16
「殿下、もしかして呪いが解けたんじゃないのか?」
昼になっても人の姿のままのユーリに、ライザックが言った。
ユーリは、人の姿のユーリに慣れないエレナが、すぐに赤くなるのが面白いようで、先ほどからライザックたちが見ている前で、エレナの頭を撫でて見たり頬をつついてみたりと、絶えずエレナにちょっかいを出していた。
ライザックにはただイチャイチャしているだけにしか見えなかったので、最初は見て見ぬふりをしていたが、だんだんイライラしてきた。こっちが真剣に呪いについて考えていたのに、当の本人は何を呑気に妻とラブラブしているんだ、むかつく。
「あ? 解けたって、なんで」
「そんなこと知らねーよ。でも、もう昼だぞ? 今までこんなに長く人の姿だったことなんてないだろ」
「それは、まあ。だが理由が……」
ユーリは確証を持てないからか、今の状況を喜ぶこともなく微妙な反応だ。喜んだ直後に狼に戻るのではないかと思っている。
「昨日何か変わったことはなかったか?」
「変わったこと? あるわけないだろう。お前たちがカボチャだらけのパーティーを開いて、エレナが酔いつぶれたことくらいしか変わったことなんて――」
ユーリは言いかけて、何かを思い出したようにエレナを見た。ユーリがじっと見つめると、エレナの顔が見る見るうちに真っ赤に染まる。
「……キスした」
「は?」
「だから、エレナにキスした」
「え!?」
エレナが目を見開いて、細い指先で唇を押さえた。
ライザックはエレナの反応に半眼でユーリを睨んだ。
「お前、寝てる女にキスしたのか。しかもたぶん、ファーストキスだぞ」
「……そ、そうなのか?」
エレナがこくんと頷くと、ユーリの顔が青くなった。
「わ、悪かった!」
「サイテーだな」
「うるさいぞライザック!」
「あのっ、わたしは大丈夫ですから……」
喧嘩がはじまりそうな雰囲気に、エレナは慌てて二人の間に入る。
ユーリはエレナを見て、それからほんのり頬を染めた。
「とにかく、昨日はそのくらいしか思いつかない」
「じゃ、そのキスが原因じゃないのか?」
「はあ?」
「だってほかにないんだろ?」
「いや、だからって呪いがそんなに簡単に解けるはずは――」
生まれてからずっと、呪いを解くために様々な方法を試してきた。ノーシュタルト一族の力もきかなかった。打つ手がなくてすっかりあきらめていたというのに、まさかキスで呪いが解けたなどと――、いや、もちろんそうであれば嬉しいのだが、どうも信じがたい。
「エレナちゃんはノーシュタルト一族だぞ。特別な力があるのかもしれない」
これにはエレナの方が驚いた。なぜならエレナは「無能」なのだ。特別な力なんて存在しない。でも――
(本当に、ユーリ殿下の呪いが解けたなら……)
もしも無能であるはずの自分の中に何かの力があって、それがユーリの呪いを解いたのなら、こんなに嬉しいことはない。
顔を上げるとユーリと視線が絡む。彼の黒曜石のように綺麗な瞳に見つめられると、どきどきと鼓動が大きな音を立てる。
「エレナが――」
ユーリは感極まったように、ぎゅっとエレナを抱きしめた。
が――
「何が呪いが解けただ嘘つきめ! 戻ったじゃないかっ」
夜になって、エレナの部屋で休もうとしていたユーリは、廊下を歩いている途中で狼の姿に戻ってしまい、ライザックの部屋へ怒鳴り込んだ。
「うわっ、戻った!」
「戻ったじゃない! 嘘つきめ!」
「いや、そんなことを言われても……」
ユーリは前足で地団太を踏むようにダンダンと床を叩いた。
「せっかく……! せっかく、今夜エレナといちゃいちゃしようと思っていたのにっ」
ライザックは途端に半眼になった。
「罰があたったんだろ」
「どういうことだ!」
「人間に戻った途端にエレナちゃんにちょっかいを出そうなんて図々しい。まずは心を通わせてからにしろ」
「俺たちは夫婦だ!」
ユーリは牙を剥いて怒鳴ったが、もちろんライザックが怖がるはずもない。
ユーリはその場で伏せると、耳をぺたんとさせて嘆いた。
「どうするんだこれ……、エレナが見たら悲しむだろ」
エレナは自分がユーリの呪いを解いたと思って喜んでいた。それなのにユーリが狼の姿で現れたら、どんなにか傷つくことだろう。
ライザックはふむと顎に手を当てて考え込んで、無責任にもこんなことを言い出した。
「もう一回キスしてみたら?」
「簡単に言うな」
「だけど、それでわかるんじゃないか?」
「なにが」
「だから、キスに効果があったのかどうか」
ユーリは考えた。確かに、いつもならば朝になれば人間に戻っていたユーリが丸一日人間の姿でいられたのだ。結果として狼に戻ってしまったが、一日人間の姿だったということだけでも、何か理由があると考えていい。
「キスか……」
ユーリはのそりと起き上がると、「仕方ないな」と言いながら踵を返した。
部屋を出ていくユーリの尻尾が、ぶんぶんと左右に揺れていたのを見たライザックは、その後、しばらく笑いの発作が収まらなかった。
「き、キス……ですか……」
エレナは狼の姿で現れたユーリを見て、やはり自分は何の役にも立たなかったのだとショックを受けたが、ユーリが「キスをするからかがめ」と言い出したので、頭が真っ白になってしまった。
ユーリとキス。
昨日の夜は寝ていたから、もちろん記憶に残っていない。
ユーリは今、狼の姿だが、その姿に人間の彼の姿が重なって見えて、どんどん顔が熱くなる。
もし、ユーリが人間に戻った姿を見ていなければ、ここまで恥ずかしくはなかったかもしれない。でも今のエレナには、人間の姿のユーリの顔がちらついてしまう。
(は、恥ずかしい……!)
せめて心の準備を整える時間が欲しかったが、ユーリが早くしろとせかすので、緊張で頭がおかしくなりそうだと思いながらその場に膝をついた。
「こ、こうですか」
「そうだ。そのまま動くなよ」
「は、はい」
エレナはぎゅっと目をつむった。
そして、その唇に、温かくて少し硬い何かが触れた瞬間――
ぱあっと目の前が明るくなったと思ったら、唇に触れる感触が変わり、柔らかい何かになった。
驚いて目を開けたエレナの前には、人の姿のユーリがいて、その近すぎる距離にボンっと耳まで赤くなる。
ユーリはじっと自分の手を見つめて、それをぎゅっと握り締めて叫んだ。
「本当に戻った……!」
しかしエレナはそれどころではなく。
「お願いですから服を着てください―――!」
例によって真っ裸のユーリを前に、両手で顔を覆ってうつむいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます