6

 ジュリアの話を聞き終えたエレナは驚いた。

 まさか、セティが人魚だったなんて。


「それでジュリアさん、どうするんですか?」

「人魚たちと約束しちゃったからね、セティと話すしかないけど……、でも、さすがに王子を刺し殺して海に戻りなさいなんて言えないわ」

「当たり前だ。他に方法はないのか?」

「ほかって言われてもね……。薬だって、呪いの応用で作ったものだから、その呪いを解く薬なんて作れないし」


 なるほど。ジュリアは呪いの異能を応用して薬を作っていたらしい。エレナは顔を上げた。


「呪いならわたしの力でどうにかなりませんか?」

「あんたはまだ力が不安定でしょ。それに、人魚たちの話だとセティはまだマギルスって王子のことが好きらしくて一緒にいたいんですって。もしあんたの力で人魚に戻れることになっても拒否すると思うわよ」

「つまりマギルス殿下を刺さずに人魚たちの納得する結果が必要だということか」

「無理ね」


 ジュリアはすぱっと即答した。


「どう考えたって無理だわ。仕方ないわね。あたしはセティと話をすることしか約束していないもの。話さえすれば約束は守ったことになるわね」

「お前、いい加減だな」


 ユーリがあきれたように言うと、ジュリアは眉を吊り上げた。


「何よ。あたしのおかげで噴水の故障が止まったのよ」

「だが、人魚たちが納得しなければまた同じことになるだろう」

「それはそれじゃない? いいじゃない、あたしたちはそのころにはこの国とはおさらばしてるんでしょうし。第一、助けてくれた人を勘違いして偽物と結婚した、間抜けで馬鹿な王子のいる国のことなんて知らないわよ。それどころかセティは城でひどい扱いを受けているんでしょ? 恩をあだで返すって言うのはこのことね、自業自得よ自業自得。聞く限り、まんまと王子の妃の座に収まったリザベルとか言う女もいけ好かない女みたいだし、国中が水浸しになって慌てればいいんだわ」


 いい気味じゃないと笑うジュリアに、エレナとユーリは顔を見合わせる。

 ジュリアの言う通り、自業自得だと言わざるを得ない部分もあるけれど、この国に住む人々には罪はない。それに――


(もしかしたら、セティさんが大聖堂で祈っていたのはこの件のことだったかもしれないわ)


 少なくともセティは、姉たちが噴水を壊していたことに心を痛めていたのではないだろうか。

 だからあれほどまでに熱心に祈りをささげていたのかもしれない。


「……俺たち外野が、マギルスの命を救ったのは本当はセティだったというわけにもいかないだろう。それに、言ったところですでにマギルスは結婚している。相手は他国の王女だ。簡単に離縁することもできない」


 どうしようもできない問題だと、ユーリがエレナの頭を撫でる。

 エレナはセティの顔を思い浮かべながら、ただ小さく頷いた。



     ☆



 カドリア城――

 王太子マギルスの部屋には、この部屋の主であるマギルスとセティの姿があった。

 マギルスはセティの右手に巻いてある包帯を丁寧にほどき、傷口に薬を塗ると包帯を巻きなおしていく。


「ごめんね」


 包帯を巻きながらマギルスがつぶやいた。


「リザには僕からきちんと言っておくから」


 マギルスの声は小さい。彼も、いくら言おうと自分の妃の態度が変わらないことを知っているのだ。

 セティが首を横に振ると、マギルスは包帯を巻いた彼女の手をそっと握り締めた。


「思えば、君が僕の前に現れてから十年がたったね。まだ、記憶は戻りそうにないかい?」


 セティは人魚から人の姿になり、マギルスの前に現れた時、記憶喪失を装っていた。まさか人魚だと言えるはずがないからだ。

 セティが首を横に振ると、マギルスは肩を落とした。


「そう……。早く記憶が戻るといいね」


 マギルスがそう言いながら、セティの手の甲を優しくなでる。

 セティが頷くと、マギルスは笑って立ち上がった。


「今日は僕がお茶を入れよう。その手だと入れにくいだろう?」


 マギルスはどこか危なっかしい手つきでティーポットを用意して、紅茶をいれはじめる。セティははらはらしながらそれを見守った。マギルスはあまり器用とは言えない男である。お湯で火傷をしたらどうしよう。


「そういえば、体調はどう?」


 セティはマギルスの手元を見やりながら、「大丈夫」と言うように両手で大きな円を作ってみせる。

 セティはつい二週間ほど前に、原因不明の高熱を出して寝込んでしまったのだ。熱は回復したが、どういうわけか、あの時から、ものに対する温度をあまり感じなくなってしまった。冷たいのはなんとなくわかるのだが、ある一定の温度以上の熱がわからなくなってしまったのである。

 マギルスはそれを知っているから、紅茶を適温まで冷ましてからセティに差し出した。

 口の動きだけで「ありがとう」と伝えると、マギルスが微笑む。


 マギルスは前から優しかったが、セティが高熱を出して以来、輪をかけて優しくなった。過保護と言ってもいい。セティの部屋もマギルスの私室の隣に移されて、彼が部屋にいるときは常にそばにいるように言いつけられた。

 マギルスが公務などで席を外しているときは、リザベルに呼びつけられることもあるが、それ以外は常にマギルスと一緒である。食事まで一緒に取るように言われて、彼の部屋で取っている。

 セティが温度を感じ取れなくなったことを気に病んでいるのだろうか? 熱を出したのはマギルスのせいではないのに。


「そうそう、今日はね、フィナンシェがあるんだよ。開発中の新しい商品らしくてね、町の菓子屋が持って来たんだ。少し塩の味がするそうだよ」


 感想を聞かせてほしいと言われていたから、食べてみて教えてほしいなと言って、マギルスが棚から箱を取り出してくる。

 箱を開けて、フィナンシェを一つ取ると、まず一口かじったあとで頷き、セティに箱ごと差し出してきた。


「大丈夫そうだ。どうぞ」


 大丈夫ということは美味しいのだろうか?

 セティはフィナンシェを取ると口に入れる。バターがしっかりきいていて、甘さの中に塩味も感じられ、確かにおいしい。

 セティが顔を輝かせると、マギルスは彼女のふわふわの金髪を撫でた。


「よかった。口にあったみたいだね。それ、全部食べていいからね?」


 箱の中にはたくさんのフィナンシェが詰まっていて、さすがに全部ひとりで食べきることはできない。困ったように眉を八の字にすると、マギルスがぷっと吹き出した。


「なにも今全部食べろとは言わないよ」


 そのままおかしそうにくすくすと笑いながら、セティの口の端についた菓子くずを指の腹で取ってくれる。


「大丈夫だ。今度は絶対に守ってあげるからね」


 怪我のことだろうか?

 セティが右手に視線を落とすと、包帯に巻かれた手がまた握られる。

 マギルスは優しい。昔からずっとずっと優しい。


(大好き)


 だから、姉たちの言うことは聞けない。マギルスにはリザベルという妃がいるのはわかっているけれど、彼のそばから離れたくない。一生侍女でいいから、彼のそばにいたいのだ。

 姉たちのくれた短剣は、もうじきその効果を失う。

 あの短剣は不思議で、好きな相手を刺せば、刺した人間の望みを叶え、嫌いな人間を刺せば、刺された方ではなく刺した方を滅ぼすという。

 海の底の人魚の国にある秘宝の一つだが、その短剣を作ったものは、よほどひねくれたものだろう。

 短剣が効果を失えば、姉たちもあきらめるはずだ。

 これ以上姉たちが、この国の噴水に悪さをしないように、またお願いしてこようとセティは思った。

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