第3話 躁鬱病の馬鹿力

私は光への過敏さを持て余したまま精神病院を退院して、二日後に私は大学に復学した。精神病院で私の姿見を露骨に写真に残したり、私を異常なまでに褒めちぎったりする人間は精神病院というフレームの外に出るとたちどころに消え去った。私は度の強いサングラスをかけたりして自身の症状に対策を労していたのだが、ついに音をあげてデイケアやグループホームでの暮らしもままならなくなった。そしてデイケアやグループホームの職員に自らの精心疾患者としての苦悩を訴えたりして、後日眼の障害がないか眼科を訪れたりもした。

そこでは医者の説明によると確かに瞳孔が開ききっているようだった。また、視力の低下は確認出来なかった。また瞳孔拡大の原因は向精神薬の副作用であるケースもあると言辞を受けた。それから即座に私は精神科の診察を受け、向精神薬の処方を変更してもらった。それからも大学に登校できる時には登校し、夏休みが始まるまでデイケアナイトケア及びグループホームでの屈辱的な仕打ちと恐怖を耐えきった。その一抹に診察で、私が気分障害だと断言されたりもした。

そして私は夏休み開始の日にちに和歌山県南部に位置する実家に帰省した。私はもうグループホームやデイケアナイトケアでの屈辱と恐怖にはこれから先耐えられそうになく、却って私の病状の前途に障害を及ぼすと悟ったので夏休み明けの大学生活での住居をどうにかする為に親との相談を経て新たな住居で一人暮らしをする狙いもあった。また、夏季限定のアルバイトをして収入を一人暮らしへの糧としようとする狙いもあった。

しかし私は夏休みに突入してもアルバイトは四日足らずで辞めてしまうこととなった。クリーニング工場のアルバイトだった。この時における情動的なショックは暫く尾を引く事になった。

それから何故か二週間後程から突如として私の自活能力が絶え間なく覚醒していった。私は洗濯物の取り込み、風呂掃除、食器洗い等が出来るようになった。それだけの精神的余裕が生じたのだった。

私はそれまで親に、殊に母親という存在に甘えていた。また私は精神疾患を隠れ蓑にすることで自分は病気なのだから弱くても、鈍くさくても、頼りなくても仕方ないといった一種の逃げ道を作っていた。しかし夏休みの中頃に確信した。このままじゃ駄目だ、このままじゃ夢もかなえられずにビッグマウスのまま終わる事になると。15歳の頃から私はおかしくなっていった。不眠と不勉強の習慣を多様な分野にわたって広げていった。当然学業も人生も上手くいかなくなっていった。私は大学二年の後期こそはしっかりと勉強して、ちゃんとした所に就職すると決意した。これからは土壇場の馬鹿力がものを言う。自分の専門に命を掛けて自らの力を余すことなく発揮し研究及び勉強をし、成功を掴むのである。

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