから問題ないっす。手間とリスクは多少あれど、店長の文句は回避できるんで、ギリギリ相殺ってとこですかね」

「そういうことじゃないんだが……まあ、あんたがそれでいいんなら、俺は助かる。ありがとう」

 律儀に礼を言った王様を横目で見ながら、私はタブレットに自分の名前と連絡先を入力した。

「……まあ、心配しなくても、普通はこんなこと絶対しませんよ。むしろ普段は人間関係にシビアなタイプなんで。だから今回は、ウルトラスペシャルに特別です。自分でもびっくりですよ。強いて言うなら、ジミーが非常に好みのタイプで、グラタンの恩があることと、あとは私の推しに対する王様の理解の深さとか、リアルでファンタジーに遭遇した奇跡に免じてってとこですかね」

「リアルでファンタジーに……?」

「BLってそういうものでしょう。……えっ? あれ? 違うの? 私はてっきり、王様×ジミーだとばかり……もし違うんなら、この話はなかったことに……」

「違わないが」

「なら、いいっす。王様の勤務先である喫茶店の場所も知ってるし、いざとなったら取り立てに行くんで大丈夫です」

「そうならないことを約束する」

「おねしゃーっす!」

 最後にもう一度タブレットの入力内容を確認し、私は送信した。

「じゃ、取り敢えず依頼は完了したんで、安心してください。喫茶店の電話番号は私にくださいね。あと、名前も。名字だけでいいんで」

 王様は財布から喫茶店のショップカードを取り出すと、渡したボールペンで名前を書き、私に差し出した。受け取りながらちらりと名前を確認し、私もジュエリーショップのカードを王様に渡した。

「私の名前と今日の日付、あと承った内容を簡単に書いておきました。何かあったら連絡するんで」

「感謝する」

「じゃ、御来店ありがとうございました。お気を付けてお帰りくださいませ」

 丁重に店の外まで王様をお見送りし、再びシャッターをくぐって店内に戻ると、私は急いで緩衝材で包んだネックレスを封筒に入れ、残りの閉店業務を最速で完了した。

 あ~、やれやれ。結構時間かかったな。まあ、残業代出るからいいけど。

 ショッピングモールの警備室に閉店チェックシートを提出し、夜の冷気の中へと足を踏み出す。コートのポケットに手を突っ込み、私は足早に一番近い駅前の郵便ポストへと向かった。王様のネックレスを投函して、ようやく今日の業務は終了だ。

 忘却の彼方に追いやられることなく、無事に封筒をポストに入れると、私は安堵して肩の力を抜いた。瞬間、不意に背後から肩に手が置かれ、私は思わず尻尾を踏まれた猫のような声を上げた。自分でも驚きの瞬発力で飛びのき、涙目で振り返る。

 と、そこにいたのは、さっき店でお見送りしたばかりの王様だった……。


                *


「……本当に悪かった。そこまで驚くとは思ってなくて」

「本当にマジでびっくりしたっす。今度からは先に声をかけてください。つーか、俺の背後に立つな、ですよ」

 近くのベンチに腰掛け、王様からもらったホットミルクティーをありがたくいただきながら、私は丁重に文句を言った。

「何て声をかけたらいいか、わからなくて」

「いや、ちょっといいですか、とか何でもいいじゃないっすか」

「……確かに。今度からそうする」

「はあ……」

 王様って時々、異常にコミュ力低いよな。ハイレベルな問題は容易く解決するくせに、普通のことができないというか。何なんだ、このアンバランスさは。

「で、何の用ですか? ネックレスなら今、ポストに入れちゃいましたけど」

「見てた。ありがとう」

「どういたしまして。ま、仕事なんで」

 肩を竦め、熱々のミルクティーを慎重に啜る。私は猫舌なのだ。というか、わざわざこんな貢物まで用意して待ってるとか、王様は一体、私に何をご所望なのか。はっきり言って、不安しかないんだが。

 取り敢えず出方を見ていると、しばらくしてようやく王様が口を開いた。

「……ちょっと、確かめたいことがあって」

「はあ、何すか?」

「……何ていうか……」

「…………何ていうか?」

「……その、つまり……、あんたがジミーのこと、どう思ってるか、ちゃんと、確かめたくて」

 散々、溜めに溜めたあと、重大な覚悟を決めたような面持ちで王様が口にした言葉に、私は一瞬、ぽかんとして見つめ返した。

 ……王様の口からジミーって言われると、何か違和感あんな。まあ、いいけど。こっちに合わせてくれたのかもしれないしな。

 私は瞬きを一つし、何とか気持ちを切り替えると、王様の疑問に答えた。

「……えっと、ジミーは受けです」

「…………は?」

「は? いや、だから、私はジミーが受けだと思ってます」

 誤解のないよう、もう一度はっきりきっぱり言い切ってみせると、王様は何とも言えない面持ちで私を見つめた。

「……え、あれ? 違うんすか? 違うってことは……王様が受っ……ぐえっ!」

 唐突にマフラーを引っ張られ、息苦しさで涙目になりながらも、私は続けた。

「大丈夫です! 私、意外と逆カプもOK……というか、リバ可なんで! むしろ王様が受けとかめちゃくちゃ萌えるのでは……っ!?」

 間近で見る超絶イケメンの無表情はかなり怖かったが、萌えに任せてまくしたてると、不意に王様が深々とため息をついた。ゆるりとマフラーから手を放してくれたので、そそくさと顔を背け、近場の空気から酸素を吸入する。いやいやいや、マジで窒息するかと思った。萌えに生きるのは腐女子の性とはいえ、今回はなかなか命懸けだったな。さすが王様。

 ぜいぜいと酸素不足に喘いだあと、私は一応フォローしようと口を開いた。

「あの、ですね……っ。別に恥ずかしがる必要はないと……」

「それはない」

「は?」

「ジミーが受けであってる」

「……はあ、そすか。まあ、そうですよね。あのジミーがこの王様に攻めるとか、体格はともかく、二重人格並みに性格改変しないと、リアルではなかなか難しいですよね……」

 私が残念がっていると、王様が仏頂面で口を開いた。

「それだけ?」

「はい?」

「思ってること、本当にそれだけ?」

 大真面目な眼差しにたじろぎつつも、私は素直に頷いた。

「まあ、そっすね。何だかんだ言いましたけど、私は王様×ジミーでいいと思いますよ。見た目地味で自分に自信がなくて、でも健気で一途とか、ジミーは本当に私の理想の受けなんですよー。人物像はちょっと私の想像入ってますけど」

 あはは、と笑った私の横で、王様が改めて大きなため息をついた。

「……あのー、何すか? さっきから」

 程よく冷めたミルクティーを飲みながら私が聞くと、王様は両手に顔を埋めたまま呻くように言った。

「……好みって、そういう意味……?」

「はい?」

 私が聞き返すと、王様は恨みがましい目でじっとりと睨んだ。

「……さっき、ジミーが好みって言ってたけど、それって……」

 そんなこと言ったか? まあ、言ったかもしれない。けど、それは……。

「私好みの受けっていう意味、ですかね」

「マジか……!」

 思い切り突っ伏した王様を見ながら、私はようやく事態を理解した。

「……もしかしなくても、私が男としてジミーのこと好きっていう意味だと思っちゃいました……?」

 返答はなかったが、ううっという呻き声が耳に届き、私は苦笑した。

 王様、マジでジミーのこと好きすぎだろ……結構、可愛いところあるじゃないか。

「安心してください。私、腐女子だって言ったじゃないですか。私は王様とジミーのセットが好きなのであって、はっきり言って単品には興味ありません」

「……本当に……?」

 ちょっと涙目の王様に、私は言った。

「ぶっちゃけ、そういう意味では全く興味ないです。ジミーも、王様も。でも、カップルとしては最っ高!!! 本当に……心から、好きです……!」

 キラキラした私の眼差しにため息をつき、王様は小さく苦笑いをして言った。

「……俺も、好き。あんたのそういうところ」

「いやぁ、王様にお褒めいただくとは光栄です」

 はっはっはっ、と大仰に照れてみせたとき、不意にベンチの後ろの茂みががさっと大きく揺れた。振り返ると、誰かが走り去る足音と、遠ざかる背中がちらっと目に映った。

 ……んん? 何か、今の背中、ちょっとジミーっぽかった気がするのだが……いやいやいや、まさかそんな、この腐女子の鑑のような私が、BLにたまに出てくる当て馬女子のようなポジションにうっかり立ってしまうとか、あり得ない。あり得ないから……。

 冷や汗をだらだら流しながら王様に目をやると、王様は平然とした様子で私に言った。

「そういうことなら、いい。遅くまで引き留めて、悪かった。これからもよろしく頼む」

 ……ああ~、うん。これ、王様、気づいてないヤツだ。多分、王様の位置からだと、視界に入らなかったのだろう。ええ~、どうしよう。どうするよ? いやいや、でも、私の勘違いということもなきにしもあらず、だし……?

 結局、今後の方針を決めかねているうちに王様は別れの挨拶をして去っていき、私はもやもやした不安を抱えながら一週間を過ごしたのだった……。


                *


 そして一週間が過ぎてクリスマスイヴ当日、王様から依頼されたネックレスはまだ店に到着していなかった。一言でも報告できたら、と昼休みに喫茶店まで行ってみたのだが、何やら店先で王様が二人組の若い女性客と押し問答しているのを遠目で確認し、速攻で近くのラーメン屋に飛び込んだ。

 う~わっ、関わらんとこ~っ。触らぬ神に何とやら、ってヤツだ。さすが王様、やっぱモテるなぁ。私も、王様の見た目だけなら普通に男性としてめちゃくちゃ格好いいとは思うんだが。例えジミーという存在がなかったとしても、王様にアタックするとか無理だわ。いろんな意味で。どうせなら、王様とはオタク友達としてもう少し早く出会いたかったとは思うが、運命なので致し方あるまい。

 クリスマスを理由に、少し奮発してチャーシューメンを平らげると、時間もないので私はそのままジュエリーショップに戻った。刻々と日が落ち、王様に残念なお知らせをする覚悟をし始めたとき、ようやく待ち望んだ荷物が到着した。

 表向きは私が購入したことになっているので、社割したネックレスの代金を私が建て替え、無事に品物は入手した。まあ、王様から事前に聞いていたサンタさん計画ならば、私が帰りに喫茶店に届ければ、時間的には全く問題ない。

 もちろん、ネックレスの出来上がりも念入りに確認したが、猫のモチーフとチェーンのバランスが想像以上にいい。これならジミーが身に着けても、差支えないだろう。

 今日は早番だったので、私は退店してから王様の連絡先である喫茶店に電話することにした。しばらくコール音が続き、一度切ろうかと思い始めたとき、ようやく王様が電話に出た。電話越しでも忙しそうなことは伝わってきたので、手短に用件を話す。喫茶店も間もなく閉店し、あとは片付けるだけだというので、私は晩酌用のおつまみと缶ビールを買ってから向かうことにした。

 喫茶店に着くと、すでに表側の灯りは落ちており、扉にはCLOSEDの札が掛かっていた。

 確か、裏口に回ってほしいということだったな……。

 私は商店街の表通りから、喫茶店わきの細道に足を踏み入れた。すぐ突き当りになっていて、外灯はあるがちょっと薄暗い。一応、喫茶店の裏口にある扉の小さな擦りガラスから明かりが漏れていたので、まだ中に人がいることはわかった。

 小さな紙袋に白いジュエリーボックスが入っていることをちらりと確かめ、裏口の扉を軽くノックする。と、少しして扉が開き、王様が現れた。ウエイターの制服ではなく私服姿なので、片付けも終わっていたようだ。

「すみません、遅くなって。待ちました?」

「いや、ちょうど全部終わったとこ。先に戸締りする。ちょっと待てて」

 一度扉が閉まったあと、すぐにコートを羽織った王様が出てくると、裏口にしっかりと鍵をかけた。

「これで大丈夫。ありがとう。来てくれて」

「いえ、間に合って本当に良かったです。今から行くんですか?」

「ああ。ただ、悪いがちょっと場所を移して話したい。ここだと、誰か来るかもしれないし」

「昼間の女性達ですか?」

「……やっぱり、見てたのか」

 じっとりと視線を投げてきた王様に、私は肩を竦めてみせた。

「気づいてました? たまたま、近くを通りかかっただけです」

 そしてぶりっ子風に軽く握った手を口元に添え、わざとらしく声色を変えて言う。

「べ、別に王様のためじゃ、ないんだからねっ」

「ぐふっ……ぐはっ」

 と、王様が咳き込むようにして笑った。

「ケホケホ……ッ、そういうことを、真顔で言うな。危うく、よだれが気管に入るとこだった……げほっ」

「いや、すいません。表情筋を動かすの、面倒臭くて」

「……それ、すげーよくわかる」

「じゃ、取り敢えずどこか場所を変えて……」

 裏口に背を向け、商店街の表通りに向かって二人で歩き出そうとしたとき、不意に後ろで空き缶が倒れるような音が響いた。びっくりして振り返ると、近くの電信柱の辺りからビールの缶がゆっくりと転がっていくのが目に入る。まだ少し中身が入っていたのか、アスファルトがじわじわと濡れていった。

「…………」

 昼間の女性客か?

 という思いで私が隣を見やると、王様もいつになく厳しい眼差しで小さく頷いた。

 誰だろうが、取り敢えず確かめねばなるまい。

「……そこにいるのは誰だ?」

 フェーズ3の王様の声を知っている私でも聞いたことのない、低い声だ。自分に向かって発せられたわけじゃないとわかっていても、思わずびくりとしてしまった。暗がりに身を潜めて王様を待ち伏せしていた奴は、かなり本気で怖かったはずだ。

 と、電信柱の陰からゆっくりと人影が現れ、外灯の明かりにその姿が浮かび上がった。

「っ────────!!!」

 ジミィィィィィ────────っ!!!

 王様が驚愕のあまり本気で絶句している横で、私は全力でその名を叫んでいた。心の中で。

「……あ、あのっ! すみ、すみませ……俺……その……」

 どうしたらいいかわからないように目を泳がせながら、震える唇で懸命に紡ぎ出されたジミーの言葉が、切れ切れにこぼれていく。

 ああーっ! ジミーが! ジミーが泣いちゃ……泣いちゃうぅぅぅ……っ! 王様、テメーさっさと何とかしろぉぉおっ!!!

 と全力で王様を睨んだ瞬間、商店街の表通りのほうから若い女性の話し声が耳に届いた。

「やだぁ! 喫茶店もう閉まってるぅ!」

「何でぇ? 昼間聞いたとき、クリスマスで忙しいから、いつもより営業時間が伸びるって言ってたのにぃ!」

「念のため、言われた時間より30分以上早く来たのにねぇーっ」

 ああーっ! 今度こそ昼間の女性客だ! つーか、何でこのタイミング!? 王様、もしかして呪われてるんじゃあ……。

 ちらりと隣を見ると、王様はかつてないほどの無表情になっていた。

 あ~、やばい。これはダメなヤツだ。王様、本気で怒ってる。人死にが出る前になんとかせねば。

 矢継ぎ早の急展開で、事態がよく呑み込めていないジミーが戸惑っているのを見ると、私は素早く決断した。

「……王様」

 自分でも驚くほど低い、ドスの利いた声が出た。

「全力でジミーを守れ」

 私が電信柱に向かって視線をやると、王様は全てを理解したように頷いた。素早くジミーを抱きかかえると、さっきまでジミーが隠れていた電信柱の陰に飛び込む。

「ねぇ~、でも、まだ中にはいるかもよ?」

「そうだよねぇ、片付けとかしてるかもっ」

「裏口とかあるのかなぁ?」

「あ、そっちの路地とかちょっと見てみるぅ?」

 その間にも、若い女性の話し声が路地にまで響いてくる。

 私は咄嗟に場所を移動し、持っていたマイバックから買ったばかりのビールの缶を開けた。炭酸がプシュッと音を立てる。そのまま一気に半分ほどビールを飲みほした。

「あれ~? 今、こっちから何か音しなかった?」

 表通りの明かりを遮るように女性の影が現れた瞬間、私はそちらに向かって足元にあったビールの空き缶を蹴った。クワァン……と間抜けな音とともに缶が飛ぶ。

 女性たちがいる場所のかなり手前で缶は止まったが、まだ中身が残っていたのか、ころころと転がりながら、再び周囲のアスファルトを濡らしはじめた。

「きゃあっ」

「やだっ、何これ!」

 その時、狙いすましたように私の口から大きなゲップが放出された。あ~、すっきりした。炭酸、弱いんだよな、私。

 続けて、口元を手で覆いながら身を屈め、思い切りオヴォエェエッとえずいてみせた。

「ちょっ、やだ! 酔っ払い?」

「やだ、もう行こーっ」

「でも……」

「ほら、裏口の明かりも消えてる。多分もう帰っちゃったんだよ」

「え~っ、ひどい! せっかくクリスマスを一緒に過ごそうと思ったのにぃ……」

 ぶつぶつ言う声が、だんだんと遠ざかっていく。しばらくそのままの態勢で耳を澄ませたあと、私は身を屈めたままよろよろと表通りのほうへと進んだ。口元をしっかり手で覆ったまま、声が遠のいていったほうを覗き込む。念のため、本当にいなくなったか周囲を確かめたあと、後ろに向かって親指を立ててみせた。

 少しして背後に人の気配を感じたとき、王様の声が言った。

「……ちょっといいですか」

 ……いや、確かに前、そうしろって言ったけどさぁ。今はもっと流れ的に言うことがあんじゃん。もう行った? とか、ありがとう、とか。ジミーも、もうちょっと王様の教育に力を入れたほうがいいと思うのだが。

 何とも言えない面持ちで私が振り返ったとき、王様に大事そうに抱きかかえられたままのジミーが、あっと小さく声を上げた。

「もしかして……ピアスを買ったときの店員さんですか?」

 ……あ~あ、バレちゃったよ。まあ、どのみちここまで来たら、王様のせっかくのサプライズは完全に失敗だけど。

 というか、勘違いとはいえ、超絶マイナスサプライズにはなっていたが、これは絶対に食らいたくないヤツだしな。今思えばこの一週間、ジミーはさぞかし辛い想いをしたことであろう。その責任の一端が自分にもあると思うと、実に心が痛む。

「……取り敢えず、場所を移しましょう。ちゃんと説明するんで」

 そして私という腐女子は、クリスマスイヴにBLカップルと近くのファミレスでディナーを共にするという、奇跡の体験をしたのだった……。


                *


 リアルでファンタジーな奇跡を守り抜いたクリスマスも終わり、年末年始を平穏に過ごすことができた私は、王様とジミーを近所の公園に呼び出していた。年が明けてまだ一週間程度なのに、一月に入ってから寒さが一気に深まった気がする。

 でも、独り身の寒さになんか負けない! だって、腐女子だもん!

「あ、遅くなってすみません!」

 公園に入ってすぐ、私に気づいたジミーが手を振ってくれた。会った瞬間に、王様の隣にいるジミーの笑顔が見られるとは、本当に感無量だ。

 よだれを垂らしそうな笑顔で手を振り返した私を見ると、王様があからさまに警戒するような眼差しで牽制しながら、ジミーを後ろからハグした。ジミーが私の視線を気にして頬を染める。

 おお~っ、よいではないか、よいではないか! ふっ、まったく王様も、腐女子のことをわかってるんだか、わかってないんだか。かえって私を喜ばせるようなことをするとか、まだまだだね!

「いや~あ、お熱いですなっ。ご馳走様ですっ。ありがとうございますっ。生きててよかった!」

「……何の用?」

 ふっふっふっ。いくら不機嫌そうにしても、それがジミーを心配する気持ちからきているものだと承知している私には、単なるご褒美に過ぎないのだよ。やっぱり、王様はジミーとセットだと余計に萌えるなぁ。取り敢えず、初詣の代わりに拝んでおこう。

 いきなり両手を合わせて深く頭を下げた私を見ると、さすがの王様も呆れたようにため息をついた。

「あんたは本当にぶれないな……」

「お褒めにあずかり、恐悦至極。いや、何。ちょっと二人に渡したものがあって、ご足労いただいたんですよ。心配しなくてもすぐ終わるんで」

「時間の長さより、内容が心配なんだよ」

「おお、さすが王様っすね。でも、私にお礼したいって言ったの、王様じゃないっすか」

「……俺だけでいいだろう」

「いやいや、それだとジミーがまた泣いちゃうし」

「なっ、泣いてません!」

 顔を赤くして反論するジミーを覗き込み、私は言った。

「でも、王様が私と二人で会うの、嫌じゃないんですか?」

「いっ……、嫌、です……」

 恥じらいながらも、嫉妬心を隠し切れないとか、ジミー最高だな!

 ぱあぁ……っと惜しげもなく全開の笑顔を晒した私に、王様が低く唸る。

「用件は?」

 おお、いかんいかん。ちょっと調子に乗りすぎてしまったかな。まあ、よい。私的には最後の無礼講だ。とはいえ、二人は知る由もないわけで、ここは一応、殊勝な態度を見せておこう。

 私はコートのポケットから白いジュエリーボックスを二つ出し、それぞれ王様とジミーに差し出した。

「え~っと、こっちがジミーで、こっちが王様っすね。取り敢えずは」

「……取り敢えず?」

 王様が胡散臭そうに目を細めて私を見た。私はへらっと笑って受け流した。

「まあまあまあ、いいじゃないっすか。私から二人に、お揃いのプレゼントっすよ。ありがたく受け取っちゃってください」

「え……でも、お礼しなくちゃいけないのはこっちのほうなのに……」

 戸惑いがちに遠慮するジミーに、私は清廉潔白な微笑みを向けた。

「これは、私のせいでジミーに勘違いさせて悲しませてしまったことへの、せめてものお詫びです。だから、できれば受け取ってほしいです」

 ジミーは純真な眼差しで不純な私を見ると、穢れなき感謝の言葉を述べた。

「あれは俺も悪かったので、気にしないでください。でも、俺たちのこと、応援してくれて、すごく嬉しかったです。だから……えっと、これをいただいた分も、今度ちゃんとお礼するので。本当に、ありがとうございます」

 プレゼントを丁重に受け取ってくれたジミーに、私はにやりと笑って言った。

「大丈夫っす! お礼なら今、ここできっちり返してもらうんで! ねっ、王様?」

 きょとんとしているジミーをちらりと見たあと、王様は苦虫を噛み潰したような顔で私を睨んだ。

「こういうことは、これっきりにしてもらいたいんだが。大体、こんなことに金を使うとか、あんたの金銭感覚はどうなってんだ」

「まあまあ、思い出はプライスレスっていうじゃないですか。冥途の土産に、一つお願いしますよ」

「……ったく、厄介な奴だな」

 ぶつぶつ言いながらも、王様は私の前でジミーと向き合い、白いジュエリーボックスを丁寧に開けた。大方の予想はついていたのだろう、ジミーとは違い、驚いた様子もなくシルバーのシンプルな指輪をそっと取り出す。そのまま片手で器用にジュエリーボックスを閉めると、コートのポケットに入れた。

「えっ……あの、これって……」

 取り乱しているジミーの左手を静かに取り、王様はその薬指に指輪を滑り込ませた。

 ジミーの頬がふわぁっと桜色に染まる。

「えっと……、あの……」

 自分の薬指に光る指輪と、目の前の王様の顔を確かめるように交互に見たあと、ジミーの瞳がゆっくりと潤んでいく。涙を堪えるように、唇が一度きゅっと引き結ばれた。それから、ジミーは震える指でお揃いの指輪をジュエリーボックスから取り出した。

 王様は流れるような動作でジミーからジュエリーボックスを受け取り、自分の左手を差し出した。ジミーは先程の見よう見まねで震える手を添え、王様の薬指にシルバーの指輪を嵌めた。

 ジミーが恐る恐る顔を上げると、王様がふんわりと花弁が綻ぶように微笑んだ……。

 ……ああ~っ、いいっすね! 最高っす! 本当にマジでありがとう!

 目の前で繰り広げられた感動の指輪交換に、私は歓喜の涙を流していた。もはやこの世に未練などない! 本当にありがとう! 今まで生きてきて、よかった……っ!

 隣で滂沱している私に気づくと、王様は心底呆れたように嘆息した。

「そこまで喜んでもらえるとは、光栄だな。安上りというか……いや、逆か。むしろ俺たちのほうが、ただより高いものはないって感じかな……」

 私は溢れる涙を拭いながら、王様にもう一つ小さなサテンの巾着を渡した。

「まあ、そう言わずに。王様にはもう一ついいものをおまけしてあげるんで」

 巾着を開けると、王様は無表情に首を傾げた。

「……これは、前に交換してもらったのと同じチェーンか? でも、どうして……」

「指輪、外す必要があるときは、そのチェーンに通して身に着けられるかな、と思って。お揃いになるし」

「……感謝する」

「ま、どちらも高いものじゃないし、社割してもらったので、そんなに気にしなくていいですよ」

 私はにっと笑うと、ベンチから立ち上がった。

「じゃ、私はもう行きますね。そろそろ引っ越し屋さんが来る頃なんで」

「引っ越し?」

「はい、ちょっと遠くに行くので、もうお会いすることはないと思います。でもまあ、最期に二人に逢えてよかったです。これで思い残すことはありません。我が一生に悔いなし、ですよ」

「そうか、それはちょっと想定外だったというか……」

 王様は少し躊躇う様子を見せたあと、肩にかけていた鞄から保冷バッグを取り出し、私に差し出した。

「……作り置きしておいた冷凍のグラタンだ。あんた、好きだって言ってたから」

「おお!」

「本当はあんたのために作ったんじゃないんだが、急だったから」

 ちらりと隣の恋人に目をやった王様からグラタンを受け取りながら、私はにやにやして言った。

「ご馳走様です! ありがとうございます! いろいろな意味で!」

「どういたしまして。というか、邪魔だったら悪い。一応、保冷剤も入れておいたんだけど」

「大丈夫っす! これは本当に嬉しいです。あっ、でも容器を返すのどうしよう……」

「使い捨ての紙容器だから問題ない。保冷バッグも百均だから」

「さすが王様! じゃあ、ありがたく受け取らせていただきます」

「いろいろ世話になった」

「こちらこそ」

 私は二人に手を振ると、背を向けて歩き出した。

「あのっ! 本当に、ありがとうございました!」

 ジミーの声に片手を上げて応える。けれど振り向くことはできなかった。基本、人間関係にドライな私としたことが、こんな別れ程度でさっきと異なる涙を拭うことになるとは、何たる不覚。

 昔の有名な歌のように天を仰ぎ、白い息を吐きながら、私は思った。

 来世は是非とも異世界転生でもして、美少年になりたいものだ。そして地雷のない理想の純愛BLを体現したい。初詣には行けなかったが、さっき王様を拝んだことだし、賽銭も現物支給だけど渡したし。神様、王様、仏様、いろいろと何とかしてくれ。

 もう一度、何者でもない天に向かってお願いし、私はこの街に別れを告げて歩き続けた。

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