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「つまり、噴水の故障は人魚さんたちのせいだったんですか?」


 部屋で夕食を取りながら、ジュリアの話を聞いていたエレナは目を丸くした。

 いつもは一階にある食堂で食事をとるのだが、今日は噴水の故障で水浸しになったあたりの人達が宿に避難してきており、一階が人で埋め尽くされているため、部屋で夕食を取ってほしいと女将に頼まれた。

 女将も避難してきた人たちの対応で忙しいだろうから、夕食はパンなど簡単なものでいいと申し出たが、ユーリたちはこの宿で一番高い部屋に泊まっており、そのせいか女将も非常に気を使って、いつもと変わらないほど豪勢な夕食が部屋に運ばれてきた。

 ユーリはワインを飲みながら、


「なんだって人魚が噴水を壊すんだ」


 と怪訝そうな表情になる。

 ジュリアは白身魚のムニエルを切りながら、昼間、岬で人魚たちとした会話について教えてくれた。






「ジュリア、この町に来ていたのねぇ」


 ジュリアが岬の端の崖に腰を下ろすと、崖下にいる人魚たちが岩場に腰を掛けて話しかけてくる。


「ええ、久しぶりね。ところでどうして町の噴水を壊したのかしら?」

「あら、気がついていたの?」

「あんな芸当、できるのはあんたたちくらいでしょ。王都の噴水は全部海水をくみ上げてるみたいだし、何か悪さしたのね?」

「悪さだなんて人聞きが悪いわね」

「そうよ。ちょっとしたいたずらじゃないの」

「これもみんな、あの王子が悪いんだから」

「この十年、あの子がどれだけつらい思いをしてきたと思ってるの?」

「だから人間なんて放っておきなさいって言ったのに」


 人魚たちが頬を膨らませて、次々に文句を言いはじめた。

 ぎゃんぎゃん言われて頭が痛くなってきたジュリアはこめかみを押さえながら、人魚の姉妹の中の長女に視線を向ける。


「あの王子って、この国の王子のこと?」

「そうよ、マギルスって言ったかしら?」

「あの間抜け王子」

「自分の命を救ってくれた女神とか言って偽物と結婚した馬鹿王子よ」

「だたの泥棒猫なのに」

「さっさとあんな王子殺してしまえばいいのよ」

「十年も我慢するなんて、あの子は優しすぎるわ」


 人魚たちがまた騒ぎだして、ジュリアは耳栓をしたい気分になった。

 けれども、「あの子」という言葉が気になって、耳を塞ぎたくなる衝動を必死に我慢すると、先ほど崖にいた金髪の小柄な女性の姿を思い出しながら訊ねる。


「あの子ってまさか、十年前にあたしに薬を頼んだセティのこと?」

「そうよ」


 ジュリアは口元に手を当てた。木の陰に隠れていたジュリアからは後姿しか見えなかったから顔はわからなかったが、あの女性の腰から下は尾ひれではなく人の姿をしていた。


(……うわ、思い出しちゃったわ)


 ジュリアは今まですっかり忘れていた、十年と少し前に頼まれた「薬」について思い出した。そう、ジュリアが頼まれたのは人魚が人になる薬だ。だが、いくらジュリアの強い異能の力をもってしても、人魚を人の姿に変える薬には副作用があった。それはいくら頑張っても、ジュリアの力では消し去ることのできない副作用。人間の足を手に入れる代わりに声を失うというものだった。


(さっきの子がセティだったのかしら。なんてこと……)


 ジュリアはセティに薬を渡したが、副作用の説明はしつこいくらいに行った。どうして人の姿になりたいのかはわからないけれど、できれば薬は使わずに諦めたほうがいいとも伝えた。しかし先ほどの女性がセティだったのならば、彼女はジュリアの渡した薬を使ってしまったのだ。


「セティはそのマギルスって王子のために人の姿になったの?」

「そうよ。セティったらあの王子に一目ぼれしちゃったの」

「嵐の日に船から落ちて死にかけた王子を助けたときにね」

「海の底に沈みそうになった王子を助けて岸に寝かせてあげたのに」

「なのにあの馬鹿王子、自分を助けたのはほかの女だと思い込んで、その女と結婚しちゃったのよ」

「セティもそんな愚かな男のことなんて放っておけばいいのに、そばにいたいからって言って人の姿になって陸に上がっちゃったの」

「もう十年になるわ」

「いい加減、そんな王子なんて殺して海に戻ってくればいいのに」

「ちょっと待ちなさい。さっきから殺す殺すって物騒なこと言ってるけど、どういうこと?」

「ふふ、ジュリアは知らないのね」

「あなたたちノーシュタルト一族が異能の力を持っているように、人魚には特別な力を持った道具があるのよ」

「セティには、好きな男に突き立てると何でも願いが叶うっていう短剣を渡したの」

「その短剣で王子を刺し殺せばもう一度人魚にだって戻れるわ」

「なんですって!?」


 ジュリアは頭を抱えたくなった。好きな男を刺し殺せば何でも願いが叶う短剣。そんなとんでもないものが存在したとは。


(……その変な道具にも、ノーシュタルトの先祖が絡んでるんじゃないでしょうね)


 そんなえげつないものを作ろうとするのは、ジュリアの知る限りノーシュタルトの頭のいかれた連中くらいだ。

 だが、それを末の妹であるセティに勧める人魚たちも人魚たちである。


「それで、セティはどうするつもりなの?」

「どうもこうも、あの子は優しいから、王子は殺せないって言うのよ」

「十年も放っておかれて、まだあの馬鹿王子が好きみたいなの」

「でももう時間がないわ」

「セティに短剣を渡してからあと二週間で十年がたつの」

「海から陸にあげた短剣は、十年たつと効果が消えて、願いをかなえてくれなくなるのよ」

「だから早く王子を刺し殺さなくちゃ」

「ねえジュリア、せっかくこの国に来てるんですもの、協力してくれないかしら?」

「セティを説得してちょうだい」

「冗談でしょ?」


 一国の王子を殺すのを手伝えとでも言うのか。冗談じゃない。

 この人魚の姉妹たちは自分たち姉妹のことが大好きだ。だから、なんとしてもセティを取り戻したいのもわかる。だが、そのために人の命を奪うと言うのは問題外だ。ましてや、現在ロデニウムの第二王子ユーリと行動を共にしているジュリアが共犯になるわけにはいかないのである。ロデニウムの王子がカドリア国の王太子を殺害したと言われかねない。


「ジュリアがセティを説得してくれないなら、噴水直してあげないから」

「このまま海に沈んじゃえばいいのよ」

「ふふ、何なら津波を起こしてもいいのよ」


 人魚が口々に言ってくすくすと笑い出す。

 ジュリアはイライラしてきたが、この人魚たちに常識というものはない。やるといったらやるのである。


「セティを説得するかどうかはともかくとして、一度話してみるわ。これでいい?」

「えー、それだけー」

「文句言わないでよ! あたしにはあたしの事情ってもんがあるのよ!」

「ふぅん。まあいいわ。セティも噴水を直してほしいって言っていたし、今回は直してあげる。でも、ちゃんとセティを説得してきてよね!」

「海に戻ってきてって」

「あんな王子殺しちゃえって」

「ついでのあのいけ好かない女もね」

「頼んだわよ、ジュリア!」

「それで丸く収まるわ」


 丸く収まるわけないだろう。

 ジュリアはやれやれと息を吐き出して、人魚たちが海の中に消えていくのを見送った。

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