第3話 それぞれの過ごし方

 チュンチュンと、窓の外で小鳥の鳴く声がする。差し込む朝日は柔らかく、空いた窓からそよそよと吹く風が心地よい。



 アーサーは未だベッドの中で微睡みの中に居た。



 念願の王国の騎士となり、明日からの期待を胸にしたアーサーは幸せいっぱいで眠りについた。……次の日から周りと同じように訓練を受けさせられることは完全に頭から吹き飛んでいた。



「う~ん……きょうだいたちよぉ~…かぁさまぁ…わたしはぁ~……ついにぃ~きしにぃぃぃ……」

「オラ―いつまで寝てやがる!!!さっさと起きんかぁ新入り!!!」

「ふにゃ!?」


 そんなわけで、特に身構えていたわけでも無かったから、教官に叩き起こされたアーサーは目を白黒させて、ただ引き摺られるまま部屋から叩き出されたのだった。



「わ、わあ!わあ!ちょ、ちょっと待ってください!せめて!せめて着替えさせてくださいぃいいいいい!」

「だったらさっさと着替えてこんかぁ!!!」

「キャン!」



 教官に放り投げられ、尻から落とされたアーサーは尻をさすりながら、涙目で部屋に向かって着替えを済ませた。ただ何分急いで着替えたものだから、今度は服装が乱れてると小突かれたのは、まあ当然の事だろう。



 遠巻きでその姿を見ていた彼女と同じような新米騎士や、メイドや文官たちは見慣れたものなのか、微笑ましさを交えた苦笑いを浮かべていた。



「わ!わ!こ、これは違うんです!」



 視線に気づいたアーサーは羞恥心で顔を真っ赤にしながらあたふたと取り繕おうと躍起になった。



「何が違うんじゃこの寝坊助!!!とっとと足を動かさんか!!!時間は有限だぞ!!!」

「あイタぁ!」



 取り繕うアーサーを教官は怒鳴りつけ、彼女の頭に拳骨を一発落とすと襟首をつかんでアーサーを引き摺って行った。



 引きずられてゆく道中で、様々な人にそんな情けない姿を見られた彼女は、心の中で計画していた初日の立ち振る舞いが音を立てて崩れ去ってゆく光景を幻視した。



 それと同時に、引きずられてゆく自分を見てくすくす笑う人たちへの羞恥心も消え去った。人間、感情の許容限界を超えると何も感じなくなるらしい。



「前途多難だなぁ…」



 無抵抗で教官に引きずられながら、アーサーは他人事のようにそう呟いた。




 *




 騎士としての訓練の日々の過酷さは、アーサーの想像を超えていた。



「コラ!!!何ヘバッている!!!まだたったの10セット目だぞ!!!まだ半分に達したばかりではないか!!!そんな事で騎士になれると思っておるのかぁ~!!!!」

「ひ、ひぃ~……」



 いま彼女がやっている訓練は重りをつけて、1キロメートルを延々走らされるというスタミナをつけるための訓練だ。



 もとよりハンターをやっていたアーサーは、スタミナはそれなりに自信のある方だったから、スタミナ訓練をすると聞いてきっと大丈夫と高を括っていた。



 しかし実際に提示された訓練メニューを言い渡され、彼女は硬直した。その間にあれよあれよと重しをつけられ、他の新米騎士と一塊になって走らされた。



 彼女がハンターをやってた際の装備は、もっぱら革の鎧といった自身の負担にならない様な物ばかりだったから、重りをつけた状態での走行がここまできついとは思ってもいなかった。



 はぁはぁ言って足を緩めようとしたアーサーに、すかさず教官は怒鳴りつけてきた。



「だがヘロヘロになっても足を止めないのは評価する!!!悪くないぞ!!!その調子であと半分走り切るのだ!!!」

「ふひゅ…は、はいぃぃ……」



 思わぬ称賛の言葉に、アーサーはやや面食らったものの、肯定されることで気分が少しだけ良くなった彼女は、息を乱しながら何とか足に力を入れた。



「それに引き換え貴様ら!!!」



 と、教官はアーサーから目を外し、今度はその後方にいる集団に向けて怒鳴りだした。



「後から入ってきたあ奴ですら走れているのにその有り様は何だーッ!!!」

「「ひえ~!!!」」



 最後の一人が息も絶え絶えで走り終えても、教官はなんら考慮することなくアーサーたちを次の訓練へと追い立てた。



「筋力!!!鎧を着こなせないで何が騎士か!!!ともかく筋力をつけるのだ!!!」

「「うわー!!!」」



 筋肉をつけるためにこれまた重しをつけた状態で基礎トレーニングをさせられ、それが終わったならば、次は各人の適正武器ごとに割り振られた指南役の下へ赴き、ひたすら実戦形式の訓練をさせられた。



 アーサーの得意武器は無論長剣であり、その指南役は何と教官であった。



 その時の驚愕と絶望に染まったアーサーの顔ときたら。もしここにチユキがいたならば、おそらく腹を抱えて笑い転げていたに違いない。



「何だそのへっぴり腰わーッ!!!お主実戦を舐めておるのかぁー!!!」

「ぶっ!!?」



 無論教官はその隙を見逃さず、アーサーの眼前へと瞬時に移動すると、彼女が反応する間を与えず横っ面を木剣でひっぱたいた。



「うぅ…」

「ほれほれどうした?隊長にスカウトされて入ってきた割には大したことが無いな!!!もう少し根性見せてみろ!!!」



 木剣で殴られた個所を押さえてたじろぐアーサーに、教官はすかさず挑発をかけた。



「むっ!」



 教官に挑発されてむかっ腹が立ったアーサーは、それまでの訓練の不平不満を爆発させ、無我夢中で突っ込んでいった。



「わあああああ!!」

「踏み込みが甘いわぁーッ!!!」

「あイタぁ!」



 もちろん彼女の技が通用する訳もなく、あっさりと返り討ちにあったアーサーは全身をしこたま打ち据えられ、その後何度も何度もぶっ飛ばされた。



 そして訓練が終わるころには、アーサーは潰れた蛙の様に地に伏していた。周りを見れば、同期の新兵たちが彼女と同様に指南役に叩きのめされて地面に転がっていた。



「午前の訓練はこれにて終了だ!!!1時間の休憩の後に午後の訓練を始める!!!以上、解散!!!」



 地に伏して悶えるアーサーたち新兵に、教官は感慨も無くそう宣言すると、彼らの前を悠々と通り過ぎ、すたこらと食堂へと歩き去って行った。



「うぅ…あの教官めぇ…少しくらい気にかけてくれたっていいじゃないかぁ~…。私は推薦入隊者だぞぅ…」



 痛みに悶えながら、どうにかこうにか立ち上がったアーサーは、涙目で恨み言を一口、呻くように呟いた。



「うぐぐ…イったぁ~……」

「おい、アーサー平気か?」

「ちょっときついや」

「はは…、お前もか。俺もだ」

「私も」

「僕も…」

「「ははは…」」



 彼女が立ち上がったと同時に、同期たちも何とか立ち上がれるだけの体力が回復したようだった。



 アーサーたちはしばしの間、自らの健闘を称え合ったり、教官たちへの恨み言を言いあったりした。



 やがて彼女たちは肩を貸しあって難儀しながら食堂へたどり着き、我先へと厨房の受付へと殺到する先輩騎士やら文官たちの波をどうにかやり過ごして昼食を受け取った。



 その時に配膳をしていたおばちゃんが、彼女たちが新米騎士であることに気づき、またあの教官は容赦なくやったね、と同情と労いの言葉をかけ、盛り付けを気前良く大盛にしてくれた。



 トレーにこんもり盛られた定食にアーサーたちは色めき立ち、おばちゃんに礼を言うと、意気揚々とテーブルに着いた。



 初めての訓練後の昼食に、アーサーは興奮気味に周りの同期たちと話しながら食した。



 アーサーの反応に、入隊直後の自分の姿を思い起こしたのか、同期のみならず周りの騎士たちも彼女に微笑ましい目を向けた。



 同期たちとくっちゃべりながら、食事を楽しみ、ある程度人心地着くと、ふと、アーサーの脳裏に自分と一緒になってこの城に入隊した男の姿が浮かんだ。



「チユキ、今何してるのかなぁ~?」



 アーサーは咀嚼していたパンを飲み込むと、誰にともなくぼそりと呟いた。





 *





「くそ…どうして俺が行かなきゃいけないんだよォ~…」



 城の長い廊下を一人歩きながら、彼はぶつくさと文句を呟いた。



 彼はつい1年前に騎士団へと入隊した新米騎士である。



 1年間あの教官の地獄の如き訓練を乗り越え、ようやく部隊へと配属になった彼に待っていたのは、先輩騎士たちによる予定調和の如きシゴキだった。



 兵隊の常というべきか、騎士になるような輩はおおむね体育会系ばかりで、年功序列は当然の様に重視された。



 彼らの部隊のヒエラルキーのトップに位置する者たちは、隊長を含めた全員がフットボール選手顔負けの巌の如き肉体をしていた。



 彼はまだ十台を超えぬ少年で、体はそれなりに鍛えられてはいるが、先輩騎士に比べれば大人と子供位の差があった。故に、彼が使い走りにさせられるまでそう時間はかからなかった。



 これは何も彼の所属する部隊だけの話ではなく、隠密部隊を除けばほぼすべての部隊に該当する話であった。



 今回彼が先輩騎士に与えられた「任務」は、神器部隊から書類を受け取ってくるというものだった。



 彼を心底怖れさせる先輩騎士ですら、神器が相手ではそれこそ今の彼と先輩騎士、あるいはそれ以上の力の差があった。



 だからこそ隊長に書類を取ってくるように命ぜられた先輩騎士たちは、真っ先に彼にこの仕事を押し付けた。



 神器が暴力事件を起こした話など、それこそ枚挙に暇がない。



 彼らが他者に暴力を振るう言い分は、目が合ったから、なんとなく気に食わない、等と殆ど言いがかりの様な物ばかり。



 この城、のみならず王都の住民ですら、彼ら神器への認識は国の後ろ盾がある質の悪い盗賊というのが共通だった。



 彼という生贄がいる以上、極力神器と関わりたくない先輩騎士たちにとって、この選択は当然と言えた。



 そういう訳で、彼は死の恐怖を味わいながら、神器部隊に与えられた執務室の前に立っていた。



 道中で神器に会わなかった幸運に、彼はちっとも喜べなかった。



 執務室などとこの部屋は呼ばれてはいるが、事実上神器たちの溜まり場と化していたからだ。



 任務や何もやる事が無かった場合、彼らは大抵この私物化された部屋の中でたむろしている。そして中で雑談したり、賭け事をしたりして時間を潰すのだ。



 ただ些細な事で彼らはすぐに逆上するためにしょっちゅう喧嘩が起こり、改装工事が行われたのは一度や二度ではない。その証拠に、ドアの真横の壁の補強跡が生々しく残っていた。



「うぅ……畜生…!」



 中にいるであろう神器たちを想像し、彼は震えが止まらなくなった。



 一番体躯が大きく、の中で一際凶暴なアイアンアックス。アイアンアックスに負けず劣らずな体躯の原人並みに理性の無いデスナックル。ひょろ長くてとても弱っちそうな見た目なのに、彼の所属部隊の隊長を軽く凌駕するダガ―ラプトル。改造した囚人服を着ていつもにやにや笑いを浮かべてるハンマーパンダ。



 どれもこれも並の魔物を軽く凌駕する、人の手で作られた魔物たち。



 それがほんの少しドアの向こうにいると思うと、彼は足が竦んで一歩も動けなくなってしまった。



「ハァーッ……、ハァーッ……えぇいままよ!」



 だがこのままここで立ち往生している訳にもいかない。あまり遅いと、今度は先輩騎士たちからいじめられるだろうことは目に見えていた。



 退くも地獄、進むも地獄であるならば、せめて進んで地獄へ行った方が、まだ体裁というものを保てるだろうから。



 先輩に破壊されたプライドの残骸をかき集め、意を決してドアノブに手を伸ばしたその時。



「どうぞ」



 彼の機先を制するかのように、ドアの向こう側から声が聞こえてきた。



「―――――――――」



 想定外の事態に、彼の脳味噌は完全にフリーズした。そのくせ心臓はうるさいくらいに早鐘を打っていた。



 しばらく彼は口をあんぐりと開けたまま、ドアノブに手をかけようとしていた姿勢で硬直していた。それは再び入室の許可の言葉が聞こえてくるまで続いた。



「え、あ、あぁ…。し、失礼します……」



 我に返った彼はおっかなびっくりとドアノブに手をかけ、恐る恐るドアを開けて中に入った。



「え?」



 室内を見て、彼は思わず目を丸くした。



 彼は何度目かの喧嘩の際に開いた穴から神器部隊の執務室を覗いたことがった。その時見た部屋の中は、まるで台風でも過ぎ去った後のような有様を呈していたのを彼は覚えている。



 しかし、今の部屋の中はまるで記憶の中と違っていた。



 ところどころ補強の跡はあれど、物がきちんとあるべき場所に収まっており、誰が見ても執務室と呼べるような、そんな内装に整っていた。



 自分の記憶にある光景と、目の前の現実の光景が一致せず、彼は目をしばたかせた。



 はてさてそんな事をしていると、彼は一人の男がこちらに背を向けた状態で腰かけているのを発見した。



 男はテーブルの上に鎮座した白い小山と対峙して、四苦八苦していた。いやよく見てみると、その白い小山は全て書類だった。



「うげっ!」



 小山の正体がわかると、彼は思わず呻き声を上げた。こんな量の書類は今までとんとお目にかかった事が無かった。



 先輩に書類仕事を押し付けられることは多々あるが、それでもここまで酷い量になることは無かった。



 一体どれだけの間ため込んでいたのだろうか?そんな事を考え、彼は身震いした。



 と、そこで男は唐突に書類仕事の手を止め、首だけくるりと回して彼を見た。



「あぁ、第3部隊の方ですね。すみません気が付かなくって」



 男は彼の姿を確認すると短く詫びを入れ、一枚の書類を手に取ってつかつかと歩み寄って書類を手渡してきた。



「こちらが書類になります。間違いないか、確認をよろしくお願いします」

「あ、あぁ……」



 彼は手渡された書類を見るよりも先に、目の前に立つ男の姿を頭からつま先まで眺めてみた。



 背丈は彼よりやや低く、170センチ前後といった所か。ここいらでは珍しい黒髪黒目の、あまりぱっとしない男だった。



 パリッとした制服をきっちり着こなし、真一文字に結ばれた口元と何の感情も浮かんでいない顔から、何というかいかにもデスクワークが専門といった印象を受けた。



「どうかいたしましたか?」

「な、何でもねぇよ!」



 表情一つ変えることなく聞いてくる男に、彼はややぞんざいに返答した。怖ろしい神器たちに遭遇すると思っていた反動から、それ等とは真反対のなよなよした目の前の男への当たりが自分でも意識しないうちに強まった。



 それは彼が普段受けている先輩騎士たちにされている事と全く同じ事であると、彼は気付いているのだろうか?



「ふ、ふん、泣く子も黙る神器部隊にお前みたいなへなちょこが良く今日まで生きてこれたもんだぜ!」

「…私がここで働き始めたのはほんの数日前です。知らないのも当然です」



 彼の皮肉に、やはり男は眉一つ動かさずに淡々と話す。



「それよりも良いのですか?私と無駄話なんかしていて。第3部隊は序列に厳しいと聞きますが?」

「げっ!?そうだった!」



 自分より弱そうな者に会えて気を良くしていた彼だったが、男に言われた一言で一瞬で現実に引き戻された彼は男に礼の一つも言わずに部屋を飛び出した。



 あまりにも急に出ていくものだから、書類がいくらか宙を舞ったが彼は気にしなかった。



 あぁ、良かった。これなら先輩から多少小言を言われるくらいで済むかもしれないぞ!



 彼の中には4体の神器に会うことなく五体満足で戻れることへの安堵しかなかった。



「……」



 部屋に残されたは散らばった書類と自分より遥かに矮小な者が出ていった半開きのドアをゆっくりを順に目を向け、それからうんざりと首を振った。







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