ファイル18アーサーの受難①
侯爵家子息アーサー・ポーターは、彼の仕える王太子エドガーの命により、実に数か月ぶりの実家へ戻ることになった。
「はあ」
アーサーは揺れる馬車の中ため息を零す。
彼がこの休日を取るためにこなした数々の書類、山のごとく積まれた書類に気を失いかけたことは一度や二度ではなかった。
(思い出してもゾッとするわ……エドのやつ、ちょっとくらい仕事減らしてくれてもいいのにな)
だが、まぁ、過ぎたことか、と思い直した彼は、実家に待ち受ける問題を思い出して、また背筋がゾッとした。
今こうして実家に帰る羽目になった原因は、妹アイリーンの所業だった。
彼の知らない間に妹は、何故か探偵を名乗り、エドガーと出会って、目を付けられた。
それが発覚してからの彼は、部下にアイリーンについて調べさせることにしたのだが。
「はぁ~」
彼の手に握られた報告書は、アイリーンの事件ファイルをまとめたものであった。
消えたカップケーキ事件と令嬢ハンカチ事件、今回のパン窃盗事件。
どれも彼女のお転婆ぶりが、大層発揮されていた。
結果アイリーンは、現在、孤児の諜報部隊を使って平民街の事件解決を主に行っているようだ。
人探しや窃盗など小さな事件で、数も少ないが、高位貴族の令嬢がふらふらと首を突っ込むことではない。
「エドがアイリーンに味方したら……うわ」
痛む頭を抱える。
ぎぎっと音を立てて馬車は止まった。
(覚悟決めるしかないな)
彼はエドガーからの依頼である二つの任務を遂行しに来たのだ。
アイリーンに王太子直属の護衛を付けることと、【かいとう】と口走った彼女が変な事件に巻き込まれていないかを確かめること。
この二つを成し遂げなければ帰れない。
馬車を下りて歩きながら、何度もシミレーションしてきた作戦を反復する。
(まずは……父さんからだな)
そう考えて、タウンハウスの門を見た瞬間、彼の動きが止まる。
門に張り紙がされている。
【ポーター探偵事務所
名探偵アイリーン・ポーターへのご依頼はこちら】
お世辞にも上手とは言えないが、頑張って書いたらしい【名探偵シャーリー】の絵。
「な、何だこれ」
「あ、坊ちゃん。お帰りなさいませ!」
門番がアーサーに気付いて声をかける。
「ああ、ご苦労だな。ところで、これはなんだ?」
「お嬢様が始めた、探偵屋の張り紙です!」
ニコニコと当たり前のように受け入れている門番に、アーサーは頭痛がするのを感じた。
「父上はいるか?」
「はい! いらっしゃいますよ」
「わかった」
アーサーは久方ぶりの実家に、ゆったり寛ぐ暇もなく、父の書斎へ急ぐ。
——ゴンゴンゴン
急ぎすぎて、少し雑になったノックが大きな音を立てたが、彼は構わずドアノブをひねる。
「父さん! 入ります」
「あっ、こら! 馬鹿者!」
「は?」
あまりにも慌てていたアーサーは、許可を待たずに書斎へ入って、頭が真っ白になった。
「……」
目の前には広がるのは、書斎のソファーで、チョコレートを食べさせ合う両親の姿だった。
「あ、アーサー! 許可を得る前に入るとは何事だ!」
「か、帰っていたのですね! で、では私はこれで」
「モリー、行ってしまうのか? そうか。愛しているよ」
「ええ。チョコレート食べ過ぎないでくださいね?」
ポッと頬を赤らめて書斎を出ていく母。
チョコレートを持って愛を囁く父。
彼は自分が叱責を受けたということも、頭から吹っ飛んでしまうぐらいその光景に衝撃を受けた。
(俺は一体何を見せられて……)
「それで、どうしたんだ?」
普段通りの表情で父が尋ねる。
「あ、ああ……実はアイリーンのことで」
彼は内心そのまま話を始めるのか、と父を問い詰めたくなったのだが、ぐっとこらえ話を進める。
「だろうと思ったよ」
「まず、玄関の看板は何ですか? アイリーンの奇行を許しているのですか?」
「ああ。あの看板か……一月ほど前、エドガー殿下から手紙が届いた。アイリーンの探偵業を支援すると」
どこか遠い目をして窓を見つめる父。
(エド、自分ですでに話してんじゃねーか!)
「どうして断らなかったんです? あれでも妹は、貴族の令嬢ですよ!? 一応」
「ああ」
「エドガー殿下なら分かってくれたはずですが」
「その、それがだな」
もじもじと父は顔を赤らめながら、言いずらそうに話し始めた。
「アイリーンの捜査のお陰で、少しばかり、その、母さんとの仲がな」
(あ、これは聞きたくねえ予感がする……)
嫌な予感がする彼の引きつった顔にも気付かず、父は消えたカップケーキ事件から起きた夫婦喧嘩と、その仲直りまでのあらましを語った。
「——ええと、つまり、アイリーンの推理によって、母さんといろいろあったんですね」
「そうだ。今は、謝って、ダイエットを継続する代わりに、モリーに一日一粒チョコを食べさせてもらう約束で落ち着いている」
「……」
まるで王国の未来を決める会議にでも出ているような、真面目腐った顔でそう宣う父に、アーサーは何と言葉をかけていいかわからなかった。
(これは……)
声の出ないアーサーをよそに、父は話を進めていく。
「だからな、アイリーンが悪いことをしているわけでもないからと、許可することにしたんだ。看板も数日すれば慣れるぞ」
淡々と告げられた言葉に、アーサーは事の重さを知った。
そしてその後、アーサーがアイリーンに護衛を付ける件を話すと、父はあっさりと承諾した。
彼が部屋を出る頃には、何故だか三年無休で働いた後のような、とてつもない疲労感でいっぱいになっていた。
(ほんとにアイツの行動力スゲーわ……なんか、俺、間違えたな)
引き出しの奥にある本を思い浮かべて、がっくりと肩を落としたのだった。
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