ファイル32未返却本捜索事件

 王立図書館で司書騎士フィリップに良い本を教えてもらってから、アイリーンは借りた本を丹念に読みこんでいる。


 一週間ほど前、真っ赤な顔で屋敷へ戻ってきた彼女をマギーは、不思議に思い問い詰めたのだが、「殿下のことは思い出させないで!」と言って、一心不乱に読書に耽り始めたのだ。


 しかし、彼女は読書している本の内容がエドガー殿下に関連していることは、すっかり忘れているらしかった。

(お嬢様は相変わらず変……だけど、殿下は一体お嬢様に何を?)


 今日もマギーの心配は尽きない。

 そんなことなど全く知らないアイリーンは、今、エドガー殿下の飼い猫セレナをモデルとした画集に食い入るように見ている。


「殿下の猫ちゃん、とっても可愛いのよね」

 デレデレとニヤつくアイリーンに、愛猫アランの金と青のオッドアイが向けられる。


「にゃー」

「あら! アラン、貴方もとても可愛いわよ! 負けてないわ! 最高よ!」

 そう言いながら、ぐりぐりと押し付けられるアランの白い頭を撫でて、抱きしめてやる。


「はぁ」

 一人と一匹のじゃれ合いを呆れた様子で見守るマギー。

 この穏やかな日常が、嵐の前の静けさであることに気付く者は、誰一人いなかった。




 借りていた本を読み終えたアイリーンは、お供のマギーと王立図書館を訪れた。

 以前に司書騎士フィリップと、未返却本の回収作業に同行する約束をしていたので、それを果たすついでに、本の返却に来たのだ。


 サクッと本を返すと、二人はフィリップを探して声をかける。

 アイリーンの声に気付いたフィリップは、トレードマークの眼鏡をクイっと上げて、彼女たちに微笑みかけた。


「ご機嫌様、アイリーン様。お元気そうで何よりです。今日は先日お約束していた件ですね?」

「ご機嫌様、フィリップ。そうよ。時間は大丈夫かしら?」

「ええ、大丈夫ですよ。こちらへどうぞ」


 そう言ってフィリップは、図書館のカウンターの奥へと案内する。

 奥はかなり広く、いくつもの部屋に分かれていた。貴重な本を保管する場所や、司書騎士たちの事務机が並んでいる場所など様々だ。


 その中の一室、テーブルと椅子が数脚ある部屋に通される。

 テーブルには、巻物や本がいろいろと置かれていた。


「アイリーン様、これを」

 彼女がフィリップから受け取ったのは一枚の紙。

 紙には、本のタイトル、借りた人の名前、住所などがびっしりと書かれている。


「これは、未返却本のリストかしら?」

「ええ。これは今月の未返却リストです」

「すごく多いのね」


 アイリーンはその数に驚く。リストにはざっと見るだけで三十冊はある。


「そうなんです。もちろん、うっかりと忘れることもあるでしょうから、最初は手紙や電話で催促を掛ける様にしています。それでも連絡の取れない場合はこちらからこの住所にお邪魔する手はずになっています」

「なるほど」


 アイリーンは感心する。

「今日はこのリストの中から、連絡の取れなかった三件を回ります」

「これ、全部回るわけではないのね」

 アイリーンは少し安心したように息を吐く。


「ええ。三人のうち、二人は大人で、再三の通知にも連絡一つ寄こさない、典型的な踏み倒しタイプです。恐らく転売等が目的なのでしょう」

「え! 国の資財を転売するなんて、それって大変ことなのではないかしら?」


「それを阻止するのが我々です。ここの本は全て特殊シールと印鑑で図書館名を明記しておりますが、実は更に絶対消すことのできない印が付いているのです」

「消すことのできない印?」


 小首をかしげるアイリーンとマギーにフィリップが頷く。

「ええ。目に見えない印です。それがあることを知らなければ、消すことはできないでしょう。これは重要な機密になりますのでご内密に」

「そんなものがあるのね。わかったわ」


 アイリーンが了承したのを確認すると、彼は更に説明を続けた。


「残りの一人は子供で、ここ一週間ほど返却期限を超過しています。彼が借りていった本は、子供たちに大人気の本で、彼の後の予約が入っていたのですが、返却期限を過ぎても返却がないので、彼の家を直接訪ねることになりました」


「人気の本。ちなみにその本は?」

「名探偵シャーリーシリーズです」


 アイリーンは「まあ!」と言って口元を手で覆う。自分の好きな本が人気なことが、随分と嬉しかったらしい。

「さ、話はここまでにして。行きましょうか」




 彼らが最初に向かったのは、未返却者Aの所だった。


 未返却者Aは司書騎士が来たとわかると、怯えたような顔をしてからあっさりと本を返却してきた。

 王立図書館のシールが表紙に貼ってある綺麗な状態での返却だったので、彼は厳重注意ですむ。


「もうしないでくださいね」

 フィリップは何度も未返却者Aに言い聞かせた。



 穏便ではなかったのは、二件目。

 未返却者Bの下へ行った時の方だった。


 未返却者Bはシールを剥がし、裏に押されている印鑑の上から別の紙を貼っているところを発見された。

 フィリップは未返却者Bを取り押さえ、治安を守る騎士団へ引き渡す。


「ねぇ、フィリップ。どうしてあの本が王立図書館の本だとわかったの?」

 次の未返却者宅へ向かう道中、アイリーンはフィリップに尋ねる。


 彼女が見た本は、表面のシールを剥がされ、裏表紙にも別の紙が当てられていて、印鑑を隠そうとしたことがうかがえる状態だった。

 今回はやり方が雑で、すぐに痕跡を見つけられる状態だったが、もっとうまく隠されたら分からないのではないかと彼女は思った。


 目に見えない印をどうやって確認していたのか、彼女には全く分からなかったのだ。

「秘密ですよ。うちの業務を手伝っていれば、そのうち見ることになると思います」

「今は内緒ってことね! 気になるけど我慢するわ」


「ええ。そうしてください」

 そう言ってフィリップは穏やかに笑った。



 三件目の未返却者宅は、平民街の何の変哲もない住宅地にあった。


「さて、最後の仕事です。ここでは三冊の本が未返却になっています」

「相手は子供なのよね?」


「ええ。八歳ですね。しっかり説明して、親御さんに出てきていただくので、すぐに終わると思います」

 フィリップがノッカーを二度鳴らす。


 一泊置いて扉の奥から、ガシャン、ドタドタと激しい音が聞こえてきた。

「すごい音」

「お嬢様。私の後ろに」

「え、ええ」


 バタバタバタとどんどん足音が近づいてきて、遂にドカンッと蹴破るような大きな音が響く。


「帰ったのねマルコ!! ……あ、ちがう…………」

 出てきたのは、乱れた髪、生気のない顔色の女性だった。


 彼女は、蒼白な顔をして、その場に崩れ落ち、声を上げて泣き出した。

 慌ててマギーとフィリップは彼女を支える。


「大丈夫ですか?」

「どうされたんですか? 我々は、王立図書館の者です」


 ぼさぼさ髪の女性は、何度も詰まりながら、悲痛な声を上げた。

「ああ! 息子が、マルコが! 一週間も帰ってこないのです!!!」

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