第16話 結晶態編1

 意識がだんだん覚醒してくる感覚。目を開けると、馬車の天井が目に入る。



 走行音が聞こえない。馬車はいつの間にか止まっていたようだ。代わりに聞こえるのは勇ましい掛け声と怒号、それから魔法が炸裂した破砕音と獣の悲鳴だ。



「おい、これはどういう状況だ」



 返事は無い。さっきまで前方に座っていたアグラヴェインはいつの間にか姿を消していた。



 チユキはため息を吐き、それから神器として強化された五感を研ぎ澄まして外の様子を探り始めた。



 外は魔物とハンターの入り混じった混戦となっているようで、その中からアグラヴェインの気配を探し出すのは骨が折れたが、集中を高める事によって何とか捕捉することが出来た。



「ふぅん、神器相手じゃなけりゃあきちんと戦ってくれるのね」



 アグラヴェインの気配はさっきからあっちへ行ったりこっちへ行ったりとせわしなく動き回っていた。魔力の高まりもすさまじく、なるほど、伊達に暗部の長をやっているわけではないと一人納得していた。



「他の連中もなかなかやるな」



 アグラヴェインほどではないが、他のハンターも負けじと向かい来る魔物を相手に戦えているようだ。どの気配もまるで小さくならない。



 そんな中、ある一人のハンターの気配が大きく揺らいだ。そのハンターに向けて魔物の気配が急速に近づいて行く。



「おっと、こいつは不味いな」



 チユキは集中を維持したまま転化し、転化し終えると「尾」をゆらゆら揺らしながら引き絞り、狙いを定め終えると一気に突き出した。



「尾」は頑丈に作られた馬車を易々と貫き、尻もちをついた若い少女のハンターに飛び掛ってくるウェアウルフの頭部を造作も無く貫いた。



 少女は呆気に取られて口をぽかんと開き、刺し貫かれて絶命したウェアウルフを見つめた。



「尾」は無造作にウェアウルフを振り払うと、そろそろと縮んでゆく。少女は戻り行く「尾」を目で追った。他の者も同様に目で追った。魔物とて例外ではなかった。



 やがて「尾」が馬車の中へと消えてゆくと馬車の扉が開き、中から鋼鉄の怪物がゆっくりと姿を現した。



 瞬間、莫大な気配が放たれ、それまで覆っていたハンターと魔物との闘気は吹き飛ばされ、鋼鉄の怪物が放つ物言わぬ刀剣の如き冷たい気が戦場を包み込んだ。



 怪物は周囲を見渡し、自らの予想していた状況とあまり相違が無かった事に満足を覚えた様に頷くと、ハンターたちに向かって短く詫びを入れた。



「皆さんすみません、どうも眠りが深かったみたいで気づくのが遅れました。ここからは私も入るので、皆さんは下がっていてください」

「え、いやそういう訳には…」

「そ、そうだ、ついてきたんだぜ!」



 食い下がる2人組のハンターに、まあまあとチユキは軽く肩を叩いて窘める。2人のハンターはぎょっとしてチユキを見た。いつの間にか横にいたチユキに、2人だけでなくアグラヴェインを除いた全員が驚いた。



「あなたたちの言い分は分ります、ですがそうも言っていられない事になってきたんですよ」

「それはどういう意味ですか?」



 こちらに走り寄ってきたアグラヴェインにチユキは短く、しかし恐ろしい事を告げた。



「こっちに向かってものすごいスピードで向かってくる大きな気配があるんです」

「ッ!まさか」

「そのまさかさ」



 答えるのと同時に警戒して動かない魔物に向かって無造作にチユキは魔法を放った。次の瞬間魔物の足元から無茶苦茶に武器が生え、瞬く間に魔物の群れを全滅させた。



「んな!!?あれだけいた魔物が一撃で!」

「何という威力…!」



 魔物の大群を全滅させた魔法の威力にハンターたちは感嘆の声を上げた。



 チユキは一瞬だけハンターたちに視線を向け、それからすぐにアグラヴェインの方に戻した。互いに神器というものの脅威を知っているが故に、両者の表情は険しい。



「不味いな、このスピードなら5分以内にかち合うぞ」

「私たちだけだったならともかく、ハンター達かれらが居たんじゃ逃げ隠れも無理ですね」

「連中を囮にするって手は?」

「…私は構いませんが、チユキさん、あなたにそんな大それた手段はとれますか?」



 チユキはアグラヴェインから顔を逸らし、ハンターたちの方へ顔を向けた。年も性別も、出身すらまばらで、誰一人として知った顔はいない。



 彼らが死んだところで、彼らを見殺しにしたところで、一時は騒がれこそすれ、すぐに彼らが生きていた記憶など埋没して誰も顧みなくなるだろう。



 俺は王都に行かなければならない。何せ貴重なサンプルだ。できれば五体満足が好ましい。今の自分は明確に彼らより価値が上だ。ならどうして明確に価値の劣る存在を気にかけなきゃいけないんだ?こっちは自分の事で精一杯だというのに…。



「…分かってる、分かってるよ。見捨てるつもりなんてないからさ。だからいちいち睨んで来るのを止めろ」



 チユキはぼそりと吐き捨てるように言った。視線の先、ハンターの団体の後方にいつの間にか「彼」がいて、相変わらず糾弾するようにこちらを睨みつけていた。



「どうかしました?」

「…何でもない」



 声を掛けられ、短く答えてからまた視線を戻すと、「彼」の姿は消えていた。



 その直後、近づいてくる気配がさらに増大し、接近してくる速度が跳ね上がった。



「―――ッ!」



 過去への思いは一気に吹き飛んだ。速い、速すぎる。新幹線並みのスピードで、気配の主が一直線にこっちに向かって突っ込んでくる。



 逃げる、不可。隠れる、もっと不可!



「退けお前等ァああ!!!」



 警告を発するも、遅かったようだ。チユキの切羽詰まった声にきょとんとした表情で固まったハンターたちは、事態を把握する間もなく一瞬で切り倒された。



「え?え?」



 かろうじて反応できたチユキは一番近かったハンターの少女をすんでのところで押し倒し、何とかから救い出すことが出来たが…。



「グハ…ッ」



 苦し気な呻き声に顔を向けると、ざっくりと切り裂かれたアグラヴェインが軽鎧の男に踏みつけられていた。



 いつの間に切られていたんだ。まるで見えなかった。クソ、さっき俺を目で追えなかったハンターたちもこう思ったんだろうな。馬鹿な、速すぎる。



「おい、そいつから離れろ!」



 素早く立ち上がりながら、下手人に向かってチユキは叫んだ。



 下手人は嗜虐的にアグラヴェインを見下ろしていたが、ここで初めてチユキに気が付いたようで、ゆっくりと声のした方へ振り向いた。



 それは薄汚れた軽鎧に身を包んだ、一見するとケチな盗賊のような男だった。しかし、瞳孔が収縮し赤い光を怪しく輝かせるその瞳と、明らかに人と隔絶した雰囲気が、男をケチな盗賊から人外の存在へと昇華させていた。



 極めつけは男の握る短剣。柄に鼠?の装飾の施されたその短剣から放たれる覇気は、つい先日戦った鼠とは比較にならない圧力を感じた。



 この感覚は知っている。あの糞たれ支部長が頭部鎧ヘルムに変化して人に憑りついた時と同じものだろう。



 チユキは体がじっとりとした冷汗に包まれるような感覚に襲われた。錯覚だ。神器は汗などかかない。じゃあなぜこんなにも体が冷える?



 チユキの顔を認めた瞬間、下手人の顔から嗜虐的な笑みは引っ込み、代わりに憤怒に顔を歪め、憎悪の炎が瞳に宿った。



「お、おま、お前!お前だな!我が同士を殺したという神器は!!」



 有無を言わさぬ怒声に、チユキはたまらず後退った。



「俺様は短剣の神器、モルモット―様だ!同士はナイフの神器で、俺の舎弟でもあったのだ。それを殺したお前は許さん!」



 何を馬鹿な事を、と口を開きかけたチユキだが、それより早くモルモット―は飛び掛かってきた。



「―――クソがっ!!」



 大ぶりな振り下ろしを、チユキは剣を作り出してかろうじてガード。杜撰極まりない攻撃とは裏腹に、速度重さ共にチユキの力を優に超える一撃だった。あまりの重さに堪らず後退った。



 モルモット―はさらに踏み込み短剣じぶんを横薙ぎに振るう。チユキは再び剣でガードするが、受け切れず剣を弾き飛ばされた。その隙を呪われた武器は逃さなかった。チユキの無防備な胴体を短剣が袈裟懸けに切り裂いた。



「ぐおおおおおおおお!!?」



 激痛に絶叫を上げるチユキに、追い打ちとばかりにモルモット―はサイドキックを繰り出した。



 咄嗟に後方へと飛んで威力を減衰させたにも拘らず、体が粉々になりそうなほどの破壊力に踏ん張りなど効かず数メートルは吹っ飛び、ゴロゴロと無様に地面を転がり、丁度少女の目の前でようやく止まった。



「わあっ!だっ大丈夫ですか!?」

「グハ…アバッ…!」



 意識が朦朧とする。足が震えて満足に立てやしない。あの鼠と戦った時はまだ演技するくらいの余裕があった。しかし今回はそんな余裕すらなく、意識を繋ぐだけで精一杯だ。



 だが年下の少女の前で悶絶していられないと、気合と根性で何とか立ち上がろうとするが上手くいかず、結局肩を貸してもらう羽目になった。



「チユキさん、結晶態相手に素体では歯が立ちません!あなたも結晶態になって誰かに憑りついてください!……ガハッ」

「憑りついてくれったって…」



 視線を向ける。アグラヴェインは論外。地に付しているハンターなど選択肢に上がるべくも無し。いや一人いる。傷一つ負うことなくこの場に存在するものがただ一人だけ。すぐ真横に。



 しかしいざ口を開こうとして、ふとある事がよぎって固まってしまった。年端もいかない少女だぞ。しかも彼女は何の事情も知らぬ。



 チユキは少女を見つめた。少女も同様に見つめ返す。鋼色の瞳と黄金の瞳が交差した。



 綺麗な瞳だ。チユキは思った。



 きっと善良なのだろう。この目を見ればわかる。そんな善良な少女を、何の事情も説明せぬまま世界の裏側に引きずり込むってのか。



 何を抜かしてやがる、今更そんなことに拘ってる場合か?さっさとこいつを使ってあの糞鼠野郎をぶち殺せ!



 理想、現実。葛藤。記憶が逆流を起こし、かつてのトラウマが再び記憶によみがえり、死んでいった男たちが糾弾するような眼差しで、彼を取り囲んだ。



「……」



 少女は目の前の怪物の瞳に苦悩を感じとった。そして思った。



 あぁこの人は私を気遣っている。あの怪物のように憑りついて、戦いを強制して良いのかどうかと。



 何て優しい人なのだろう。このまま私たちを見捨てて逃げてもいいのに、それをしないばかりかあまつさえ庇ってみせるなど。



 騎士を目指す者にとって、チユキの行動はあまりにも鮮明に映った。だから迷う事は無かった。少女は決意を籠めて口を開いた。



「私を…私を使ってくれチユキさん」

「…正気かお前?」



 チユキの問いに、少女は迷いなく頷く。その瞳には僅かな恐怖と、しかしそれを遥かに上回る使命感があった。



 その瞳に宿る力強い輝きに、チユキの中に渦巻いていた苦悩は、幻影はたちまち雲散した。ただ一人だけ、ある少年だけは残り、無感情にチユキを見つめていた。チユキの出す決断を待つかのように。



「お前、名は?」



 鋼鉄の怪物は聞いた。二度と破る事の出来ぬ悪魔の契約の如く。



「私の名はアーサー!いつかこの国一番の騎士となる者だ!」



 対する少女は臆することなく自らの名を告げた。まるで物語の騎士の如き威風堂々とした名乗りに、チユキは心の中で思わず感嘆のため息を吐く。



「そうかい、最終確認だ騎士アーサー、本当にいいんだな?」

「騎士に二言は無い!なぜなら私の中にある騎士道が、絶対に断ってはいけないと叫んでるからだ!」

「…後悔すんなよ!」



 次の瞬間、チユキの体は光り輝きながら爆散し、光の粒となってアーサーの体に纏わりついた。

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