第14話 チュートリアル1 素体編

 時はしばし遡る。



 その日は普段通りつつがなく進行していた。



 時刻は昼下がり。天気は雲一つ無い晴れ。



 心地の良い気候に人々の活力は自然と良くなり、通りの賑やかさもいや増した。



 八百屋の店主が呼び込みのために勇ましい声を上げ、その声につられた主婦たちの談笑する声。



 その足元でじゃれ合う子供らの無邪気な笑い声。



 ギルド前でハンターの一団が本日の収入について話し合い、今週もまた忙しくなりそうだと苦笑いを浮かべている。けれどもそこには悲観は無く、仲間と一緒ならいくらだって稼ぐことが出来るという自信が確かにあった。



 そのような光景は町の至る所で見ることが出来た。



 それはごくありふれた日常の一風景だった。



 穏やかで、それでいて活気に満ち、誰もが明日への期待を胸に自らの役割を全うする。



 これこそが平和と呼べることなのだろう。



 しかし、その平和を脅かす、招かれざる客がやって来た。



 気付いたのは雑談をしていたハンターの集団だった。



 いつのまにか彼らのすぐ近くに大柄な人物が立っていた。



 身長は2メートル程で、襤褸で頭まですっぽりと覆っているため表情は全くうかがえない。しかしどことなく人を馬鹿にしているような雰囲気が漂っていた。



 それだけなら背の高い、薬でもやっている浮浪者か何かと彼らは思っただろう。今の時代それくらいなら裏路地に行けば腐るほど見られるからだ。



 しかし何か変だ。



 何というか、、彼らにも説明できない様な薄ら寒いものをこの人物から感じ取った。



 それは命のやり取りを日常的に行うハンターとしての勘だった。



 もしかしたら噂の堕天教団なる者かもしれない。彼らは互いに顔を見合わせ、不審な動きがあれば即座に動けるように警戒しながら、怪しげな人物に近づいていった。



 とおもむろには纏っていた襤褸を脱ぎ去った。



 あ、と彼らは声を上げた。



 襤褸の中から出てきたのは人間ではなく、2メートル近い大きさのネズミだった。



 2メートルを超す鼠なら彼らも何度も戦ったことがある。それだけなら驚くに値しないだろう。彼らを驚かせたのは、その鼠の体が鋼鉄で形成されていた事だった。



 メタリックなボディは陽光を反射して鈍く輝き、前歯に該当する部分から生えた一振りの短剣は恐るべき切れ味を予感させて余りある。



 突如出現した鋼のネズミの出現に、ハンターたちは駆け寄ろうとしていた姿勢のままあんぐりと口を開けて硬直した。



 鋼鉄の怪物どこかのアホが現れ、町のどこかへと姿を消した記憶はまだ新しい。



 鼠は驚いて硬直するハンターを一瞥すると、全く前触れもなく前進し、最も近くにいたハンターに体当たりを食らわせた。



 彼らハンターグループ『ロックガン』はそこそこ名の売れたハンターチームとして知られている。



 個々の実力はそれ程でも無いがチームでの狩りに長けており、時には実力以上の大物も倒すこともある。



 それだけあって実の入りも悪くなく、全員に鉄製の防具が行き渡っており、リーダーにいたっては全身が岩で構成された魔物『ゴーレム』の体を構成している岩を加工した鎧を身に纏っている。



 ゴーレムの岩を加工した防具は軽く、こと物理防御にかけてはベテランのハンターですら重宝する程の抜群の防御性能を誇る、があっさりと砕け、装着者であるリーダーの肋骨を砂糖菓子か何かの様に叩き割った。



 そのままリーダーは鎧の破片をまき散らしながら、地面と水平になる程の勢いで吹っ飛んでいった。



 この間、瞬きする時間すらかかっていない。リーダーがギルドの壁を突き破る凄まじい衝突音が辺りに響き、驚いて鹿の様に棒立ちになって音のした方を見る人々を鼠は嘲笑うと、まるで見せつけるかのように残ったロックガンのメンバーに躊躇無く襲い掛かった。



 さすがに命の危機が迫ると硬直も解けたのか、慌てて各々武器を構えて迎撃しようとしたロックガンのメンバーだが、大型の獣に歯向かう虫の如くあっさりと蹴散らされた。



 盾を構えて突進するハンターを盾ごと『前歯』で叩き切り、切り掛かってきたハンターの脇に瞬時に回ると、眼前から消えたことに彼が気づくよりも早く、鼠はがら空きの胴にフックを叩き込んだ。



 魔法を撃とうと杖を振り上げる魔法使いに気づいた鼠は瞬時に反応し、瞬く間に距離を詰めると、まるで瞬間移動の様に目の前に現れた鼠に驚愕して固まる魔法使いに、鼠は嘲笑う様にチュウと鳴き、容赦ないボディブローをねじ込んだ。



 凄まじい轟音に慌てて駆け付けたハンターが来る頃には、十数名いたロックガンのメンバーは全て地に沈んでいた。



 と、鼠は駆けつけてきたハンターたちに気が付き、そちらに振り向いた。



 その瞬間、鼠の表情がパッと輝いた。赤い光にしか見えない瞳はどこか気色に滲んでいる。まるで楽しい玩具を見つけた子供の様に。



 それから鼠とハンターたちの戦いが始まったのだが、結果は先程のロックガンのメンバーとさして大差なかった。



 衝撃の原因を探るためにチユキとアグラヴェインは飛び降りたわけだが、衝撃が走ってからすぐに行動したにも拘らず、すでに多くの人が鼠の手にかかって地面に横たわっていた。



「な、なんじゃぁこりゃあ……」



 道のあちこちに怪我人が横たわり、苦痛にのたうち、あるいは胎児の様に蹲って痛みに呻いていた。断続的に響き渡る打撃音や地響きにさながら戦場にでも迷い込んだ錯覚に陥る。



「大方貴方を連れ戻すために神器がやって来たのでしょうな。いやはやしかし手の早い事で」

「っ!大丈夫ですか!?」



 感心したように呟くアグラヴェインの横でチユキは顔なじみのハンターが倒れている事に気づき、急いで駆け寄って介抱した。



「うぅ…チ、チユキ……」

「嘘だろ、ロックガンのメンバーが全滅してるじゃないか…」



 傷の具合を確かめ、命に別状はなさそうな事にほっとしたのも束の間、周りに倒れているのが彼の所属するロックガンのメンバーだという事に気づいたチユキは、驚きを隠せなかった。



 チユキは彼らと話す機会も多く、それだけあって彼らの実力もよく知っている。



「いったい何があったんですか?あなたたち程の手練れがこんな」

「お、俺たちの事は良い…。それより他の奴らを、た、助けてやってくれ……」



 そう言うとハンターは力尽きた様に意識を失った。



 まだ戦闘は続いているようで、断続的に轟音が聞こえ、その度に誰かの悲鳴が必ずついてきた。



 速く向こうに行かねばならぬのは承知だが、しかしこのままにしておく訳にもいかない。



 はやる気持ちを抑え、チユキは手早く周囲を見回して手の空いている者を捕まえると(混乱している者はひっぱたいて無理やり正気に戻した)倒れているハンターらをギルドへ運び込むように指示した。



 おっかなびっくりだが、指示通りに怪我人を運び込む人々を見届けると、チユキは急いでロックガンのメンバーを半壊しているギルドの中へ担ぎ込んだ。



 しかし、ギルドもまた蟻の巣を突いたかの如き混乱の中にあった。



 このギルドは大規模な討伐船や遠征をやったことが無く、職員もまた経験が浅いものが多かったため、こういう事態が起きた時の対応が上手くいっていなかった。



 次々運び込まれる怪我人の対処に手いっぱいで、ギルド内、ひいては外の混乱を収めるまで手を回すどころでは無かったのだ。



 チユキは思わず舌打ちを零し、とりあえず手近にいた職員をふん捕まえると急いで指示を出した。



「んお何だ…ってチユキ!」

「サンダーさん、今から言うことをよく聞いてください」

「え、でも今」

「つべこべ言うな、黙って聞きやがれ!」



 チユキに怒鳴られ、一瞬で頭の冷えた同僚はチユキの指示を口を挟むことなく黙って聞いた。



「別に難しいこと言いません。ただとにかく落ち着いてください。それから急いで教会から神父やシスターどもを呼んできてください。連中なら多少は回復魔法が使えるでしょうから。いいですね?」



 同僚は頷き、急いで彼の指示を他の職員に伝えて回った。



 それが多少は効いた様で、先ほどに比べるとずいぶんと手際が良くなったように見える。



 チユキはそれに満足したように頷き、急いでギルドを出ると戦闘が行われている方に駆け付けた。



 そこでは鋼鉄の鼠が数多のハンターを蹴散らしていた。



「チュハハハハ、非神器の屑!」

「「ぐああああああああ!!!」」



 それは異常な光景だった。



 屈強なハンターたちが、たった一体の鋼鉄の鼠に触れる事すらできずに造作も無く倒されていく。



 魔法を撃つ者があった。大剣で切り掛かる者がいた。弓矢で攻撃する者がいた。その全てが造作も無くかわされ、ほんの一時で地に叩きつけられていた。



 個が多を蹂躙しているという異常な光景に、チユキは信じられないという様に茫然としている。



「あれが神器という物です、凄まじいでしょう?」



 いつの間にか横に立っていたアグラヴェインが、同意を求めるようにそう言ってきた。



 チユキは茫然としながら頷いた。



 まさか神機の戦闘力がこれ程高いだなどとチユキは思いもしなかった。ただ漠然と自分より上程度、と位にしか考えていなかった。



 とんでもない思い違いだ。まさに一騎当千の怪物じゃないか。



 チユキはぞっとした。あの冗談みたいな見た目の存在が持つ、冗談のような戦闘力に。そしてにだ。



「固まっているところ申し訳ありませんが、そろそろ転化してはどうですか?」

「は?」

「は、ではなくて、戦うのでしょう?」



 チユキは思わずアグラヴェインの方を見た。



「こんな大勢が見ている目の前で転化?正気か!?」

「おや、ではあれを放置する気ですか?」



 アグラヴェインは顎をしゃくった。その直後に絶叫が轟き、チユキは弾かれたようにそちらの方へ顔を向けた。



「ぐあああああああ!?」



 ちょうどそのころ鼠が『前歯』でハンターを鎧ごと袈裟懸けに切り裂いた所だった。



 夥し血が、絶叫と共に迸った。切られたハンターは傷口を抑えながら仰向けにひっくり返った。



「あぁ、あれは長く持ちませんね、で、どうします?」



 最早問答している時間などなさそうだった。



 攻撃の対象がハンターだからこそ今のところ死人は出ていないが、このままいけば戦えるハンターは一人残らず片づけられてしまうだろう。



 そしてあの鼠があんな程度暴れたくらいで満足する訳が無い。その矛先は民間人にも及ぶはずだ。そうなればどのような惨劇になる?



「く、くそ、くそ、クソ、畜生!」



 チユキは腹を括った。



 しかし覚悟は決まったものの、周りの目を気にして後一歩がどうしても出せなかった。



 アグラヴェインはただ黙ってチユキを見守っている。



「チュチュ~、止めを刺してやるっチュ~!」



 そうこうしている内に、鼠は倒れたハンターに『前歯』を突き立てようと嬉々として駆け寄り、大きく仰け反った。



 その瞬間時間の流れが遅くなり、世界は色を失った。同時に過去の映像が脳裏に一瞬で駆け巡った。



 ゴブリンに殺されて動かなくなった男。天井から垂れ下がった男の死体。深く掘られた穴の底に置かれ、土を被せられて徐々に見えなくなってゆく3つの棺。



 まだ生きていたころの「彼」の顔。



 次々と脳裏に浮かんでは、泡のように消えていく。だが最後に見えた「彼」だけは頭の中に居座った。



 相変わらず彼は何も語らず、ただ糾弾するかの様にこちらを睨みつけている。



「―――――――――ッ」



 チユキの中で、何かが音を立てて千切れた。その瞬間に時間の流れは戻り、世界は色を取り戻した。



「ル゛ォ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!!!」



 視界がほんの一瞬だけ鋼色に染まり、気づいた時には鋼鉄の鼠が目の前にいた。



 鼠は今まさに前歯を振りかぶっている最中で、ハンターの腹部に『前歯』が突き立てられようとする寸前だった。



 チユキは鼠に気づかれるよりも早く、疾走の勢いのままタックルを決めて跳ね飛ばした。



「チュア!!?」



 それまで攻撃が全く当たらない、もしくはどんな攻撃にも身動ぎ一つしなかった鼠の体はあっさりと跳ね飛ばされ、まるで砲弾で射出されたかのように吹っ飛んだ。



 チユキは吹っ飛んでいった鼠に目もくれずに傷ついたハンターを抱え上げると、ギルドの中から出てきた同僚の前に超スピードで近づき、抱え上げていたハンターを投げ渡した。



「それ頼んます」

「え?あ、あぁ分かった……、ていうかお前」

「質問に答えている暇はないです。さっさと連れてってください」

「でもお前」



 まだ何か言いたそうにする同僚に、チユキは凄まじい剣幕で怒鳴りつけた。



「グダグダ抜かしてる暇があったらさっさと動け、この馬鹿!今がどういう状況すら分からんか!」

「ひぃ!!」



 鋼鉄の瞳に睨まれ、人ならざる者の憤怒に晒されれば、同僚の中に合った疑問などたちまち吹き飛ばされた。彼は何度も頷くと、逃げるようにギルドの中へ入っていった。



 チユキは舌打ちすると(この状態で舌など無いが)、再び超スピードで動きアグラヴェインの隣へと移動した。



「これで満足か?」



 チユキは見せつけるように両手を広げて見せた。



「それがあなたの素体状態ですか……」



 チユキの問いにアグラヴェインはそっけなく返したが、内心凄まじく驚愕していた。



(何だ彼の素体は!?こ、これはまさか?馬鹿な!それに一部でなく全身が剣で構成されているなど……、チユキさん、あなたは一体……?)



「クソ、見てみろよ連中の目、まるで変な物を見る目つきをしてやがるぜ」



 言われてアグラヴェインは周りを見てみると、確かに皆信じられないといった目でチユキを見ていた。



 だがチユキの言うような変な物を見る目をしている者は、アグラヴェインからすれば一人もいないような感じだった。、そういう驚きだった。



 そうとは知らず、チユキは捲し立てるように話を続ける。



「だから人前で変身なんてしたかなかったんだ、おかげで俺はもう二度とこの町に居られなくなった」

「何故?」

「何故?何故かだと!」



 チユキは糾弾するような眼でアグラヴェインを睨め付けた。



「連中が俺のような化物を今まで通り扱うとでも?」

「それに関しては心配することはありません、王都では神機は護国の兵士としてもうすでに知れ渡っていますからね」

「はっ」



 アグラヴェインの言葉を鼻で嗤い、まだ何か言おうとしたが、凄まじい殺意を感じ、そちらの方に首を巡らせた。



「……お喋りは終わりだ、とっとと離れな」

「えぇ、ご武運を」



 思っても無い事をほざくな。



 出かかった言葉を何とか飲み込み、安全圏へ離脱するアグラヴェインを見届けると、チユキは正面を見据えた。



 それと同時に、彼の正面5メートル地点に隕石の様に鋼鉄の鼠が降ってきた。



「チュア~、お楽しみの最中に攻撃とは生意気なぁ~」

「そうか、そいつは悪かったな」



 憤り、凄んでくる鼠にチユキは無感情に言った。|



「まあいいチュ、お前をぶち殺せば教団がさらなる地位をつけてくれるって言ってたっチュ~、おとなしく俺様にぶち殺されろ!」

「チュウチュウチュウチュウと鼠のくせによく喋る、ドブネズミっていうのは視覚にも聴覚にも本当に不快だ。で何度野菜をダメにされたと思っているんだ」



 チユキは鼠の言葉を一蹴し、冷たく言い捨てた。



「ど、どどどドブネズミ…だと…?」

「それ以外にお前を何て表現すればいいんだ?臭い鼠?」



 チユキがせせら笑うと、鼠は激昂して飛び掛かってきた。



 こうして、記録されている歴史上初めての神器同士の戦いが幕を開けた。





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