第17話 結晶態編2
気が付くとチユキは再びあの古めかしい映画館のど真ん中にいた。
「なんで!?」
チユキは意味が分からないとばかりに狼狽え、ここに来る前の記憶をさかのぼってみた。
憑りついていいか俺はガキに聞いた。ワカル。ガキは同意した。ワカル。俺は練習したように鎧に変化しようとして…どうなった?
ワカラナイ。記憶が飛んでいる。かろうじて思い出せるのは自分の体が光の粒となって爆散するという奇妙な感覚。視界が一瞬だけブラックアウト。それが覚めたら、ここにいた。
「……」
あれこれ考えたが、結局答えは出なかった。仕方なく受け入れたチユキはため息を吐き、目の前の画面に目を向けた。
チユキは動かなかった。前にここに来た時の経験から動いても無駄な事は分っていたからだ。
何より、とチユキ。
ここは映画館だ。まもなく上映時間だってのにウロチョロするのはご法度だろ?
しばらく待っていると、証明が落ちて真っ暗になった。
そしてその直後に上映のブザーが鳴り、背後の映写機がからからと音を立てて起動し、スクリーンに映像を映し始めた。
はじめは砂嵐じみたノイズが画面全体を覆っていたが、次第に鮮明になり、ノイズが消え去ると、どこか見覚えのある幼い少女を映しだした。
「あ?」
チユキは素っ頓狂な声を上げた。てっきり自分の何かしらの過去が流れると思っていた。しかし映ったのは全く見覚えの無い映像だったため、チユキは面食らって目をしばたいた。
画面の少女は興奮した面持ちで手に持った木の枝を剣に見立てて振り回し、あちこち走り回っては時折振り返り、手を振った。恐らくその方向に親でもいるのだろう。
そしてその方向から一人の男性が近づいて行く。少女は近づいて行く男性に向かって木の枝を構えた。全く型もへったくれも無い構え。
恐らく少女は騎士の役で、男性は悪役か。全く、そんなへっぴり腰で騎士とは笑わせる。
チユキは鼻で笑った。
少女は雄たけびを上げ、男性に突貫する。男性は少女の突貫をあっさりかわし、横合いから少女を抱え上げた。少女は悲鳴を上げ、しかしその声は喜色に滲み、浮かべる表情は花の咲いたような笑顔。
逞しい胸板に顔をうずめる少女。父親の困ったような顔。母親と思わしき美しい女の慈愛に満ちた笑顔。無限に続くかのような、幸せな一幕の記憶。
ざりざりざり。映像は乱れ、別の場面が映し出される。
あの一幕から何年か経ったのか、やや大きくなった少女がベッドで横になっている父親の傍らで、涙をこらえながら手を握っていた。
父親は先ほどの映像とは似ても似つかぬほど窶れ、やせ細っていた。
病気か。チユキは無感情に呟く。
父は娘に何事か呟いた。少女は震えながら頷き、隣で頽れる母親を抱きしめた。父は微笑む。少女は泣いた。
再び映像が切り替わり、少女はうつろな表情である墓の前に立っていた。傍らには泣き崩れる母親と兄弟らしき幼子たち。最愛の人との別れの苦しみが、胸を穿つ。奈落に落ちて行くが如き喪失感に気が狂いそうになる。曇天の空模様は、まるで少女の胸中を現しているかのよう。
少女の痛みが、喪失感が、こっちにまで伝わってくる。いや、流れ込んで来る。
「……」
チユキは無言で映像を注視する。
それから何度か映像は切り替わり、その都度少女は大きくなってゆく。胸に秘めた思いも同様に時と共に重みを増し、いつしか彼女自身が生涯をかけて果たすべき目標となった。
父のような偉大な騎士になりたい。誇り高く、誰にも認められるような人になりたい。未熟な腕前に時には俯くこともあったが、その度に父との約束を思い出し、ふらつきながらも彼女は立ち上がってきた。
チユキは少女の記憶を無言で読み解いて行く。
修行のために家族の元を離れた時のまだ見ぬ世界への期待と別れの寂しさ。ハンターになり、はじめての実戦での恐怖と高揚。魔物を始めて殺した時に感じた殺したことへの罪悪感。死がかすめた事を思い出し、震えながら夜を過ごした日々。鍛錬しても一向に実らない事に失望してゆく日々。
映像は緩やかに、しかし確実に現在へと進んでゆく。
月日は巡り、廻り、そして16歳のある日、彼女の目の前に運命が現れた。それは血肉の通わない、全身が剣で構成された鋼鉄の怪物だった。
気が付くとチユキは闇の中にいた。目の前には金と青の装飾の施された美しい扉があった。扉を前に一瞬狼狽えたチユキだが、しかし彼はすでに自分の為すべき事を心得ていた。
チユキは掌に握られている物を見下ろした。扉と同様に金と青の装飾の施された、美しい鍵だった。
「…お前は無能なんかじゃない」
チユキは言った。
「それを証明してやろう。この世界に、俺たちと共に…!」
チユキは鍵穴に鍵を差し入れ、捻った。
かちり、と音がした。チユキは躊躇なく扉を開いた。力強く。
瞬間、黄金の光が激流の如く溢れ出た。
「―――ッ!これは!」
光の激流に飲み込まれ、そしてチユキは彼女の全てを知った。また己の力の事も知った。
瞬く間に闇は押し流され、世界が光に包まれる。黄金の光に。それは暗闇を切り裂く聖なる光だった。
彼はついにジンギとなったのだ。
*
「あぁ?てめ、もしや憑りつく気だな!?させるかぁあああああ!!!」
チユキとアーサーのやり取りを聞いていたモルモット―は二人の企みを敏感に察知。阻止すべく妨害を試みた。しかし
それは既存の神機に当てはまらない憑依の仕方だった。まず前提として結晶態とはその者が司る武器や防具などに変化した姿の事だ。そして憑依とは適性のある者に自身を装備させる事を言う。モルモット―の場合は司る武器は短剣である。
だがチユキの憑依の仕方は前提がおかしかった。光の粒子と化して直接人間に憑りつくなど。まして適性があるかどうかも分からぬ相手に憑りつけるなど。モルモット―の脳裏に疑問が湧くが、完全に実体化するまでに憑依先ごと叩き切ればいいまでの事。
チユキがアーサーに憑りついてからコンマ1秒後、懐に入り込んだモルモット―は全力で短剣を振り下ろした。
「取ったあああああああ!!!」
モルモット―は少女の軟肉を切り裂く感触を想像し、気色に顔を滲ませる。が、それが実現することは無かった。
刃が降れるか触れないかといった所で、アーサーの体から黄金の光が迸り、モルモット―を弾き飛ばしたからだ。
「チュアアアアアア!?」
短剣の神器は無様に悲鳴を上げ、背中から叩きつけられる寸前で受け身をとった。
そして目を見開く。モルモット―だけではない。アグラヴェインも、他のハンターたちも同様に、神器を知るもの知らぬもの関係なくその場にいたすべての者が黄金の光を凝視した。
やがて吹き上がる黄金の光に変化があった。光は徐々に収縮し、凝縮され、それは青と金色の装飾が施された、どこか近未来的なデザインの鎧となった。
「何ぃ!!?」
驚愕に目を剥く神機だが、驚くべき光景はまだ終わらない。
アーサーはそれが自然とばかりに右手を開いた。空いた右手に光が生じ、形を変え、柄と鍔に青の装飾が施された黄金の刃を持つ長剣となった。
『その剣の名はエクスカリバー』
鎧から声が聞こえた。
「エクスカリバー…」
アーサーは呟く。
『そして鎧の名はペンドラゴン』
「エクスカリバー…ペンドラゴン…」
アーサーは復唱する。
『この剣と鎧はお前の力の結晶』
「私の?…嘘だ、そんな訳が」
『否』
アーサーの自らへの否定的な言葉をチユキは遮って言った。
『お前に憑りついて、やっと俺は俺の事を知ることが出来た』
チユキは言った。
『俺のモチーフは尾の生えた人間、んで、俺の固有能力は憑りついた奴の真の力を目覚めさせ、それを何倍にも増幅する事!』
言いながらチユキはアーサーの体を強制的に動かし、音速を超えて突っ込んでくるモルモット―を殴り飛ばした。
インパクトの瞬間、黄金の光が拳に集い、小爆発を巻き起こして殴打の破壊力を引き上げた。
「チュブアアアアアア!!?」
「真の…力?」
『そうだ!これがお前の中に眠っていた力だ!お前の光だ!』
アーサーはチユキの激励を受け、掌を見つめた。力が奥の奥から湧き上がってくる。信じられない程の全能感が体中を芯まで満たした。
「私の……私の!」
アーサーはそこで自覚した。自らの力を。体がぶるぶると震える。歓喜の震えだ。彼女は顔を上げた。
『わかったか?ならとっとと片付けるぞ』
「うん」
『使い方は教えなくても分かるな?何せ自分の力なんだからな』
「うん!」
アーサーは頷くと、体勢を復帰して今まさに飛び掛ろうとしてかがんでいたモルモット―に爆発的な踏み込みと共に切り込んでいた。
「ヂュ!!?」
咄嗟に
「な、何なんだお前ら、どうしてそのガキは意識を支配されてない!?」
繰り出される連撃をかろうじて捌きながら、モルモット―は叫んだ。
『俺は普通じゃないらしくてな。一応思い当たる節はあるが、それを言ってやる理由も無い』
チユキの返答は酷く淡白な物だった。しかしアーサーは違った。
「知れた事、邪悪なお前と違って彼は聖なるものだからだ」
『ふざけるな、勝手に決めつけるんじゃねぇこのガキ』
不快感も露なチユキの小言を受け流し、アーサーは動揺の隙をつき、モルモット―の憑依先を袈裟懸けに切り裂いた。
鮮血が舞い、口から血を吐く憑依先だが、しかし反応といえばそれだけで、まるで弱った様子も見せずに猛然と切り掛かってきた。驚くアーサーだが、チユキは冷静だった。
『アーサー、神器が憑りついてる時は憑依先をいくら攻撃しても効果は薄い。神器本体を破壊するようにしろ。この場合はあの趣味の悪い造形の短剣だな』
「そういうことか!」
チユキの教唆に合点のいったアーサーは再び切り込んだ。
モルモット―の振り下ろし、突き、逆手に持ち替えての斬撃のコンビネーションを捌くのではなく、アーサーは相殺するかのように斬撃を繰り出し着実に本体へとダメージを与えていく。
肉体が切り裂かれた時は何の反応も見せなかったモルモット―だが、
神器を装備した者の攻撃力は通常の人間のものとはわけが違う。モルモット―の様な平均的な神器ですら、装備すれば最低でも5倍は戦闘能力が引き上げられる。
その上憑りついているだけなので、いくら憑依先を攻撃しても本体を破壊しない限りどれだけ傷を負っても平然と向かってくるというのだから手に負えない。
そんな無敵の神器であるが、無論弱点も存在する。
適性の無い者に憑りつくと憑依先が耐えられずに即死する、海水に弱い、電撃が良く効く等とあるが、とくに知られているのが結晶態の時に破損すると憑依が強制的に解かれ、一気に戦闘不能になる事である。
故に神器相手の戦闘はいかに
通常の神器同士の戦いなら互いの憑依先の事など考えない凄惨な戦いになるところだが、生憎チユキは普通のジンギではない。
「だあっ!」
力任せの杜撰な斬撃を潜り抜け、アーサーはモルモット―の憑依先の胸に掌底を撃ち込む。
「ガアアアア!!!」
衝撃で内臓に甚大なダメージが走り、副産物として体が痺れ、体が思うように動かせない。その隙にアーサーは本体を殴りつけた。それでまた亀裂が増え、モルモット―は怒りの雄たけびを上げる。
追撃を仕掛けようと踏み込もうとするアーサーだが。
『馬鹿たれ、欲張りすぎだ!』
悪寒を感じたチユキが一瞬彼女の体を支配し、強引に後ろに引かせた。直後彼女の首があった場所を狂刃が通過した。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ避゛げる゛な゛ぁ゛!!!」
「くっ…すまない」
『深追いするな、淡々と追い込め。この手のカスはそれで十分だ。…あと、とりあえず煽っとけ』
「あぁ!…煽る?」
付け加えられた言葉を疑問に思うアーサーだが、その言葉の意味はすぐに知る事となる。
『何だお前、さっきまでの威勢はどうした?敵を討つんだろう?』
「な、何を貴様…!」
口ごもるモルモット―にチユキはなおも続ける。
『ははは、無様の極み。弟分と同じで口ばかりだな。しょせんは鼠か。実に下らん』
「ア゛ッッッ!!!」
(うっわぁ~…)
瞬間沸騰したモルモット―の反応に、チユキの満足気な反応がアーサーに伝わった。
無茶苦茶に振るわれる斬撃をいなし、隙を見て本体に攻撃を当てながら、彼女はドン引きしていた。
「ぐっこの…!たかが人間が!たかが人間のガキに!この俺様が!」
激昂したモルモット―はアーサーの斬撃を強引に撥ね退け、怒りの赴くままに怒涛の連続切りを繰り出した。
だが力任せに振るわれる稚拙な斬撃など、覚醒したアーサーには何の脅威にもならなかった。
「ほっはっ…そこっ!」
太刀筋を見切った彼女は掬い上げるようにエクスカリバーを振るった。それは連撃を出し終え、一瞬の硬直により隙を生じた短剣に過たず命中した。
「ぐが、グガガ…」
アーサーの目の覚めるような一撃に、短剣に深い亀裂が走った。決定的な一撃だった。神器に痛覚は無いが、それでもダメージを受け続ければ動きは鈍くなってくる。壊れれば死ぬ。モルモット―は最早虫の息だ。
それを認めたチユキとアーサーは畳みかけに行った。黄金の刃に光を収束。彼女の体から圧倒的な魔力が溢れ出し、渦を巻いた。
「おぉ…」
アグラヴェインはその光景に思わず息を呑んだ。他の者も同様に、幻想的とすらいえる光景に見入った。
「う、うぉおおおおおおお!!!」
モルモット―は指数関数的に膨れ上がる圧力に、神秘的な黄金の輝きを恐れた。飲まれている。年端もいかぬ少女の発する底知れぬプレッシャーに。
それを悟った時、モルモット―は憑依先の手から離れ、結晶態から素体へと姿を戻し、背を向けて逃走を始めた。神器が、人を超えた邪悪存在が、年端もいかない少女に恐れをなして逃げ出したのだ。
こりゃまたとんでもない物を目覚めさせちまったなぁ。
背を向けて逃げ去ろうとする無様な鉄屑を、チユキは無感情に眺めながら他人事のようにそう思った。
そんな事を思っている間にも光が、魔力が聖剣へと収縮し、収縮し…溜まり切った。
『―――ッ溜まった!行けるぞ!』
「うん、行こう!」
2人は心を同調させた。騎士は黄金の光を伴って駆け出した。踏み出すと同時に主観時間が鈍化し、世界がほとんど動きを止めた。
2人の眼前に映るのは背を向けて逃亡する哀れな神の器。踏み出す一歩一歩は非常に緩慢で、まるで泥の中を進んでいるかのようだ。
後一歩で到達するという時に、モルモット―はゆっくりと背後を振り返った。その時、彼らの視線はしばらくの間交差した。彼らはモルモット―の赤い瞳に恐怖の感情が浮かぶのを見た。
「エクス!!!/カリバー!!!』
アーサー/チユキは大上段にエクスカリバーを掲げ、モルモット―の頭から股まで真っ二つに叩き割った。
叩き割ると同時に、黄金の光が激流の如く迸り、真っ二つになったモルモット―を跡形も無く消し飛ばした。
しばらくの間、世界を黄金の光が染め上げた。それが収まると、立っているのは一人だけ。
「か、勝った…?」
『お、そうだな』
実感がわかないといったように放心するアーサーに、チユキは適当に返しながら結晶態から人間態へと戻り、負傷個所を抑えながら何とか立ち上がったアグラヴェインの元へ向かった。
「凄まじいですね、まさかこれ程とは…」
「俺の価値の証明はこれで済んだとして」
チユキは背後を振り返り、呆然とした様子でこちらを見つめ返すアーサーを一瞥しながら言った。
「あいつはどうする?見たところ騎士志望らしいけど」
「そんなもの決まってるじゃないですか」
同様にアーサーを見つめながらアグラヴェインは言った。
「ぜひ我が国の騎士として働いてもらいたいですね」
「そりゃよかった」
チユキは無感情に言うと、負傷して動けないハンターたちの応急処置をしに向かった。その時どこか遠くで、女の笑い声が聞こえた気がした。
「……」
一瞬だけ立ち止まったチユキだが、後からついてきたアグラヴェインとアーサーに問われると何でもないと返し、改めてハンターたちを介抱するべく歩き出した。
負傷者の手当て、破損した馬車の修復を行っていたら気がつけば日はとっくりと暮れていた。結局その日は野宿する羽目になり、再出発できたのは次の日になってからだった。
尤もそれ以降は大きな事件は無く何事も無く進むことが出来、当初より遅れたものの無事に王都に着く事が出来た。
かくして運命の出会いは為され、伝説の幕はついに上がった。
伝説の始まりは一人の少女があるジンギに出会い、王になるまでのお話である。
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