第12話
チユキはその後変身したままの状態で町手前まで走り、変身を解いてから町の中へ入った。
夕暮れ時なのもあってすでに人影も少なく、チユキは誰にも引き留められることなく家までたどり着くことが出来た。尤も引き留めるほど親しい者などこの町にはいないからそんな心配する必要も無いのだが。
次の日、チユキが職場に顔を出すと職員のみならずハンター含めた全員が驚きのあまりどよめいた。
ギルド中から視線が集中するというあまり馴染みの無い事態に、チユキは居心地悪そうにしながら奥へと進んでいった。
自分如きが消えたくらいでそこまで驚くことだろうか。チユキは不思議に思い、丁度近くにいた顔なじみのハンターに話を聞くことにした。
彼の話によると、なんと自分がいなくなってから1週間が経過していたという。
精々2~3日くらいの出来事だとチユキは思っていたから、チユキ自身も驚きを隠せなかった。
しかしこの世界では依頼を受けて2~3日連絡が取れないこともざらで、1週間くらい姿を見せないからといってそれで行方不明だと騒ぎ立てるのはどうだろうか。
全くこいつらときたら!人が不幸に陥ってるのを見て好き勝手な憶測でさぞ話も弾んだんだろうな!
チユキの眉間に一瞬だけ血管が走ったが、よくよく考えればそれはあくまでハンターならば話で、職員が連絡なしで1週間も姿を見せないとなればそう考えるのも無理は無いか、と思い直し、チユキは怒りを幾分か和らげた。
それから彼が行方不明になった原因の噂について話を聞かせてくれた。
ある者は魔物に襲われたからと言い、ある者は事故にでもあって身動きできないからと言い、またある者は帝国の陰謀に違いないと言い張っていたという。
どの話も馬鹿らしい事この上ないが、異常者の集団に拉致されて改造されたという物狂いの妄想のような真実な訳だから、これらの荒唐無稽な話もあまり馬鹿には出来なかった。
そして彼が一番驚いた話といえば、なんと今日まで毎日捜索隊を結成して付近を探し回っていたことだ。
その捜索隊に参加した者はかなり多かったらしく、その中にはハンターですらない者まで含まれていたという話だから驚きだ。
よくもまぁ俺一人のためにそこまでやる事だ。ハンターですら無いのが参加するくらいだからよほどいい値段の金が出たんだろうな。
チユキは鼻を鳴らした。
ギルドも狡いこと考えるもんだ。職員が行方不明になったと見るや即座にイメージアップ行為に努めるんだからな。全く、これだから大規模な組織ってやつは!
話してくれたハンターに礼を言いながら、チユキは心の中で毒づいた。
「何はともあれ、あんたが生きてくれてよかったよ」
ハンターはチユキの目をまっすぐに見つめ、心からそう言った。周りのハンターたちも口々に彼の生存を喜ぶ言葉を送った。
思ってもいない事をぺらぺらとよくほざく。
「…えぇ、お気遣いありがとうございます」
しかし心からの言葉も荒みきった心の持ち主であるチユキには届かず、愛想笑いで答えるとくるりと背を向け、カウンターを抜けて仕事場の方へと入っていった。
中へ入れば追及もかわせるだろうとチユキは思っていたが、職場に入るなり彼に気づいた同僚たちに瞬く間に包囲され、矢継ぎ早に言葉を浴びせかけられた。
やれ無事だったのかだのやれいったい何があっただの。何のかんのと浴びせられ、チユキは思わずたじたじになり、「あ~」とか「うん」とか声を出すのでやっとの有様だった。
ようやく解放されたころにはチユキはすっかり焦燥しきっていた。
「どいつもこいつも何だってんだ……」
チユキはさっぱり分からないとばかりに首を振り、(ここでチユキは自分のデスクがまだ存在している事に気づき、ほっと胸を撫で下ろした)ふらふらとデスクの椅子を引き、どっかりと腰を下ろした。
「あ?」
チユキは訝しく眉を顰めた。
いつもならデスクの上に山と積まれている書類が影も形も無かった。規則では書き終えた書類は必ず、例えそこに担当者がいなくとも、担当者の机に書類を置いておくことになっている。
1週間も無断欠席したのだから、それはもう目も当てられない程の書類の山が形成されているはずと思っていた。なのにそれが無いとなると……。
チユキの中に恐ろしい憶測が生まれた。
まさか大量にありすぎてどこか別室にでも隔離されているのではないか?
別室に置かれた天井まで付かんばかりに山積みされた書類を想像し、さっと顔を青くしたチユキは同僚に掴み掛らんばかりの勢いで書類のありかを聞いた。
チユキの焦りとは裏腹に、同僚はにこやかに笑いながら思いもよらぬ言葉を吐いた。
「あぁ、それならみんなで協力して何とか終わらせておいたよ」
「はあ!?」
チユキは驚きのあまり目を丸くした。聞き間違いかと思った。
「は、終わらせた?てめーらが!?」
驚きのあまり口調が素になっているのにすら気が付かず、チユキは思わず聞き返した。
「あぁそうさ」
同僚はあっさり認めた。
「しかしお前ほんと凄いな」
と同僚は神妙な顔つきでチユキを真っすぐに見つめて言った。
「いつもあの量の書類を一人で捌いてるんだもんな、それなのに俺たちときたら!お前にどれだけ負担がかかっているか知りもしないでずっと丸投げしていたんだ。お前がいなくなって初めてそれを痛感したよ」
話を聞いていた他の同僚も一緒になって頷き、口々にチユキの仕事ぶりを称えた。
あぁチユキのおかげでこの部署は何とか回せてるようなものだぜ。すまない、俺たちが不甲斐ないばかりに。そう思うなら少しは誤字減らせこの馬鹿。何だと、お前だって似たようなものじゃねぇか。あ、やるか貴様。止めなよ男子ー。
多少話が逸れて険悪な雰囲気が漂ったものの、チユキへ感謝の言葉を贈るという部分はブレず、浴びせかけられる感謝の言葉にチユキはむずがゆそうに身じろぎした。
「いつもありがとう。これからも、よろしくな」
「はぁ…」
肩をぽんぽんと叩いて去ってゆく同僚の背中を目で追いながら、チユキはやけに気遣ってくる同僚やハンター達にさっぱり訳が分からないとばかりに頭を掻いた。
何だこれは?こいつらどういう風の吹き回しだ?何なんだ、新手の陰謀か?目障りになった俺を追い出すために職員全員が団結して俺から仕事を取り上げようとしているのか?
頭の中に浮かぶ大量の疑問に、しかし答えになりそうなものはついに浮かばなかった。
釈然としないまま、チユキは手渡される書類を受け取り、普段通りチェックをした。チェックし終えると、誤字や計算ミスが普段に比べ格段に減っている事に気が付き、3度目の驚愕に襲われた。
これだけ特別少ないだけかと思い他の書類も確認するが、どれもこれも同じ様にミスが少なく、すべての書類チェックを終えてもまだ日は沈み切っておらず、他の職員と同じ時間に帰宅することが出来た。
「信じらんねぇ……」
チユキは茫然とした様子で出口のそばで固まりながら、ぼそりと呟いた。
「いつもならお前まだこの時間までやってるんだもんな」
「ほんと、頭が上がりませんよ」
「俺らはこれから飲みに行くけど、チユキ先輩はどうします?」
「え?あ、あぁ、俺はやめとくよ、うん」
「そうすか、それもそうですよね、じゃ、また機会があったら一緒に飲みに行きましょう」
「お、おう」
去り行く同僚の背を目で追いながらチユキは未だ事態に頭が追いついておらず、気が付けばすでに自宅につき、夕食を取り終えていた。
「えぇ……?」
どうやらここまでずっと上の空でいたらしい。途中までの記憶がまるで無い。
チユキは頭を振って立ち上がって空の食器を流し台に放り込み、鍋を取り出して牛乳を入れ、デンジンジャー蜂蜜入りのホットミルクを作った。
チユキはどっかりと腰を下ろしデンジンジャー蜂蜜入りホットミルクを一口飲んだ。蜂蜜の甘さが心地よく口に広がって気を静め、デンジンジャー特有の甘さの中に潜むピリッとした刺激が体を優しく温めてくれた。
チユキはほうっと息を吐いた。やっと一息付けた気がした。
しばらくの間何も考えずちびちびホットミルクを啜り、コップの中が空になるとようやくチユキは今日一日について改めて振り返ってみた。
本当に今日は奇妙な一日だった。ハンター共も、同僚もそうだったが、一体どういう風の吹き回しだ?
チユキは腕を組んで熟考した。
どいつもこいつも仕事ではそれなりに話したりするけど、プライベートでの接点は皆無だ。
感謝される意味も分からん。何かしら手伝ったり悩み相談を受けたのも仕事の範疇だからだ。俺はただ仕事を黙々とやってただけで、親切心からやった事じゃない。連中だってそれくらい理解してるだろ?
チユキは眉間にしわを寄せ、むっと口を結んだ。
むしろ日ごろの行いを鑑みるに、恐れられて然るべきだと思うんだけど。
チユキは首を捻って唸った。
やはりわからん。俺がいない間に、何かあったのだろうか?
とっくり考えたが、やはり思い当たる節は何一つとしてなかった。チユキはお手上げとばかりに天を仰いだ。
ま、分からないもんは考えたって仕方は無いわな。それに感謝されて悪い気はしないんだし、ならそのまま受け入れてしまえば良かろう。
チユキは一人納得し、食器を片付けるとさっさと体を洗い、とっとと寝ることにした。
寝室に行き、ベッドに入ろうと掛け布団に手をかけ、直前で思いとどまって鏡の前にいくとおもむろに変身し、変身後の姿を満足がいくまで眺めやった。
自己陶酔たっぷりにうっとりと変身後の自分に酔いしれていたチユキだが、唐突に正気に戻り、呆れ果てたように首を振った。
何をやってるんだ俺は。馬鹿馬鹿しい。そんな下らんことに浸ってる暇があったらとっとと寝やがれってんだ。明日だって早いんだぞ!
変身を解き、チユキはもぞもぞとベッドの中へ入りこんだ。
願わくばこの状態が長く続きますように。そう祈りを籠めながら彼は目を閉じた。
はてさて1回転生するだけでも稀なのに、2回も転生を果たすという類稀な経験をしたチユキ青年の新たなる1日はこうして終わりを告げた。
体だけでなく環境まで様変わりし、初日こそ気分が高揚し、自分らしからぬ行動や言動になっていたわけだが、日常生活に戻って数日もすれば、チユキの心は再び冷たさを取り戻していた。
一時は変身願望の実現とVIPめいた待遇に心は高揚していたが、時間が経つにつれ再び理性の雪は降り積もり、初日にあった興奮もすでに鳴りを潜め、全く変わらぬ日常へとチユキは引き戻されていた。
同僚たちが見直すことを覚えてくれたため、確かに確認作業は早く終わるようになったものの、どのみち書類の数は膨大な訳だから、結局皆が帰っても一人残って残業をせねばならない時がどうしてもあった。
結局何も変わってねぇじゃねぇか!
チユキは受付で仕事に行き詰ったと嘆くハンターの話を聞きながら、心の中で憤慨した。
凄い肉体になったって別に俺の心が変化するって訳じゃねぇから行動も変わりは無いし、結局連中が面倒な仕事だの悩みだのを持ち込んでくるから環境だってあまり変わらねぇ。
つーかてめーはいつまで話してんだよ!
チユキはまだべらべらと身の不幸をくっちゃべっているハンターにばれないように小さく舌打ちをした。
長げーんだよこのフリーターが!そんなに不幸自慢がしたけりゃ娼館にでも言って社会的弱者同士で傷の舐め合いでもしてやがれ!!!どうして俺がてめーみてーな住所不特定者の話なんか聞いてやらなくちゃいけないんだよ!さっさと消えろカス!
いかにも親身になって聞いている体を保ちながら、チユキは心の中であらん限りに毒づいた。
彼は気付いていない。語り続ける背後で長蛇の列ができている事に。
「おいいつまで話してんだてめー!」
「さっさと引っ込めコノヤロー!」
「死ねー!」
ついに罵声まで聞こえ始めたにもかかわらず、自己憐憫たっぷりに浸っているハンターの耳には入らないようだ。
このまま放っていればいつまでだって話しかねない。チユキはうんざりしながら大変ですねぇと適当に相槌を入れ、それとなく後ろを見るように話を誘導した。
「えぇそう何すよ……え、後ろ?……げっ!?」
チユキに言われて背後を見てようやく察したようで、ハンターはそれまでの話を切り上げ、幾多の恨みがましい視線から逃げるようにその場から立ち去った。
「はぁ、勘弁してくれ」
「災難だったなぁあんたも」
次に並んでいたハンターに、チユキは苦笑いを作った。
「えぇ、悩み相談したいのなら教会に行けばいいのに。彼らなら懺悔室でいくらでも聞いてくる筈ですよ。場合によってはアドバイスだってしてくれるはずです」
ついでに勧誘とお布施の催促もな。
心の中でそう付け加えると、一つ咳払いして気持ちを切り替え業務を再開した。
それから特に何事も無く淡々と時間は過ぎて行き、本日の業務を終わらせた彼はまだ残っている他の職員に先に帰る事を告げるととっととギルドから出て行った。
新しくなった肉体、はち切れそうな程のエネルギーも、今の生活では宝の持ち腐れもいい所。
転職についても考えてみたが、それを考えるには長くこの仕事をやりすぎていた。
いつの間にかデスクワークに執着のような物が生まれていて、立ち仕事に忌避感を覚えている事に気が付いたのはベッドに横になり、何とはなしに天井を眺めている時だった。
このままじゃいけないと思った。
具体的に何がいけないのかは説明できないが、とにかくチユキは今のままではだめだと直感的に悟った。
くそ、昔も今もデスクワークしかしてなかったからそういうルーチンが出来ちまってるんだな。さあ新しい体です。今までの積み重ねを捨てて新しい事をしましょう、何てそう上手くいくわきゃねぇ。
チユキは苦い顔を浮かべた。
しかしさっきから何だ、この、首筋がチリチリするというか、胃がむかむかするというか。
チユキは不快そうにベッドの中で身じろぎした。
疲れが溜まっているのだろうか?仕事終わりに碌に休まないで訓練する生活はやはり無理があったか?
チユキはため息を吐き、目を閉じた。
まあいいや、とりあえず眠ろう。明日になればこの感覚も治ってるだろう。
しかし次の日になっても奇妙な感覚は残り、しかも前日より強くなっている気がした。
それは予感だったのかもしれない。次の日に起きる自分の全てをひっくり返すような出来事に出くわす事への。
だがチユキにそんな事を知るすべはなく、また思いもしなかったはずだ。
チユキは普段通りに身支度し、普段通りに職場へと向かい、普段通り業務を行った。
そしてその時は来た。
「は、支部長室に?」
「あぁ」
同僚にそう言われ、チユキは凄まじい既視感に襲われた。
「新しい支部長でも来たのかな?」
現在この支部に支部長はいない。表向きは不幸な事故にあって死亡した事になっている。もちろんそうでない事はチユキははっきりわかっていた。空いた穴は副長が補っており、更にその尻拭いはもっぱらチユキが担当していた。
「さあ何も聞いてないし、ただお前に支部長室へ行くように伝えるように託を頼まれただけだし」
「……ちなみに誰からですか」
チユキは確認する様に聞いた。むかむかするような感覚がやにわに強さを増したからである。
「誰からって……あれ、誰からだっけ?」
同僚は首を捻った。本当に誰から言われたのか分からないようだ。
「いえ、いいです思い出さなくて。分かりました。今から行ってきます」
「おう」
チユキは同僚に礼を言うと、憂鬱な面持ちで支部長室へ向かった
支部長室へ向かう足取りは重い。チユキにはこれから何が起きるのか何となく分かっていたからだ。
入り口まで付き、チユキは中へ入る前に壁に耳を当て、強化された聴覚をフル稼働させて中の様子を探った。
微かに人の息遣いが聞こえる。それも1人だけだ。
どの道、ここまで来て引き返すことは出来んか。
壁から耳を離し、チユキは改めてドアノブに手をかけた。
それが日常へ戻る最後のチャンスだったことに、彼は気が付いているだろうか。
チユキは中へ入った。
背後で扉がバタンと閉じられた。やけにその音が大きく響いた気がした。
チユキは思わず背後の閉じられた扉を見た。何の変哲もないただの扉。鍵だってかかっていないだろう。それなのに、もう戻れないと思ってしまうのはいったい何故だ。
チユキは深く深呼吸した。何とか気を静めると備え付けられている机に座っている人物にチユキは向き直った。
チユキは目を見開いた。
そこにいたのは薄気味悪い笑みを浮かべた、あのギルド高官を名乗る男だったからだ。
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