24

 バネッサ・ノーシュタルトはダンスホールでエレナとユーリがファーストダンスを踊るのを見て、手に持っていた扇が折れそうなほど握り締めた。


 エレナがバネッサの身代わりで嫁いでしばらくして、バネッサは父から呼び出され――、父に言われた言葉に目を剥いた。


 父はバネッサにユーリに嫁げと言った。エレナは偽物で本物の花嫁はお前だから入れ替わるように、と。


 バネッサの代わりにエレナを嫁がせることを許可したのは父であるのに、突然何を言い出すのだ。


 バネッサは腹を立てたが、父が、どうやらユーリ王子の呪いが解けたらしいと言ったのを聞いて考えを改めた。


 呪いが解けたのならば、ユーリはロデニウムの第二王子。バネッサの嫁ぎ先としては申し分ない。


(エレナが第二王子の妃なんて、身の程知らずもいいところだわ)


 エレナが王子の妃なんて務まるはずもない。呪われてさえいなければ、バネッサだって王子との結婚を断らなかった。


 バネッサは王子の妃として一生人にかしづかれる人生を想像して、薄く笑った。


 父はエレナに連絡を取り、王子の誕生日パーティーで王子にバネッサを紹介して、エレナを連れ帰るらしい。


 王子だって、エレナよりバネッサのほうがいいに決まっている。


(ふふ、エレナは一生使用人がお似合いよ)


 バネッサは、呪いの解けた麗しい王子が自分に膝をついて求婚する様を想像してほくそ笑んだ。悪くない。


 そして、父に連れられてロデニウムの城へ向かった――のだが。


(何なのかしら、あの王様!)


 バネッサと父であるノーシュタルトの長は昨日のうちに城へついていた。けれども謁見した国王は、エレナにもユーリ王子にも会うことを許さなかった。それどころか、息子の花嫁はすでに到着しているから不要だと言い出したのだ。


 父がエレナは荷物とともに届けた使用人だと言っても、国王は聞き入れなかった。


 バネッサはイライラしたが、それは父も同じだったようだ。とにかくエレナを返せと言う父に小さな違和感を覚えたが、バネッサは気にしなかった。エレナは一族の里に連れ帰って死ぬまでこき使われ、自分はロデニウムで贅沢な日々を送るのだ。これが正しいことなのである。


 しかし国王は意地でも首を縦に振らず、バネッサたちは仕方なくその日はエレナに会うことをあきらめた。予定は狂ったが、パーティーでエレナから王子の隣を奪ってしまえばいいのだ。あんな貧相で無能な女が王子に愛されるはずもないのだから、王子もすすんでエレナを捨ててバネッサの手を取るはずだ。


 それなのに、バネッサの目の前で、エレナとユーリは微笑みあいながらワルツを踊っている。


 ふんわりと広がるピンク色のきれいなドレスを着て、人々の注目を浴びながら、麗しい王子にリードされてワルツを踊っているのだ。


(エレナのくせに……!)


 エレナはぼろぼろの服を着て床に這いつくばっているのがお似合いなのだ。綺麗に着飾って、美しい王子の妻の座に収まっているなんて冗談じゃない。


(あの王子はわたしのものよ!)


 王子も地位も権力も。人々の注目を浴びるのも、バネッサであるはず。


 バネッサの手の中で、バキッと扇が二つに割れた。






「まあっ、あなたがユーリ殿下ね!」


 バネッサの姿を見た途端、エレナは心臓が嫌な音を立てるのを聞いた。


 ユーリは突然進行方向に現れたバネッサに目を丸くしている。


 バネッサは蜂蜜色の髪をふんわりとなびかせて、驚いているユーリの胸に飛び込んだ。


「お会いしたかったですわ! わたくし、バネッサ・ノーシュタルトと申します。殿下の花嫁ですわ!」


 殿下の花嫁――。その発言に、あたりはざわざわとした喧騒に包まれた。


 胸の上を押さえたまま動けないエレナにも複数の視線が突き刺さる。


 うつむいたエレナの耳に、聞き覚えのある冷ややかな声が聞こえてきた。


「エレナ」


 びくりと肩を揺らして顔を上げると、そこには父が立っていた。エレナの存在を無視し続けた父はなぜかエレナを見て、薄く微笑んでいる。


「代理ご苦労だったな。さあ、帰るぞ」


「帰……る……?」


「そうだ。ユーリ王子の花嫁はバネッサ。お前も知っていただろう?」


 知っていた。なぜならエレナはバネッサの身代わりで嫁がされたから。でも――


(いや……)


 帰りたくない。


 ノーシュタルト一族の暮らす地には、エレナの居場所なんてない。エレナの居場所はユーリのそばだけだ。ユーリのそばに、いたい。


「エレナ」


 父が再びエレナを呼んだ。


 肩が震える。エレナは父に対して――一族のみんなに対して「はい」しか言えない。それしか許されてこなかった。だけど。


「い、いや……です」


 エレナははじめて、父に「否」を告げた。震える唇で、細い肩にぎゅっと力を入れて、真っ青な顔で、それでも「否」と告げた。


 エレナが拒否すると思っていなかったのだろう、父の顔が驚愕に彩られる。だが、次の瞬間にはその表情は薄い微笑みに戻り、エレナに手を差し出した。


「私はお前のために言っているんだぞ。ユーリ王子の花嫁はバネッサだ。ここにお前の居場所はない」


 エレナはきゅっと唇をかみしめた。エレナを追い出したのはそちらなのに。やっとエレナが見つけた居場所をまた奪おうとするなんて、あんまりだ。


(行かない……)


 エレナはぎゅうっとドレスを握り締めて、父から視線をそらした。行かない。ユーリはエレナを手放さないと言った。だから、エレナは行かない。ユーリがいらないと言っていないのだから、エレナから彼のそばを離れたりしない。


「エレナ」


 父の声に苛立ちが含まれはじめた、その時だった。


「ちょっと! 放しなさいよ!」


 叫び声が聞こえてエレナが顔を上げれば、ユーリに抱き着いていたバネッサが衛兵に抑えつけられているところだった。


 ユーリは冷ややかにバネッサを一瞥したあとで、エレナのそばに寄ると、ソファに座ったまま動けなかったエレナを立たせて自分の背にかばった。


「いったい何の茶番か、説明していただきたい」


 ノーシュタルト一族の長は、ユーリの視線を静かに受け止めた。


「どういうことも何も、それは殿下の花嫁ではありません。殿下の花嫁にと差し出したのはそこのバネッサで、エレナではない。エレナは連れて帰ります」


「ふざけるな!」


「ふざけてなどおりません。エレナ、こちらへ来なさい」


「い、いやです……」


 エレナはぎゅっとユーリの背中にしがみついて首を横に振った。


 父は眉を寄せて、けれどもエレナが今まで聞いたこともないような優しい声で言った。


「エレナ、言うことを聞きなさい。お前はここにいていい人間ではないんだ。お前は一族の宝。一族とともにあるべきなどだから」


「……たか、ら?」


 エレナは耳を疑った。無能と言われ続けてきたエレナが「宝」とはどういうことだろうか。エレナは愕然としたが、驚いたのはエレナだけではないようだった。


「宝? 宝ですって? お父様! エレナが一族の宝ってどういうことよ!」


 衛兵に取り押さえられているバネッサがヒステリックな声を上げる。


 父はバネッサを振り返った。


「エレナは一族の至宝ともいえる絶対禁呪の異能を開花させた」


「なん……ですって?」


「殿下、エレナは連れて帰ります。どうぞバネッサをお納めください」


 つまりは、バネッサの価値よりもエレナの価値のほうが高くなったから連れて帰る、そういうことだ。


 あまりに身勝手な言い分だが、父はそれを押し通す気なのだろう。ロデニウムの第二王子に差し出すと約束したのはバネッサ。最初に約束を破ったのはノーシュタルト一族であるはずなのに、もともとの約束を出してはそれが道理だと説くつもりなのである。


「断る」


 ユーリがきっぱりと否を唱えても、父に引く気はなさそうだった。


 ユーリの背にかばわれていたエレナは震える拳を握り締めて、一歩前に出た。


「わたしは、帰りません……!」


 今まで恐怖の対象でしかなかった父に、エレナははじめて怒りを覚えた。今まで無能とその存在を無視し続けたくせに、異能が開花した途端に「宝」だと言い出し、せっかく手に入れたエレナの居場所を奪おうとする。そんな勝手が、許されるはずはない。


「わたしは、すでにユーリ殿下に嫁いだロデニウムの人間です。一族の命令には、従いません……!」


 エレナがそう叫んだときだった。


「……ふざけんじゃないわよ!」


 衛兵に取り押さえられていたバネッサが、異能の力を使って衛兵たちを吹き飛ばし、そして――


「エレナのくせに、なにが宝よ……!」


 バネッサが異能で生み出した蛇のような形をした炎が、エレナに向かって襲いかかった。

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