第5話 2020年11月25日 水曜日にて

私は生きていく中でしばしば厭世的になりつつもその懐中には僅かばかりの愛と希望を貯蓄していた。血肉の匂いを帯びた私の理論は疑いの余地なく汗水奔流しての生命活動でもあった。依然として私には才能というものがあるのかないのか理解できず、文章の随所に萌芽としての知性を宿した私小説しかかけないことに酷く不都合を感じる。私には文学的な修行が充足していないのではとも思う。21世紀に突入する前も依然として日本は半導体産業やその他の部品産業により経済大国であったが、私の存命中にその活力が零落しないことを私は要求する。ぎりぎり20世紀少年の私には時代の端役ではなく、主役を選択するのだという横溢せんばかりの気概がある。私は時代の寵児になりたい。歴史に燦然と輝く文明の象徴になりたい。私は現在強靭な言辞を常套するだけの秀逸でない男に過ぎないかも知れない。しかし私はこれから精進し、大きな器を育んでいこうと思う。だから、反芻する思考は前途有望なものだけにしたい。


今日は朝起きて登校した。効力の希薄な頻尿の薬を飲んでから身支度をして家を出た。朝は2限からだ。私は大学の講義室に入るや否や夏目漱石のこころの感想文の課題を書いて教員に送った。濃密で静謐な思考の時間は私にとってどのような音にも代えがたい、一種独特の価値のある時間だった。その時間はまた、私が日常を真摯に享受する事の根深い証左であった。しかし好敵手が未だ発見できていない事が残念至極ではある。まあ別にジョンレノンに対するポールマッカートニー、ニュートンに対するライプニッツ、ダヴィンチに対するミケランジェロのような有機的な人間関係がなくとも私は切磋琢磨出来るし、問題ない。私の赤川凌我に次ぐ名称、ドレッドノートドレッドノートの本来の意味に現実が回帰しているのかも知れない。また久しぶりに絵画を描きたいな。絵画の腕をフリーランスの為に研磨したい。橋にも棒にもかからない作品しか今は量産できないが。尤も、それが弱者としての私の、強い意味あいを持つとも思えるが。また、私の老獪さとは愚直に自身の姿勢を徹底する様相に顕現している。それに高専の教員のように激怒する者もいれば称賛する者(現時点としては極めて稀少だが)もいるのが自然の摂理を表現されているようで面白い。疲労と狼狽が渾然一体となった日々に私はさよならを言いたい。今こそ決別の時だ。

ゼミから課題が出た。哲学のレポート7000字らしい。本が手に入り次第、即座に着手していきたい。

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