第13話
「やあやあご無沙汰ですなぁ」
「あ、あなたは…そうか、生きていたんですね」
あの地下施設から抜け出せたのは自分の班の者だけだと思っていたから、この再会は意外だった。
チユキの言葉に男は一瞬眉を顰たが、チユキの経緯をある程度把握している彼はそれもそうかと1人頷き、薄笑いを浮かべたまま肯定した。
「私も意外でしたよ、まさかあなたがここに戻ってくるとは」
「お互い自分の事で精一杯でしたからね。こうして互いの無事を確認できてよかったです」
「えぇ私としても探す手間が省けました」
男はそう言い、静かに立ち上がった。
男の含みのある言葉にチユキは何か引っかかりを覚え、それはどういうことかと問おうとした。
が、それは叶わなかった。
男の魔力が急激に膨れ上がり、その見た目からは考えられない程の殺気が発せられたからだ。
「なっ…!?」
チユキは思わず後退った。男は机を回り込んで彼の前に立った。
「そう言えばあなたにはギルド高官としか名乗っていませんでしたね。改めて自己紹介をさせてもらいましょう。私はバリテン王国軍、諜報部隊隊長、アグラヴェイン!」
アグラヴェインの足元の影が不意に波打ち、半径2メートルほどに広がった。
「さぁ~教団の神器よ、洗いざらい話してもらいますよぉ~!あなたが企んでいることをねぇ~」
広がった影から幾本もの触手が生え、今にも飛び掛らんばかりに鎌首をもたげた。闇魔法のシャドウウィップである。
「教団の神機だと?何を言っていやがる!」
「教団に神機にされた者がこうして大人しく戻ってくる訳が無い。企みがあると考えるのが妥当でしょう」
確かに拉致された人間が自力で戻ってきた、などという話は普なら疑いを持って当然だ。教団という攫った者に改造手術をするという噂がある団体に拉致されたというならなおさらの話だ。
そりゃそうか、とチユキは納得しかけたが、しかし実際の所企みなんてありはしないのだから、彼からすれば謂われなき追及も甚だしかった。
「ふざけんじゃねぇこの役人が!そんなものはねぇ!俺はただ自分の居場所に戻って来たってだけだ!それ以上なんてあるもんか!」
「神器が?こんなところに?大人しく?はははぁ、嘘もここまでくると逆に感心しますよ」
チユキは必死で訴えたが、向こうは聞き入れてはくれそうに無かった。
畜生、どうすりゃこいつは俺の言うことを信じてくれるんだ!?俺が神器だって事もバレてるし、何を言ってもダメですー、嘘ですー、バカー、アホー、死ねーって返ってくるビジョンしか浮かばねー!
ていうか何だこの超展開は!!?そりゃいつかはこうなるだろうと思ってたけど、いくらなんでも早すぎるだろ!もうちょっと心の準備をさせてくれたっていいだろ!
苦い顔を浮かべてチユキは嘆いた。
しかしいくら身構えていたところで、運命はこちらの都合など酌んではくれない。ある日突然目の前に現れては、否応なくこちらを巻き込んで押し流してゆく。
お前など世界の流れの前では無力だとでも言う様に。
理不尽だ。ふざけるなと言ってやりたい。
こんな糞たれな世界にも。目の前にいるこいつにも。
腹の中でどす黒い憎悪がマグマの様に煮え滾った。理不尽な運命への怒りは際限なく高まり、一瞬でチユキの心を沸騰させた。それは元から彼の中にあった世界への憎悪だった。
一体どうしてこんなにも世界という物は理不尽なんだ?一回死んで生き返って、それでもう一度転生させてもまだ足りないっていうのか?
そして世界への憎悪は別のナニカ、ここ最近彼に宿った強大な力と結びつき、今にも飛び掛らんばかりに体の中を駆け巡った。
心の奥底に押し込んであった負の感情がこれを契機とばかりに噴出し、心を憎悪の炎で焼き尽くさんばかりに轟々と燃え広がった。
アグラヴェインは戦慄した。
チユキは気が付いていないが、彼の体からはアグラヴェインの殺気を上回る超高密度の殺気が放たれていた。
その殺意はまるで刀の如き切れ味を持ち、アグラヴェインを心胆から寒からしめた。諜報部に所属し、神器に関わる任務を何度も請け負ってきた歴戦の猛者が、である。
(これがまだ『転化』すらしていない神機の殺気だと!?馬鹿な!?何だこの力は!?)
そのあまりの殺意に、暗殺者はほぼ反射的に影の鞭を放った。圧倒的な殺意に身をすくませているにも拘らず攻撃に転じられたのは、ひとえに今まで培った経験からの賜物であった。
殺到する無数の闇の鞭。常人が受ければたちまち肉は裂け、最悪切断されてしまう威力がある鞭。それが複数。
通常、闇魔法は操るのが難しい魔法として知られており、使い手もまた希少であるため、鍛錬方法はもっぱら自分自身で何とかするしかない。それ故あまり練れていない使い手も多い。
にも拘らずこれ程洗礼され、まるで呼吸するかのように複数の影鞭を操るという絶技とは。一体どれだけの修羅場をこの男は潜ってきたのだろうか?
影の鞭はチユキを無力化すべくそれこそ影すら振り切るほどのスピードで突き進んだ。タイミングは完璧。何処へ逃げても絶対に一発は当たるように放った一撃である。
まして俯いて微動だにしないギルド職員一人、除けられようはずも無し。
だが到達する寸前、鋼色の閃光が宙を走った。
アグラヴェインは目を剥いた。
肉を裂くはずだった影鞭は、すべてが半ばから断ち切られた。
見ると、ターゲットは俯いているのは変わりないが、右腕だけがまるで振ち抜いたように上がっており、肘から先が無骨極まりない長剣へと変化していた。
暗殺者はごくりっ、と生唾を飲んだ。
チユキはすでに顔を上げていた。
彼の顔は何の感情も読み取れ無い全くの無表情だった。唯一感情を窺える鋼色の瞳は煌々と輝き、絶対零度の憎悪がアグラヴェインを射抜いた。
暗殺者の背に冷たいのもが走る。
(違う、この男は今までの神器とは明らかに違う!冷たすぎる!神器特有の燃え盛る炎の様な激情がまるで感じられない!こいつは一体何なんだ!?)
しかし……。
緊張状態は際限なく高まり、あわや激突寸前にまで高まろうとしたその時、チユキから放たれていた殺意が不意に霧散した。
どれだけ文句を言おうが、賽はとうに投げられたのだ。もはや後戻りはできない。
理性の雪が心の中で吹き荒れ、沸騰していた頭を瞬間的に冷やした。
それは前世と今世で培った理性の賜物か、はたまた神機としての彼の性質なのかどうか。ともかくチユキは落ち着きを取り戻し、心は再び理性の雪に埋もれた。
アグラヴェインは体にかかっていた重圧が消えたことに内心ほっと息をついたが、しかし未だ警戒は解かず、影の触手も鎌首をもたげたまま微動だにしない。
チユキはため息をつき、アグラヴェインの目をじっと見つめ、戦う意思はない事を伝えた。彼はチユキの意図に気付いたようで、互いに訝りながら睨み合う時間がしばし続いた。
やがて両者は体の力を抜き、臨戦態勢を解いた。影は音も無く地面に溶け、アグラヴェインの影に戻っていった。
「……話し合おう」
「……えぇ、そうしましょうか」
チユキの提案に、暗殺者はゆっくりと頷いた。
*
「ていう事はあの作戦はあくまでギルド内から出された作戦だったんだな?」
チユキは陰気な笑みを浮かべる暗殺者に確認する様に聞いた。
「そうです、この作戦はギルドに潜んでいた教団の工作員が貴方を誘き出す計画に便乗して立案された作戦でした」
アグラヴェインは頷き、それから詳細に語りだした。
「作戦は貴方を別の班に分け、孤立したところを攫うというシンプルな物でした。その作戦は私たちとしても好都合でした。きっと貴方を捕獲するために多くの教団員が向かうでしょうからね。そっちに注意が向いている隙に研究成果や資料の奪取、神機がいた場合は可能なら捕獲、無理なら情報だけでも持ち帰る。それが私たちが立てた作戦です」
「俺ははじめから囮として見捨てられたわけだな」
チユキの語り口は静かなものだが、その目は再び鋼色に変化しており、内心の怒りの激しさを物語るように煌々と輝いていた。
「……私たちは暗部です。そういう命令を出されない限り人殺しは極力しないように心がけていますが、必要なら私たちに躊躇いはありません。あなた一人の命でこの先何人もの命が救われるかもしれない情報が手に入るのです。なら私らはあなた一人生贄にするくらい訳ない」
暗殺者の淡々とした語り口に、チユキの目はすっと細まった。
アグラヴェインはまたあの恐ろしい気が放たれるのではないかと身構えたが、チユキは何もせず、ただ舌打ちだけして話の続きを促した。瞳の色も元の黒色に戻っていた。
「(これだけの話をして尚かかってこないのか……。神機どころか普通の人だって殴り掛かってくる話だろうに)作戦は貴方の犠牲のおかげで上手くいきました。部下の犠牲も無し。楽なもんでしたよ」
内心冷や汗を流しながら、それをおくびにも出さずさも悪びれていますという風に飄々と言った。
「部下?もしかしてあのフード被った陰気な連中か?」
チユキはブリーフィング時にいたフードを被った黒ずくめの一団がいたことを思い出した。
「えぇその通り、よく覚えていましたね」
「はん、あんなのいかにも私たちは暗部です、て言っているような物じゃないか」
チユキは鼻で嗤ったが、アグラヴェインは一切構うことなく話を続ける。
「できれば改造されたあなたの身柄を確保しようと思っていたのですが、探すのに手間取ってしまいましてね。あなたのいた手術室を見たらすでにもぬけの殻でした」
「……俺が抵抗して暴れるとか考えていなかったのか?」
肩を竦めるアグラヴェインに、チユキは無感情に聞いた。
「あなたのような民間人が神機にされたくらいで実はそれ程脅威では無いのです。押収した資料からあなたに組み込まれる予定の武器は平凡極まりないものでした。素材になる者や物によって概ね神機の力は決まります。それにそもそも手術の成功率も低いのですから貴方の事は捨て置いたわけですが、まさかこんな物が出てくるなんて思ってもいませんでした」
物ね。なるほど、神器になればもう人扱いはされないらしいな。
アグラヴェインの物言いに再び心を怒りが占め始めたが、そんなことで怒っていてもきりが無いと、半ば諦めたようにそれを心の中へ押し込んだ。
「ふん、ただの神器でなくて悪かったな。ただの神器だったら沈静化という大義名分で堂々と攫えたもんな。いやぁ~ほんと残念でしたね」
語気に含まれるあからさまな嘲笑と侮蔑に、さしものアグラヴェインの口端も引くついた。
その様子に、チユキは胸のすく思いがした。さっきからさも余裕そうな態度をしていたから、これは僥倖だった。
だがこれ以上は話が進まなくなるな、とチユキは軌道修正に計った。
「まぁそういう事さ。俺は改造前と何も変化はないってことを言いたかったのさ」
「……でしょうね、普通の神器ならさっきの威圧した段階で『転化』して襲って来るはずですから」
「『転化』?」
チユキの疑問に彼は頷いた。
「はい、我々は貴方方神器が『素体』に変化することを『転化』と呼んでいます」
「素体、転化……そう言えばあんたはさっきから俺の事を普通の神器じゃないって言ってたけど、そりゃどういう意味だ?」
チユキの疑問に、アグラヴェインは謎めいた笑みを浮かべた。
「神器っていうのはですね、なった瞬間、程度は人によりますけど、とても攻撃的になるんです」
「ふぅ~ん……」
チユキは支部長の事を思い出した。
確かに奴は俺の挑発にすぐにキレてたな。
「思い当たる節があるようですね。彼らは少しの事で怒り、その身に宿る超人的な力を思う存分に発揮し破壊の限りを尽くします。訓練次第で押さえることはできますがね」
「は、まるでガキの癇癪だな」
チユキは男の説明に鼻を鳴らした。
「だからあなたは普通じゃないんです、神器にしてはあまりに大人しすぎる、まるで人間の様です」
「そりゃ今でも人間のつもりだからな、何より別にデカい力を持ったところで俺にはビジョンが無い、やりたいことも無いから、力を振るう理由も無いのさ」
チユキは肩を竦めて言った。
「普通強大な力を持ったら振るってみたくなるのが人という物ですが、欲が無いんですね」
「上辺だけの言葉など結構だ。無気力な人間とせせら笑えばいい、どうせ腹の中じゃそう思ってんだろ?」
チユキは吐き捨てながら煙草を取り出して咥え、マッチを取り出して火をつけた。
「う~ん、やはりあなたは普通の神機じゃない、……やはり何かあるのでは?」
疑惑の目に答える代わりに、チユキは紫煙を吐きながら中指を立てた。
「元気があってよろしい。改造された悲観もなさそうで何よりです」
開き直ってるだけだ。
チユキは冷ややかに目の前の男を眺めやった。
「さてそんなあなたに私から提案です、私と一緒に来てください、あぁもちろん強制はしませんが」
とは言うが、彼の境遇からすれば了承する以外に道は無いに等しかった。
「それしか道は無い、か」
「私たちに保護されない場合あなたは四六時中教団の目に怯えることになりますよ?故郷の人たちは?我々につかない場合彼らも危うくなるかもしれませんね」
「脅すなゴミめ。始めからお前の提案を蹴るつもりはねぇ。国家権力に逆らうなんて愚の骨頂。さっさと連れてけ」
「それは結構ですが……良いのですか?今ついている仕事やこの町に未練は無いのですか?」
あまりにあっさりとした回答に、やや戸惑う様にアグラヴェインは確認する様に聞いた。
「こんな所に未練はねぇよ。ずっと辞める機会が欲しかったんだ。新しい事を始めるためにな。むしろ丁度良かったよ。……お前らのとこは給料は良いのか?」
チユキの物言いに少々あっけにとられたアグラヴェインだったが、最後に付け加えられた言葉に正気に戻り、始めに会った時と同じ笑みを浮かべながら頷いた。
「え、えぇ。あなたの所属する予定の神機部隊は暗部とはいえ国の直属の部隊ですからね。それはもうギルドの下っ端とは比べ物にならない額が出ますよ」
「あそ、ならいい」
それで話は終わりとばかりにチユキは口を閉ざした。
「そ、そうですか。で、ではいきましょうか。ギルドの方とはすでに話は付いておりますからね。後は貴方を王都のバリテン城ヘ連れて行けば私の任務は終了です」
「ならさっさと行こう」
「……同僚とか世話になって人等へお別れの言葉とかいいのですか?」
「いらねーよ。向こうは俺の事を便利な道具くらいにしか思っちゃいないよ。時間の無駄だ、さっさと動け」
アグラヴェインの提案をチユキは一蹴した。
これ以上言っても無駄だと悟ったアグラヴェインはため息をつき、言われた通りチユキを連れていくべく外に出ようと率先してドアに向かって行った。
その時、どん、と振動が走った。
「下の階からしましたね」
アグラヴェインは一瞬で暗部の顔になるや、素早く今しがた発生した衝撃の出所を言い当てた。
2人は目を見合わせ、それからほぼ同時に窓へと駆け出し、躊躇無く身を投げ出して外に飛び出した。
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