8

 マギルスは幸い、意識を失っていただけで、すぐに目を覚ました。

 ジュリアが船から投げ出された人々を救ったことで、エレナたちは再びカドリア城に呼ばれて、もてなしを受けることになった。

 国王は今回のことを喜び、この国を去るまでぜひ城に滞在してほしいと言っている。

 エレナたちは次の目的地であるバルトル国へ向かうつもりだったが、どうしてもリザベルのつぶやきが気になって、もう少しカドリア国に滞在することにした。


「助けていただきありがとうございました」


 マギルスに呼ばれた城の四阿で、エレナたちは彼がお礼にと開いた茶会に出席していた。

 茶会にはセティの姿はあるがリザベルの姿はない。

 ジュリアはティーカップを傾けながら、「お礼はセティに言いなさいね」と言った。


「ええ、もちろんです。セティが溺れた僕を助けてくれなければ、僕はここにはいませんから。ありがとう、セティ」


 マギルスがセティに微笑みかけると、セティが照れたように頬を染めた。

 マギルスはセティの目の前にあるティーカップに、温度を確かめるように手を添えて、「大丈夫そうだよ」と言って彼女に差し出す。


「先日、セティは高熱を出してしまって、その影響で温度がわかりにくくなってしまったんです。僕は医学的なことはよくわかりませんが、麻痺の一種ではないかと侍医が」


 なるほど、だからこの前、セティは熱い紅茶を冷ましもせずに飲もうとしていたのか。


「高熱で感覚の麻痺? まあ、ないとは言えないでしょうけど、妙ね」


 ジュリアが顎に手を当てて、セティに「ほかに不調はないの?」と訊ねる。

 セティは首を横に振って『大丈夫』と口を動かした。

 マギルスはそんな彼女に優しく微笑みかけて、茶請けのケーキを勧めている。

 こうして見ると、エレナの目には、マギルスとセティは仲睦まじい恋人のように見えた。妃であるリザベルには失礼だが、マギルスは本当にセティを大切にしているようだ。


「僕はどうも泳ぎがだめで、十年ほど前も一度海で死にかけましてね。あのときも船から海に投げ出されてしまって。運よく岸に流れ着いて、リザベルが発見してくれたおかげで助かったのですが……」


 マギルスはそこでふと言葉を切って、微苦笑を浮かべた。


「どうしてですかね。さっきセティに助けられたときに、過去に同じようなことがあったような、不思議な既視感を覚えてしまって。変ですね」

「それは……」


 エレナはセティに視線を向けた。彼女はわずかに目を見開いていたが、エレナと目が合うと微笑んで首を横に振った。言わなくていい、ということらしい。

 十年以上前、海に落ちたマギルスを助けたのはセティである。だが、セティはそれを言うつもりがないらしい。真実を告げたところで、すでにマギルスは、命の恩人だと信じているリザベルと結婚している。彼を助けたのは本当はセティだと告げても、どうすることもできない。それはエレナにもわかっているが、どうにもやるせない。

 エレナが悶々としていると、遠くからエレナを呼ぶ声が聞こえてきて顔を上げた。

 カドリア国王につかまっていたユーリが、ようやく解放されたようで、こちらへ歩いてくるのが見える。


「ユーリ殿下。父の長話に付き合ってくださったようで、その、すみません」

「いえ。バルトル国へ向かうなら船の手配をしてくださるとおっしゃっていただきました」

「そうですか。バルトル国はきれいなところですよ。僕も何度か行ったことがありますが、海上のヴィラなどは清々しくて楽しめました。お泊りになるならおすすめします」

「ヴィラですか。いいですね。そうしようかな。エレナ、どうする?」


 ユーリはエレナの隣に腰を下ろすと、彼女の肩を引き寄せる。

 ヴィラがわからないエレナが首をひねると、海の中に建てられた宿だと教えてくれた。目の前がすぐにサンゴの広がる海らしい。

 エレナがぱっと顔を輝かせると、ユーリは「決まりだな」と笑った。

 その様子を見ていたマギルスが、ぽつりと、


「ユーリ殿下と妃殿下は仲がよろしいのですね」


 とつぶやく。

 エレナが照れて頬を染める横で、ユーリが堂々と答えた。


「当然ですね」

「いっつものろけているのよ、この二人。あーやだやだ、胸やけがしそう」


 ジュリアがひらひらと手を振って、「当てられる前に部屋に戻ろうかしら」と席を立つ。

 セティが口の動きで『エレナはユーリ王子が、大好き』と言ったから、エレナはますます赤くなった。

 マギルスはそっとセティの頭を撫でて、


「それは、いいことだね」


 と、どこか淋しそうに、笑った。

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