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 カドリア城に一泊して、次の日、エレナたちは宿に戻った。

 カドリア国に来た目的はレーン・ピエトル大聖堂の壁画を見ることだったので、目的は果たした。次にどこに行くのかが決まったらこの国を出立することになる。

 エレナはセティのことが気がかりだったが、ユーリの言う通りいつまでもこの国に滞在するわけにもいかない。セティはマギルスが優しいと言っていたし、嫌々働いているわけでもなさそうだった。心配することはないのかもしれないと言い聞かせて、エレナはテーブルの上に広げられた地図に視線を落とす。


「次はどこにするかな。このまま船で海に出て、内海の島国バルトルに行っても面白そうだが」

「バルトル国はサンゴの海が有名ですね」

「エレナ、泳げるか?」

「泳いだことがないので、ちょっとわかりません」

「なるほど。じゃあ、泳ぎ方を教えてやる」


 ユーリが自信満々に言うと、そばで聞いていたライザックが訝しげな表情になった。


「殿下、エレナちゃんに教えるってまさか犬かきじゃないだろうな」

「そんなわけあるか!」

「犬かき以外できたっけ?」

「多分大丈夫だ!」

「多分なんだ」


 ライザックはやれやれと肩をすくめる。

 ユーリが狼の姿で犬かきで泳いでいる姿を想像したエレナは、ちょっぴり見てみたいと思ってしまったが、口に出すとユーリが怒りそうなので黙っておくことにした。


「じゃあ、次はバルトルで決まりだな。船はこの国から出ているから、チケットが取れ次第出発しよう」

「次の船を確認してチケットの手配をしておくよ」


 ライザックがそう言って部屋から出て行こうと扉を開けると、何やら外から騒ぐような声が聞こえてくる。

 どうしたのだろうかと思っていると、誰かが「噴水が壊れた!」と叫んでいる声が届いた。


「あちゃー、あの噴水、とうとう壊れちゃったのか」


 二度も水を浴びせかけられたライザックが、「ま、あれだけ故障していればいつかはそうなっただろ」と何度も頷く。

 様子を聞いてくると言ってライザックが階下に降りていくと、エレナとユーリは宿の窓を開けて外の様子を伺った。窓を開けると騒ぎの声が大きく響く。

 エレナの隣に立ったジュリアが外を見やって、眉を寄せた。


「あら、これはちょっと厄介ね」


 何が厄介なのだろうか?

 エレナが首をひねっていると、ライザックが怪訝そうな顔をして部屋に戻ってきた。


「よくわからないけど、王都にある噴水すべてが故障して、町が水浸しになっているらしいよ」


 宿は高台にあるから無事だが、広場を含めて標高の浅いあたりは水浸しらしい。女将に外に出るのを止められたとライザックは肩をすくめた。


「噴水、全部ですか?」


 一つ二つならまだしも、王都にある噴水すべてが故障するなんて、そんなことが起こりうるのだろうか?

 エレナたちが顔を見合わせていると、ジュリアが「ちょっと出てくるわ」と言って部屋から出ていく。


「ジュリアさん! 外は水浸しって」

「大丈夫よ、水のある所には行かないわ」


 ジュリアはひらひらと手を振って、そしてぽつりとつぶやいた。


「……なぁんか、面倒なことに巻き込まれそうな予感がするわ」


 あたしの勘って当たるのよねぇと言いながら、ジュリアは大きなため息を吐いた。






 ジュリアが外に出ると、外は大騒ぎだった。

 壊れた噴水からは水があふれ続けている。

 海に向かって流れ落ちるはずだから、宿のあたりまで浸水することはないだろうが、ジュリアは念のため異能を使って宿の周りに軽い見えない結界を張ってから、浸水しているあたりの様子を見るために広場に向かって降りていく。広場は浸水しているのは間違いないだろうが、レーン・ピエトル大聖堂は階段の上にあるから無事だろう。そこからなら様子がはっきりとわかるはずだ。

 ジュリアがレーン・ピエトル大聖堂へ向かうと、大聖堂の前も中も水から逃げてきた人で溢れかえっている。

 階段から広場を見下ろすと、なるほど、壊れた噴水から水が高く上がって、それが広場を水浸しにしていた。広場から溢れた水は、海に向かって流れ落ちている。

 ジュリアは広場から海の彼方に視線を向けた。

 遠くで大きな魚のような何かが跳ねたのが見える。


(……これは予感的中かしらぁ?)


 ジュリアは踵を返すと、王都リバティルからほど近いところにある岬に向かった。

 けれども、岬には先客がいて、ジュリアは彼女に見つからないようにそっと木の陰に姿を隠す。

 岬の端に立っていたのは、波打つ金色の髪をした小柄な女性だった。


「いいから早く戻ってらっしゃい!」


 岬の奥、崖の下から声が聞こえてくる。崖の下はすぐ海で、人が隠れる場所なんてない。

 ジュリアは「やっぱりねぇ」と口の中で呟いて、じっと様子を伺った。声は続く。


「いつまであの恩知らずの王子のそばにいるの!」

「そうよ。あんなろくでもない王子、さっさと見限ってしまいなさい」

「王子だけじゃなくて、なんであなたがいつまでもあの女に頭を下げないといけないの!」

「あんな泥棒猫はこの短剣でついて、王子もろとも殺してしまいなさいよ!」

「あなたにはもう時間がないのよ!」


 崖の下から聞こえてくるのは、わめきたてるような甲高い声だ。

 崖の上に立つ女性からは声は聞こえない。ただ、しきりに首を横に振っているのが見えるだけである。

 やがて女性が手を振って岬をあとすると、ジュリアは岬の端まで近づいて下を覗き込んだ。


「そこにいるんでしょ? 姿を見せて。あたしよ、ジュリア。十年と少し前に会ったことあるでしょ?」


 崖の下に向かって話しかけると、やがて海の中から数人の女性が顔を出した。


「あらジュリア、久しぶりね!」

「十年もたつのに、どうして年を取っていないの?」

「魔女って年を取らないのかしら?」


 口々に話しかけてくる女性たちの腰から下は、まるで魚の尾ひれのような姿をしていた。

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