第4話 分からせ『デスナックルの場合』

「あのガキ…」



 散らばった書類をかき集め、元あった場所へと戻しながらチユキは吐き捨てた。



 自分より年下で、尚且つ碌な社会経験も無い様な半端なガキに明らかに見下した態度を取られるのは果たしてこれで何度目だろうか?



 数えるのも馬鹿らしくなる位なのは最早言うまでも無いだろうが、だからと言って新天地に来てまで同じことを繰り返さなくてもいいだろうに。



「はぁ…」



 チユキは早くも定位置になりつつある作業机の椅子を引き、再び書類仕事に取り組み始めた。



 せっかく考え事が纏まりかけていたというのに、予定外の邪魔が入ったせいで意識が一時そちら側に割かれてしまい、思考が止まってしまったことにチユキは苛立ち交じりのため息を吐いた。



 尤もプランは殆ど練り終わったので、後は最終確認をするだけだからそこまでどうこう言う事では無いのだが。



 ただやはり没頭していた黙考を邪魔されるのは気分が悪い訳で。



「クソが、用があるならあらかじめ伝えておけよ。報連相も出来ない木偶が使い走りなんてするんじゃねぇ」



 チユキはぶつぶつと文句を垂れた。



 それからしばらくチユキは苛立ちが過ぎ去るまで文句を言いつつ書類仕事に没頭し、ある程度仕事に目処がつくと一旦手を止め、昼休憩にすることにした。



 机の上の物をどかし、備え付けのキッチンからコーヒーを汲んでくると作ってきたサンドイッチを広げ、もそもそと食べ始めた。



 サンドイッチをかじりながら、シケモクはいくつかの書類を取り出し、机の上に広げた。



 書類には彼の所属する部隊の神器の情報が詳細に書かれていた。



「さぁ~て、どいつから行くか……」



 チユキは鋼色の瞳で一枚一枚を何度も読み返し、じっくりと吟味してゆく。




「……よし、これで行くか。あとは仕込みだな」



 サンドイッチを食べ終え、じっくり考えを練ったチユキは広げていた書類をまとめ上げ、元あった位置に戻した。それから机の引き出しを開け、拳大の水晶玉を取りだした。



 この水晶玉は通信結晶という遠くの者と通話が可能な希少な魔道具である。これを持つ者は大抵地位の高いものであり、今回かけた相手も当然位の高い者だ。



 チユキはそれを耳に当て(もちろんそんな事はしなくても良いのだが、前世の癖が抜けていないため、無意識にそうしてしまうのだ)ある場所に向けて通信をかけた。



 しばらくすると通信が繋がり、危篤の老人を思わせるようなくたびれた声が聞こえた。



「もしもし、こちら神器部隊事務担当兼戦闘要員チユキという者ですが、諜報部隊隊長のアグラヴェイン殿はおりますか?」



 通話相手はすさまじく長いため息が聞こえた。少し待てと言いう返答があった後、少しの沈黙の後、この王城で尤も聞きなれた声が聞こえた。



『もしもし、こちらアグラヴェインですが…いったい何の用ですかチユキさん?こっちも暇じゃないのですが』

「残念ながらその暇をさらに減らす様な事を頼みに来たぜ」

『何ですって?』



 その時の声色は、車に水をひっかけられた後に犬の糞を踏んだかのような、そんな絶望感に溢れていた。



 大方一仕事終えた直後だったのだろうな。チユキはそう推測した。



「なにそう難しい事じゃない。お前のとこの部下を何人か借りたいってだけさ」

『…内容によりますね』

「いいか?俺の話はこうだ」



 チユキは早速自らが練っていたプランを説明した。



「―――そう、で―――して」

『なるほど、確かにそれは―――』

「だからこう――――――」

『でしたらうちだけでなく他の―――』

「いやそれでは――――――」



 初めはあまり乗り気でなかったアグラヴェインだったが、話を聞いてみると彼の考えの重要性に気づき始め、友人としてではなく諜報部の長としてチユキの話を聞いていた。



 その時開いていた窓から風がびゅうと吹き、チユキがたった今見ていた書類がパラパラとめくれ上がり、そのうちの一枚が見えるようになった。



 書類の一番上にはこう書いてあった。



『デスナックル』





 *





「くそ、くそ、くそ、あの野郎…!」



 デスナックルは苛立っていた。



 原因は分っている。あの新入りのせいだ。あの新入りが入ってきたせいで、自分の精神の安寧が乱されつつあることに彼は気付いていた。



 前まではそうでは無かった。好きなように他者に乱暴を振るい、好きな時に他者から物を奪い、好きな時に休めた。何もそれは彼だけでなく、他の神器も同様だった。



 何故そんな事をするか?それは神機という者は人から神機になった途端、今まで人だった時の情緒がリセットされ、神機のそれに置き換わる。



 デスナックルが神器になったのは今から2年前。つまり彼の情緒は2歳児のそれとほぼ変わらない。神機の成長速度は人間とは比較にならないが、それでも情緒というものはそう簡単に育つものではない。



 神機になっても記憶が消える訳でなく、あくまで神器としての情緒が新たに誕生するため、過去どのような人物だったかでその後どのような神機になるか決まっていると言っていい。



 デスナックルを含む神機部隊の面々はどれも過去に重罪を犯し、死刑から逃れるために実験に参加して運よく神器に成れた者たちだ。



 神器の行動は過去にどのような人物だったかで決まる。



 彼らはただ昔の様にやっていたことをそのまま続けているに過ぎない。これまでも。これからも



 しかし『彼』が来てから、彼らの目の前でアイアンアックスを叩きのめした日から、デスナックルたちは自由の日々に終わりが近づいている事を悟った。



 あの日以来アイアンアックスの付き合いが悪くなった。加えてあの新入りが視界に入るたびに、アイアンアックスは身を震わせてすたこらどこかへ行ってしまう様になったのだ。



 認めるのは癪だが、彼はアイアンアックスの事を自分ほどではないが強いと認めていた。それがまるで大型の肉食獣を見かけた小動物の様になってしまったアイアンアックスに、彼は苛立ちを募らせていた。



 デスナックルは苛立ちを隠しもしないで王都の通りを練り歩いていた。ここにいる目的は無い。強いて言うなら苛立ち解消のためのサンドバックが欲しいというくらいだ。



 人外の怒りに、通りを歩く人々は戦々恐々とした様子で、ただ何事も無く過ぎ去ってくれと願いながら口をつぐんで目を伏せていた。



「でさー」

「マジー?」



 そんな事情など露知らず、デスナックルの対面から二組のハンターの男が会話をしながら歩いていた。



 商店街の一角で、その二人の会話だけが場違いにも響き渡る。



 商店街にいる物の全員がその二人に焦ったような顔を向け、それから恐る恐るデスナックルの顔を窺うと、案の定その顔には邪悪な笑みが浮かんでいた。



 彼は向かって来る2人組に自ら近づいて行き、2人組に気づかせる暇すら与えずにぶつかっていった。



「痛て!」

「ぐわ!?」



 ぶつかった2人はひっくり返り、ぶつかった者へ悪態をつきながら一発〆てやろうと意気込みつつ見上げ、そして硬直した。



「んん~?何かな?何か言ったかね?」



 デスナックルはにやにやと笑いながら、2人の周りを草食獣を追い込む肉食獣の様にゆったりとした足取りで歩いた。



「あ、あわあわあわ…」

「す、すみません、前見て無かったっす。ごめんなさい!」



 自分たちがいったい何にぶつかってしまったか理解した2人組は、即座に土下座の姿勢をとって額をこすりつけて平謝りを始めた。



「うひひ!」



 デスナックルは笑った。彼からすれば謝罪などどうでも良く、手を出す理由さえあればもうそれで十分だった。



 彼はおもむろに土下座ハンターその1の頭を掴み、自分の目線に合うように釣り上げた。



「ひ、ひいぃいいいいいいい!!?」

「あ、アイボー!!」



 相方のハンターはこれから起きるであろう惨劇の予感に悲痛な悲鳴を上げた。



 周りで見守る人々も同様に悲痛な顔をし、しかし誰も声を上げない。



 何せこの光景は王都では日常茶飯な事で、声を上げた結果どうなったか彼らは骨身に染みていた。



 彼らにできる事はどれだけむごたらしい事が起きても声も出さずに見守り、犠牲者を最小限に食い止める事しかできないのだ。



「うわああああ助けてくれぇーーー!!?殺さないでくれぇーーー!!!」

「人にぶつかっておいてぇ…謝罪もしないような奴はぁ…」



 今日もまた、怪物の手によって1人の犠牲者が出る。あるいはこの後にもう1人追加されて2人に。



「こうだあぁああああああ!!!」



 デスナックルはメキメキと異音を響かせながら転化し、釣り上げたハンターの顔面に今まさに拳を叩きつけようとした。




 ―――――その時。



「おブッ!?」



 デスナックルの横っ面に、何かがものすごい勢いで衝突した。



 静まり返った通りに、が響き渡った。あまりの轟音に、見守っていた人々は思わず耳を覆った。



 全く意識外の方向から飛んできたその衝撃に、さしものデスナックルもたたらを踏んで怯んだ。



「な、何だ!?」



 デスナックルはすぐさま意識を戦闘用に切り替え、を放り捨てて両手をフリーにしてぶつかってきたものの正体を探ろうとした。



「何だ?鎖鉄球?」



 彼の目の前にあったのは確かに、鋼鉄製の棘付き鎖鉄球だった。



 しかしよく見ると鎖だと思っていたのは鋼鉄の帯の様な、



「こ、この野郎…俺が誰だか分かってるのか?俺は神器のデスナックル様だぞ!誰だか知らねぇがこんなことしてただで済むと思っているのか!!!」



 返答代わりに飛んできたのは



「そう何度も食らうか!!」



 流石は神器というべきか。真後ろから振るわれた攻撃にすぐさま反応し、丸太めいた腕でブロック、牽制のジャブを繰り出しながら後方へ大きく飛んだ。



 デスナックルの巨体で隠れて見えなかった下手人の姿が、これで通りの人々にも見えるようになった。



 アッと人々は息を呑んだ。そこに居たのは、鋼鉄の尾を持つ全身が剣で構成された人型の怪物だった。



「……」



 怪物はデスナックルを見据えたままゆっくりと動き、倒れている2人のハンターの前にまるで立ちふさがるように立った。



「てめぇ…新入りぃイイイイ…」

「立てますか?」



 怪物は前を向いたまま、後方のハンターへと呼びかける。その声色は自らを構成している剣の如く無機質でありながら、どこか柔らかさを感じさせる口調だった。



「え?」



 しかしハンターはそれが自らに掛けられた言葉だと理解するのにしばらくの時間を有した。何せ神器とは人知を超えた理解不能の簒奪者であるという認識が彼らにはあった。



 その神器にまさか気遣われるなど欠片たりとも思っていなかった彼にとって、この怪物の発した言葉はまさしく想定外も良い所だった。



「あ、あぁ…」



 ハンターの男はデスナックルから決して目を離さぬ怪物の背を眺めながら、半ば呆然となって呟いた。



「そうですか、ならお連れの方を抱えて離脱を。このままでは巻き込まれますよ」

「え゛!?わ、分かった!」



 怪物のその一言に、彼は一瞬で正気を取り戻した。怪物の意図を察したからである。



 この怪物はデスナックルの野郎と一騎打ちをするつもりだ!



「ひえーっ!」



 ハンターの男は気絶した相棒を担ぎ上げ、転げるように逃げ去って行った。



「待てこら逃げんじゃねぇ!!!」



 背を向けて逃げ去ってゆくハンターに向かってデスナックルは怒鳴り散らし、追いかけようと一歩踏み出した。彼がここに来た理由はストレス解消のサンドバックを見つける事だったのだ。



 それをむざむざ逃がすなど、彼からすればあり得ない事だった。



 しかし。



「残念ながらそれはできない相談だな」



 怪物は瞬きする間も無い一瞬でデスナックルとの距離を縮めると、右手に短槍を作り出し、その勢いのまま突きを放った。



「グガガァ!!」



 デスナックルは憤懣やるかたない様子で右腕でガード。槍が突き刺さるが、彼はまるで意に介した様子もなく、もう片方の腕で素早いジャブを放つ。



 丸太めいた腕から放たれる彼のジャブは一発で岩を叩き割る威力があり、もし人間が生身で受けようものなら床に落としたスイカの如く粉々に弾けとんでしまう事だろう。



 それにその速度たるや。銃弾と同等かそれ以上で放たれる拳は人類の反射速度を軽く超えており、まず反応する事は出来ない。



 デスナックルはその自慢のジャブで、何十人もの罪なき人々の命を奪ってきた。



 しかし今相対しているのは人間ではない。彼と同じく鋼鉄で構成された人知を超えた鋼鉄の怪物であった。



 怪物は顔面を狙った素早いジャブを首を傾けてかわし、左手に作り出したボウガンを腹に向かって3連射した。



 高位のハンターの魔法すら難なく弾く頑強なデスナックルの腹に、ガガガッと音を立てて射出されたナイフは突き刺さった。



「ア゛ア゛ア゛ッ!!?また刺しやがったな!!」



 尋常の生物ならまず致命傷のその攻撃は、しかし神器にとってはかすり傷にも等しい。デスナックルは傷に対する事よりも、自分が反撃を受けたという事に対して激しい怒りを覚えた。



「……」



 怪物は何も語らず、背を向けて走り出した。



「待てやてめぇコラ!!!」



 デスナックルは狙っていたサンドバックの事など最早目もくれず、走り去った怪物の背を追って走り出した。



 残された人々は目の前で起きた怪物同士の争いと、一先ず命拾いした事への安堵、現れた見た事も無い神器への疑問など情報量の多さに圧倒され、2体の怪物が走り去った場所を茫然と眺めていた。





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