25
エレナには何が起こったのかがわからなかった。
バネッサの生み出した炎の蛇が襲いかかってきたところまでは理解できたけれど、その直後に起こったことには脳が追いつかなかった。
エレナに襲いかかってきた炎の蛇は、エレナに噛みつこうとしたその瞬間、バチンという大きな音とともにはじき返されて、術者であるバネッサに向かった。
「きゃああああっ」
バネッサは慌てて炎を消したが、それよりも早く炎はバネッサの服を焼き、髪を焦がした。自慢のふんわりとした蜂蜜色の髪が縮れて、ドレスが焼けて太ももや肩が露になったバネッサは真っ赤になり、その場に自身を抱きしめるようにして膝をついた。
あたりは突然の異能の力にシンとなったが、やがてクスクスと小さな笑いが起こりはじめ、それはあっという間に会場全体に広がった。
「ほんっと、想像通りのことをやらかすろくでもない一族ね」
エレナもユーリも唖然とする中、喧騒の間を縫うように聞き覚えのある声が響いて顔を上げる。
バネッサの背後に、ジュリアが腕を組んで立っていた。
ノーシュタルト一族の長は目を見開いてジュリアを見た。
「久しぶりねダニエル。あんたの顔なんて二度と見たくなかったけど、その子が絶対禁呪の異能を開花させたから、嫌な予感がしていたのよ。まあ、恥も外聞もなく食いつくような馬鹿だとはさすがに思わなかったから、杞憂かもしれないとは思ってたけど、あんた、その馬鹿だったみたいね」
ジュリアはゆっくりとエレナに近づくと、ユーリと並んで彼女をかばうようにして立った。
「このドレスはあたし特性でね。悪意のある力はぜーんぶはじくようにできているのよ。そこの丸焦げの子、あんたの娘? 性格悪そうな顔した豚みたいね、どうせなら丸焦げの黒豚になればよかったのに」
ジュリアは嫣然と微笑む。
「……ノーシュタルトの恥さらしめ」
「何とでも言えばいいわ。あたしはあんたと違って、自分の子は見捨てない。我が子を殺すことをなんとも思わないあんたたちに恥さらしと言われたところで、痛くもかゆくもないわ。あんたこそ、いったいどんな気分? どの面下げてこの子に帰ってこいなんて言えるのかしら? ああ、厚顔すぎて本当の恥って言葉を知らないのね」
エレナは父がここまで怒った顔をするのをはじめて見た。身がすくみそうになるエレナの肩をユーリが、背中をジュリアが支える。
「ここでやりあいたいなら受けて立つわよ。あんたがあたしに勝てるのならね。一族全員相手なら分が悪いけど、あんたと一対一だったら負ける気はしないわ。あんた、あたしに一度だって勝てたことある?」
エレナは驚いたが、父がユーリの呪いを解けなかった事実を思い出した。ジュリアの呪いを父は解けなかった。つまりは、父はジュリアの力に及ばなかったのだ。解呪の術は難しいとはいえ、二十年かけても解けなかった。それはジュリアと父との力の差を意味する。
「せっかくだし、盛大に復讐劇と行きましょうか。そっちから手を出したんだもの、これは正当防衛ってもんよね? 遠慮はしないわよ」
手を出したのはバネッサで、出されたのはエレナだが、ジュリアにはどうでもいいらしい。
父を攻撃できる口実を見つけて、嬉々として異能の力を振るおうとした、その時だった。
「そこまでだ」
命令することに慣れた、有無を言わさない響きを持った声が割って入った。
振り向いた先には国王が難しい顔をして立っていた。
「祝いの席で先ほどから騒々しい。ダニエル殿、昨日も申したように、息子はすでにそこの令嬢を花嫁に迎えておる。たとえそなたの言う通り、そこの娘が使用人としてよこされた娘であろうとも、息子が是としているのだ。ましてや、そなたたち一族が我が息子ユーリにしでかしたことを解決したのはそこの娘であろう。息子の妻に迎えることに、余は何の異論もない。それよりも、この騒ぎの収集はどうつけるつもりだ」
ユーリに「しでかした」張本人であるジュリアは気まずそうに視線をそらしたが、ユーリもユーリから報告を受けている国王も、ここでジュリアを裁く気はないようだった。
ユーリは押し黙ってしまったダニエルに向かって、言った。
「お前は陛下に、ここのエレナが『侍女』だと言ったな。つまりは花嫁とともに俺に差し出すつもりでエレナをよこしたと、そういうことだろう、ならばエレナはすでに俺のものだ。そしてそこにいるお前の言うところの本当の花嫁という女は、いらん。この場をぶち壊した責任で投獄されたくなければ、さっさと連れ帰れ。どこの国にも属さないノーシュタルト一族であろうとも、ここはロデニウムだ。立ち去らないのであれば、こちらの法で裁かせてもらう」
ノーシュタルト一族の長は射殺さんばかりにジュリアを睨みつけたが、やがてうずくまっているバネッサを無理やり立ち上がらせると、彼女を引きずるようにしてこの場から立ち去った。
エレナは父の姿が見えなくなると、緊張が解けてしまって、その場にへなへなと崩れおちる。
ユーリは、そんなエレナの頭を、よく頑張ったなと言うようにそっと撫でた。
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