17

 ユーリはエレナのキスで人の姿に戻ることができて、その効果は概ね一日らしい。


 満月の夜の次の朝から今日で一週間――。その一週間のうちにわかったことは、この二つだけだった。


 エレナ自身にはよくわからないが、どうやらエレナの何かの力がユーリの姿を一時的に人間に戻しているようだ。それは大変喜ばしいことではあるが、そのためエレナは毎日ユーリにキスをすることになってしまい、この一週間、心臓が壊れそうだった。


 一度狼に戻ると、人の姿に戻ったユーリは裸になってしまうので、心臓に悪いから何としてもそれは避けたい。すると狼の姿に戻る前のユーリにキスをしなければならなくて、今度はそれが死にそうなほどに恥ずかしい。


 一方ユーリは人の姿に戻れるからか、ひどくご機嫌な様子でエレナにキスを迫ってくるのだ。エレナは毎回、顔を真っ赤に染めてそれに応じているが、その様子がユーリを喜ばせていることなんて、彼女には知る由もなかった。


「どうしてそんなに離れるんだ」


 そしてもう一つ。ユーリが人間の姿に戻ったから、エレナのダンスレッスンの相手はユーリが務めることとなったが、これもエレナの心臓に大きな負荷をかけた。


 ライザックが相手の時はさほど緊張しなかったのだが、相手がユーリだと勝手が違う。


 エレナが逃げ腰になるたび、ユーリは不満を言ってはエレナの腰を引き寄せる。ドキドキしすぎていつか心臓が壊れてしまうかもしれない。


(……完全に呪いが解けたわけじゃないんでしょうけど)


 呪いが完全になるという二十歳の誕生日。そのときにどうなるのかはわからない。ユーリも楽観視しているわけではないようだ、けれども幸せそうだから、エレナは嬉しくなった。無能な自分にも役に立てることがあったのだ。


 ダンスレッスンが終わってユーリと休憩をとっていると、マルクスが来客を告げに来た。マダム・コットンの遣いらしく、ドレスの調整に来たらしい。マダム・コットンに頼んだドレスは半分ほどは納品されたが、ユーリのダンスパーティーの時に着るドレスは何度か調整をするから時間がかかると言われていた。きっとその件だろう。


 エレナが立ち上がると、ユーリは当然のように後をついてくる。


 ドレスの調整はエレナの部屋でするそうで、しばらくするとマルクスが大きなトランクを持った女性を連れてきた。


 彼女はジュリアと名乗った。栗色の髪に同じ色の瞳を持った二十歳半ばくらいの女性だった。


 ジュリアはエレナと、それからその隣のユーリに視線を向けて、にっこりと微笑む。


 トランクを開けてピンク色のドレスを取り出すと、彼女は、サイズを見るため着替えてほしいと言った。


 着替えると聞いてもユーリが同然のようにそこにいたのでエレナは戸惑ってしまったが、ミレットがあきれ顔でユーリを無理やり部屋から追い出した。廊下の外でユーリがミレットに文句を言っているのが聞こえてエレナはちょっと恥ずかしかった。


 ケリーとバジルに手伝ってもらいながら、ジュリアの持ってきたドレスに着替えると、彼女はエレナの周りを三周ほど回って、ふむと頷いた。


「苦しいところはございませんか?」


「はい、大丈夫そうです」


 エレナは細すぎるくらいなので、コルセットはほとんどしめられておらず、むしろ楽なほどだ。


 ジュリアはウエストラインを確かめるようにエレナの腰に手を添えて、そして耳元でささやいた。


「ユーリ王子の呪いを解いたのは、あんたね」


 エレナは息を呑んだ。


 その直後、ケリーとバジルが音もなくその場に崩れ落ちて動かなくなる。エレナが悲鳴を上げそうになると、ジュリアの手がエレナの口をふさいだ。


「騒がないで。ちょっと眠ってもらっただけよ。別に殺してなんていないわ」


 エレナは口をふさがれたまま、愕然とジュリアを見た。彼女は嫣然と微笑んでいた。


「あんた、あの男の娘でしょ。でも、無能だと言われていた。違う?」


 あの男がノーシュタルト一族の長を指すのであれば、それは正しい。エレナが小さく頷くと、ジュリアは楽しそうに笑いだした。


「ふ、ふははっ、いい気味! あいつ、さぞ悔しいでしょうね! 自分が解けなかった呪いを、無能だとないがしろにして、あまつさえ呪われた王子に嫁がせた娘が、まさかの絶対解呪の力の持ち主だったなんて……!」


 絶対解呪?


 何のことだろうと首をひねると、ジュリアは騒がないでねと念を押してエレナの口から手を離した。


「絶対解呪はね、ノーシュタルト一族の中でも久しく現れなかった稀有な力なのよ。その名の通り、あらゆる呪いや呪文をすべて無に消してしまう力――、ま、あんたの場合は、まだ完全じゃないみたいだけど。でも、きっと今頃、あの男は地団太を踏んで悔しがっているはずよ! 数百年前までは、絶対解呪の力の持ち主は、必ず一族の長になっていたほどに重要視されていたんだもの。ふ、ふふふ、あの馬鹿男は、自らその力を外に出してしまったんだわ、ざまあみろ……!」


「あ、あの……、あなたはいったい……」


 話が読めなくて、エレナが首をひねれば、ジュリアはちらりと背後の部屋の扉を振り返ってから言った。


「あたしはジュリア・ノーシュタルト。ユーリ・ロデニウム王子に呪いをかけたのは、このあたしよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る